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13-1

 両親にも学校の友達にも連絡はしなかった。というよりも携帯電話は黒服に取り上げられてそのままで、イムも位置情報が漏れることを察知して電源を落としていた。とにかく最大限警戒をした判断の末、外部との連絡は断つべきだと結論した。実際それで何か良い方策が生まれたわけでもない。今はここから離れることと地道に情報を収集することに務めるしかなかった。


 お互いの荷物が実家と宿に残されているはずだったが、そちらに近づくのは危険だと考えた。政府の連中はイムの帰りを待つような悠長なことはしていられないだろうけど、手が回っていることは容易に想像がつく、僕が宿に残してきたものといえばなけなしのバイト代で買った機材と着替えくらいのものだ。漁って何が出てくるわけでもない、後で何とかなるだろう。


 彼女は最低限の身の回りのものを詰めたボディバッグひとつ、僕は財布とポケットにしまう癖が付いた撮影済みのパトローネが五本、それにカメラ一台だけ。これ以上必要とも言えなかったし、見知らぬ土地ではあまりに身軽すぎるともいえた。


 一時間に一本くらいしかないバスに乗り込み、北岸市の駅を目指した。タクシーに比べれば随分と安くつくし、バスならば公安関係の手入れが入っても特定はされにくい。


 牧歌的な風景の中を淡々とバスは走り抜けてゆく。日が傾き始めて西日が僕たちの左側を強くさした。乗客は少なく、前方に老人が三人、後方に制服を着た高校生がひとり本を読んでいた。


「私、昨日みたいなの、はじめてだったんだ」


「昨日みたいな?」


「う、うん、ボーリングとかゲームセンターとか……ええと、なんか……ート……みたいな」


 彼女がなんだか口ごもって最後の方はよく聞き取れなかったけど、なるほどな、と思った。


 僕は今まで、彼女が庶民的、都会的なものを珍しがり、興味を示すたびに田舎育ちだから、お嬢様育ちだから、という憶測で納得してきた。


 だけど北岸市にも娯楽施設は数えきれないほどあるはずだ。もちろんイムの国にだってあるにはあるだろう。ただ、娯楽の極少ない教国で素性を隠しながらそんな場所に行くことができなかったというだけなんだ。この歳になるまでそんなことを経験しないで主原という都会に来た時にはさぞ戸惑っただろうと思う。


 さらに、この国に来て四年間素性を極力隠して生きてきたことは、彼女が掛ける必要のないメガネを掛け続けたことと同義で、年ごろの女の子ならば昼下がりのカフェでお茶をしたかっただろうし、顔を隠すためのメガネなんて掛けたくはなかっただろう。


 昨日の初々しい恋人のような喜びようも今なら納得できる。


 朝華教国という国は確かに僕らの国に比べると裕福ではないと言える。どこの道も綺麗に舗装されているわけでもなければ、全世帯に電気やガスが必ずしも完備されているわけでもない。こんな暑い日でも各家庭にクーラーがあり、冷蔵庫から冷たいものを取り出せるわけでもない。


 機械化された労働現場はごく一部で、多くの人が肉体労働に従事し、その日銭を貯めて生活している。ちょうど僕らの国の三十年も四十年も前の姿に重ね合わせることができる。


 東西が分断されて資本主義国家との断絶から、海外資本や技術支援は一部の共産国からのみしか受けられず、それは随分と偏った性質のものであることが伺える。


 現朝華教国政府が進めてきた国づくりは、経済成長の過程で、ちょうど機械化されているものの方が価値が高いといった時間帯であり、文化的な人や時間という無形の価値に依存しない合理性を追求した生活を好んで目指している。


 もっとも、その先に僕らのような飽食の国があるわけだけど、朝華教国のような時間帯を過ごす国家は全世界の六十パーセントを占めている。ピラミッドの最頂点に君臨するのはわずか十パーセント、むしろ僕らは少数派なのだ。残りの三十パーセントは最貧困層、つまり電気もガスも、食事や水すら満足に賄えない地域だ。僕ら以外のこれら九十パーセントが僕らのような生活を手に入れれば世界は延べて平等になるか、格差が消え平和が訪れるか、と言えばそんなことはない。


 そんな現実は起こりえないんだ。もし突然そんな世界が出来上がったら、地球は一年と待たずにあらゆる資源を吸い取られて、そのかわり汚染物質を流されて死の星と化してしまうだろう。


「あるがままに流れるままに」イムはそう呟いた。


「それは、なに?」


「華教の教え。華南共和国はこの言葉を国是として独立を維持してきた。東西分断されるまでは」


「まるで悟りみたいだ」


「似ているかもしれないわね。贅沢がダメだということではないの、ただ人を羨まず身の丈をわきまえて、それに合った幸福を得れば良い、という感じ。幸福を得る機会もその手段も一様に皆が同じじゃない。それぞれが自分で感じる幸福を大事にするべきだって、私の遠い祖先が言い出したことなの」


 今の僕たちの国から見れば、テレビなどで時折流れる教国の暮らしぶりはとても幸せそうには見えない。


 上層の一部の人間に富を搾取された労働層が生活苦を強いられている。だがそれは、そんな風に意図して脚色されているからだとイムはいう。それに快適な生活を手に入れてしまった僕らの偏見があるからだと。


「私たちは外の世界を知らない不幸があるけど、それは同時に幸せでもある。木田君たちは外の世界を知ってしまって、その世界を夢見て実現した。だけどどちらも同じだったのよ、その夢を壊さないためにはやはり苦労し続けなくちゃいけない。その国で快適に生きてゆこうとすればね」


 この国で生きてゆくには最低限こなさなければいけない義務がある。それを例え話で父さんが言っていたのを思い出す。


『高級車に乗ればその部品代や修理費、燃料費、体裁を保つだけの洗車やワックスがけ、保管するための車庫や事故に際しての保険など、あらゆるものが必要だ。その車を維持することとその車の性能や価値、つまり乗っていることや持っていることで得られる快適性、利便性、安全性、所有欲あるいは虚栄心といったものを、維持管理費を稼ぐだけの理由にできるかという部分が分かれ目なんだ』


 それを聞いた当時、父さんの論にはなるほどと思った。だけど今は車に乗る理由はその車が好きだということだけでも立派に成り立つと思う。つまりそれを国に当てはめると“愛国心”ってやつになるのかもしれない。


 車を維持できないなら車を替えるか、持たないという選択もできるだろうけど、国や民族は僕らの意思で自由に替えることはできない。住む場所も国籍も替えるだけの能動的な労力と理由が必要で、好き好んで国民になったりそれをやめたりするのはおよそ一般的ではないと言える。


 そこの国民で居続けるのは半分以上が惰性で慣習で強制だけど、やはりそれでも自分の生まれた国や郷土を捨てたがらない。そこにはなにか目に見えない気持ちがあり、その気持ちが国という共通の財産をより良くして皆が住みやすく過ごしやすいものに変えてゆこうと努力をしている。多分それが理想的な国政というものなんだろう。


「奥田は、やっぱり自分の国が好きかい?」そう訊きながら彼女のことを思わず“奥田”と呼んでいる自分がおかしかった。やっぱりすぐには慣れない。


「当然でしょ」彼女もそれを遮ることをしない。


 僕は彼女のように即答できる自信がなかった。自分の国以外に好きな国はあるかと訊かれれば“ない”と答えることはできる。しかし好きかと問われると躊躇するだろう。それはこんな時だからなのか、それとも外の世界よりも豊かだからなのか。いや、どちらも正確じゃない。国と自分のあり方をそこまで真剣に考えもしなかっただけだ。


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