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相変わらず展開は遅いですが、我慢して読んでください。全編はこのサイズで15話くらいになると思います。

 週末、バイト先で酔っぱらい同士のトラブルがあり、警察が来て僕らは事情を聴かれて帰るのがすっかり遅くなってしまった。


 別に珍しいことじゃないし、僕も酔っぱらいをあしらうのは随分慣れてきていた。

 

 しかし、そのせいで今夜実家に戻ろうと考えていたのをあきらめざるを得なかった。


 日が落ちると程よい清涼感を残すこの頃の気温は散歩していても心地いい。


 どうせなら少し遠回りして帰ろうかと、花見のシーズンは人でごった返していた川沿いの桜並木の道に降りてみる。今じゃすっかり緑の葉を広げていて、その生命の息吹を愛でる人はどこにもいない。


 夜に広がる木々の香りをいっぱいに吸い込んでみると、懐かしい感情が次々と溢れてくる。


 小学生のころ町はずれの廃工場を探検したこと、そこで秘密基地を作ってよく遊んだ。時には暗くなるまで夢中で野球をしたり、鉄塔に登って海に飛び込んだり、その時はそれが何より楽しくて、何度でも毎日でもやっていた。


 だけどそれだけいろんなことに夢中になったってことは、何度目か何日目かでそれをしなくなったってことでもある。それで次に見つけた楽しいことを始めたってことなんだ。


 子供の時だからといって時間が長いわけじゃない、大人になっても一日は二十四時間だ。だけど今は毎日を振り返るほどの余裕がなくなってる。


 中学生のころはクラブと勉強ばかりしていた。だけど南洋の島の仲間と悪さをするようになったのもこの頃だ。ちぐはぐなようだけど、学校じゃ僕は割と真面目なタイプを気取っていた。だから学校がつまらなくて仕方がなかった。


 そんな時に戦争が起こった。日常に殴り込んできた非日常。あの時僕は、心のどこかでワクワクしていたんじゃないだろうか。


 けど、世界は修復され、僕は高校を経て、今また現実と向き合う日々が続いている。わかってる。不条理に期待を寄せるなんて不謹慎だし、平和であればこそ平和に不満を漏らすものだ。贅沢な悩みというのだろうか。


 スリリングな現場にリアルな描写、か。その表現はぬるま湯につかった僕らの国のような人間からしか漏れない言葉かもしれない。


 そんなことを考えていた僕への罰か、見知らぬ土地に侵入し、友達の死に直面し、揚句記憶を失った。


 何も、何一つとして実感できない、現実の自分と照らし合わせて反省すらできない、ただ、断片的な記憶だけが残されてもやもやした中で生きている。じわじわとお前の犯した罪を贖うがよいと、もし神がいるならばそう言うだろうか。


「?」何かが聞こえた。人の声、それも言い争うような。女性の声。


 人気のない公園だ、何かあってもおかしくはない。一気に胸の鼓動が高鳴り、額に熱を帯びた僕は桜並木をそれて声のする方向へ向かう。


 慎重に茂みから顔を出し、声の方向を探った。常夜灯が灯る公衆トイレの脇で人影が二人、何を言っているのかは聞き取れない。外国語……のような気もするけど、明らかに男と女、それも女のほうが男を拒否しているような感じだ。


 これはいよいよまずい感じだ、助けなきゃ。迷ったらだめだ。


 僕は意を決して、あたりに落ちていた棒切れを掴んで茂みから飛び出し一心不乱に言い争う二人の方向に走って行った。


「こらーっ! 何してる!」棒切れを振り回しできるだけ大声を張り上げて威嚇した。そこで初めて反撃される可能性を考えたがもう遅い。


 女の子が男に腕を掴まれてそれを振り払おうとしている。男のほうは夜なのにサングラスなんかかけていかにも怪しい。


 これはいよいよこの痴漢野郎と僕は対決しなくてはいけないようだ。格闘技の心得なんてないけど、身の危険に怯えてる女性を目の前にして戦わずになんていられるか――と、振り回す棒よりも強く心で念じていた。


 ところが、そう腹をくくった瞬間、男は踵を返して全速力で逃げて行った。


 常夜灯の下で大きめのキャップを目深にかぶった彼女の目元は良く見えなかったが、彼女は肩で息をする僕を見て笑みを浮かべた。その笑顔はどういう意味だろうか。


 息を整え冷静になって彼女を観察すると、僕が女性だと思ったのは声がそれだったからであり、その容姿はちょっと見ただけでは女には見えない。まるで意図して、つまり変装しているといった風だ。


 帽子に、地味めのサマーセーターに、イージーパンツにサンダル、髪はまとめて帽子に収めているのか、正直なところ通りすがりの痴漢の情欲を掻き立てるって容姿でもないと思う。


「ありがと」

 彼女は帽子を脱いで僕に頭を下げた。


「あ……」


「あ、あれ?」


 僕らはお互いに指を指しあって口をぽかんと開けていた。

 彼女は奥田、写真学校のクラスメイトの奥田だ。メガネをかけていなかったが確かに奥田だ。


 後ろでまとめていた髪が肩に落ちた。その髪は白い常夜灯の光に映し出されて美しく映った。


 メガネを掛けていない彼女はなんだか複雑な顔をして何度か小さくうなずいてから、僕を見つめてもう一度笑った。あまりにも学校で見る印象と違ったので一瞬その笑顔にどきりとした。


「木田くん……どうしたの? こんな時間に」


「奥田こそ、こんな時間に。いくらここらは治安はいいっていっても、一人で夜中にうろうろするもんじゃないよ。下宿は近くなの?」僕は息を吐き、棒きれを茂みに投げ込み、両手を膝に置いた。


「うん、あそこのマンション」


「ええっ、あんなところに一人で住んでるの?」


 彼女が指差した先はこのあたりではまだ真新しい高層マンションだ。家賃がいくらかは知らないけど、明らかに僕の下宿とは一線を画すことは一目でわかる。


「親が心配性で、防犯設備がしっかりしてるところに住めって……」


「でも、夜中にうろついてたら防犯も何もあったもんじゃないだろ。とにかく何事もなくてよかったよ」僕は笑って返した。


 奥田は世間ずれしてなくて、ボケているところとかも多かったけど、そんな子でもこんな夜中に公園をうろつくのは危険だって事ぐらい判るだろうに。


「ごめんね」


「い、いや、謝ることなんて……そういえば、今日はメガネ掛けてないんだ?」


「え? あ、ああ、これ? コンタクトなの」


 その時はそうなのかと思っていた。僕は目が悪くないからメガネやコンタクトの使い分けをどうするのか、なんてのはよくわからなかったし興味もなかったんだけど、普通は逆らしい。


 人前に出る機会の多い昼間にこそコンタクト、目を休めるために家ではメガネというのが一般的だそうだ。これは美咲に聞いた。


 結局成り行き上、彼女をマンションの近くまで送ることにして、僕らは静かな公園を肩を並べて歩いた。その間、会話らしい会話も出来なかったんだけど、それは僕が彼女の素顔を見てしまい、違う思考に支配されていたからだ。


 ちょうど帰り道も同じ方向で、下宿先も近いことだし、何かあったら駆けつけると告げて別れた。



 それ以来、奥田とは一緒に帰ることが多くなった。話していると彼女とは解り合えない部分も多く、たしかに変わった子だということを思い知らされるんだけど、僕らくらいの若者が知っていて当たり前のことを、彼女が不思議な顔をして尋ねてくるところがなんだかかわいいと思いだしていた。


 それにたまに言葉が変なイントネーションを含むところも愛嬌があって、魅力に感じた。


 彼女は相変わらず学校にいるときはメガネを外さないし、言葉も多くはない。僕はメガネを外したらいいのに、って何度か言ったのだけど、彼女はこっちのほうが楽だからと言ってのけた。


 それに、奥田は写真に撮られることをひどく避けた。写真を撮る側の人間がとられることを拒むなんてどこかおかしな気がするかもしれないけど、まあ、人にはいろいろ事情もあるだろう。全員で写ってる写真は別に何の変哲もない、クラスメイトのメガネっ娘で済むからか、そこには抵抗がないらしい。


 ただ、一人で撮られるのは嫌なようだ。特にメガネを外した顔はこのクラスの誰もほとんど見たことがないかもしれない。僕以外。


 それから緑が色濃くなるまで穏やかな日々が続いた。世間はすっかり衣替えをし、街中のディスプレイは夏の様相を呈し、女性は肌の露出が増え、いや露出というより露呈かもしれない。


 これ見よがしに太腿や腰周り、それに胸元が必要以上に開放されている。半端な田舎育ちの僕らにとっては少々目の毒に思える。


 もはや彼女らにカメラを向けることが、何かいやらしい気があると思われるのではないかと。いや、だからといって人物を狙うとき、特別僕が女性を狙って写真を撮っているわけじゃない。しがない青少年の情熱がそういった彼女らにシャッターを押させているだけなんだ。


 女の子にカメラを向けるというのは、ある程度は本能的なものだとも思う。いやらしい気持ちがなかったとしても、やっぱり男性よりも女性の方がおしゃれだし、何より華やかで景色に映える。


 テレビのニュース番組なんかでも、意外と気づかないことだけど街の風景をなにげに流して撮っているように見えて割と女性を捉えている映像が多い。これはカメラマンが男だからだと僕は思っている。


 僕らは奥田が写真に写ることを極端に避けることを知って、よくふざけて彼女にカメラを向けたりしてたのだけど、彼女は決まって顔を背けてしまう。


 まあ、女の子だしそういうのを無理強いするのもなんだかなと、と思ったので、最近は彼女にカメラを向けることはしていないけど、偶然というか彼女が曇っためがねを拭いていて、意識していない瞬間に一枚だけ彼女の顔を右斜め前から捉えた写真がある。


 実はこの写真は僕の中でもかなり気に入っているショットで、別にこれが奥田でなくてもよかったのだけど、捨ててしまうのが惜しくて飲料水メーカーが興した『ナチュラル・ガール』という写真コンテストに腕試しで応募した。


 もちろんそのことを奥田に告げれば写真を没収されてしまうと思ったので、内緒で。でも、万が一入選でもしたら全国に貼り出されるようなことになるから、その時は頭下げてでも頼み込むしかないと思っていた。


 応募したときは知らなかったんだけど、写真や映像、あるいは絵画なども本人の了解なく撮影や媒体としての使用をすると、肖像権の侵害という法律に抵触するという。それを突っ込まれると非常に危ういことになっていたんだけど、幸いというか、入選することはなく一人胸をなでおろしていたのが先月の話。


「そういうのメガネ萌えっていうんだぜ」って永井が言ってた。普段は目立たないメガネっ娘が実はメガネを外したら美少女だった、っていうあたりに琴線がある欲情のひとつだ。


 確かに奥田はメガネをはずしたほうがかわいいと思うし印象もいい。コンタクトがつけられるならそうすればいいのにって思うし、苦学生ってわけでもなさそうだし、もっとおしゃれをすればいいのにって思う。


 ただ、僕がメガネを外した瞬間の奥田を狙った理由はそんなことじゃない。あの時公園で見た彼女の素顔が僕の記憶の中にある奥田美和にそっくりな顔をしていることにある。


 しかもだ、これは僕にとって驚くべき事実なんだけど、彼女の下の名前は美和。そう、奥田美和そのものなんだ。


 それは偶然と言えば偶然だし、記憶の中で似ていると認識していることがどれほどの信憑性を持つのかと言われればまるで自信はない。それに彼女の名前を聞いたからこそ、ただ単に僕の思い込みが加速しただけで、実は他人が見れば全然似ていないかもしれない。だから皆川さんにも誰にもそのことを話したことはない。

 

 ただ、すごく勝手な話だけど、それ以来僕はさらに彼女を写真に収めたいという願望が強まった。ちゃんと撮影させてくれって頼めば良いんじゃないかなって。


 なぜ彼女じゃなきゃ駄目なのかってことは僕にもよくわからない。特別な美人ってわけでもない、かといって不細工で目も当てられないってわけでもない。何処にでもいそうな、普通の女の子だ。


 それなのに僕が惹かれるのは彼女があの奥田美和に似ているからなのか、奥田美和に対する感情を彼女に重ね合わせているからなのか。そうだとしたら僕は失礼な奴だなって思う。


 それにこんな風に特定の女の子にアプローチしようとしているなんて美咲に知られたら大変なことになる。僕は、たぶん、そういう感情で奥田に興味を持っているのではないから……。



 土砂降りの中、駅から走って学校まであと一キロ弱といったところで僕は断念し、雨宿りのためにカフェの軒先に避難した。そこで同じように雨の中を走ってきた牧村と出会う。


「おお、伸也」


 牧村は黙っているととても可愛かったが、実際中身はサバサバとし過ぎていて話し言葉も女性特有のやわらかさがない。世の男性からはあまり好まれないであろう性格をしている。

 

 それに美咲と雰囲気がよく似ている。二人が出逢えばさぞ気が合うだろうと思う。


「ひどい雨だな」


 牧村も頭からバケツの水をかぶったようにびしょ濡れで、パーマをあてたショートカットの髪は跳ね上がり、黒いロックTシャツが細い体に密着していた。


 牧村は化粧っ気がなく、僕が見る限りほとんどすっぴんで生活しているようだ。


「どうする? このまま走って学校行く? それともサボってお茶でもする?」


 彼女は背中越しのカフェを一瞥して言う。このまま走って機材を濡らすのも嫌だったし、たまにはそれも悪くない。


「どうせ一限目は理論だしな」僕らはカフェの扉を開いた。


 店内は冷房が効いていて、雨に打たれた僕らにとっては少し肌寒かった。アーリーアメリカン調の店内には数組のビジネスマンらしきスーツの男がテーブル席についており、空席はカウンターのみだった。


 僕らはホットコーヒーを注文し、お互いの機材が入っているバッグを足元に押し込んだ。


「あのさ、牧村って写真に撮られるのは平気なの?」


「なにそれ、どういう意味?」


「たとえば、モデルになってくれって言われても平気?」


「んー、状況によるかな。あたし自身、誰かを撮るってこともあるわけだし、でもそれって一時の話じゃない?」


「どういう意味?」


「写真に撮られる自分は写真に納まる自分であって、日常の記録ではないってことかな」牧村はたまにこういった抽象的な言い方をする。


「よくわからないな」


「たとえばあたしがあたしの顔を見るときと、他人があたしの顔を見るときは微妙な違いがあるはずじゃない? 色だってそう、同じ赤色を見ていても多分それは違う色に見えてる」


「ああ、カメラもレンズによって調子や色が変わるもんな」


「うん、そう。だから他人が見る目、あたし自身を写真にどう切り撮るのかってのは興味がある。撮影者は被写体の魅力を引き出すためのカットを意識してシャッターを切るでしょ。被写体は同じでも撮る人、まして見る人が違えばまったく別のものになるかもしれない。自分が考えてるほど自分っていう人間は薄っぺらくなくて、もっとこう……」


 牧村は宙に視線を向けて両手で何かを形作るようなしぐさをする。そこに分厚くて不恰好な陶器のコーヒーカップが運ばれる。牧村の答えは最初の質問から論点がずれているけど、まあ、いいか。


「っと、多面体?」


「そうそう、人は何面もの顔を持っている。俳優なんてまさにそれよね」


「でも彼らはそれが仕事なんだし」


「じゃあ、伸也には今あたしに見せてる顔だけが自分の顔だって言いきれる?」


「多分いえないと思う」


「あたしは生きている人間は全員俳優だと思うことにしてる。その場その場で役柄を考えて生きている。場所や状況が変われば役も変わる、だから作品ごとのキャストは他のキャストを知らないし、共有することもない。もしそこに踏み込むようなことがあったら、それは俳優そのものと付き合う覚悟が必要なんじゃないかな」


「立場を超えた関係性?」


「多分ね。写真はね、一人の俳優のいろんな顔を写し出す装置、そう考えたら面白いじゃない」


 牧村はいろんなことを考えてる。僕なんかよりもずっと。それにアーティスティックだなって思う。


 先週の作品発表で彼女の撮った写真はロックバンドのライブだった。あるいは彼らの楽屋風景や日常的な姿。そこには変身がある。


 ステージでの姿が変身した姿であると世間は見るだろうが、反対側から見たら日常こそが彼らの非日常であるというパラドクスも生まれる。


 この国の日常と世界の日常、そこにどれほどの温度差があるのかは僕にはわからない。だけど、少なくとも僕らは戦争を非日常と捉えて忌避する。命の危険を感じる日々を異常だと感じるだろう。


 だが実際には、それが当たり前になっている世界も、生まれたときから当然になっている子供達もいる。もし、その子供達がこの国に生まれていたならばきっと違った顔をして生きている。違った配役をされて生きるだろう。


 さっきまで真っ黒になっていた外の風景は、日が差し始めて濡れたアスファルトに反射してキラキラと輝いていた。


「雨、やんだねぇ」カウンターに突っ伏して牧村がつぶやいた。


「うん」


「でもなんか、やる気でないなぁ、あたし」


「俺も。じゃあ買い物でも行く?」


 僕達はカフェを出て学校とは反対の方向に歩いた。急激に日差しを浴びたアスファルトの雨水が蒸気になって鬱蒼と湿気が立ち込める中、目を細めて眼前の高層ビルを見つめる。今日はなんだか肩から下げた機材バッグが重く感じる。


 すると突然背後から覆いかぶさる誰かの気配に気付く。


 アリさんだ。あっという間に僕はヘッドロックをかまされた。傍らには永井も大佐古もいる。


「何だお前ら、学校サボってデートか!」


「アリさんこそ、もう二限始まってるじゃん」


「ちょっとタバコ吸いに出たら天気よかったんでな」


「ロケだよ。雨上がりの光線は綺麗なんだ」そういって太陽に向かってカメラをかざし、はにかむ永井。


 澄んだ空気を透過してくる初夏の光線は地面にくっきりとした影を作る。その影達は重なり合い、交わり合い、ぶつかることなく縦横無尽に動き回る。まるで地面にもうひとつの世界があるかのように。


 もともと当てのなかった僕と牧村は流れに任せて三人の後を付いて歩く。時折誰かが立ち止まってカメラを構えシャッターを切る。僕らはそのたびにその方向に目を向けた。


 僕らは普段景色や人物を動画でしか見ることが出来ない。これは以外に意識しないことだろう。写真が当たり前になりすぎて、静止画を特別なことと思わなくなったからだ。


 カメラは時間と空間を切り取る装置。僕はそんな風に考えている。牧村の言うように、自分の知らない他人が見た自分のドッペルゲンガーを写し出す装置という考え方も面白い。


 Little Flowersに写った僕と奥田美和はある意味であのときの僕らでありながらも実は皆川さんから見た僕らの分身でもある。逆を返せばあの写真に写っているのはもはや僕らではないともいえる。


 名もなき少年と少女に与えられたLittle Flowersという名前、そしてそれを見る人々の思いが作り上げた、ひとつの存在としてこの世にある。


 やめよう、疲れる思考だ。


 機材バッグを開いて僕もカメラを取り出す。人の流れの邪魔にならないように商店街ぞいのガラス張りの喫茶店の軒に移動する。


 フィルムの残が一枚だ、もったいないから何か撮ってしまってから入れ替えよう。そう思い喫茶店のウィンドウに映る、カメラを胸元で抱えた僕自身をマニュアルで狙ってシャッターを下ろした。パンフォーカスなのでうまく撮れているかは解らない。


 よく考えたらガラスの向こう側には普通に喫茶店のお客がいた。僕はガラスの表面に映った僕の姿しか見ていなかったのだけど、なんかその人が外から僕に撮られたと思われたら嫌だったので、一応怪訝な顔をしていないか確認した。


 するとどうだ、そのガラスの向こうにいたのは皆川さんだ。深刻な顔をしてこちらには気付いたそぶりもない。向かい側に座っているのは皆川さんよりも若くは見えるが、細身で地味な感じの男、業界人とかそんな感じじゃない。


 外の僕の気配に気付いたのか、男がこちらをちらりと見る。皆川さんに見つかるとなんか言われそうだったので早々にその場を立ち去ることにし、先に歩いていってしまった皆を駆け足で追いかけた。


 今日、南洋の祖父の島は梅雨明けした。まだこちらは少しかかりそうだったけど、ビルの谷間に覗く青い空と入道雲が夏の気配を感じさせてくれている。


 また夏が来る。


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