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10-2

「た、たとえそうだとしても……まるで違う人間になり替わるなんて無理だ、無理がある」


「そうね……意図してなり替わろうとしたことは認める。私は言葉を覚え、こちらの文化にも慣れて、奥田家は樫尾町の家を引き払い、隣町の加田屋町に移り住んでいた。私は地元の高校には通わずに、隣県の私学の女子高に通っていたから、私の素性は誰も不自然に思わなかった。だけど紛争から三年後の春、皆川さんが訪ねてきたの」


「皆川さんが? 初耳だ、俺はそんな話聞いたことがない」


「それはそうだと思う。皆川さんだけが私たち家族の秘密を知っていたのよ。最初はおとうさんもおかあさんも彼を追い返した。家族を壊されることを恐れて」


 僕は思わず両拳をテーブルに叩きつけていた。皆川さん……あんたは何様なんだ。ジャーナリストなら何をやってもいいっていうのか。自分の目の前であなた方の娘さんは撃ち殺されました、そこにいる美和さんは本当の美和さんじゃありませんね? そう、華南半島の王族の末裔のイムウァ・レイランです。とでも言ったのか? 奥田の両親にあの写真を突きつけて。


 店主の女性が何事かと僕らのテーブルを覗き込んだので、あわてて僕は頭を下げて謝意を示した。不穏な話になりそうだったので僕は声を潜めるように努めた。


「皆川さんはなんて……言ったんだ?」


「木田君、違うの。私達にもいつかそんな日が来るだろうってことは解っていた。皆川さんが来るようになって何度目かの時、おとうさんもおかあさんもそれを認めた」


「何を、認めたっていうんだ」


「美和さんの死を。美和さんはもういない、その写真に写し出されたのが美和さんだってこと。いくら顔がそっくりでも私は美和さんじゃないってこと。そして、いずれ私の存在がここにあることが知れ、危険にさらされるって。私はその意味がよくわかった。このままおとうさんとおかあさんに甘えていたい気持ちはあったけど、私がそこにいれば樫尾町と同じことになる。教国は私一人のために町をひとつ焼いたのよ?」


 互いに手をつけないままのアイスコーヒーの表面が溶けた氷で薄茶色に変化し始めていた。


「だけど北岸戦争以降、教国は軍備を縮小している。国連の査察団も入ってそれどころじゃなかったはずだ。和平こそ結べてはいないけどその脅威は去ったって言っても……それに君は……」


「木田君だって聞いたでしょう。私を探しているのは教国の教主派だけじゃない。さっきの彼らのようなこの国の政府組織、合衆国、そして大陸の国に至るまで、私というカードを欲してる。私は死ねない。はっきりと死を明言されるまでいつまでも私の“存在”だけが生き続ける。ならば目を覚まさなければいけないって、本来の私の役目を果たさなければいけないって思った」


「それで、皆川さんは、君をどうするつもりだったんだ?」


 奥田は一呼吸おいて、表情を幾分和らげた。


「主原の学校に来たのは皆川さんの口利きによるものよ、君と会ったのは多分偶然なんだろうと思う。でも学校は楽しかったし、無理矢理って訳じゃなかった。そして皆川さんは機を見て共に教国へ戻すことを約束してくれた。それは私が望んだこと」


「君はそれでいいのか? 君が戻れば華南半島は再び内戦に突入する。君は火種になるんだぞ? それにさっきから出てくるレイって――」興奮しかけた僕の言を遮るように奥田は続ける。


「私は王族だもの、権力はなくとも責任はあるわ。国民を守り国を守るという責任が。今、教主派のもとで虐げられている国民を助けるために私の存在が必要なら当然よ」


 この落着き。僕がアイスコーヒーのグラスにへばりつく水滴なら、彼女は氷そのものだ。淡々と、声のトーンをほとんど変えないで、ただ時間をかけてゆっくりと僕の疑念を解いてゆく。この調子が王族たる所以なのだろうか。


「だけど君は教国で一度たりとも玉座に就いたことすらないんだぞ、それに君のことを、君の王族としての存在を誰も知らないんだぞ、なのになぜそこまでするんだ。それにさっきから君がレイと言っているのは誰なんだ?」


 今となっては僕は彼らに憤りしか感じない。皆川さんも加賀さんも、その裏には思惑がある。誰もイムの望みなど果たす気はなかった。皆川さんに至っては彼女を連れだすところまでして、この計画に乗せるだけ乗せて危険に晒すような真似をしている。


 不意に頬杖をついて、彼女はストローでアイスコーヒーをかき混ぜだした。

「覚えてる? 以前、夜の公園でレイと口論になっていた時に、君が痴漢と間違えて追っ払ってくれたのよ。あの時はこんな風になるなんて思いもしなかったけどね。レイは教国での私の側近、君からすれば撮影班の三浦、さん?」


「み、うら……さん?」


「なぜ彼が撮影班の中に入っているのかはわからないけど、たぶん、もともとはレイが皆川さんに私の居場所の捜索を依頼したんだと思う。彼は私が教国に戻ることを良くは思っていなかった。私の身の危険はさておいても、君の言うように混乱を増長させる。それだけでも彼の行動は肯定できる」


 僕の中で僕自身が明らかに立ち位置を見失っていた。このとんでもない告白を聞かされて冷静でいる自分もおかしいし、それに対して何かを言おうとしている自分も怪しい。皆川さんたちの思惑は別の場所にある。僕だけが宙ぶらりんになっている。何も知らないのは僕だけってことだ。


「それに、私の居場所はやはりここにはないって、ここに居てはいけないって……美和さんが還る場所を奪っちゃいけなかったのよ、私は奥田のおとうさんとおかあさんに甘えていた……いくら二人が私を赦したとしても、そんなのはやっぱりだめなのよ」


「君は、そのために、お別れを言うためにこっちに戻ってきたのか……」



 奥田は目に涙をためて頷いた。ここじゃだめだ。僕らは目立ちすぎる。こんな片田舎の喫茶店で汚れた服で侃侃諤諤かんかんがくがくと深刻な話をしてるなんて普通じゃない。店主の女性がさっきから僕らの様子を伺うように首を伸ばしている。


「出よう」


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