表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/45

 学校では入学式の後オリエンテーションを実施し、それらに半日ほど費やしたかと思えば翌日からすぐに授業にはいった。


 カメラで実際に撮影する実習授業はまだ先になるそうだけど、気の早い奴はもう既に肩から高価な最新の一眼レフカメラを提げて街中をうろうろしていた。


 休み時間や授業が終わった後は皆めいめいに学食やエントランス脇のサロンで雑談をしているのが日課になっていた。


 僕の入学した学校は映像系専門学校の中でも歴史が長く、地方からの生徒も多かった。そんなことで当初はよく各々の方言の話や、自分が好きな被写体や、カメラの機能なんかについて話していた。


 もともと写真が好きな連中が集まっているだけに、機材はさすがにいいものを持っている者が多く、僕のように慣れない機械を確認しながら操作するのではなく、自分の手や目の延長のように極自然にカメラを扱うスタイルが板についていた。


 だが、そんな彼らの機材の多くはデジタルの一眼レフカメラで、フィルム式のカメラを持っているのは僕を含めて数人しかいなかった。


 デジタルカメラはメモリーの容量さえ確保しておけばいくらでも撮影ができるし、現像する手間もないし、撮影した画像はその場で確認できる。そして何より経済的だった。


 今時はデジタルカメラが全盛期でフィルムカメラなんて何処のメーカーも作っていない。だからフィルムメーカーも生産を取りやめたり、生産ラインを減少したり、現像所もほとんどがやめてしまい、探さなければないほどだと説明された。


だからフィルムのカメラもレコードやカセットテープがCDや音楽データフォーマットにとってかわられたように、いずれ駆逐されてしてしまうだろうと。


 それでもうちの学校は古典的というか、こっちの世界には未だにフィルムの信奉者が多い。


 というよりそういった影響からかデジタルから写真の世界にはいった人間でもわざわざフィルムカメラに買いなおすことが少なくないそうで、上級生のほとんどは一世代前のフィルムカメラを愛用していた。


 先生の弁によればデジタルだろうがフィルムであろうが、いや、こちら側の人間はフィルムカメラのことを銀塩カメラと呼ぶそうで、デジタルが登場するまでは単にカメラでよかったのだけど区別をつけるためにデジタルと銀塩って呼び方をする。


 銀塩っていうのは、フィルムから印画紙に焼付けを行った後の処理工程の一部の事を指すのだけど、いわゆるそういう昔ながらの暗室作業の授業もちゃんとあって、先生方が言うには写真の基本は銀塩なんだそうで、それが出来ない奴はデジタルも出来ないという理屈でいるらしい。


 フィルムこだわる理由はある、やり直しが利かないからこそ、限りがあるからこそ、その一枚に意味がある、これは僕のクラスの担任の麻宮先生の口癖。


 ただ、今時プロの現場で銀塩をやっている人なんて極々限られたアート志向の強い作家しかいないという話も聞かされると、なんだか伝統工芸にも近いことをやるのかという気にさせられる。


 いつものように僕はエントランス脇のサロンと呼ばれる談話スペースで仲良くなったクラスメートとくだらない話をしていた。


 高校生の時に学食の前で座り込んで馬鹿笑いしていた時とさして変わらない。ただ、高校の時と違うのは一概にクラスメートといってもそれらがけして同い年ではないところにある。あるいは出身地、国籍すら違えることもある。


 多くは高校を出てすぐにこの学校に入学した生徒だが、あるものは三年間の社会人を経た後で入学したものや、実際にプロの現場を経験していたものや、僕の父よりも年配の、つまり定年退職して暇をもてあました初老の男性もいる。


 そのどれもがもちろん写真を一からちゃんと学びたいと思って来ているのだけど、中にはミュージシャン養成学校に行ったほうがよかったんじゃないかと思うようなプロ級のギター奏者がいたり、何を目指して方向転換したのかわからないけど筋骨隆々のプロレスラーみたいな奴から、アイドルオタク、鉄道マニアはなんとなく道筋として理解できても、田舎のヤンキーでブイブイ言わせてたのに、実家が写真館で跡継ぎのため半ば無理やり入学させられたものもいる。とにかく多種多様なのだ。


 僕が仲良くなったメンバーで大体いつも一緒に行動するのが六人ほどのグループだ。


 いつも思うことだけど、別に派閥って訳じゃなくてもクラスはいくつかのグループに自然に分かれてそれぞれが安定している。


 多分たまたま気のあう仲間だとかそういうのもあるんだろうけど、多くはなんとなく席が隣同士だったとかその程度の理由で話をはじめることのほうが多いような気がする。


 グループの中で最年長の二十五歳の有田さん、通称アリさんは十八の頃からスタジオで働いていたセミプロ級の腕と知識の持ち主で、何より面倒見が良くて快活で面白い人だ。


 僕も自分のカメラの操作のことでたびたび教えてもらったり、皆も彼のことを兄貴分として随分頼りにしている。


 その彼と並ぶもう一人の年長者で堅物というか理論派な、眼鏡が顔の一部になったような男が久恒さん、通称ヒサにい。


 それから僕と同い年のいつも喋りっぱなしで皆からうるさいと言われている永井、南部の訛りがきつい大佐古、で、紅一点の牧村。もちろんこの連中とは主につるんでいるというだけで、クラス全体の仲は悪くはない。


 その中でやはり目立つのがいわゆる留学生という存在なのだが、一学年に二クラスしかない学校だけどそれぞれに二人から三人くらいはいるのが普通だそうで、主には台湊民国出身の人々だ。


 彼らは外国人と言えど人種的に近く、僕らとは見た目はほとんど変わらない。話さなければ多分見分けはつかないだろう。


 多少の文化の違いで時々変な言動はあるけど、外国からこちらに来た身からすれば、ほとんど知らない土地のことや慣習や風俗なんてのはどれも新鮮なんだから当然といえば当然なんだけど、台湊人といえど若者の文化レベルに双方の大差はない。それとて地方出身者の大佐古や永井なんかと比べればどっこいどっこいだ。


 そういう意味で少し変わっているといえばもう一人、奥田という女の子が居る。


 そう、僕には特別な響きを持つ名前だが、それだけのことだ。彼女は僕と同い年、内気なのか、人見知りなのか、あまり僕らとは積極的に話をしないド近眼のメガネっ娘だ。まあ、特別仲がよいってわけでもない。けど時折皆に混じって一緒に食事に行ったり、撮影に出かけたりもする。


 服装はいつも地味であまり女性として魅力のある子ではないが、いわゆる世間知らずという印象も否めなかったし、それって天然ボケ? って思うこともしばしば。


 若者文化的な造詣に関しては台湊の留学生よりもずれている感じで、よほど興味がなかったのか、箱入り娘だったのか、都会的な物事を知らないことが多いように思う。


 かといって普段の言動はむしろ同じ女性の牧村なんかより聡明に映ることのほうが多いだけに、おおよそお嬢様育ちの所以なのかなと勝手に解釈して、彼女の天然ボケは笑ってやり過ごすようにしている。


 僕のクラスの留学生はウォンとヤンの二人。ウォンとヤンは僕よりも三つ上、二十一か二十二になるのだろうか。


 むこうには徴兵制があって、十八になれば否が応でも兵士の訓練を二年間受けなければいけない。彼ら二人はその時に稼いだお金で学校に通っているという。


 台湊民国というのは、三年前の戦争の相手国である朝華教国に隣り合う形で半島を二分している独立国家で、六十年前の大戦の際に華南半島で内紛が勃発し、諸国の介入により東西に分断された西側の国だ。


 もともと同じ国だから戦後も何度となく半島国家統一の声が絶えなかったのだが、台湊民国が積極的な統一政策を進めるたびに朝華教国は政治体制の違いを楯に条約や政治的責任を反故にし、あげく軍事行動をおこして周辺国を挑発し再び反目するということを繰り返していた。


 だから僕たちの中でも台湊民国の印象はけして悪いものではなく友好的ですらあったのに対し、朝華教国は敵国という印象が拭えないばかりか、辛辣な批判のネタには事欠かなかった。


 もともとが社会問題なんかに熱心な連中も多いから余計に。それに半島の同胞とは言いつつも台湊民国の学生も入り混じって声を上げることもあった。


 だから僕は少し不思議に思って彼らに直接訊いてみたことがある。


 もともと台湊民国と朝華教国が分断したきっかけは内紛だとしても、当時政治的、軍事的介入を最初に主導して行った僕らの国も無責任ではないはずだし、むしろ多大な責任があるといってもよいはずで、結果として同胞らが生き別れになったことへの恨みつらみは朝華教国よりも僕らの国に対してのほうが強いのではないかと。


 ところが僕のその質問に一瞬周囲のクラスメートは固まった。


 過去のこと、その中でも戦争には触れたがらない国民性が、特に周辺諸国の問題に関しては眉をひそめる政治家と同じく、できることなら避けて通りたいタブーとして国民意識の中に皆も同じく横たわっていたからだ。


 それが三年前の戦争の直接的な原因ではなかったにしても、過去の大戦の戦争責任と呼ばれる問題の解決を模索することは絶対必要だと思うからだ。それに答えてくれたのがウォンだった。


「それはそうだよ、彼らは同じ国の国民っておもってる。僕もね。悪いのは朝華教国の上の連中だよ、教国のひとたちは何も悪くない、それに過去にこの国のやったことだって僕のおじいさん達はうるさく言うけど、若い人たちは何も気にしてないし。それにみんなこの国のことを憧れているよ」


 僕はそれを聞いて拍子抜けしたと同時に少し気が楽になった。亡くなった祖父が参加した戦争という行為、それが本人たちがやりたくもなければ行きたくもなかったものであったとしても、他国の罪もない人々を巻き込んでしまったことへの罪悪はぬぐえないものだろうと、僕の中でもやはりこの国が少なくとも彼らを、彼らの土地や文化を蹂躙したという贖罪の意識があり、彼らに対し常に遠慮を感じていたし、どこか哀れむというか妙な同情心があった。


 僕らは加害者で彼らは被害者という意識が僕だけでなく、この周りのみんなも、そしてこの国に生きる全ての人も、そう刷り込まれている。だが彼らは僕らを恨むどころか僕らの国に憧れすら持っているという。


 それに、ウォンやヤンは朝華教国のことを表面上はひどく嫌っている。今となっては敵以上の何物でもないということらしい。


 さっきも言ったように朝華教国の上層部こそが諸悪の根源なのだが、結果として戦闘になったとき実際に相手をするのは一般兵士である朝華教国の国民であり、彼らにはけして恨みはないが、そのような気持ちを持ったままでは戦争などは出来ないから普段からあまり考えないようにしている、とも言っていた。


 朝華教国は宗教国ではないが“華教”と呼ばれる一種の共産思想を国是とする体制国家で、まあ普遍的な言い方をすれば独裁政治国家で、支配層が庶民から搾取を続けながら思想教育を施し、その一方で反体制主義者や自由思想家やあらゆる宗教活動を徹底的に迫害弾圧し粛清することで非人道的な社会が成り立っている。


 僕らの国や台湊からすればひどい国で不幸だとしか映らないが、教国に住まう人々は外の世界を一切知ることを許されていないのだから、自身らの国家の体制を疑うことすらしない。そういえば何処かしら大戦時代の僕らの国に似ているような気もする。


 僕らのこの国は大戦後未曾有の敗戦を受け、国家再生プロジェクトが戦勝国によって主導され、軍隊と呼ばれる戦力の恒久的放棄を軸にした平和憲法を制定した。


 戦後丸裸同然で僕らの国は換骨奪胎の大改造を受けて、軍隊を持たない世界でも類を見ない平和的な国家という看板をぶら下げていたのだが、実情は治安維持のために警察守備隊という組織がすぐに編成され、やがてそれが国土防衛隊という名に変わり、実質上軍という名を持たないだけの軍に匹敵する戦力を持ついびつな国家として捉えられ近年に至ることになった。


 だから、この国が擁立していた実質的な戦力である国土防衛隊という組織が、数年前年国土防衛軍と改め防衛庁が防衛省へと格上げされたというニュースは隣国である朝華教国はもとより台湊民国もそしてその周辺諸国も一斉に抗議の声を上げた。そしてそれよりも大きな問題になったのは国内の反対運動だった。


 今ではその声も反戦主義者のパフォーマンス程度にしか聞かれなくなったけど、改正当時は僕も子供であまり意味はわかっていなかったけど、新聞やテレビのドキュメント番組なんかでもよく取り上げられる安保闘争って大変な騒ぎがあった。


 安保とは安全保障組織改革といい、国軍化に反対する大学や各種の学生、または左派組織が中心となって全国的に反戦運動が高まりを見せていた。


 端的に言えば憲法で禁止されている戦力を保持することというより、合衆国との新たな軍事同盟を結ぶことへの反対運動だった。

 

 ただ、国民投票の結果、憲法改正が成されたということは、結果として国民の大部分が国防軍を設置することに賛成したということでもあって、憲法改正後はなし崩し的にあれだけ騒いだにわか運動家たちは霞のようにどこかへ消えてしまった。


 まあ、その、にわか運動家の一人は何を隠そう皆川さんだったりするんだけど。多分どうせ、いっちょ噛みしておいしいネタでもないかと探していたんだとは思う。あの人そんな無駄なことに体力使わなさそうだしな。


 四年前の紛争、つまり北岸戦争においてはその国防軍の初動が遅れ、結果的にちゃんとした部隊の編成が出来ずに多くの若い兵士が命を落とし樫尾町の住民にも犠牲が出たということは軍も責任を認めている。奥田美和もあの時僕の目の前で息を引き取った。


 そのことにははっきりいって憤りを感じている。もちろん個人的には戦争を仕掛けた教国を恨まずにはいられない。


 もちろん、それが六十年前の仕返しだったとしても、だからといって教国がやったことが免罪されるわけではないし、やはりあちらと同様に禍根は残り続けている。


 皆川さんからすれば北岸戦争はこの国の政府がでっち上げた戦争であり、大戦時にこの国が行ってきた大本営発表という名の情報操作が今尚続いているという証拠で、そして真実はまるで見当違いの場所に口を開いている、と言うのだけど。

 

 ただそこのところは論点が違う上に、僕の中ではまだそこまでこの国を疑ってかかることは出来ないでいる。


 僕の四年前の記憶は歳を追うごとに鮮明になってゆく部分とまるで抜け落ちている部分がはっきりと分かれてきている。


 それは毎度の記憶の反芻によって想像力で補完しているから残っている部分ばかりがはっきりと浮かび上がるのかもしれないけど、僕の目の前に横たわる奥田美和とのやり取りの前まではまるで記憶がない。かすかに夕闇の中で動かない電車を恨めしく見つめていた記憶があるだけだ。


 彼女を看取ったその後に関して皆川さんから聞く限りでは、僕はそこからなかなか離れようとせずにただうずくまってずっと何度も何度も「ごめん、なにもできなかった」とつぶやいていたのだという。


 それでしばらくはそっとしておいてやるかとも思ったそうだけど、そこへ朝華教国の兵士が迫ってきて、やむを得ず皆川さんは僕を強引に担いで銃弾の中を死に物狂いで逃げたそうだ。


 この話、皆川さんのことだからある程度脚色もされてるんだろうけど、その時に一発の銃弾が持っていたカメラに命中し、中のフィルムは焼け落ちてしまった。


 彼が言うにはそこに国家の陰謀を決定付けるものが写っていたというのだけど、僕が怪訝な顔をしてアパートの棚に置いている壊れたカメラを覗き込んでいるのを見て、いつもの口調でこう言っていた。


「ま、ビッグフィッシュだって思われるくらいなら、なかったことにしたほうがいいんだよ、ジャーナリストとしてはな」と。ちなみにビッグフィッシュってのは“逃がした魚はでかかった”というのと同義の根も葉もない大嘘、あるいはそういう嘘を言う人を揶揄する時の言葉なんだそうだ。


 彼が見たものがなんだったのかは僕には想像がつかないし、何より彼の思考の百分の一すら僕には理解できていないと思う。そのくらいの認識に開きがある中で共通意識を得ようというのは難しいし、彼も僕を啓蒙しようとは一切しない。知りたければ自分で調べろってことらしい。


 とにかく、僕らの国を取り巻く情勢ってのはそんなに穏やかなわけではなくて、いつぞやの首相が言ってた「世界はそんなに平和ではない」という言葉は四年前から僕の中で是として響いて今に至っている。


 そう、ウォンやヤンが、考えたくもないけど僕らの国に兵士として攻めて来ることだってありえない話じゃないってことだ。そして僕たちはその時何をするのか、何ができるのかって、考えていなくちゃいけない。もう“なにもできなかった”なんて頭を垂れるだけの自分でいたくはないから。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ