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16-3

 今夜の晩御飯はイムが担当した。強い香辛料を使った、見た目は赤色が冴えるいかにも辛そうな料理だ。初めて見る。


「郷土料理なんですよ。私の国では極々日常的に食べられているものです。こちらじゃメジャーじゃありませんからお口に合うかどうかわかりませんが……」僕の地元にはないけど、最近は台湊料理の専門店も増えてきているから雄輝さんたちくらいなら口にしているかもしれない。半島を二分したっていっても食文化までそれほど変わるわけじゃないだろう。


「へぇ? 古いレシピね、これ。イムさん、よくこんなの知ってるわね」恵美さんが言った。正直驚いた。そんなことまでわかるんだ?


「ま、古いとか新しいとか別にどっちでも。俺は旨けりゃそれでいい」雄輝さんは早速料理に手を付けていた。イムが恵美さんにそこまで見透かされることを予想してこの料理を作った訳じゃないことはわかる。ただ助けてもらった恩をどうにか返そうと思っての事だ。それに僕もイムも心に決めていた。彼らにこれ以上甘える訳にもいかないし、真実を話さないまま世話になり続けるのも心苦しい。


 それにもう隠蔽工作をする必要なんてなかった。昼間に二人で相談して明日ここを出て行こうと決めたのだ。真実は全て伝えたうえで。雄輝さんならわかってくれると思う。危険に飛び込むなら殴ってでも止められてしまうだろうけど、もうこれ以上周囲を巻き込むわけにもいかないし、何よりイムの命の保証のほうが大事だ。


 僕は改めて加賀さんに会い、全ての真実を封殺する代わりに政府がイムの身柄を保証し、そして皆川さんたちを解放して、すべてを元の生活に戻してもらえるよう交渉することに決めた。


 それは僕らのチームの敗北だけど、イムは自分のせいで皆があれほどまでに傷つき、問題が増長してゆく様をこれ以上見たくはないと言った。もちろん僕に対しても心の底をえぐるような思いをさせてしまったことに悔恨の念は絶えないと、すべて自分から出た問題なのだから自分がすべてを引き受けると言ったのだ。


 祖国を再興させるという強い思いで今まで生き延びてきた子だ。僕なんかとは比べ物にならない覚悟でそれを言っていることは否定のしようがない。だからまず、僕が矢面に立つことだけは引き受けさせてほしいと、それが条件だと伝えた。もちろん加賀さんたちがこの交渉に乗らないのなら、イムの居場所も教えないつもりだ。


 彼女の悲願は叶えられないけど、正直なところ僕にとっては国の事よりも個人の事のほうが大事だ。彼女を人としてではなく外交のための道具や国威発揚のための象徴として使われることのほうが正しいなんて思えない。目の前で笑ったり涙を流したりする、かつての奥田美和と同じ顔をした彼女がそんなものに収まってしまうのは、なんか、ほんとうに、嫌なんだ。


 食事が終わってから僕は意を決して、これまでの事やイムの素性を明かした。

この六日間で見えてきた、中学生だった頃の僕の軌跡と今日までの動きを何枚かの紙にまとめて、状況を説明する。これは今までの僕らの不審な行動に対しての謝意として、彼ら二人にはちゃんと伝えておくべきだと思ったからだ。



「そう、こいつな、どっから来たのか、戦闘中の樫尾町に花だけ大事に抱えて向かってやがったんだよ。その途中で俺たちは出会った。変な中学生だったよ」


 まるで昨日の事のように僕との邂逅をイムに話す雄輝さんの横顔はなんだか楽しそうにすら見える。


 このことからもわかるように、ある程度の予測は二人の中で立っていたらしい。僕があの写真の少年だという事、僕らが何者からか追われていること、イムが只者ではないこと。


「伸也くん、無事帰ったらメールを入れてねって言っておいたのに、待っていたこっちの身にもなってよ」そうは言いながらも恵美さんは頬杖をついて終始微笑んでいた。


「僕だって、できればそうしたかったんですけどね……」正直メールの件は言われたかどうか今でも記憶が定かじゃない。それに僕は南辺についた時には何も手に持っていなかったから恵美さんの連絡先もわからなかったはずだった。


「でも、記憶がなかったんなら仕方ないよね、ごめん」さらに続けた恵美さんの言葉に、約束を破った心地の悪さを今更感じるとは思わなかった。あの時言いつけを守らずに制止を振り切って、樫尾町に向かったことは事実なのだから。


 奥田が息を引き取ったあとのことも、全て思い出していた。ずっと忘れていたことだったというよりも、覚えていたけども記憶の引き出しに鍵をかけてしまっていた、というほうが正しいのだろう。


「皆川さんは彼女の遺体を建物の影に移して弔ったんだ。だけど、僕はただそれを見ているしかできなかった。皆川さんはそこで、血で染まった手で一台のカメラを僕に手渡して“今の俺を撮れ”って言ったんだ。なんと言われたっていい、俺の事を殺人の傍観者だって罵ったって構わない。精一杯、命を懸けて状況を好転させようなんて勇気もなかった。最大限の努力も出来ちゃいねぇ。言い訳なんてしねぇ、って……」


 後藤さんはそれを聴いて目を逸らしながら、確かににやりと一瞬嗤った。


 皆川さんは僕がシャッターを切ったカメラからフィルムを取り出して僕に手渡した。その時の僕にはそれがどういう意味なのかまるで解らなかったけど、フィルムが僕の手元に渡ったのは確かだ。だけど今の段階でそのフィルムをどうしてしまったのかそんな細かなことまで覚えてはいない。


 それからほどなくして教国の兵士に見つかり追い回されて、銃弾の中、ほうほうの態で北岸市街にまで逃げ帰った。そして僕を避難列車に押し込んで、彼はプラットフォームから僕を見送った。


 あれが彼なりの罪の意識の表れだったのだろうとは思う。ジャーナリストという職業柄、写真に撮られることは勝手な解釈をしたキャプションを付け加えられるということに等しいということをよくわかっている。その写真を僕に手渡すのはそういう事だと。


 あれが彼なりの罪の意識の表れだったのだろうとは思う。ジャーナリストという職業柄、写真に撮られることは勝手な解釈をしたキャプションを付け加えられるということに等しいということをよくわかっている。


 僕はその時の画を鮮烈に思い出していた。しっかりと覚えている。血に染まった皆川さんの両手とTシャツ。傍らに奥田の遺体。その画は彼が奥田の死を看取ったとも取れるし、奥田の死を目撃したとも取れるし、奥田を殺したとも取れる。だがたいていの人はその写真だけを見ても何がなんだかわからないだろう。


 ただ判断に苦しみ不快感を覚えるだろう。しかしそれが、LittleFlowersが発表された後だったらどうだ。


 おそらく皆川さんのことを恣意的な殺人記録者として見るのではないか。戦争の犠牲者である少女とそれを看取る少年を、偶発的な機会に捉えた写真の撮影者ではなく、だ。


 どのような言い訳を持ちだしたとしても、人は二度と皆川さんをまともな精神の持ち主だとは見ないだろう。そして二度と表舞台には立つことは出来なくなる。


 そんな自分にとって爆弾のような記録が入ったフィルムを僕に手渡した。どう使おうが勝手だと。自分を生かすも殺すも僕次第だと言いたかったのだろうか。


 けど、あいにく僕はそのフィルムの存在を今の今まで忘れていた上に、仮に見つかったとしてもどうすることも出来ない。なによりそんな手段で皆川さんに奥田を見殺しにされた恨みつらみをぶつけても、何にもならない。今の彼を失脚させたところで誰も得なんてしない。本当に勝手な人だ。


 話は結局深夜にまで及んだ。本題にようやく足を踏み入れたのは午前一時。ログハウスの窓の外は漆黒の闇と静寂に支配されている。恵美さんは席を立ちコーヒーを淹れにゆく。手伝ってくると言うイムもキッチンの奥に消えた。


 リビングのテーブルに男二人が残されて、ため息のような視線を向けあった。


「すまなかったな」


「え?」


「俺達がもっと早くに動いていれば敵の動向も見抜けたはずなのに」


「そんな、雄輝さんが謝ったって……今更、ですよ。もう過ぎたことです。これから……これからを僕らは守るべきです。それしかできないのですから」


「伸也……」


 やるしかない。世界がどうだって、教国がどうだって、この国がどうだって、合衆国が、大陸が、ジャーナリズムが、イムが、僕が、それぞれがみんな勝手な正義を振りかざして、自分が正しいって大声をあげて、声が大きいものが声の小さいものを無視して蹂躙して、消し去る。


「僕は皆川さんのような優しさはもてません。自分の事で精一杯です。世界の事なんて救えやしない。だけど、僕は僕の大事なものを僕の勝手で全力で守ります」


 雄輝さんはテーブルに肘をついて目を細めて僕を見つめていた。突き刺すような視線に目をそむけたくなるのをこらえながら、沈黙の時間が流れた。そして、秒針が一周するのを待っていたかのように目を伏せ肩の力を抜いて鼻から息を吐いた。


「あの時と同じだな。どうせ、止めたって言う事なんて聞かないんだろ? こっちだってボランティアで人助けするほどお人よしじゃねぇからな」


「わかってます、何も協力して欲しいって意味で事実を明かしたわけじゃありません」


 雄輝さんの言葉があの皆川譲二とダブって一瞬こめかみに熱を感じ強い調子で退けるように言ってしまった。


「勝手にしやがれ」


 目の前に運ばれる淹れたてのコーヒーの香しい匂いに、興奮しかけた頭が落ち着きを取り戻す。「夜も遅いし疲れているだろうから、カフェオレにしたの」恵美さんはこんな時でもまったくもって調子を崩さない。


「ちょっと、また喧嘩してるの?」


「喧嘩じゃねぇよ……荷物は今晩中にまとめとけよ」雄輝さんは身体ごと背けてカップをすすった。


 せっかく彼らのことを思い出したのに、僕だってこんな再会は望んでなかった。あのあとどれほど大変だったかって笑って話せたらよかった。あの時雄輝さん達に助けられたから今の僕があるようなもので、それには感謝している。もちろん僕が樫尾町に向かうなんて彼らにしてみれば本意ではなかったのだろうけど、だけど“よくやった”って褒めて欲しかったし、僕も胸を張って精一杯やったって言いたかった。


 明け方か……まだ三時間以上ある。ふもとまで送ってもらえるのはありがたいけど、そこから僕らはまた、自分たちの力で進まなきゃいけない。まずはどうするべきなのか、計画としては正直十分とはいえない。


 加賀さんと連絡を取るにはどうすればいいのか、いや、まずは宿に戻ろう。機材のこともあるし、もしかしたら皆川さんたちの消息だってつかめるかもしれない。


「あの、ずうずうしいんですけど、明日、北岸市内の朝霞荘って民宿に連れて行ってもらえませんか。正確な場所もちょっとわからないんですけど」


「ああ、かまわねぇよ。 “あさかそう”ってどんな字書くんだ?」


「ええと、朝昼晩の朝に、霞? 靄だっけ? ええと……」瞼が落ちてくる。意識が遠くなる。変だな、さっきまでこのまま起きていられるってくらい元気だったのに。すごく眠い、このまま眠れそうだ……ああ、すみません、話の途中なのに。


「朝霞荘っと、はいはい、あったあった」雄輝さんは自分のスマートフォンで場所を探し当てたようだ。それだけ見届けて僕の視界は完全に闇に沈んだ。


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