表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

友達でいてくれてありがとう 妙子へ

作者: 玉元真秋

友達ってなんだろう。

親友と普通の友達の境界線はどこにあるのだろうか。

私には一番大切なものだったけれど・・・


子供の頃から度々見ていた夢がある


いつも同じ夢



私が親友の妙子と遊んでいると、突然彼女が


「じゃあね、バイバイ」


と言って何処かに行ってしまう。

私は泣きながら、


「どうしたの?待って!行かないで!」


と追いかけるのだが、妙子の姿が何処にも見えなくなってしまうのだ。

ひとりぼっちになってしまい、


「どうして?」


と泣いて目が覚めるのだ。


あぁ、またこの夢か・・・


いつも不思議だった。

こんなに仲良しなのに、何故こんな夢を見るんだろうと。


でも四十年過ぎた今になって、やっと夢の訳がわかったのだ。


妙子のことを親友だと思っていたのは私だけ。

彼女にとって私は、ただの友達のひとりに過ぎなかったのだ。

私はその事をきっと子供の時から、気づいていたのかもしれない。

だから怖かったんだ。

真実を知るのが。


彼女を責める事は当然できない。

人にはそれぞれ立ち位置があって、

私は誰の中でも一番前にはなれないのだ。

遥か後ろの方。

その他大勢の一人。

元々人に好かれるタイプではない。

むしろ嫌われる事の方が多い。

人見知りで人間嫌い、

容姿だって美しくない。

それはどうする事も出来ないのだ。


でも妙子だけは信じていた。

私は彼女の中では、一番前の席だと思っていた。

心から許しあえる親友だと思っていたのだ。



出会い



妙子と出会ったのは、小学校五年生の時だった。

少し肌寒い六月の初め、季節外れの転校生として、私のクラスにやって来た。

小柄なからだに、ランドセルがやけに大きく見えた。

背中の真ん中くらいまである細く長い髪、

明るい黄色の上着を羽織り、

伏し目がちに少し照れたような薄笑いを浮かべて、妙子はみんなの前に立っていた。


「今日からこのクラスに転校して来た、

内村妙子さんです。

仲良くしてあげて下さい」


担任がそう言った。


私は何故かわからないが、ひと目で妙子の事が気に入った。

友達になりたいと思った。


その日の帰り道、私は


「一緒に帰ろ」と誘った。


妙子は伏し目がちに頷くと、私の後をついて来た。

私たちは何も喋らず、そろそろと歩いて行った。

偶然にも同じ方向みたいなので、


「家はどの辺なの?」


と聞いてみた。


「あっ・えっと・・・あれっ?

わからなくなっちゃった・・」


転校して来て初めての道で、彼女は迷ってしまったのだ。


「アハハ! 一緒に探そ!」


私たちは学校の周辺を歩き回った。

程なくして


「あっ 、こっちだ!」


彼女が道を思い出した。


そこはいつも私が通っている通学路の途中にある工場の社宅だった。

工場と言っても家族で細々とやっている町工場だった。


「家、ここなんだ」


「うん、そう」


「後で遊びに来てもいい?」


「うん」


私は急いで家に帰り、ランドセルを放り投げて妙子の家に走って行った。


社宅は二軒続きの古びた平家の建物で、

半畳程の狭いコンクリートの土間を入ると、

六畳の和室が二間あった。

その奥には三畳程の台所が続いていた。

細長く薄暗い部屋だった。

私も同じく社宅に住んでいたので、何だか嬉しかった。

高度経済成長期と言われていたが、

昭和四十年代のまだまだ多くの人が貧しい時代だった。


妙子は優しい笑顔で迎えてくれた。


「これ、食べる?」


差し出してくれたのは、プラスチックの容器に砂糖水を凍らせたアイスだった。

スプーンでサクサク削って口に入れると、

甘くて美味しかった。

私達は笑いながら夢中で食べた。


妙子には妹が二人いること、

真っ黒な犬を飼っていること、

国語と家庭科が好きなことなど、色々知ることができた。


その日から私達は友達になった。


私は毎日のように妙子と遊んだ。

ある日、妙子の家に行くと彼女が不思議な形のものを持っていた。

それは長さが30センチ、直径8センチ位で

真ん中に穴が空いている茶色い筒状の物だった。


「それ、なぁに?」尋ねると


「オガライトだよ」と彼女が言った。


それはおが屑を固めて棒状にした物で、お風呂を沸かすのに使う燃料だった。

風呂釜に新聞紙を丸めて入れて火を点けて、

その中に割ったオガライトを入れると、火が点くのだ。

オガライトのホロホロと割れる絶妙な固さが面白くて、割るのを手伝った。


その頃の私の家は風呂無しの社宅で、

大将と呼ばれる社長の家に、お風呂を借りに行くのだ。

大将夫婦には子供がいなくて、チコという名の柴犬を我が子のように可愛がっていた。

私はその犬の次に、何故か可愛がってもらっていた。

母が気を遣いながら風呂に入る中、私は自由に家の中を歩き回り、お菓子などを貰ったものだ。



夏休みに入る頃、妙子はすっかり回りの環境にも慣れていた。


私達はいつも一緒にプールやラジオ体操に通った。

あの頃の小学生の夏休みは、毎日ラジオ体操があり、手作りのカードを持って行って、

子供会の役員になった母親に、ラジオ体操が終わるとハンコを押してもらったものだ。

一日も休まずに皆勤賞で行くと、夏休みの最後の日に、大きな袋に入った駄菓子の詰め合わせが貰えるのだ。

休んだ子は小さい袋だった。


私はお菓子が欲しいのもあったが、ラジオ体操をやっている場所が大好きで、毎日休まずに通ったのだ。


それは川の上で橋が途中で無くなっていて、

素晴らしく見晴らしのいい場所だった。

伊勢湾台風の時に、半分崩れ流された橋は柵がしてあり、橋下の川風がラジオ体操をした

少し汗ばんだ身体に気持ち良かった。


プールも夏休みの半分くらいはあって、

プールカードなるものがあり、プラスチックのカードケースに入れて、毎日担当の先生が

ハンコを押してくれた。

画用紙できたプールカードは水着なんかと一緒に入れるもんだから、紙がふやけてしまい、ハンコが薄くなってしまうのだった。

そして、夏休みを終わる頃にはボロボロの紙屑になるのだった。


夏休みも終盤になると、クロンボ大会なるものが学校で催された。

その名の通り、日焼けして真っ黒な子ほど良くて、順位を競うのだ。

妙子は上位に食い込み、笑うと白い歯が綺麗だった。

今の時代なら肌に良くないとか、皮膚ガンになるとか言われて考えられないだろう。


その頃には妙子は、すっかりクラスのマスコット的存在だった。

クラスで一番背が低く、小柄で明るい性格は

みんなに好かれた。

友達も沢山できた。


私の小学生時代は彼女のお陰で人生で一番楽しい思い出になった。



中学生になると、私は妙子と同じクラスになる事は一度も無かった。

何故か私は学校で一番厳しい運動部に入ってしまい、毎日、早朝と夕方暗くなるまで、部活の練習一色だった。



高校は別々の学校に進学して、私達はすれ違いが多くなった。

時々、駅などで見かける妙子は少し不良になっていた。

あの頃の不良女子の鉄板スタイルは、長いスカートとペッタンコの学生カバンだった。

妙子もそんな格好で同じ様な友達数人と、

ホームの隅に溜まっていた。

私は目を合わす事なく、足早に前を通り過ぎた。


それでも思い出した様に彼女の家を訪ねると、変わらず優しい笑顔で迎えてくれた。

その頃の妙子は社宅の隅に、

六畳程のプレハブの部屋を建ててもらい住んでいた。

そこは不良達の格好の溜まり場になっていて、いつも誰かしら寝ていた。

ブスで冴えない格好の私は、不良達に鼻で笑われた。

それでも年頃の不良達の中には、欲望だけで私にちょっかいをかけてくる輩もいた。

そんな時、妙子は凄い剣幕で不良に怒ってくれた。


「この子はそうゆうのじゃ無いから、

やめなよっ!」


嬉しかった。

外見は少し変わったけれど、中身は優しい妙子のままだった。



高校を卒業して、それぞれ会社に就職して暫くした頃、妙子はアパートを借りて一人暮らしを始めた。

私は当然の様に、暇を見つけては妙子を訪ねた。


また小学校の頃のように。


毎晩の様に遅くまでおしゃべりしていた。

それは恋バナだったり、会社の不満だったり、テレビの話しだったり、

毎日話していても飽きることは無かった。

どんなに遅い時間に訪ねても、いつもの優しい笑顔で迎えてくれた。


妙子は楽しかったんだろうか?


今思えば心の中では鬱陶しいと思っていたのかもしれない。

でも嫌な顔をされた事は一度も無かった。


ある日、妙子は捨て猫を拾ってきて飼うことにした。

それは薄茶色のトラ猫で名前を、

「八ちゃん」と名付けた。

目の上に八の字に黒い模様があり、眉毛のように見えて凄く愛嬌があった。

私も猫が大好きなので、また妙子の所へ行く口実が増えてしまった。


ある夏の休日、妙子のアパートで昼間からビールを飲みテレビを観ていた。

その日は茹だるような暑い日で、扇風機しか無い狭いアパートの窓を開け放していた。

するとカーテンが揺れて、窓から八ちゃんが

帰って来た。

何やら口に咥えている。

嫌な予感がした。

その得体の知れない物を、


「持って来たよ」


と言わんばかりに、私達の前にポトリと落とした。


「ギャーーーァーーァーー!!」


私達は飛び起きた。


「なにっ、アレ!」


「イヤー!わからんよぉー!」


部屋の隅から恐る恐るその物体を見た。


「動いてるよぉー!」


私達は半泣きだった。

その黒い得体の知れない物は、よく見ると

羽化したばかりのセミだった。

まだ羽根も伸びきっていなかった。

七年もの間、土の中で暮らし、

やっと地上に出て、幼虫から成虫になり、

今から短い人生を謳歌する筈だったのに。

哀れにも猫に捕まってしまったのだ。

私達は恐る恐る、セミを木の幹に置いて来た。

ハちゃんは何を騒いでいるのと言わんばかりに、迷惑そうに大きな欠伸をして眠ってしまった。

私達はそれを見て、大騒ぎしたのが恥ずかしくなり、顔を見合わせて大笑いをした。



それから数年経ったある日、大変な事件がおこった。

私が仕事をしていると、妙子から電話が入った。

声が震えていて、泣いているようだった。

滅多に涙を見せない妙子なので、ただならね事態である事に間違いはない。


「どうしたの!何があった?」


私は慌てて聞いた。

妙子は泣きながら、途切れ途切れに言った。


「八ちゃんが・・八ちゃんが・・

車に轢かれて死んじゃったよぉー!」


私はびっくりして、会社を適当な理由をつけて早退して、妙子のアパートに駆けつけた。

アパートのドアは半分開いていた。

中に入ると妙子は床にペタリと座りこみ、項垂れていた。

目の前の段ボールの箱の中には、タオルが敷かれていて、八ちゃんが横たわっていた。

外傷は殆ど無さそうだった。


「八ちゃんが死んじゃったよぉ!」


妙子はまた同じ言葉を繰り返した。

私も涙が溢れてきた。

暫くの間私達は何も言わずに、ただ泣いていた。

どれ位の時間が過ぎただろうか、妙子が言った。


「八ちゃん、供養しなきゃね・・」


私達は電話帳で調べて、市の斎場でペットの火葬もしてくれる事を知った。

電話で予約をして時間になるのを待っていた時だった。

部屋の外に出ていた妙子が、虚ろな顔で入ってくるなりこう言った。


「八ちゃん、死んでなかった・・・」


泣き笑いの顔だった。

ショックのあまり、冒しくなってしまったのかと思った。


「うん、そうだよね。

そう思いたいよね・・」


「!!!!」


「ニャアー」


ドアから八ちゃんが入って来た。

お化けかと思った。


「じゃあ、この子はどこの子?!」


模様がそっくりな、見知らぬ猫だった。

喜んでいいのか複雑な心境だった。

斎場を予約してあったので、私達で葬る事にした。

どこの子かわからない猫を、二人で天国に見送った。



妙子と一緒にいる毎日はいつも楽しく、

それは当たり前の様に、ずっと続くと思っていた。

あの日までは・・・



別れ



あの日、私はいつものように会社帰りに、

お菓子を買って妙子のアパートに向かった。

いつものように、取り留めない話しをしている時だった。

妙子が急に真面目な顔で


「あのね、私、結婚する事にした」


と言った。


「へっ?」


何を言っているのか理解できなかった。


「だからぁ、結婚するの!」


もう一度、照れた様にそう言った。


「えっ!あんた彼氏いたっけ?

どゆこと?」


「お見合いしたの。会社の社長の紹介で」


青天の霹靂とはこの事か。

びっくりして言葉も出なかった。

私はお見合いした事すら知らなかった。


「で、どんな人なの?」


私は動揺をできる限り隠して聞いた。


「うん、見た目は全然カッコ良くないんだけどね。話しているうちに、あぁ、私はこの人と結婚するんだなぁ、って思ったんだよね」


妙子は恥ずかしそうにそう言った。


「へぇ、そうなんだ。全然知らなかったよ。

良かったじゃん。おめでとう」


きっと私はうまく笑えてなかったと思う。


「なんで教えてくれなかったの?!」


心の中で叫んでいた。


「その人ね、東京支社の支店長なんだ。

だから東京に住むことになると思う」


またまたびっくりした。

ここ愛知県から東京までは、随分遠いではないか。


「遠いね・・」と呟いた。


「そんなの新幹線で行けばすぐだよ、

近いって」


妙子は明るく言った。


「で、結婚式の日取りなんか、決まってんの?」


「うん、秋にはしたいねって」


「えっ!もう半年も無いじゃん」



それからの半年はアッと言う間だった。



アパートの引っ越しの日、私は仕事を理由に、手伝いに行かなかった。

いや、行く事が出来なかった。

それでも夕方、アパートを訪ねてみた。


妙子はまだ部屋に居た。

粗方片付いた部屋の中はガランとしていて、

こんなに広かったかなと思った。


「ごめんね、今日は手伝えなくて。

どうしても仕事が休めなくて・・

綺麗に片付いたね」


「うん、そんなに荷物が無いから、早く終わったよ」


私達は綺麗に雑巾がけされた、床に座って

暮れかかる夕日を眺めていた。

秋の夕暮れは早く、部屋の中はすぐに薄暗くなった。

電気もガスもガス止められていたので、妙子は用意してあったロウソクに火をつけた。

部屋の中がオレンジ色に揺れていた。


「今晩、私の家に泊まる?何も無くて困るでしょ」


「大丈夫。最後の夜だから、思い出に浸りたいから・・・帰っていいよ」


妙子はそう言って小さく笑った。


「そうか・・・じゃあ・・元気でね」


別れの言葉もろくに言えないまま、私はアパートを後にした。

車に乗り込むと涙が溢れた。

運転しながら大きな声で泣いた。


次の日、妙子は夫になる人と一緒に東京へ行ってしまった。


心に大きな穴が空いてしまったようだった。

私は仕事が終わってから、何をしたらいいかわからなかった。

その頃、彼氏も居なかった。


妙子とは時々、電話や手紙のやり取りをしていた。

携帯電話はまだ無かった。

知り合いの一人も居ない土地で淋しいと言っていた。


「もう少し近かったら、毎日でも行ってあげるのにね」


私は冗談交じりにそう言った。


それでも半年に一度くらいのペースで会いに行っていた。


二年程経った頃、妙子に待望の赤ちゃんが生まれた。

可愛い男の子だった。

幸せそうな妙子の顔を見るのは嬉しかった。


数年後、私も何とか結婚する事ができた。


妙子の二番目の子供と私の初めての子供は、

同級生になった。

お互い子育てに追われる日々で、中々会えなくなってしまった。

それでも時々来る、子育て奮闘記なる写真付きの手紙と、毎年届く誕生日プレゼントは、

私の大切な宝物だった。




再び



妙子が東京に嫁いでから、二十年の月日が流れた。

子供達も手が掛からなくなり、以前のように一緒に遊べるようになるのが楽しみだった。


携帯電話やSNSの普及で色々な情報が飛び交う中、妙子がブログをやっているのを知った。

「よかったら覗いてみてね」


妙子は明るくそう言った。

妙子のブログには日常の色々な出来事が綴られていた。

旅行に行くのが好きで頻繁にアップされていた。

近場の温泉から海外まで、行った所の写真と共にコメントが載っていた。


「今回も親友と一緒に、〇〇に行って来ましたー」


東京で親友ができたんだね。

良かったね。

心にチクリと鈍い痛みが走った。


その後も妙子のブログからは、楽しそうな報告が次々と更新されていた。


「今日は幼なじみの友達たちと、定期的にやっている女子会でーす」


その中に私は入っていなかった。


そして、私の不信を確信に変える出来事がやって来た。


それは、妙子と共通の幼なじみの母親の死だった。

私は葬儀が終わって、随分経ってから妙子から知らされた。


「私はお通夜に参列したけど、あんたは行かなかったんだね。

ごめんね、知っているかと思って」


ショックだった。

その時思い知らされた。

私は妙子にとって、随分後ろの席の友達なんだと。

今更ながら気づいたのだ。


誰もいない部屋の中で、子供の様に声をあげて泣いた。

自分の鈍感さ加減が悔しかった。

大人になってから、こんなに泣いたのは久しく無かった。

何でそんな事で悲しむ必要があるのかと、

言う人がいるだろう。

一番前の席がそんなに大事なのかと。

友達は友達で良いではないかと。


自分でもわからない。

何故なのか。


きっと小学生の初めて会ったあの日、

私は一番になりたいと思ったんだろう。


その日から私は、妙子に連絡をするのを止めた。

すると当たり前の様に、音信不通になった。

何カ月経っても妙子の方から、連絡が来る事は無かった。


私が若い頃流行った、桜田淳子の

「しあわせ芝居」という歌のフレーズが

頭に浮かんで来た。



・・・・・・・・・・


わたしみんな気づいてしまった

しあわせ芝居の舞台裏

電話してるのは私だけ

あの人から来る事はない


・・・・・・・・・・


これは男女の失恋の歌だけど、私も同じだった。

思い起こせば、いつも何をするのも、

誘うのは私の方からで、妙子から連絡が来る事は、殆ど無かった。


冒頭でも言ったが、それを責めている訳ではない。

仕方のない事だ。




再びの別れ



今、私はこれを病院のベットの上で綴っている。

もうここから出る事は叶わないだろう。


私が大好きだった、「ベルサイユのバラ」

のオスカルは、死の間際にこう言った。



「人間は死期が近づくと、昔のことばかり思い出す」と。



きっと私もそうなんだろう。

そしてそれは、一番楽しかった無邪気な子供時代の事なのだろう。


だから私は妙子に心から、お礼が言いたい。


こんな私といつも一緒にいてくれて、

ありがとう。


沢山の思い出をありがとう。


そして、そして、今度こそ


さようなら。


































最後まで読んで下さってありがとうございます。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ