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17-3

 やがて数キロの林道を抜けた先に海が見えた。あれは樫尾町、か。雨は小康状態になりつつある。キャンプ場からすればほんの五キロほどの距離だっただろうけど、僕を送るためにここまでしてくれるなんて申し訳ない。


「ほんとにここでいいの?」泥があちこちに付いたまま顔をこちらに向け彼女は言った。


「ありがとう。本当に助かったよ。こんな見ず知らずの人間をわざわざ……」


「そういうことは言わない。あたしが送ってあげるって言ったんだから。それにね、必死で困っている人の顔ってわかるの。あたしはここで生まれ育ったから」ヘルメットを外して僕は彼女を見た。


「樫尾町の……」


「戦闘の真っ只中でこの町に取り残された。あたしの家族も友達もこの街で死んだ。助け合いなんていったら陳腐に聞こえるかもしれないけど、この場であたしが君にしてあげられること、それだけが自分の為すべきことだってことよ」


「自分の、為すべきこと……」


「うん。あの時そう思った。避難した先じゃ元の生活での立場や地位なんてまるで無意味でね。水一杯、食料ひとつを得るために誰もが必死になる。先がどうなるか分からない不安が人々を狂わせる。あたし達には“これ”があったからね、逃げ遅れた人たちを駅まで送ったり、食料を運んだり。普段はさ、バイクなんて個人が楽しむためのものでしかなくて、むしろうるさいとか危ないとか多くの人たちに煙たがられる存在だったわけ、あたし達も胸張って社会に受け入れてもらえるような子供じゃなかったしね。それがああいう現場ですごく役に立てたことが誇らしかったんだ、感謝の言葉なんて要らない。ただ自分が役に立ったって感じられたらいい。だからさ……まあ、一人きりになって意地になってたってのもあるんだけどね」


 僕は言葉が続かなかった。奥田は逃げ惑った末に撃ち殺され、この娘は生き残り人々のために奔走し、カヲルさんは銃を持って敵と戦い、僕はのこのこと外から入ってきた挙句、担ぎ出されるように逃げ帰った。皆、さほどに歳の差のない若者がこの街で為すべきことを為し、あるいは為せずに去った。僕はその全ての問題の中核にいるというのに今だってなんの力も発揮できないまま蚊帳の外に置かれている。いつだってそうだ。いつだって僕は当事者じゃなく外からものを見ているばかりで他人のヒーロー譚を聞かされるばかりだ。


「俺……やっぱり、次こそは後悔したくないんだ」


「君、名前なんていうの?」


「俺は……木田、伸也」


「あたしは山野愛、愛って書いてめぐみ。また今度遊びにおいでよ。だいたいキャンプ場にいるからさ」


「あのさ、事情は訊かないの?」


「話すと長いんでしょ? 後藤さんと絡んでるってだけで事情もちなのは解るって。解決してすっきりしたらまた聞かせてよ、君の冒険。それがあたしの報酬ってことで!」


「愛さん……かっこいいな」


「ははっ、人間かっこつけてなんぼよ!」そう言って手にはめたままのごついグローブで僕の右肩を小突いた。結構きつく。


「かっこつけてなんぼ、か」


「出来るか出来ないかはやってる中で考えればいい。やる前から考えてたら出来なくなるって!」



 けたたましい音を立てて来た道を戻っていった恵さんを見送った。ここから港埠頭まで五百メートルと離れていない。そこに行って何があるのかはわからないけど、もしかすると何もないかもしれないけど、とにかく僕は彼らを探すより他にできることがない。


 この街で唯一船がつけられる場所、樫尾港。


 彼らを見つけてどうするのかって? イムを取り戻す、って言いたいところだけど、解っている。イムは自分の意思で雄輝さんたちに頼んで僕を置き去りにして、自分は教国へ戻る道を選んだんだ。雄輝さんがそれを承諾したのは、全ての面において丸く収まる話だからに違いない。


 あの時だってそうだった。彼らは皆川さんのような綱渡りはしない。思いやりや優しさは同じように持っているけど、混乱を招き、煽り、力でもって強引に事態に結果をもたらすようなことはしない。彼らの正しさは社会的でなくとも一般的だ。大人の判断だと言い換えてもいい。個人の気持ちにまで深入りしない潔さがその判断をさせる。


 行こう、とにかく前に。そこで僕に何が出来るかはわからない。世界の正しさなんて解らない。だけど僕はイムと離れるのは嫌だ、彼女にはここにいて欲しい。


 僕は倉庫街を走り抜けていた。もしも船が出てしまえば何もかも終わりだ。


 雨はどんどん強くなってきている。びしょ濡れのフィールドジャケットが重い。それにジャケットの下にたすき掛けしているカメラも。きっと古今東西の戦争に行った兵士達はこれよりももっと重い装備で足元もおぼつかない場所を駆け回ったんだ。これくらいで音を上げていてどうする。


 走る僕の左の視界の端に見たことがある物体が映った。艶のない水色の丸い物体……僕はしばらくそちらを見ることが出来なかった。なんであの人がここにいるんだ。一体今までどこにいたんだ。今の状況を彼は把握しているのか、僕は何処まで話せばいい?


 古いコンテナが積み上げられた埠頭の片隅に取り残されるように水色のビートルが佇んでいた。運転席には誰もいない、それにドアはロックされている。ここに皆川さん来ていることは確かだ。それに後部座席には機材がいっぱいに詰め込まれている。どうやら宿から引き揚げてきた荷物が全てつまっているらしい。


 おそらく、他のスタッフはカヲルさんも含めて全員拘束されたとみて間違いない。撮影データを没収されることを事前に察知した皆川さんが運び出した、そう考えるのが妥当だ。


 そこまでやっておいて何故まだこんな所にいるのかっていうと、それは彼が、皆川さんが考えていることが僕と同じだからだ。


 その時、甲高い音が埠頭の方で響いた。端的に言えばパン、という単純な音。僕はその音が何かを知っている。銃声という奴だ。


 走り回って奥田を探し当てる直前に耳朶を打った音。


 一発の銃声。


 僕はフィールドジャケットを脱ぎビートルの傍らに置いた。たすき掛けにしていたF4をおもむろに持ち上げる。何かがこの先で起きている。僕はそれをこれで捉えようというのか。自分のとっている行動と思考が重なっていない。震えてる。手も足も。


 突堤の先に灰色の海が広がる。雨は激しさを増している。


 足を動かせ、一歩を踏み出せ。肩から伝播する震えも止まらない。くそっ、なんだよこれ、何のためについてるんだよ、この脚もこの腕もまるで役に立たないじゃないか。


 それに反して視覚と聴覚だけは鋭さを増してゆく。謎の機械が体内で動いているような脈動を全身に感じる。


 二発目の銃声が鳴る。


 くっそ! かろうじていうことをきく股関節で無理やり足を引き上げて前に踏み出した。あとはとにかく前に体を押し倒すだけしかできなかった。走っている感覚なんてなかった。たぶん周りから誰かが見ていたら、僕はとても不恰好に映っただろう。


 コンテナヤードを抜けると眼前に海が広がる。隣接する漁港は一つ向こうの埠頭になる。


聞いた話だけど昔は小さな貿易港としても機能していたから、こんなコンテナヤードが漁港に隣接しているんだそうだ。


 かつての主な貿易相手ってのが台湊だったんだけど、教国による竹田島の不法占拠が始まってから樫尾港は半島との航路を閉ざされてしまった。それ以来樫尾町は元の田舎の漁港に逆戻りした。その名残がこの使われなくなったコンテナヤードって訳だ。


 人気もなく用もないから誰もここに立ち入ろうなんて思わないようだけど、人目を避けたければこれ以上の適地もない。かつてイムもこの港から上陸したのだろうか、人目を忍んで。


 無理に走ったせいで体はほぐれた。呼吸も筋肉に同調して不自然さが取れている。僕は気持ちを落ち着けようとコンテナの重い質量のドアに背中を預けて灰色の天を仰いだ。


 この長いコンテナを抜けたその先に、銃声の元があるに違いなかった。左側は隣接するコンテナとの隙間、右側を行けばトレーラーが行き来できる広い通用路で歩きやすいが、発見もされやすい。どこからどう見ても丸見えだからだ。ならばやはり左側、コンテナの隙間を縫って近づくほうが無難だろうか。


 昼間でもあまり太陽の光が当たらないのだろうし、風の通りもよくないと見える。コンテナの隙間の通路は吹き溜まり状態で濡れた泥やごみで足元がずくずくになった。


 肩幅ギリギリのコンテナの隙間を用心しながら歩く。よく考えたら、ここで発見されたらほとんど袋の鼠も同然だった。前と後ろにしか進めないんだから、もし銃を向けられでもしたら手を上げるしかない。


 相手は誰だ? 加賀さん達か、それとも別の勢力? 見当もつかない。


 二三度コンテナの隙間を縫うように折れながら、慎重に進んでは立ち止まる。

まるで刑事ドラマのガンアクションのように、何度も手元のカメラを握りなおした。次のコンテナを抜ければ埠頭だ。


 コンテナの隙間で足を止め、僕は戦慄していた。その隙間の先の突堤でうごめく黒い影。その先に出航した小型船……イム。


 曇天の空にミディアムブルーの海、雨に濡れてグレーに染まった埠頭に佇むブラックスーツの男たち。景色はモノクロームだった。色というものがほとんど感じられない無機な景色。そこへさらに黒いセダンの車列が侵入してくる。中心の男が周囲の男たちに指示を出している。


 黒い一団はバラバラと規律よくその場を散り、めいめい車に乗り込んで勢いよくドアを閉め、埠頭から車を出しはじめる。


 あの黒服の具合からして加賀さんの一味に間違いないだろう。数人いた黒ずくめの集団はあっという間に埠頭を去ってしまった。



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