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18-1

 僕はそれを確認してコンテナの隙間から出ようと足を進めた。


 しかし目の前に立ちはだかる影が突然現れた。僕の行く先の両脇のコンテナに肘をついて息を荒げているのは皆川さんだった。全身ずぶぬれで、長い髪は頬に張り付き、顎先からしずくがぼたぼたと流れ落ちている。


「よおっ……ヒーロー。今回もちょっとばっかり遅かったな」


 そう言って顔をゆっくりと上げて、鋭い眼光を僕に向けた。


 皆川さんの足元、灰色のコンクリートの地面に赤いものが流れている。それらは降り注ぐ雨に打たれて流されてどんどんと薄まっていく。それはどこから流れているものなのか。


 膝の力が抜けてコンテナに背をつけたまま、ずるずるとへたり込んでしまった。前髪からしずくが垂れて、手元に抱えたF4を濡らしてゆく。


「やられたよ、カメラごと右手の指を持っていかれちまった」


 皆川さんの言葉通り、右半分のボディが吹き飛んで原型を無くしたカメラ、それを掴んでいたと思われる血まみれの右手は、人差し指の第二関節から先の原型がなくなっていた。


「……撮れよ」


 放心しきっていた僕の左耳に響いた音はそう告げていた。錯覚だとしか思わなかった。雨音のイタズラか……。


「そいつで、撮るんだよ。お前が俺を。ははっ、無様だな」


「皆川さん……な、何があったんですか?」息も切れてる上に、二転三転と驚きのあまり、頭が回らず状況が全くつかめない。


「やられたぜ、加賀の……特務室の連中とかち合っちまってな」わりにしっかりとした口調に流れ出る血が嘘に見えた。


「どうなってるんですか! 何で、僕に秘密にしてたんですか! あんな大事になるなら最初から話しておいてくれたって……」


「素直にお前が首を縦に振るような話じゃねぇよ」


「それならなおさらだ。イムのこと、どうするつもりだったんですか? 皆川さんの目論見って……。結局僕はあなたの手駒ですか?」僕は頭の中を整理するために彼から目を背けた。


「人を悪党みたいに言うな」僕をこの先に通すまいとするかのように、皆川さんは腕を伸ばしコンテナにもたれかかったまま動くそぶりもない。


「大して変わりませんよ。イムはあの船に乗ってるんですよね」時化た海の上をゆらゆらと遠ざかってゆく小型船が、まだ波頭の中にかろうじて見えた。


「俺もお前もたどり着いた場所は同じだったな、お前の考えていることで正解だ。ただ少しだけ捕捉しておくとだな、あの船が向かう先は教国じゃねぇ、竹田島だ。そして竹田島には矢部がいる。奴がイムウァ・レイランを担ぎ上げて竹田島に “独立国家”を建国しようとしているってことだ」


 なに、を。何を言っているのかわからない。またそんな話か? まだ、この期に及んでもそんなことを言うのか、この人は。人の気持ちも知らないで、あの時どれだけ僕らが大変な目にあったのか判ってるのか?


「何の確証があって……なぜ後藤さんがそんなことをに手を貸すんですか!」

 雄輝さんを信じたい、彼は公然とした正しい判断ができる大人であってほしい。


「偶然じゃねぇ、偶然じゃねぇんだよ。竹田島駐留部隊の多くは北岸守備隊に属するメンバーで構成されている。彼らは北岸戦争の島嶼奪還作戦時に教国が抱えるジレンマを知ったと同時に、彼らとパイプを持ったんだ。国防軍の中には自身らの組織を “まともな軍隊”にしたがっている改革派ってのがいる。お前の言う後藤って奴はその一人だ」


「そんな……! だってあの人は国防軍になった時点で除隊したんですよ、戦争なんてしたくはないって、むしろ戦争に否定的だったはずだ」


「ちょっと違うんだよ――悪い、こいつで縛ってくれ」


 皆川さんはジャケットのポケットから取り出したバンダナを左手で僕に手渡し、血まみれの右手を差し出しながら言う。しかしその視線は僕を飛び越した背後に向けられていた。


「つくづく男は危ない事が好きね、本能かしら?」呆れたようなその女性の声に振り向いた。


「え、恵美さん!」僕の背後にはハンドガンを携えた恵美さんが立っていた。

「行っちゃったわよ。止めても聞かない人だもの。それに――君も、いつでも言いつけを守らないのね!」恵美さんは僕の顔を覗き込んで強い調子で言い、拳で頭を軽く小突かれた。


「何だ、二人は知り合いか?」 


「皆川さんこそ! 後藤さんを知ってるんですか?」


「古い同志、とでも言うのかしら?」恵美さんは銃をホルスターに仕舞い、皆川さんの右手を取ってバンダナで傷口を縛りながら言う。


「同志ねぇ。懐かしい言葉だ……。置いてけぼりを食らったか、後藤に」


「残されるこっちも大変なんだから、勘弁してほしいわ――ほい、できた。病院に行くなら連れて行ってあげるけど?」


「その前に、そこの納得してない顔をしてる奴に説明してやらにゃならん」

 皆川さんは僕を一瞥して腕時計を確認した。



「竹田島を拠点に建国される独立国は中性国家として据え置く。その政治力の核となるのは矢部だ。イムウァ・レイランが教国に戻れば即座に暗殺されるだろう、内戦にすら発展することはない。教国の華教派ってのはそこんところはよく分ってるからこそ、イムをこの国に逃がし留めた。だが亡国の再興にイムの威光は必須だ。だから教国の華教派および我が国の政府首脳部は“この国で最も力の強い者”と “双方が領有権を主張する不可侵の土地”に教国の“象徴”を据え置くことで極東事情に関わる各国の力場の均衡点、ラグランジュポイントとなるように画策した、ここまでは理解できるな?」


 最も権力のあるものではなく、力の強いもの。つまりそれは矢部元首相のことを指すのだろう。そして不可侵の土地とは竹田島、ならば象徴とは……王族の正当な後継者であるイム。


 しばらく間をおいた皆川さんの間を割って恵美さんが入る。


「マーシェイナの求心力が今も健在であるというのは、現在教国を動かしている教主派が王族の末裔だと騙っていることでもわかるでしょう。教国自らが領有権を主張する土地に自らの象徴たる国家元首が在籍している、という事実が重要なのよ。それを盾に竹田島が教国の領地だという声も上がれば、王族が持つ統帥権を無効だとする声も上がる。つまり現在の教国を形成している国家基盤、すなわち教主派政権を揺るがし、尚且つ東華南の台湊までをも巻き込む統一問題へと発展する」


 矢継ぎ早に繰り出される皆川さんと恵美さんの言葉は一度で理解しきれそうにない。それに展開が想像しきれない。


「しかも、その島を守備するのは国防軍と教国華教派の混成部隊だ、建国とともに原隊を外れ私設武装集団となる。さしずめ王女様の騎士ってところかね」


「新国家建国のために竹田島に教国と国防軍が待機している? クーデターじゃないですか!」


「何も国家転覆を狙ってるわけじゃねぇよ。いわば傀儡国家だが、概念としては国家間情勢安定のための調停施設となる二重国家の体を成すことになる」


「だっ、だとしても、そんなものがうまく機能するとは思えません!」


「それはやってみなきゃわからねぇ。ただ、イムが生きてそこにいることを華南半島および大陸と合衆国首脳部に知らしめるだけでも意義はある。半島の統一に向けて、極東の不和領域の解消と本質的なこの国と華南半島の自治権を回復させる大義も果たす。大戦後より続いた合衆国の支配構造からの脱却、合衆国とのいびつな軍事依存関係に終止符を打つ。後藤をはじめとする国防軍の連中と矢部はな、戦争をやめたいんじゃない、戦争をするかどうかを自分たちの意思で決めることが出来る国を作りたい、そう考えたんだ。それを成すには矢部も後藤も竹田島駐留部隊も組織から独立する必要がある。意味はわかるだろ?」


「最悪とかげの尻尾切りで双方の国家は言い逃れができる。それで利害の一致ってわけですか」


「ええ、政治ってものは冷静なものよ。後手を考えないで賭けに走ることはしない」恵美さんが続けた。


 拳に力が入る。じゃあイムはどうなるんだ……平和のための捧げ物か? 彼女は政治の道具じゃない。好き好んで王族に生まれたわけじゃない。その使命があったとしてもそれを成すかどうか決めるのは彼女自身だ、そうじゃないといけない。


「でも、それじゃあ加賀さんの動きは変じゃないですか、あの人は内務省の役人だって……」


 僕がそう言うと、皆川さんは顔を背けて唾を吐いた。


「内務省特務室、またの名を国家安全保障局、通称NSA、この国において諜報活動をする公的機関は秘匿されている、あるいは認められてはいない。つまり存在してはいけないことになっているよな。確かに国家の安全を守るたぁ大義名分も立つだろう。事実国の利権を守ることもお役人の大事な仕事だ。だがな、No Shch Agencyってな、 言葉どおり“そんな部署はない”だ。この国にいつから内務省なんて省庁が出来たんだ、ええ? 公民の授業は退屈で寝てたか?」


「まさか、合衆国……の?」


「とはいえ、こうなっちまったらもう俺たちの出番はない。俺には政治的な能力も権限もない。だからジャーナリズムという武器で世界を動かそうと考えてきた。お前が考えるように責任は持てない、俺の報道を見た人間がどう考えどう動いてゆくかだけが希望なんだ。その結果が吉と出ることも凶と出ることもある」


「だからって、皆川さんが……彼女の生きる権利を奪っていいわけじゃないじゃないですか!」


「彼女が何処でどう生きることが彼女の幸せなのか、それはわからん。俺は俺の為すべきことをしているに過ぎない。彼女は決断し、和平への希望、可能性にかけた。そのためにここ北岸市に戻ってきたんだ。後藤の元に行きついたのはお前にとっちゃ偶然かもしれんが、彼女は端からそのつもりだったんだよ。順序や段取りが俺たちのせいで随分狂っちまったようだがな」


 そんな……彼女は最初から? 


「そうなんですか! 恵美さん?」


 恵美さんは僕の目をじっと見つめたことで、その応えとした。じゃあ、雄輝さんは僕らの行動を知った上での、今までの応対だったってことなのか。僕が皆川さんや、その番組を撮影してることも、そして奥田とすり替わったイムや、それにまつわる教国の話、それに加賀さんらの横紙破りから僕らが逃げてきたことも……。


 突然皆川さんは足を上げて僕に蹴りかかってきた、コンテナに背中をつけてへたり込んでる僕に避けることなどできない。だが、その足は顔の真横でドンという音と共に止まった。いきなりの事で心臓が跳ね上がっていた。


「もう、いいだろう。逆にお前に訊く。お前は何がしたいんだ? お前が今出来ること、お前が今為すべきことはなんだ? どうしたい? 言えよ!」


 くそっ、みんな勝手だ。勝手じゃないか。


「俺は、イムを……」


「なんだ?」


「奥田を、俺は奥田美和をこのゲームから連れ出す!」



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