8-2
車の中では終始無言だった。僕はふてくされ窓の外を見つめ、カヲルさんは携帯プレイヤーで音楽を聴いていて、加賀さんは僕の隣で何やらメールを打っている。
運転をする東本君、後部座席で転寝をしている桐生さんと大島さん、前の助手席で皆川さんが腕を組み、黙りこくって考え事をしているような顔をしていた。
しかし、誰かたりないと思ったら、三浦さんがいない。定員七名のワンボックス、つまり朝からいなかった、という事なんだろうけど、それにしても存在感薄いよなぁ。なんだろう別の仕事でもあったのかな?
スタッフは宿に帰投して近くの大衆食堂に行くと言うので、僕はそれを断り北岸市駅で降ろしてもらうことにした。
待ち合わせの時間には少し早かったけど、奥田はすぐそこに居た。あまりにもわかりやすくて、一瞬皆川さんに僕らが待ち合わせたのを見られたかと思って慌てた。これはこれで見られると後々尾を引きそうだから。
「木田君、車から降りてきた?」彼女に駆けよって開口一番に言われた。奥田からは見えていたようだ。
「うん、ああ、学校のみんなには内緒にしててほしいんだけど、実はテレビの番組の手伝いをしててね。たまたま知り合いがいたからなんだけど」
「ええっ、すごい。木田君もテレビに出るの?」眼鏡の奥でひとみが丸くなる。
「まさか。そういうわけじゃないよ」肩をすくめて見せたが、この短絡的な思考に事細かに説明することはないと思って安堵した。
変な話だけど、ここ五日の間北岸市を走り回ったおかげで僕は地元の街のように土地勘が付いていて、奥田に先導されるまでもなく僕は歩みを進めていた。
「とりあえずメシでも食おうよ。こっちに雰囲気いい店があるんだ」
「木田君この辺よく知ってるの?」
「いろいろとね、因縁あるんだよ、この街には――」そう言いかけて、僕の隣にいるこの彼女の存在もまた因縁なのかもしれないと思った。
駅前から少し離れた場所に小高い公園のような場所があって、そこは天気のいい日はガーデンレストランとして開店していた。ランダムに並ぶ木立のたもとに木製のテーブルとイスが数卓並べられており、まさに森の中のレストランといった風情だ。
「へえ、こんなところあったんだ? 私初めて」
「奥田は主原に来るまではこっちにいたんじゃないの?」着席するとすぐにホール係の子が駆け寄ってきた。
「うん、でもあんまり人が多いところは苦手だったし、地元の町で大抵何でも済ましてたから……」
田舎の町は広くて同じ市でも中心部まではずいぶんと距離がある、という事は少なくない。それにそうだったな、学校に来た当初のような印象なら、あんまり市街には出歩かないタイプって感じはする。その時から比べたら随分明るくなったし、髪形や、服装も変わってきている。牧村が随分仕込んだらしい。あの牧村がだ。
料理はシュラスコっていう南半球の大陸ではポピュラーな料理で、いろいろな肉の串焼きをナイフで薄く削いで皿に盛ってもらって食べる。まあ、料理の中身としてはどうという事はないけど、スタッフが大きな串とナイフを携えて客席まで来て、器用な手さばきで肉を振る舞ってくれるパフォーマンスが人気を博しているらしい。
とはいえど、それを見て目を輝かせたのは奥田だけじゃない、実は僕もこの料理を食べるのは初めてなんだ。
ビールを二人の分頼んだ。昼間から未成年が、っていうのはこの際なしだ。クランクアップして僕も気分がよかったのはある。それにこの木漏れ日から降り注いでくる太陽の光がたまらなく心地が良かった。
よく金あるなって? 実は少しばかり大島さんから小遣いをもらったんだ。ずっと俺たちと一緒じゃ窮屈だろ、たまにゃ羽根伸ばしてうまいもん食って来い、って。大島さんはいい人だ。
「うああ、平和だな」僕は大きく伸びをした。
「うん、平和だね。ずっと続けばいいのに」奥田も木々を見上げて言った。
「続くんじゃないかな、とりあえずは」僕の中で北岸戦争が終わったわけではないことは承知ながら、そうあってほしいという願いのほうが強く出た。
眩しい木洩れ日の間を小鳥が飛び回っている。こういう時漠然と、ああ小鳥だなと思うけど、本当はなんていう名前の鳥なんだろうと考える。それに周りに生えている木の名前も僕は知らない。
心の緩みが出ていた。ビールを飲んで気分がよくなったというのもある。食事を済ませ、付近を散策しているときに、ふと何気なく僕は言ってしまった。
「中学の同級生に、君と同じ名前の女の子がいたんだ。その子は途中で転校してしまったんだけど、なんとその転校先がこの北岸市なんだ。だから奥田が北岸市から来たって聞いた時は驚いたよ」
「え……あ、そうなんだ? 同じ名前だった……ってこと?」
「うん、おくだみわ、漢字も同じ。だからさ――」
「へええ、同じ名前の人っているんだね。その人とは今でも?」すかさずと言っていいほどのタイミングで奥田は返した。珍しいな。奥田が人の話を遮るなんて。
「ううん、それ以来は会ってない」
嘘だ。それ以上は話せなかった。それ以上僕が脳裏に克明に情景を描き出すとまた発作が出てしまう。だからできるだけ軽い話にしようと思った。
「でもさ、奥田が眼鏡を外した時に、なんだか似てるなって思ったんだ、もちろん気のせいだっていうのは重々承知だけど……あ、気を悪くしたらごめん」
奥田は視線を歩道の先に向けたまま少しの間黙っていた。気に障ったのだろうか。自分が他の女の子に似てるなんて言われると、やっぱりいい気はしないものなのかな。
「木田君ってデリカシーないなぁ」彼女は笑って振り返る。きょとんとしている僕をよそに「もし私が木田君の事が好きだったりしたら傷つくよ。そういうの絶対だめだよ」という。
「あ、うん……ごめん」
「べつに私はいいよ、木田君のことは友達だと思ってるから」好きだって言われても困るんだけど、いや、なにより、この奥田がこんな言動をするとは思わなかったから、それについては驚きの感情を隠すのに精いっぱいだった。
「私ね、親の都合で転勤が多くて、それで土地を移りがちでね。周囲になじむのがいつも時間がかかるんだ。そういう子供でも三種類いて、周りにすぐに適応していける子と、なかなかできない子がいるっていうことは想像つくでしょ?」
「もう一種類?」
「うん、いつか離れなきゃいけないなら必要以上に関わらないって子」
「なんか、それじゃ友達出来ないじゃないか。っていうか奥田はそういう子じゃないよなぁ、最初はちょっととっつきにくいかなって思ってたけど」
「その木田君の友達だった奥田さんはどんな人だったの?」
えっ? どんな人だった……か。それだって中学の頃の話だけど、頑張り屋で、それでいて努力してるってのをあまり見せない人だった。思ったこと、決めたことはちゃんと実行する。だから僕が怪我で動けなかった時も僕を随分フォローしてくれた。人の事ばっかりで自分の事あんまり考えてない、みたいな。最後の彼女の言葉が……。
軽く、胸が締め付けられる。僕はTシャツの上から強く胸を押さえてこらえた。心配する眼差しを向ける奥田に掌をかざして、何でもないと伝えて息を整えた。
歩道の並木で蝉がじわじわと鳴いている。こんな風景どこかで見たような気がする。
「木田君……実は私ね。今の学校にあまり長く居られないかもしれないんだ」突然の奥田の言葉に一瞬蝉が驚いて鳴きやんだように思えた。
「えっ……だって、今、下宿でいるなら転勤とか関係ないんじゃ……」僕は自分が極々当たり前のことを言っていることに、すぐに気付かなかった。
「そういう事じゃないの。だからね、今は楽しいこと全部やっちゃおうって、思うことは全部やってしまおうって思ったの」
奥田は笑って僕に言う。だけどなんだよその悲しい言い方。まるでこれから死ぬみたいな言い方じゃないか。それに今日は何か用事があった訳じゃないのか、僕に。




