5-2
再び車に乗り込み高速を走りだした途端、お腹がふくれたせいもあったが、僕は皆川さんが運転している横でまどろみかけていた。
「眠いなら寝てもいいぜ、寝れる時に寝とけ」皆川さんのその言葉がすでに遠くに感じられるほど僕は意識が落ちかけていた。日が昇るのとは逆に。
「おい、木田。お前も一緒に行こうぜ、今から反戦デモなんだ」
「……いや、俺はいいよ」
「んだよ、お前にゃ愛国心ってものがないのかぁ? 俺たちゃこの国に生まれて育てられて今があるんだ、みんなができることをひとつずつでもしていかなきゃ変わらないんだ。いつまでも教国のやり方に翻弄されるわけにはいかないだろ」
「そりゃぁ、そうだけど。だけどそれは国と国の問題だ、本当に俺たちが何かをして変わるものなのか」
「俺だって今までそう言うやつを何人も見てきたよ。正直俺だってつい最近までこんなことに感心もなかった。けどこのままじゃだめだって思ったんだ、未来がないんじゃないかってね」
「かもしれないな。でも、その、反戦運動ってなんだよ。戦争なんて国と国の外交手段だ、ただの」
「だから自分には何もできることがない、意味がないって……そういいたいのか? そうやってリベラル気取ってりゃ責められもしないし、誰かを傷つけ傷つけられて心を痛めることもしないですむだろう、けどな……」
「わかったような口きくんじゃ! ……ねぇよ。誰が戦争なんて肯定するかよ、人が傷ついて目の前で死んでいって、それを見て平気でなんていられるかよ、今だって胸が張り裂ける気分だ、あの時もっと早く気づいていれば、もっと早く駆けつけていれば、助かったかもしれない人を助けられなかったことを……こんなところで戦争はだめだって叫んでいたって誰も助けられないんだよ、何も変わらないんだよ!」
「何が変わらねぇってぇ?」タバコをくわえながら皆川さんは僕に言った。
「あの、僕、何か言いましたか?」僕は自分の寝言で目を覚ました。日はすっかり昇って、車は高速を下りて一般道を走っていた。
「さあな。嫌な夢みたいだったが、寝てる時くらい難しいこと考えるな。長生きできんぞ」
「少し前に実家に戻った時に、高校の同級生に誘われたんです。反戦デモに……それで、その時のことを、ちょっと」
「世界で最も愚かで狡猾な臆病者の集まりだな」
皆川さんならそう言うと思った。
「僕は行くのを断ったんです。でもその時何とも言えない胸の苦しみっていうか、こう、なんていうんですか、サディスティックっていうんですか、そいつらを踏みつけて見下すような快感も同時にあったんですよね」
「ああ」
「安全な街頭を練り歩いて主義主張を声高に叫ぶこと、それがデモなんだけど、なんていうか、参加してりゃいいのかって。自分は“こっち側にいるんですよ”ってアピールしてるだけで、行動することを放棄してるって、考えることすら放棄してるって、そんなふうに感じたんですよ」
「ふうん。で?」
「そのまま、言ってやりました。そんなことで人は救えないって」
「そしたら相手はどう言ってた?」
「話にならねぇって。なら国防軍か海上保安庁にでも行けよって、本多も刈内も……えと、同級生の国防軍に入ったやつらですけど、そいつらも今だって前線に出てるんだって。ところがお前はどうだ? カメラ抱えて何をしている? それで人を助けるだと? 偉そうなこと言うんじゃねぇよ。何にもしていないお前が偉そうなこというんじゃねぇ。って、そう言われました」
「で、お前はそいつらのデモの様子を写真に収めたのか?」
「そんなの、撮りませんよ。こっちだってむしゃくしゃしてたし」
「……だからダメなんだよ。それじゃお前もそいつと同レベルだ」
「べつに、かまいませんよ。勝ち負けの問題じゃないし」
「撃ち殺しちまえばよかったのさ、そいつでな。お前には武器がある、それもけっこう使えるエモノだ。お前にゃまだまだ使いこなせないかもしれんが、訓練はしておけ。でなきゃいざって時に引き金を引けねぇ腰抜けになる」
皆川さんが何を言いたいのか結局わからなかった。別に僕は反戦デモに誘った友人のことが憎かったわけじゃない。僕がどうしてきたのかも知らないくせに、何もしていないで遊び呆けているように言われたからだ。それで腹が立ったって話だ。
「もうすぐ着くぞ」皆川さんはまだ交通量の少ない北岸市の街を流しながらキョロキョロと辺りを見回していた。
「何か探しているんですか?」
「喫茶店だ、東雲っていう喫茶店。そこで打合せすることになってる」現地の人と待ち合わせでもあるのだろうか。
しばらく走って『喫茶 東雲』はすぐに見つかった。なんだか皆川さんが指定したにしてはお洒落すぎる気がする。南欧の古い建造物を模してアレンジした外観に、年代物の濃い色の柱と白い漆喰の壁で造られた内装、床はところどころがくたびれてはいるが、無垢のいい木を使っているのがよくわかる。席はテーブル席だけで五卓はある。
そういえばスタッフの車両にはレポーターらしき人も乗っていなかったし、こっちで合流なのかもしれない。勝手に綺麗なお姉さんレポーターを想像していた。まさか皆川さんがやるわけじゃないだろう。
僕らは窓際のテーブル席二つに分かれて陣取り、ホットコーヒーを頼んで一息ついていた。
ここに来て初めてちゃんとスタッフの顔を見たような気がした。目の前の髭面で大柄な人がディレクターの大島さん、後ろの席のひょろ長くてメガネをかけた人がアシスタントの三浦さん、どちらも野暮ったいというか、おおよそテレビの画面に映ってもいい風貌とは思えなかった。隣に座る皆川さんと変わらない。
あとは音声の東本君、まだ若いと思ったら僕の学校を一昨年卒業した映像科の先輩だった。それからカメラマンの桐生さん。この人はかっこいい。無口で職人気質な感じだけど、壮年の俳優みたいにきりっと顔が引き締まっていて、プロフェッショナルな感じがする。
「おっせぇなぁ、カオルちゃん」僕は皆川さんが時計を見てつぶやいているのを聞き逃さなかった。とりあえず今回の撮影スタッフはむさい男所帯で構成されており、何か別の要素を期待する余地はまるでないと言えたけど、ここにその“カオルちゃん”でも来てくれればまさしく掃き溜めに鶴だ。少し心が踊った。
その時入口のドアベルがガランゴロンと鳴り、二人の人影が見えた。
「よっ、こっちこっち」皆川さんがその二人に気づいて呼んだ。サングラスの女性と男性だ。やっぱり美人レポーターだ、もしかするとローカルな女優くらいを起用したのかも。後ろの背の高い男はマネージャーかな?
ところが皆川さんは席を離れ二人のそばに立ちこう言った。僕はそれを聞いて軽い絶望と驚愕の波状攻撃をかけられた気分だった。