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後藤さんの運転する車が停まったのは山の中腹というか、まさに山の中で、車のヘッドライトを消すと明かりというものが一切見えない場所だった。目が慣れて周囲の状況がつかめるまでしばらくかかったが、夜空の月明かりがじわりと木々の葉先を映し出し、荒れた地面の石ころを浮かび上がらせていた。
「ここは?」
「ここが俺たちの隠れ家さ」後藤さんが笑いながら指さした先には、丸太を組んで作られた苔むした無骨なロッジがあった。六年前に自力で建設してそれ以来暇があればここで過ごしているのだという。
「大きな山じゃないけどな、一応うちの持ち物だ。ま、ご先祖様から預かってるものだけどな。だから不用意に他人が来ることもない。安全だ」
まるで僕らの状況を知っているかのような言い方だった。
「水とか電気とか、どうやってるんですか」イムが辺りを見回しながら訊くと、「あるわけないだろ」と雄輝さんが笑って答えた。
「ちょっと、待ってください。ここまで何の事情も話してないし、後藤さんたちも状況がつかめてるとは言えないと思うんですよ、なのになんで……」
「その話はゆっくり聞くよ。どうせ長くなるんだろ。とにかく中に入れ」
本当はそういうことじゃなくて、僕は物分りが良すぎるこの後藤夫妻を怪しんでいたに過ぎない。これじゃ軽く誘拐だとさえ思った。イムがああいう状況下に置かれている以上、軽率な判断で彼女の身を危険にさらすわけにもいかないと思ったからだ。とはいうものの、もうこんなところに来てから思っても仕方のない事なんだけど。
「真一、すごいね。この家、森と一つになっているみたい」僕の心配をよそにイムははしゃいでいた。さっきあれほど取り乱していたというのに。それに、偽名だけど彼女が僕を下の名前で呼んでいることに気づいた。
「ログハウスっていうのよ。柱を使わないで丸太だけを組み合わせて作るの。もともとこの森にあった木で作られているから苔とも相性がいいのかもね」恵美さんが笑って言った。
イムが言ったようにログハウスは一見偽装されているようにすら見えた。壁面は半分以上苔に覆われていて、屋根の周りは木のツタが這っていて、パッと見た限りでは家のシルエットに見えない。
「これを二人で?」
「ええ、私たち二人で。完成まで三年かかったかな。大変だったわよぉ。その間にもあれこれ手直しとか、やっぱり実際生活するとなると不都合のある点をいくつか改良したり、今でも工夫しながらいろいろやってるわね。でもそこが面白いのかなぁ」恵美さんはこのログハウスが大好きみたいだった。まるで自分の子供を自慢するみたいに。そうして彼女は入口に置かれたオイルランタンに火をつけた。
重そうなドアを開くと中は外からは想像もつかないほど綺麗だった。ランタンの明かりに照らされた室内は二十畳ほどの無垢のフローリングが敷き詰められた正方形に近いリビングがすぐに目の前に広がっており、真ん中に六畳ほどの大きなラグが敷かれている。奥には石積みの暖炉があり、その傍らには無造作に置かれた柔らかそうなソファと大きな丸太を輪切りにして据え置いただけのテーブルが鎮座している。ほかに家具らしいものはほとんどなく、いたってシンプルだった。
恵美さんは僕らの分のランタンも用意して手渡してくれた。けして明るいとは言えないけど不便を感じるというほど暗いわけでもない。家の隅から隅を見渡す必要がなければこの明かりで充分暮らせるだろうなと思った。
「雄輝と私はね、民間にキャンプ場を解放しながら、この山を拠点にした自然生活学校をしているの。いわば野外学習塾のようなものね」
「野外学習塾……ですか」
「一年に一度、この時期は全国各地の子供を呼んで一週間のサバイバルキャンプをするの。電気もガスも水道もない山の中で一週間を過ごすっていう経験をしてもらう目的で始めたのよ。キャンプ地はこの山全体で、今日もスタッフが子供達とどこかでキャンプしているはずよ」
「へぇ、なるほど。それはいい経験になりますよね」
「雄輝はああ言ってたけど、実はここだけは非常時の自家発電もガスも完備はしているんだけどね。緊急の際に備えての避難所の役割も兼ねているから」恵美さんははにかみながら人差し指を口に当てて言った。
その雄輝さんは外で何か作業をしているみたいだ。僕は気になって玄関から顔を覗かせた。
「おお、真一、ちょうどいい、薪運ぶの手伝ってくれ」
「ええ? 夏なのに」
「このへんは夏でも夜になると冷え込むからな、そんなに量はいらないけど」
そうなのかと思いながら、なんだかうまく二人のペースに乗せられている気がした。
「じゃあ、メイさんには中のこと手伝ってもらおうかな」
「あ、はい、私なんでも手伝います!」イムはこのログハウスの暮らしが気に入ったみたいだ。そういえばバーベキューも楽しそうだったもんな。まるで子供みたいにはしゃいでいた。
「お二人には感謝しています、それからすみません」僕はあの時橋の上でとった行動の軽率さを今更ながら感じていた。
テーブルを囲んでいた。ランタンの明かりに慣れたせいで窓の外は真っ暗闇に見えた。
雄輝さんは僕の謝辞を無視するように話を始めた。
「たまたま船のトラブルで港に戻るのが遅れたから、こんな時間になっちまったけどさ、夜にあんな道歩くもんじゃないぜ? 日が落ちるとほとんど車の行来はないからな」
そういうものなのだろうか。そもそもさっきの車中の会話からして、彼らはこのログハウスに向かっていたのではないことになる。僕らがそう仕向けたようなものなのに、いいのだろうか。
「ええ。あまりこのあたりのことは知らないもので、すみません。あの、変なこと訊くようですけど、船っていうと樫尾港に行っていたんですか?」
「うん? ああ船か? 実は来年のサバイバルキャンプは竹田島でしようって企画があってな、それの下見だよ」
「え、竹田島って一般の人が上陸できるんですか?」
「ああ、いや。紛争から四年経ってもまだ一般人は近づくことも出来ないよ。俺たちはちょっと特別な事情でな。企画もまだ折衝中だ」
「教国は竹田島を海上要塞にしていたって話を聞いたことがあります。今はどうなっているんですか」僕は他意なく、ただ写真学生としての興味から訊いていた。
「世間じゃ要塞って言われていたけどな、実際は海洋探査基地に毛が生えたようなものだ。電気は自家発電に頼る程度で、水は雨水を貯めたタンクが命綱、大規模な火器を運用する余裕なんかない。まさに孤島さ、サバイバルのキャンプにゃうってつけだろ?」
「まあ、それはそうかもしれませんけど。じゃあ、北岸戦争のあとの竹田島侵攻作戦ってのは……いや、むしろ脅威ですらなかったってことですか?」
「そうだな、真一たち一般国民には脅威の払拭って伝えられているだろうけどな。だがそんな竹田島でもある程度の悶着があってな。まあひどいもんだった」
僕は雄輝さんがなんのことを言っているのかさっぱりわからなかった。僕がイムと目を合わせて不思議そうな顔をしたのがわかったのか、恵美さんが口を開いた。
「私たちは四年前の紛争で国防軍にいたのよ。予備役だったけど竹田島への島嶼奪還作戦部隊に編入されてね。紛争が終わってからお役御免になって今の仕事を始めたの」恵美さんの発言に僕らは思わず身構えていた。元兵士なのか、彼らは。
「相手側には君たちくらいの年齢の兵士が多くいた。竹田島を守備する教国側の兵士にね。あちらは完全に撤退戦でな。ほとんど戦闘にもならなかった」
「そう、島に残されたのは若い兵士ばかりで、生き残ったものは自害を試みようとしていたの」雄輝さんと恵美さんは口々に淡々と驚愕の事実を並べ立てた。
「上官はさっさと遁走ってわけだ。お前らは死ぬまでその島を守れと命令だけ下してな」
「ひどい……」イムがつぶやいた。
「あの、教国の兵士は……つまり捕虜に?」
「ああ、戦争といえどそこはルールだからな。だが、まさかそこまで教国が脆弱な戦力しか保持していなかったとは思ってもいなかった」
「と、いうと?」
「紛争が終わって帰ってみたら、報道じゃ激戦の末に圧勝、みたいな。知ってるだろうが、まるでオリンピックで金メダルでも取ったかのような騒ぎと書き様だ。先の大戦の大本営発表と変わらない体裁だ、嘘ではないけど誇張が過ぎるとね」
口調からしてどうやら雄輝さんはそういう虚偽の報道に憤りを感じているようだ。そのせいで犠牲になった人を、特に若者に対して自分たちは大人である責務を、いや責任をどうとるべきか、どうとってゆくべきかを考えて、このような活動を始めたらしい。
「俺の若い頃は就職難でな、俺はとりあえず生きてゆくために国防軍に入隊した。動機はそんなものだ。今の若い奴らみたいに国防意識に燃えていたわけじゃない。教国の若い兵士だって同じだ。国内には産業が育たないから兵士としてその日を食いつなぐための契約をしているに過ぎない。俺たちが日頃教国の報道で見ているような、教主に忠誠を誓い、国民すべてが滅私奉公で国に尽くしているといった画は意図的に演出されたものだと気づいた。教国には核はない、そして大規模な長距離弾道弾も存在しない。軍事パレードに映し出されているのはすべてハリボテだ。実質彼らは最低限の陸上戦力しか保持していないんだ。もっともこれは俺が独自に調べたことだがね」
雄輝さんの話を聞いて皆川さんやカヲルさんが言っていたことを思い出していた。北岸戦争には、華南半島には、教国には、外部の思惑が関係している、と。すなわちそれは――。
「合衆国……」
「なんだ?」
「合衆国の極東戦略……ということですね」
「ハッ、真一は勉強家だな。そんなこと考えていたらろくな大人になれねぇぞ」急に姿勢を崩したかと思うと雄輝さんは笑ってそう言った。




