15-2
「でな、そいつ疑似戦闘訓練でテントウムシって呼ばれてたんだよ」
「なんでテントウムシなんですか?」
「撃たれるとすぐ黄色い汁を洩らしちまうからだよ!」
僕らはそのテントウムシと呼ばれていた雄輝さんの後輩の話で持ち切りになった。
「そういう人って防衛隊とか国防軍には多いんですか?」僕もずいぶん酒がまわってきていて遠慮らしいものがなくなってきていた。
「だいたいどこの部隊にも一人二人はいるよなぁ。でもな、足はとろいわ射撃は下手だわ、体力はないわでいいとこなしみたいに思えるだろうが、でもな、そいつらは何よりここがすげぇ」そう言って雄輝さんは自分の頭を指した。
「ここ?」
「ああ、戦史とか装備品についてはやたら詳しくてよ、まあいわゆる軍事オタクって奴だよな。だから現地で何かわからないことがあればとにかくそいつに訊けばいい。相手方の武器装備についてまで詳しいやつもいたからな。それに声だけはバカみてぇにでかくて、うるせぇんだ、これが」
「もしかして事あるごとに戦陣訓を語りだすとか」
「ああ、なんか決まった時間になると皇居の方角に向かって土下座してた」
「あはは、それって何かと間違ってませんか?」
「ま、そんな奴でも陸曹までにはなれたんだよ。だいぶしごいてやったけど」
「その人は今でも国防軍に?」
「いや、俺と同じで防衛隊から国防軍に切り替わるところで辞めたよ。そんな奴でも戦争をしたくて防衛隊に入ったわけじゃないってことさ。守るべきものあってこその軍隊ってところに一定の美徳はある。真一たちから見ればそれは防衛隊だろうが国防軍だろうが変わらないって思うのかもしれないけど、自国の防衛という大義を盾にして事を起こすならなんだってありじゃねぇかって、反則じゃねえかって思うのはまともな神経だろ。除隊という行動は俺たちのシュプレヒコールでもあるんだ。陳腐だと言われるかもしれんがね」
テントウムシ、と呼ばれたその陸曹に僕は会っている、そう例の小デブメガネの分隊長だ。たしか僕の着ていた防衛隊のフィールドジャケットを見て部隊の出自が同じだと言っていた。
彼から見れば僕は彼の後輩に見えたのだろうが、このジャケットは僕が雄輝さんからもらったものだから……つまり、雄輝さんは……彼の先輩で……あれ? なんで雄輝さんから僕がジャケットもらった話になるんだ。
「なんだ? 俺の顔に何かついてるか」そういわれるまで僕は雄輝さんの顔を見つめていたようだ。
「ちょ、ちょっと待ってください」
「別に何もせかしたつもりはないが、酔ったか?」
「かも、しれません、ちょっと横になります」
「いいけどシュラフ使えよ、朝は冷え込むからな」
次の日の朝、僕は全身に強い衝撃を受けて目覚めた。シュラフに入ったままの恰好でソファから転げ落ちたのだ。昨日いつの段階で眠りに落ちたのか思い出せず、しばらくそのままフローリングの向こう側の掃き出し窓から差し込む太陽の光を見つめていた。
そうだ、ここは雄輝さんのログハウスだった。昨日北岸市から僕はイムと逃げてきてここに匿われた。いや、匿ってもらっているというのは僕らの理屈で、後藤夫妻にはそんなつもりはないはずだ。
それにしても、昨日はひどい一日だった。とても一日の内に起きたこととは思えない。どれか一つや二つの事柄が夢だった、って誰かが言ってくれたら僕はそれを信じるかもしれない。
横たわった状態から見る限り視界の中に雄輝さんの姿はない。体を仰向けにして高い天井を見つめた。ロフトの手すりと階段が見えるがそこにも人の気配がない。まるで僕だけがこのログハウスに取り残されたみたいに。
そう思うと途端に不安になった。まさか僕が寝ている間にイムは連れ去られたんじゃないか? 慌てて飛び起きようとしたが再び拘束衣のようなシュラフに阻まれてごろんと反転してしまい、僕は無様な芋虫のようにソファの下で体をくの字に曲げて這いつくばってなんとか中のチャックを下ろして脱皮した。
よろめきながら入口のドアのほうに向かい、ドアノブを握り開いたがやはり外にも誰もいない。靴も僕の分が一足あるだけだ。いよいよ僕は焦り始めた。しかし、雄輝さんの四輪駆動車はそこにある、昨日ここに着いた時のままの状態で動かした様子はない。
まさか寝こけてる僕をおいて三人で朝のトレッキングにでも洒落込んでるとか、そんな呑気なことしてる場合……いや、昨日のイムのはしゃぎようならそれもあり得ないことじゃない。命を狙われてる国家元首が朝からさわやかな森を散歩とはいい身分じゃないか、まったく。
僕は多少イラつきながら裏口のドアを開けた。
裏口の外は広いデッキテラスになっていてその下には沢が流れている。夜は何も見えなかったけどここでバーベキューでもしたらさぞ気持ちいいだろうなって、僕も呑気に思った。
しかしそこにはトレッキングよりも驚くべき光景が繰り広げられていた。
「よぉ、伸也! お前も入るか?」
そう言ってドラム缶のへりに腕を回して頭にタオルを乗せた雄輝さんが、湯気の中で笑っていた。これはいわゆる風呂ってやつか……アウトドアでよくやるドラム缶風呂。
「結構です! それよりイムと恵美さんはどこ行ったんですか」
「ああ、山菜狩りに行くってさ。なんでぇ、せっかく沸かしたんだからお前も入れよ」
「山菜? 僕らはここにキャンプしに来たわけじゃないんですよ。イムの奴何考えてんだ」
「おいおい、せっかく山に来たんだ、しばらくゆっくりして下界のことは忘れるもんだ。焦ってちゃうまくいくこともいかん」
結局僕は雄輝さんに促されるままドラム缶風呂の湯船に肩を沈めていた。なんだこの呑気さは。昨日僕は国家権力にたてついて、それで逃げてきたんだぞ。それを匿ってるなんてことにならないように僕は、迷惑かけると思って、それで。
「伸也君! おはよう」
「伸也!」
思わずその声に背を向けてしまった。恵美さんとイムが戻ってきたのだ。
「わぁ、いいな。私も入りたいな」イムが駆け寄ってくるのを感じて背筋が伸びた。
「脂ぎったおっさんと精気あふれる若い男のエキスが染み出てるけど、いいのかぁ?」雄輝さんが薪を運びながら笑って言う。
なんだよ、その精気あふれるって、ほっといてくれ。イムもイムだ、いくら物珍しいからって女の子がこんな風呂に入るとか、それにさっきから僕のことを伸也って、偽名がばれるじゃないか。
僕は口元まで湯につかり何か変だと思って眉をひそめた。
「伸也ぁ、ごめんね。ばれちゃった」僕のすぐ後ろでイムの言葉が響いてる。ばれちゃったって……なんだよそれ。しかも“木田君”から“伸也”になってるし。
「ごめんね、備蓄のお米も少なくて」恵美さんはテーブルに山菜の炒め物と四人で食べるには少し少ないと思える量の芋粥を朝食に出してくれた。
「おなかすいたぁ。でも、なんかヘルシーって感じですね」イムはこのささやかな献立にまんざらでもなさそうだ。
「質素ってヘルシーと紙一重みたいなとこあるわよね。逆に贅沢な食べ物って高カロリーで体に悪いみたいな」鍋からお粥を装いながら恵美さんが言う。
「でも体に悪いものはなぜかうまいんだよ。ま、悪いはどうかは食う奴が決めることではあるけどな」雄輝さんが手を合わせている。僕もそれに倣って手を合わせる。
「どういう意味ですか、それ」
「何が?」
「いいか悪いかは食べる奴が決めるって」
「ああ、それな。つまりな、どんなに健康を気にした食事だろうと、病気療養のための滋養食であろうと、おいしく食べることができないなら無意味だってことだ。飯は食いたいって思って食うもので、習慣や慣習やまして目標で食うものじゃない。現代人は時間が来たら工場の作業機械みたいにエネルギーを補充するのに慣れてるから、飯を食い物として見る目を失ってしまってるんだよ」
「はあ……」
「たとえカップラーメンでも、食べることが嬉しくて、楽しけりゃそれはちゃんと身になるし、おいしいって思えればその効果は何倍にもなる、って俺は思ってるんだけどな」
「なあにその根拠のない持論」蓮華を口に運びながら恵美さんが横槍を入れる。
「でもそれってなんかわかります。食べる場所や食べる相手で食事の味って随分変わりますよね、気のせいかもしれないけど」イムが同調した。
「そうそう、イムの言う通りだよ。気のせいも味覚の一つ。逆に言えば人間は多彩な味覚を感じ取れる能力を持ってるがゆえにおいしさを探求できる。だからよりよい食事を求めることもできる。人間の気持ちって力は物理的な体を変えることもできるんだ」
なんだか綺麗すぎるその言葉に、僕は少し意地悪い質問をしたくなった「じゃあ、なんでダイエットを目指してる人は痩せることができないんですか?」女性陣の視線が鋭く僕に突き刺さる。
「痩せたきゃ痩せることを楽しむべきだろうな。ところがどっこい、ダイエットって言葉は常に苦悶に満ちている、ちがうか? ダイエットをしているときの気持ちを考えるといい、ダイエットにいそしんでる人の思いは常に“自分は太っている”だ。すなわち不本意、自己否定、現状が正しくないって考えてるんだ。じゃあ、何が、誰のせいで、どうして“自分は正しくない”って言うんだ?」
「それは論理のすり替えよ」恵美さんは雄輝さんの理論展開を先読みしたようだ。頬杖をつきため息をひとつ、その目で雄輝さんを見つめていた。
「正しきは、あるがままに流れるまま」イムはテーブルの一点を見つめてつぶやいた。
「……華教か」




