16-1
「なあ、イム。俺たちいつまでこうしているんだろうな?」
「そうだね。レイや皆川さんたちだってどうなっているのか気になるし、いつまでもってわけにはいかないよね」
デッキに腰かけて僕らは昼下がりの森を見つめていた。雄輝さんはまだ帰ってこない。恵美さんはキャンプ場の管理棟に行くって言って出て行った。僕ら二人に留守を任せて。
「主原に戻りたい?」
僕のその言葉に彼女は一瞬息を詰めた。
「もう、私は戻れない。みんなと同じにはいられない」
そんなことない、って言ってやりたかったけど、言えなかった。今まで散々見てきて考えてきて、今更気休めみたいなこと言えるわけがない。
「伸也は帰らなきゃね、学校だってあるんだし……」
「そんなわけにはいかないよ、俺だってこのまま問題を無視することは出来ない。イムはどうするんだよ。それでも教国に戻るのか?」
「どうなるかはわからないけど、やれるだけやってそれを受け入れるわ。その結果がどうでても、それが私の選択した道なんだから。私のことを不幸だって思わないで」
そのあとの言葉がお互い続かない。結局具体的な策なんてまるでないという告白でしかない。
皆川さんへの不信感が払拭できないまま、また新たな状況に巻き込まれてゆく。一体何を、どう信じて動けばいい?
イムがレイと再会できたとして、それが彼女にどういった変化をもたらすかはわからない。彼女が言うように、もはや“あるがまま”を受け取るしかないのだろうか。どのような手段が正しかったのかはわからないけど、皆川さんもレイも彼女をこの国に留めておくことで彼女の身の安全を確保しようとしたところまでは同じだと信じたい。そうあってほしいし、このままイムがイムとしてこれまでと同じように過ごせたらいいと思う。なんなら……。
「私は死なないから。生きるから。だから、伸也は――」僕はイムが言い終えるまでに彼女を抱きしめていた。涙腺が緩んで目頭が熱かった。世界に取り残された二人きりのように彼女の事が愛おしかった。いや、僕たち自身が愛おしかった。僕は生き延びた、そして僕は彼女を守る。先走った英雄気分じゃない。誰も僕を、僕らを認めてくれなくたって構いやしない。
「俺は十五歳のときに樫尾町に来たんだ。彼女、奥田美和を助けるために」
髪に触れた耳の横で彼女が息をのむ音が聞こえた。
「……伸也が、美和さんを……なんで?」
「あまりにも偶然が重なりすぎていておかしな話に聞こえるかもしれないけど、彼女の携帯電話から俺が彼女の危機を知って、南辺の町からこの北岸市に向かった。その時に俺は皆川さんと出会った。そして銃弾が飛び交う中彼女を探した」
何度も何度もこの文章を心中で暗唱していた、今までずっと。だが今日の今日まで声に出すことはなかった。
「まさか……じゃあ、あの少年は」
「うん……。あの写真の少年は十五歳の俺、少女は十五歳の奥田。君にそっくりな少女だ。彼女が射殺される現場を皆川さんは見ていた。あまりにも冷静に。そこで撮られたのがあの写真だったんだ」
イムは洟をすすり、僕の背中に手を回してきつく僕の事を抱きしめていた。男と女じゃない、僕と僕、彼女と彼女、互いに自分自身を抱きしめるかのような行き場のない求愛だった。つらいし、寂しいし、悲しい。
なぜ人は平和には生きては行けないのか。誰もが心を安らげて不安のない生活を送れないのか、人と人が抱き合い寄り添えばこんなにも暖かく心強いのに。張り裂けそうな胸を互いに向き合わせて、そのか弱い皮膚の下にある心を守るかのように、そうすることでこんなにも安らかな気持ちになれるのに。
「怖かったんだ。あのときの状況を思い出すと胸が苦しくなって息が出来なくなって、身体に力が入らなくなって……もう、誰かを目の前から失うのは嫌なんだ」
午後の木々にヒグラシの声が混じり始めていた。どれほど僕らがそうしていたのかはわからないほどに、ここには時間という概念がなかった。ざわという音とともに木立が揺れ、閉じた瞼の上を木漏れ日がちらちらと踊った。
記憶を失った僕は皆川さんのLittleFlowersによって引き戻された。忘れていればよかった。忘れられればよかった。見なければよかった。何もなかったのだと信じていればよかった。そうできればよかった。
それができればイムの事もただの同級生として見ていられた。僕はただの写学生で写真を撮って、バイトをして、課題をこなして、南辺の町で美咲とデートをして、友達と飲み会をして……いや、写真なんて撮ろうと思っていなかっただろう。この両手の中にある黒い武器を抱えることもなかっただろう。
底知れない度胸があって、あんな風に飄々と、さらりと、どんな大変なことも、なんでもないといった風にやってのける皆川さんに憧れてここまでやってきた。
雄輝さんのように大人として良否可否の即断が出来るようになりたいと。そのための厳しさも優しさも突き付けることを厭わない毅然とした大人になりたい。
自分の中にある願いも幸福も望みもすべてをぶちまけてしまえる能力が、才能があるカヲルさんがうらやましい。
僕は彼らにただ付き従ってきただけだった。僕には度胸も才能も決断力もまるでなかった。振り回されているって、取り残されているって、世界が違うって、そう思ってきたのは僕自身だ。それで自分には関係ないって、どうして自分がそんなことに巻き込まれなきゃいけないんだって、自分に直接課される宿題がなければ何も動けなかったのは僕だ。無理に引っ張られたゴムひもみたいにいつだって“元の状態”に戻ろうとしていた。だけど元の状態なんてないんだ、今が現実なんだ。
そう思ってあの時だって進んでいったんだ。




