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13-3

 結局足がつくのを恐れたのと、現金が乏しいことを理由にタクシーは使わず徒歩で北岸市を抜けて西側の橋に向かった。北岸市を形どる三角州と北岸地方を結ぶ橋は何本かあるが、最寄りで歩行者が渡れる橋は北西側の生田橋だ。この橋は過去の紛争の時に戦略的に国防軍が落としたらしいが、今は再建されている。


 随分長い間、わき目も振らず早足に歩いた。服はさすがに乾きかけてるけどイムは大丈夫だろうか、そんな思いが僕を振り向かせたが、彼女はただ黙々と僕の後ろを歩いて付いてきている。


 僕だって気の利いた言葉をかけようとしたけど、うまく言葉にならなかった。必死になるとなんでもうまくいかない。優しくしてあげたくても余裕がなくなる。自分が辛いと他人にも優しくできない。守ると約束したものの現実はそんなものなのだと痛感する。


 日も落ち切ってようやく橋にたどり着いた。川辺の辺りはぽつぽつと外灯が見えるだけで、足元には黒い川が流れていること以外は判らない。橋の欄干に上手く仕込んだ青白い照明がただ、まっすぐに目の前を貫いてゆく道となって僕らの行く先を示している。


 時折強い風が吹きつけ僕らの歩みを阻害する。考えてみたら僕もイムも昼から何も食べていない。お腹がすいたなんて考える時間も余裕もなかったんだけど、今考えてもあの大立ち回りが今日の朝に起こったことだなんて信じられない。


 撮影班の皆は、カヲルさんはどうなったんだろう。もしかして皆川さんは公安に捕まったんだろうか。僕はこの樫尾町に来た理由を忘れかけていた。のべ五日間もロケに付き合わされて、その間に課題らしいことも隙を見つけてやってはいたけど、そもそも僕は奥田に会いに来るつもりだった。できれば実家を訪ねて墓参りをさせてもらおうと思っていた。


 しかし、その奥田の死の遠因が、いま後ろにいる彼女だったなんて。彼女と間違われて奥田が殺されたなんてこと、しかもその子が奥田美和として生きてきたこと、そんなことを知ってしまった僕が今更どんな顔をして会いにゆけばいいのだ。それに、きっと奥田に墓はないのだ。この彼女が奥田の名を騙っていた事実があるかぎり、本当の奥田美和の死亡確認も取れていなければ葬儀もなされるはずはない。その遺骸はどこへ運ばれてどういう扱いになったのだろうか。


 想像すれば胸が締め付けられる思いだ。おそらくは彼女の遺体はあの戦乱の中で合衆国に回収されたのだろう。イムウァ・レイランとして。存在すら許されない王族の末裔はひっそりと見知らぬ土地で荼毘だびに付された……だけどそれは、奥田美和だ。イムウァ・レイランじゃない。


 あの時それを知っていたのは、記憶を失っていた僕を除いて皆川さんだけだった。そしてLittle Flowersが発表された後に、一部の組織、加賀さんや、イムの側近のレイと呼ばれる三浦さんらが異変に気付いた。


 これが、市街を抜けて寂れた工業地帯を歩きながら、考えに考えた結果導き出した僕の結論だ。僕がLittle Flowersの少年だったと告白することを避けるあまり、イムとは核心的な話題になりそうになると、すぐに話を逸らしていた。すべてが憶測でしかない会話は互いに疲弊を呼び込むだけだった。


 もしも、もしもだ、奥田が僕の恋人だったなら、僕はこのイムウァ・レイランを許せただろうか。こんなふうに彼女を守ろうとしただろうか。この奇しくも奥田にそっくりな彼女を。


 静寂と沈黙が僕に余計な思考を促させる。それを遮れば歩きすぎた足の痛みが疎ましい。北岸市東端の外れの加田屋から、北岸市を横切って市街に出ようとしている。僕らは今日一日で、おそらく二十五キロもの距離を渡っていることになる。その半分が徒歩だ。


 再び強い風が僕らを襲い、顔をそむけイムの方を見遣った。風は彼女の帽子を川面へと運んで行ってしまったが、彼女はそれに介せず僕の目をまっすぐに見つめていた。


「ねえ、木田君」


「なに」


「もう、いいよ」


「なにがだよ」


「このまま逃げてもどうすることもできないわ」


「だから、なんだよ」


 僕は明らかにイラついていた。イムが憎いんじゃない。この状況を打破できない自分に、そしてこんな運命を作り上げてしまった世界に腹が立って仕方がなかった。誰も悪くない、なのに僕らはこんなにも追い詰められている。イムが奥田にそっくりなのはイムのせいじゃない。それはわかってるけどやりきれない。


「私のこと、やっぱり木田君は許せないと思う」


「そんなことない、関係ない!」


「だって私のせいで君の友達が死んだんだよ。私の国のせいで……」


「イムのせいじゃない!」


 つい声を荒げてしまった。僕とイムは橋の真ん中で立ち止まった。イムも疲れで余裕がなくなっているのが判る。だけどそれを包むやさしさも持てなかった。


「ごめんなさい……さっきは調子に乗ってあんなこと言ったけど、木田君が……やっぱり、私を助けなきゃいけない理由なんてないわ。なんで私を助けるの」


 怒りで僕の肩が震えだしている。


「じゃあ、俺は……どうしたらいいんだよ! また君を見殺しにするのか? それでまた記憶を取り戻さないまま、モヤモヤしたままこの世界に埋もれろっていうのか。何も知らないふりをして? 戦争で全部焼き払っちまえば何もなかったことに出来るってのか、人の心にはずっと残り続けるんだぞ!」頭に血がのぼってしまっていた。脳裏での大人たちのやり取りがよぎって僕はつい、イムを責め立てるように言ってしまった。


 息が荒い、目の前のイムが闇に埋もれそうだ。


「……私は……美和さんじゃないのよ。私は……」唇をかんでイムが顔を歪めた。そしてその顔を見せまいとするようにうつむき、僕の横を通り過ぎ背を向け足早に歩いてゆく。僕は振り返り咄嗟に彼女の腕を掴んだが、振り払われた。


「イム……!」


 彼女は僕を残して橋の西詰に向かって歩いてゆく。そして、やがて駆け出した。僕も彼女を追って駆け出していた。彼女の名を叫びながら。


 イムは何も悪くない、なのに僕は何を言っているんだ、何を考えているんだ。戦争は彼女自身が引き起こしたことじゃない、ましてや奥田の死が彼女のせいだなんて思っていない、だけど何かに、悔しい気持ちをどこかにぶつけたくなっていたんだ。


 祖国から追われ、側近に付き添われて見知らぬ国に来て、偶然とはいえ奥田の家族と出会ってひっそりと暮らしていればそれで何も起きなかったかもしれない。皆川さんや真実を求める僕らが彼女をまた元の場所に引き戻してしまったようなものなのに。


 僕らは何様なんだ、奥田の代弁者か? あの戦争で死んだ人たちの語り部か? 秘密を握っているって? それでヒロイックに彼女を助けようと、助けられると思ってるのか?


 あの時と同じだ。奥田という友達を思って戦地に向かう高揚感に酔っていたあの時と何も変わらない。何もできないことを悔やむくらいなら何かができる人間になるって、決めて今の僕があるんじゃないか。だけどやっぱり今だってなんにもできてないんだ。


 反戦デモに行くのを断った。僕にはほかにできることがあるはずだって。そう思ってた。皆川さんみたいになりたいってどこかで思っていた。そんな彼のそばにいることで近づいたような気もしていた。だけどいまの僕は何一つ成していやしない。自分が出来ることを何か一つでも出来たか?


 フリばっかりだ! 嘘ばっかりだ。記憶を失ったことを盾にして誰とも何とも向き合おうとしていない。状況を諦観して全て自分の外側に置いて、自分はこの事件に巻き込まれた被害者だって、そう頑なに信じ続けてきたのはどこのどいつだ?


「イム!」


 手を伸ばせば届きそうな距離に彼女の黒い髪があった。橋を渡るとすぐに県道が横切っている。


「イム! 待って!」


 一瞬イムは僕の方を振り返ったが、駆ける足を止めないまま県道へと飛び出していた。危ない、と叫びかけたとき、彼女は走ってきた自動車のヘッドライトの光に包まれていた。


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