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僕とカヲルさんは宿から出て、散歩がてら付近を歩き、暮れてゆく田舎町の田園風景をぼんやりと眺めていた。割烹料理屋のアルバイトだろうか、僕とそう変わらない年齢の女の子が玄関前のアスファルトに打ち水をしている。
加賀さんからの連絡はない。車がないところを見ると、まだどこかに出て帰ってきていないらしい。さっきカヲルさんはロケが延長だって言っていた。三浦さんも今日は一度も顔を見ていないし、他の三人は二階の別の部屋に閉じこもって会議中らしい。
「すまねぇ、とは思ってる」
「……なにがですか?」
「俺の事、応援してくれてる人たちには、本当に申し訳ない。この一件で俺は見放されるだろうしな」
「……僕には、なんとも言えません。正しいことがまた、見えなくなりました。でも、美咲は――僕の彼女は、カヲルさんのそういう面を見るのショックかもしれないけど、でも、カヲルさんが正しいって思ってやったことなら、はっきりとそう言いきれるなら、いつものように言えるなら……彼女はカヲルさんの味方でいると思います」
僕の少し前を歩くカヲルさんは一瞬立ち止まり、振り返る。そして目を逸らし、また風景を見つめなおして頭を掻き「ありがとうな」と、小さく、ほんの小さくそう付け加えた。
「カヲルさん。カヲルさんが知っていることってそれだけですか? もう隠していることはないんですか?」
「ああ、皆川さんから聞いたことのすべてだ、俺は彼を信じている。お前が考えているようにこのロケはただの戦争の回顧録じゃない。俺は語り部として呼ばれたことは事実だが、台本があるわけじゃないからな。実際これまでの撮影だって当初見せられた行程を大きく逸脱している。わからないんだよ、俺にも。これから何が起きるのか」
「わからないって……僕は、僕とカヲルさんがこの場に居合わせているだけで、皆川さんの恣意は嫌というほど感じます。僕は偶然都合よくここに駆り出されたわけじゃないんだって」
一寸間をおいて「そう、だろうなぁ」と、カヲルさんは薄く笑みを含んだ顔で言う。彼は何かこの状況を楽しんでいるのだろうか。
僕はカヲルさんから携帯の番号を訊いた。もし今後何かがあってもお互い直接連絡が取り合えるようにと。もちろん皆川さんが僕らがこんな話をして意思の共有をすることだって織り込み済みだろう。僕自身も皆川さんを疑っている訳じゃない。ただ“危うすぎて全面的に身を預ける気になれない”というだけのことだ。
「なんなら本人に直接訊いてみたらどうだ?」カヲルさんはくるりと振り返り、歯を見せて笑ったが「まともに答える訳ないですよ」と、僕は即答した。
政治ゲーム、北岸戦争には複数の恣意が交錯していた。それがあの皆川さんの著書である『華南の謀略』の大まかな内容だ。
このロケの合間に一応、時間のない中で読むには読んだ。そこそこページ数はあったが、文字が大きく各章も細かく分かれていたので読みやすかったといえば読みやすかった。内容はこんなところだ。
現在一般国民に広く知られている北岸戦争は、教国の現政権が宣戦布告し、攻撃を仕掛けたと言われているが、事実は違う。現教国政権を率いる『教主派』と呼ばれる、教主および首脳部は華南王朝の末裔を騙る傀儡で、正統な王族のもとで機能しているわけじゃないのだという。
さっきもカヲルさんが言っていたように、王族の正統な眷属は大戦終結時の内戦のさなかで処刑されている。だが、生き残りがいた。どうだ、この陰謀論のお約束の書き出し。
ちなみに、その生き残りってのがマーシェイナ・イムウァ・レイラン・メイという王位継承権を持つ人物なんだそうだ。当然その存在は、実在する人物としては国際的にも認められてはいない。だが、裏の世界では有名な話らしく、そちらの世界の名簿にはしっかり書かれているそうだ。
ちなみに、伝統を重んじる旧体制下の朝華教国では未だに華南王朝の名残で、長い名前が使われている。マーシェイナはこのロケのために図書館で調べ物をしていた時に何度か目にした名前だ。
古来の華南半島人は名前が長いことで有名で、王族でなくともかなり長ったらしい名前を付ける。不思議に思って少し興味を惹かれて別の書物で読んだので覚えている。
それによると一つ目が家族以上の眷属を、つまりマーシェイナ・イムウァ・レイラン・メイの場合はマーシェイナという王族を表し、二つ目が個人名、三つ目が苗字、最後のメイが女性、フィが男性を指すことになる。
実際に皆川さんはこの人物を見たわけではないが、名前の後ろに“メイ”が付くことからこの王位継承者を女性だと論じているわけだ。
ちなみに、華南共和国から分かれた台湊人は、こういう長い名前を捨てて大陸側の影響を受けて表意文字である漢字を使い、二文字か三文字で表記できる名前になっている。だから台湊出身の留学生であるヤン・ムハクは『楊矛泊』ウォン・リは『湾李』と、書く。
ともかく、そんな彼女の存在が知れると、このアジアの片隅だけの問題じゃなく合衆国や大陸をも巻き込む問題になるのだと強く書かれていたのだけど、その理由はこうだ。
朝華教国の現政権は本物の王族の末裔が、教主派の対抗組織といわれる『華教派』によって生かされていることを知り、政権基盤を覆される脅威を覚えた現教主はイムの暗殺を企てた。だが自国内では失敗し、イムというお姫様は偽装漁船で海を渡り、華教派によってこの国に密かに逃がされた。それを追って樫尾町に教主派の特殊部隊の五十名が送られた。つまり暗殺部隊を隣の国まで派遣したってことらしい。
だがそこまですれば当然ただの事件じゃすまなくなる。その結果として宣戦布告だ。しかもそれは教国の意志じゃない、合衆国によって情報操作されたものだと続く。
紛争の危機、あるいは紛争の発生がこの国の同盟国である合衆国にとってどういう意味をもたらすか? 基地を保有し、同盟国内で軍備を運用する合衆国にとってだ。
正確には、国防軍の存在価値を高めるといってもいい。国内に軍事力の保有は正当であり必要であるというパフォーマンスだ。それにより合衆国の軍事展開もよりスムーズに行うことができる。兵力の共有、軍事予算の増強、つまり合衆国にとって紛争とは、商材の一つである、と。
まあ、大体が皆川さんの主張するところに則して書かれているから、合衆国に対する悪意が込められているあたりはご愛嬌なのかな。
まさか? と思わせるのも陰謀論の演出には必要な箇所だし、誇大表現もまたあの本の装丁なら許されるといったものだ。
小規模でも戦闘が起これば……そりゃ国民は戦争への危機感を覚えて国防軍や合衆国軍を頼りにするようになるかもしれない。
この暗殺計画を戦争に移行したのは合衆国の意図で、華南半島に混乱を招き、周辺諸国に脅威を覚えさせ、軍備の充実を持ちかける、合衆国のやっていることは民間警備会社の自作自演のようなものだと、皮肉一杯に書かれている。
民間警備会社の自作自演。それはつまり、いわゆるホームセキュリティといった民間警備会社が推奨する個人宅警備システムを売り込むには、最低限の危機感を平和な街に流布するのが最も効果的な営業であるという皮肉だ。
人は平和なうちは誰しも“自分だけは害を被らない”と信じているが、いざ被害に遭ってしまうとたちまち“なぜ自分だけがこんな目に遭うのか”と嘆く。
ならばその危機を予測可能な範囲まで目の前に見せてやれば良い。
病気とて同じだ。何をすれば病気になってしまう、何をしなければ体はやがて悪くなってしまう、そうアナウンスする医療情報番組は少なくない。それらを視聴者がすべて鵜呑みにするわけでなくとも一定量の効果があるから、ある日突然スーパーで納豆が売り切れたり、品切れ続出の健康器具を高値で取り合いをしたりする。
ただ、この国の政府はそういう合衆国の意図はちゃんと分かっている。だから先の北岸戦争において、報道規制を敷いて戦闘状態には至っていないことを強調し、死者もけが人も事件も矮小化しようと腐心した。だが、かといって力押しの合衆国にたてつくことも出来ないため、国際法にのっとり武力外交、つまり戦争に踏み切るしかなかった。
ここまで聞けば、あまりに出来過ぎたストーリーラインに疑義を申し立てたくもなるだろう。そこまで分かっているなら、教国との対話も出来たんじゃないんですか? と。だがしつこくも皆川大先生は講釈をして憚らない。
たしかに現教主は戦争をするつもりもなかったが、ある個人、しかも自国の王族の末裔を狙って他国へのゲリラ攻撃をしたとなれば自国内への言い訳が立たないばかりか、その“暗殺部隊”の存在を知られてもいけないわけだから、暗殺計画は自身らの政権が揺らぐ可能性に直結する。
現政権が正統な朝華教国の盟主ではないことが知れるのを恐れたため、王族の末裔であるイムを支えてきた華教派勢力の目を欺くためにも、これらの不都合を黙殺し、教国は“外交で解決しない竹田島の一件を槍玉に上げて宣戦布告をした”という合衆国のシナリオを聞き入れた。
だがもちろん、合衆国は戦争への脅威をこの国および台湊民国に知らしめる目的が達成できれば御の字であり、教主子孫のイムの件は二の次だ。そういったあらゆる利害の一致があの北岸戦争にはあった。
それ以上イムの事には触れていなかったし、彼女が結局どうなったのかも書かれていなかった。
ともかく、あの戦争は単に竹田島の領有権を争ったものではない、というのが皆川先生の持論だ。ああ言えばこう言う人間はどこにでもいる、という見本のような話だ。
それに、これもお約束だが出典の記述はかなり怪しいものがあるし、多分に皆川さんの私情や妄想が入っていることは想像に難くない。
カヲルさんがこの話を聴かされていることは確実だろう。ならばさっきの“復讐”の意味もすんなりと入ってくる。
ただ、皆川さんが憶測でものを言っているのならまずいと思う。カヲルさんを巻き込むことになる。それに僕までその妄想につき合わされるとなると、いよいよ逃げる算段をしておかなければ世間の笑いものだ。
教祖様を盲信したあわれな出家信者みたいに涼しい目で見られることは間違いない。
これは本格的に彼から距離を置くべきかもしれない。




