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5-1

「腹減ったな」かれこれ出発から二時間が経過していた。僕らは高速のサービスエリアに立ち寄り休憩をとることにした。


 幾分照明を落としている午前四時過ぎのサービスエリアの食堂は、長距離トラックの運転手なんかが早い目の朝食を摂るものだと思っていたのだけど、意外と海水浴に向かうような家族連れや若いグループが多い。


 皆川さんは自販機で食券を買いカツカレーを注文した。この時間じゃ夜食というより朝食だし、どうもそんな重いものを食べる気になれないので、おとなしく蕎麦にとどめておいた。


「この夜中によくそんなもの食えますね」がっつく皆川さんに言った。


「人間食えるときに食っておかなきゃ、今度はいつ食えるかわからねぇんだ。死ぬ間際に“もう一度あれ食いたかった”なんて思うのは嫌だからな」


 なるほど、そう考えれば食べたい時に食べられる今があるのはとても幸せなことだなと思う。ほかのスタッフもめいめい何かを食べていた。


「ほらよ、コーヒーおごってやる」皆川さんは外に出ると僕を自販機の方に呼んだ。


「最近はよ、サービスエリアの喫煙は御法度でな、あそこまで行かなきゃ灰皿がないときた」そういって皆川さんが指さしたのはサービスエリアの端に設置された薄暗い露天の喫煙所。


 タバコを吸わない僕がそれに付き合う理由はないはずなんだけど、もしかしてこの人タバコに付き合ってもらうためにコーヒーおごってくれたのか? 珍しい事するもんだとは思ったけど。



東の方が白み始めた空を見ながら大きく息を吸って吐いた。隣で皆川さんも大きく煙を吐いた。


「ええ、何度だって言いますよ。一発何千万、何億なんてミサイルを作る金があるなら国民のために使えばみんな幸せになれますよ。軍隊を維持して管理する手間暇があればもっといい国づくりができますよ、どうしてそれじゃいけないのかって、普通はそう思うでしょう。使うか使わないかわからない兵器のために毎日の食べ物に困っている人がいる。戦争が起きて殺されなくても飢餓で死ぬ人は毎日のようにいる。なんで人は人のために生きられないんだって、僕は思いますよ」


 遠くの山々の尾根が輝き始めていた。僕らは互いにその一点を見つめ続けながら、けして眼を合わせることなく話していた。


「そりゃあきれいごとだって言っているんだよ。そんなもんが実現できてりゃ誰も苦労して歴史なんて積み重ねない、それにここまで世の中が安全安心で便利にもならなかっただろう」


 皆川さんの言いたいことはわかる。現実に人間はそんなに出来ていないから今まで絶え間なく争いを続けてきて、食うか食われるかの時代を経てきたんだから。そして僕たちというのは時代の中で勝者に位置する場所に生まれ生きている。


 だからそんな甘い考えが通用すると夢見ている――そう言われても仕方はない。だけど僕はいずれ人々はそうならなければいけないと思う。武力の傘の下でほくそ笑み、武力の矛先で怯え嘆く、人間はそんな生き方をいつまでも続けてゆかなければいけないのかと思うとむなしくも感じる。


「伸也よ、お前は、今のお前は、そんな世界を実現することができるのか」


「できませんよ、僕はただの学生だ」


「なら偉そうなことをいうな」


「どうしてですか、思うことは勝手でしょう」


 皆川さんは煙草を大きく吸って煙を吐いた。煙草を持った手の親指でまゆ毛の端をなぞると僕のことをにらんだ。いや、にらんだというより僕の心の奥底を見つめているように思えた。


「てめぇが欲しい世界があるなら、少しでも努力するべきだろうな。今のお前には何ができるかよーく考えるこった。なぜお前はその黒い塊を手に持っているんだ」


 僕は喫煙所のテーブルの傍らに置いたカメラを見つめて何も言えなかった。何かができるかもしれないと、自分にも何かができるかも、変えることができるかもしれないと、写真を撮ることを選んだ。それは彼、皆川譲二の背中を意識したからに違いない。


 ただフィルムのコマに漠然と景色や人物を切り取って焼きつけている。ほとんどは何の変哲もない平凡な日常だろう。世界の大変革が起きるその瞬間に僕が立ち会うことなど一生ないかもしれない。そして彼が失ったという国家を転覆させてしまうようなスクープをかっさらうことができるとも思えない。


「なあ、伸也よ。俺はな、この二十五年間肌身離さずカメラを携えてきた。毎日何かあるんじゃないかってね、そんときは必ず写真を撮ってやろうって思っていた。昔は今みたいに携帯電話にカメラ機能が付いていなかったし、そもそも携帯電話ってもんもなかったからな、事件事故の現場ってのはその場にいた人間の時間の経過とともに曖昧になる記憶とそれに基づいてなされる証言と現場に残された遺留品と証拠だけが事件を語ったんだ。

 無論今だって条件がそろわなきゃ昔と同じことだが、確率的には事件をより正確に保存することができるようになったんだ。事件や事故の当事者でなくとも周りに集まった野次馬が携帯かざしてネットにアップしたり共有したり、オンデマンドで世に流すことができるんだ。一億総ジャーナリスト気取りさ。そんな中で未だにこんなカメラぶら下げてアナクロなジャーナリストやってる俺は間抜けに見えるかもしれん。だがな、それは違うんだよ」


 皆川さんは一旦テーブルから肘を離して安っぽいプラスチックの椅子の背もたれに身を預けた。そしてそのまま腕を組んで目を閉じた。


「なにが、ちがうんですか」僕がもどかしくなってそう問わねばならないほど会話としては間が開いていた。


「言うべきか言わざるべきか、迷っていた。事細かに説明するのは嫌いなんでね」


「それはわかっています。だけど、教えてください。皆川さんは自分の力で世界を変えられると思っているんですか」


「少し、違うんだよ、そうじゃない。俺が世界を変えるんじゃない、俺を認めた人々が世界を変えるんだ。俺の生まれて初めての最初のスクープは何だったか教えてやろうか。近所で起こった火事だよ。俺が中学生でカメラを始めてあらかたの操作を覚えたころだ、近所で火事があってな、俺はカメラを持って現場に走った。野次馬もそこそこ集まってたし、火を消すために大人たちは走り回っていた。中には取り残された小さな子供がいたんだ。結局その家は全焼でな、きれいに燃え尽きちまった」


「子供は、どうなったんですか」


「助かったよ、近所じゃ有名なヤクザの息子の手によってな。そいつが燃えさかる家に飛び込んで子供を抱えて出てきた。そいつさ、俺より二つ位年上だった。地元ではヤクザってだけで迷惑がって誰からも敬遠されるような家だったんだよ、そいつはワルでもなんでもなかったんだけどな。それが他人の子供を助けるために火の海に飛び込んだなんて美談じゃねぇか。俺はさ、その一部始終を写真に収めたんだ」


「ワイドショーが喜びそうなネタですね」


「今じゃそうだろうがな、俺の若いころってのは保守的でね、彼の善行はその場にいた人々には驚嘆さえされたが、地域の世俗が称賛することはなかった。助けた子供の、その火事で燃えた家は市会議員の邸宅でな、それなりの地位も表向きの立場もある、だから反社会的な彼の親族や彼の周辺に恩を売られることを嫌ったんだろう、家人は彼をたたえることはしなかったんだよ。通りがかりの青年による感動的救出劇はなかったことになっていた。

 無論彼はそれを望んでおらず、自分が世間からどういう目で見られているのかもよくわかっていたから、その後にすぐ現場を立ち去ったんだと思う。やくざの息子が子供を助けたって美談は現場にいた数人の記憶でしかないのさ。

 ところが俺のカメラにはそのいずれは消えて薄れてゆく一連の事件が写真として切り取られて残っていた。中学生の純真無垢な俺はな、そいつがヒーローなんだってことを世間に知らせてやりたかった」


「それで、どうしたんですか?」


「新聞社にもちこんだ。俺は誉められたよ、悪い気はしなかった。正直すげーいいことをしたんだって思ったさ。だけど、数日後写真を受け取った記者から連絡があって、記事にはできないと言われた。理由はわかるだろ」


「ええ、まあ、だいたいは想像つきます」


「別にやくざの息子の彼を称賛してやろうって思いが強かった訳じゃない、彼が消防署なりから感謝状を受け取れなかったのがもどかしいわけじゃない、なにより権力によって事実が曲げられたり、消し去られたりすることがこんなにも簡単に行われていることを実感した。

 その時はなんで記事が没になったのかすらわからなったけど、翌日の新聞には市会議員の邸宅が火事になり、その時に議員は火の中に飛び込んで自分の子供を助けた、勇気のある行動だった、とね。自分の子供のためとはいえなかなか火中に飛び込める親はいない、世間はそう称賛した。

 それどころか出火原因は放火、それも地元の反社会的集団の犯行ではないかとまことしやかに囁かれる始末だ。市議は暴力団のは排斥を声高に謳っていたからな。どうだ、バカバカしい話だろ、おまけにその市議はいまじゃ国会議員様だ」


「誰も、そこでは何も言わなかったんですか」


「言うかよ。それを言って誰が得をする? ちゃんと現場にいた人間には根回しをしていただろうし、そういう空気じゃないってことは大人ならわかるものだ、俺を除いてな。だから新聞社の記者から改めて言われたよ」


「大人の事情だと?」


「その記者はな、原田っていう、今じゃ偉いさんになってるがな、もう少し俺のことを大人として見てくれた。彼はこう言ったんだ“事実を捻じ曲げられたことに憤りは感じるだろう、それを最も実感しているのは当事者の彼と君だけだろう。だが君たちはマイノリティだ、新聞は事実を書き連ねる機関ではない、いかに大衆に迎合されるかだ。エッセンスとして批判的な記事も載せることはあるが、大筋は社会のシナリオに従って書かれるものだ。君はそんな我々のことを軽蔑するかもしれないがね”ってさ。呆れた話だろ」


「そんな人が今の新聞社のトップを?」


「そんな物わかりのいい人だからトップなんだよ。よくわかってるんだ、世の中ってやつを」


「なんだかむなしいですよね。新聞って“報道の正統派”って信じてました」


「国民には情報を広く普遍的に知る権利と義務があると某国営放送が受信料を徴収しているがな、都合のいい真実らしきものを流してそれ以上は知る必要がないのだと言われているのと同じだ。今のこの国はな。見ざる聞かざる喋らざるってな、目を瞑り耳を閉ざし口をつぐめばサルはサルのままでいられるのさ、サルは自分から人間になろうなんてことは思わない。サルのまま安心して暮らせるならそれに越したことはない」


 真実を国民には知らせない政府と報道、ゆるやかな情報統制、やさしい洗脳、散々今までSF小説で書かれてきたことだ。いや、それは現実に過去の大戦下でも頻繁に行われた。そのおかげで僕のじいちゃんをはじめとする当時に生きた人々は人生を翻弄された。真実を知っていれば、もっと早くに戦争を終わらせることができたかもしれなかった。人々が声をあげ戦争を止めることができたかもしれなかった。


「百匹目の猿ってな、知ってるか?」


「ええ、一匹に始まり百匹に達したサルの集団における特定の習慣が、何故か無関係な他の群れにも突然伝播するっていう“仮説”でしょ」


「勉強家だな。ただ仮説ってのは言い過ぎだ。サルの群れのように一人の考えが百人に理解されればやがてそれは世界を巻き込むムーブメントになる、人間もそうあればよいのにな、という夢想だ。現実には起こり得ない」


「ただ、近い状況は生まれているんじゃないですか、インターネットによって」


「まあな、だがブームになってもムーブはしない、本人たちは世界が変わるんじゃないかと期待して胸を躍らせているだけだ」


「でも、実際ネットの呼びかけでデモから国家転覆……革命になった例だってありますよ」


「おいおい勘違いするな。“中東の春”のようなことを言っているのだろうが、あれはれっきとした国家戦略工作の一つだ。ネットで自然発生的に起きたように見せかけるのはカムフラージュにすぎん。ちゃんと後ろで糸を引いている連中がいるんだ」


 相変わらず僕の意見は全て皆川さんに論破されてしまう。僕はいつまでたっても彼に教えを請い、何も知らない、わかっていないと言われ続けるのだろうか。


「俺はな、百匹目の猿なんかに興味はない。俺は一匹目の猿になる。いち早く眼を開き耳を広げ、そして口を開く。俺が知ったことをな、気づいたことをな。それだけだ。みんなで仲良く声をあげれば変わるんじゃないか、なんて期待はしない」


「それは……なんていうか」


「世界を変えることなどできない、一人の力でそんなこと出来っこないってか? ああ、正解だよ。俺は世界を変える気なんてない、俺が変えるんじゃないって言ったはずだ」


「だったらどうして皆川さんはジャーナリストをやっているんですか?」


「もう一つ話をしてやろう。BABY IN CARって意味しってるか?」


「ああ、車のリアガラスに張り付けてるあれですか? 子供がいるから安全運転心がけてるから、私に配慮してくださいって周りにアピールする意味じゃないんですか」


「だったとしたら傲慢な話じゃねぇの。てめーが責任もって運転してる車なんだから、自分の運転には責任持つべきだし、周りにも配慮すべきだろ、周りに要求する前に自分からだと思わんか?」


「なるほど、もっともですけど、別にいいんじゃないですか。どちらの意味でも」


「ああいうプレートが出来たのはな、実際に事故があったんだ。車と車の衝突事故でな、車両は全壊、炎上、乗っていた一方の車の男女二人は重体で意識不明だった。救護活動は急務で現場は混乱していた。だが、その一方の車にはもう一人乗っていたんだ、赤ん坊がな。衝突の衝撃で投げ出されて後部座席の足元に転がっていた。だが救護に来た救急隊員はそれに気付かないまま両親だけを搬送して、燃え盛る車の中に赤ん坊を残してしまった。無論それが解ったのは両親が意識を取り戻したときで、時すでに遅しってわけだ」


「それで、赤ん坊が乗っています……ってことを第三者に知らせるため?」


「そう、人命を救うためのささやかな意思表示だ。言わなきゃ見過ごされる、他人は他人のことにそこまで関心はない、たとえ両親が愛してやまない子供であっても第三者にとってはそこまでの意味を持たない。ジャーナリストってのはそういう札なんだよ。過去、歴史を変えた銃弾ってのは無数にあるよな? そいつらは世界を変えようとしたんじゃない、現状を打破するために引き金を引いたんだ。一発の鉛玉が閉塞しきった社会を打破する、だれも見向きもせず見ようともしなかった現状を、誰も思いもしなかったタイミングでな。そいつが痛快だってだけだ。俺の場合はこいつでバン、とね」


 皆川さんは自分のカメラを手に取り銃のように構えて空に向けてシャッターを切って笑った。彼は、皆川さんは社会運動家でも革命家でもなんでもない、軽く言えば愉快犯、悪く言えばテロリストだ。


 僕は改めて彼のスタンスを知り軽く絶望したが、同時に僕らにできることなどそのくらいのことなのだということを彼の言葉は示している。結果が出るかどうかなんてことにまで頭を巡らしても意味がないということだ。


「だからよ、先日文科省の大臣が突然辞任したろ?」


「ええ、体調不良とかなんとかって緊急入院した?」


  皆川さんは今度は僕にむけてカメラを構えシャッターを切った。


「俺の弾丸はさ、時に標的を射抜くまでに二十五年もかかる超々低速弾であることもある」


目の前にいる狙撃手は誇らしげな笑みを浮かべてそう言った。



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