表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
黒い人形  作者: 奥田光治
2/2

解答編

「まず、この三件の殺人事件はすべて同一犯のものと考えられている。理由として、すべての事件で同一の凶器が使用され、しかも第二の事件においてこの人形の一件は公表されていないからだ。しかし、浮かんだ容疑者には、全員何かしらの事件に関してアリバイが存在する」

「その通りです」

「なら発想を簡単にすべきだ」

 榊原あっさりとこう告げた。

「三件の殺人があって、容疑者には全員どの事件かにアリバイがある。ならば、三つの事件は少なくとも同一犯ではないと考えればいい」

「つまり、いずれかの事件は我々が否定した模倣犯だと言いたいんですか?」

 斎藤の問いに、榊原は頷いた。

「しかし、凶器の人形の一件が公表されたのは第二の事件以降です。すなわち、人形の件が公表されている第三の事件はともかく、最低でも第一の事件と第二の事件は同一犯でなければならない」

 斎藤の反論を、榊原は黙って聞いている。

「そして、私がさっき挙げた計六名の容疑者のうち、第一、第二の事件双方にアリバイのない人間は存在しません。第三の事件を省いたとしても、問題はまったく代わらないんです」

「私は第三の事件が模倣犯で第一、第二が同一犯だなどと言った覚えはない」

 榊原は告げた。

「……どういうことですか?」

「どうもこうもない。要するに、私が言いたいのは第一の事件と第二の事件が別人……つまり、第二の事件が第一の事件の模倣犯だと言いたいんだ」

 事務所を沈黙が支配する。

「……正気ですか?」

「いたって正気だ」

「だとするなら、犯人はどうやってあの人形の情報を知ったんですか? 凶器があのストラップであることは、第二の犯行終了まで公表されていません」

「だが、それを知っていた人間がまったくいないわけじゃないだろう」

 榊原の言葉の意味することに、斎藤は不意に顔を険しくした。

「もしや、榊原さんは犯人が警察関係者の中にいると?」

「その可能性は確かにある。が、その検討をする前に、もう一つこの情報を知ることができる立場がある」

「それは?」

「容疑者だ」

 榊原はあっさり言った。斎藤は唖然とする。

「少なくとも、平目殺害の際の容疑者たちは、取り調べ段階で多少なりとも人形のことを知っているはずだ」

「それはそうですが……じゃあ」

「ああ。おそらく第二の事件の犯人は、第一の事件に関しては本当に無実なんだろう。だが、その取調べを受けた後こう思ったんじゃないか。このまま、同じような殺人をやったら、アリバイのある自分はその罪を第一の事件の犯人に着せられるかもしれない。と」

「ちょ、ちょっと待ってください」

 斎藤は慌てた。そんな犯行が行えるのは……。

「以上のように考えると、条件に当てはまるのは平目殺害の容疑者三人。このうち、動機の点はとりあえず考えずに、純粋に第二の事件のアリバイがないのは……」

「港区役所課長補佐・浜沢章裕」

 斎藤はその名を告げた。

「少なくとも、アリバイの観点から言って彼が第二の事件、すなわち瀬原殺害の犯人である可能性は高い。動機はわからないがな」

 斎藤は必死に考えて、

「ですが、浜沢には第三の事件におけるアリバイがあります。このアリバイも崩すのは不可能です」

「ああ。だからこう考えればいい」

 榊原は告げた。

「第一と第二の事件は別人の犯行だ。このうち第二の事件の犯人はわかったが第三の事件にアリバイはある。だったら、第二の事件と第三の事件の犯人も違うと考えればいい」

 斎藤は息を呑んだ。

「では、第三の事件の犯人は?」

「第三の事件でアリバイがないのは片町と横島だ。すなわち、このいずれかが第三の事件の犯人となる。この論理でいけばこれは間違いない」

 榊原は続けた。

「しかし、ここで考えてみれば片町と横島には、第一の事件にアリバイがある。が、第三の事件の犯人がこの二人のいずれかであることは間違いない。となれば、仮に第一と第三の事件が別人による犯行なら、ここに矛盾が生じる」

「ということは……」

「第一の事件と第三の事件も犯人は別。となれば、第一、第三の両事件が第二の事件と犯人が違うことはさっきも証明した通りだから、第一、第二、第三の事件はすべて別人の犯行となる。要するに、この一連の事件は連続殺人ではなく、三種の別々の殺人だったということだ」

 斎藤は唖然とした。

「じゃあ、この人形は……」

「それぞれ前に起きた犯行を模倣したものだ。すなわち、オリジナルは第一の事件だけで、後の二件は模倣に過ぎないということだ」

 しばし、事務所を沈黙が支配した。

「では、第三の事件の犯人は誰ですか? それと、第一の事件の犯人は?」

「まず、簡単な第三の事件を考えよう。犯人は第一の事件の容疑者・片町と、第二の事件の容疑者・横島の二者択一だ。ここで動機の点で注目すると、より怪しい人物が一人浮かぶ」

「それは?」

「横島だ」

 榊原は断言した。

「仮に三つの殺人が犯行の形式だけ模倣された別々の犯行なら、その動機はそれぞれの犯人別々のものだ。となれば、第三の事件の被害者・志賀に対しより強い動機を抱くのは横島だ」

「なぜですか?」

「マスコミへの情報漏洩によって、第二の事件の容疑者三人はマスコミ攻勢にさらされた。当然、被害者の志賀もこのマスコミ攻勢の先頭にいたはずだ」

「あっ」

「その誹謗中傷がどれほどのものだったか、だいたい予想はつく。しかも、問題は第二の事件が別人の犯行であった以上、瀬原殺害の容疑者三名はいずれも無実だったということだ」

「無実なのに犯人のように誹謗中傷された」

「詳しくは知らないが、仮に被害者の志賀記者が過激な記事ばかり執筆しているようなら、無実だった容疑者三人のうち一人が彼を恨み、いっそこの事件の報道で有頂天になっている志賀を、その犯行と同じように殺してやろうと考えても不思議ではない」

 証拠のない推論といいつつ、榊原の論理には一切隙がない。

「では、第一の事件は?」

「問題はそいつだ」

 榊原は断言した。

「第一の事件は人形殺人のオリジナル。すなわち、この一連の事件の元凶ともなる事件だ。まず、三件の事件が別人の犯行である以上、第二、第三の事件の犯人と目される浜沢、横島の両名は除外される」

「第一の事件でアリバイがないのは……松中だけですね」

 斎藤の顔が緊張する。が、榊原はそれに待ったをかけた。

「しかし、本当に松中が犯人だろうか?」

「どういうことですか?」

「第二、第三の事件はそれぞれ前に起こった事件を模倣している。逆に言えば、前の事件の関係者が後の事件の犯人になる構図だ。間違っても後の事件の関係者が先に起こった事件の犯人だったというケースはない。これは当たり前で、後者だったら警察も馬鹿じゃないからすぐに犯人に行きつく。何より、先の事件で関係なかった以上、彼らに先の事件を起こす動機があるとは考えられない。よって、第一の事件が発生した時点でこの一連の事件とまったく関係なかった松中を含む第二の事件の容疑者は除外される。犯人は間違いなく平目の関係者だ。だいたい、松中が第一の事件の犯人だったら、第二の事件で自分の事件を何者かが模倣しているわけだから心中穏やかではないだろう。取調べの態度でわかるはずだ」

「ですが、残った片町と木坂にはアリバイがあります。また議論が最初に逆戻りです」

「そこでだ。少し考えてみよう」

 榊原はいったん茶を飲んで息をつくと、

「まず、平目殺害で片町と木坂が容疑者になったのは、平目が浜沢と付き合っていながら片町と思しき中年男性と付き合っていると噂に流れていたのと、平目がここ最近誰かの視線を感じていると言っていたと同僚が証言していたからだ。そして、片町は彼女との交際を、木坂はストーカーを否認している」

「しかし、やっていたとしても否認するのは当然でしょう。特に片町は明らかに態度が何かを隠しているようでしたし」

「もし、彼らが真実を言っていたとしたらどうなる?」

 榊原は尋ねた。

「どうなる、とは?」

「まず、木坂がストーカーではなかったとする。では、実際に彼女に視線を送っていたのは誰か? また、片町が平目と交際していなかったとして、片町は警察にいったい何を隠しているのか?」

 そこまで言われて、斎藤はピンときた。

「もしや、片町がストーカーですか?」

「そう考えればつじつまは合う。片町が隠しているのは、彼が平目をストーカーしていたこと。事件当日は出張でできなかったようだがな。木坂は真実を言っていた」

「じゃあ、平目と付き合っていた中年男性は?」

「さあ、わからん。正体不明の第三者だ」

 データにその人物がいない以上、榊原もそう言うしかなかった。

「しかし、高確率でその第三者は存在する。そして、他の三人が無罪である以上、第一の事件の犯人であるのは、動機がありなおかつアリバイの確認が取れないこの第三者を置いて他にはいないと考えるのだが」

 榊原の言葉に、斎藤はしばらくショックを受けたような表情をしていた。

「以上が私の推論だ。現時点で証拠はない。ただ、そのような推測も可能だということだ」

「いえ、少なくとも第三の事件に関しては証拠があります」

 斎藤はキッパリ言った。

「被害者の爪に残っていた布の破片。これを照合すれば……」

「一つでもわかれば、なし崩し的に他の事件も解けるはずだ」

「平目の周辺ももう一度探ってみます。榊原さん、ありがとうございました」

 そう礼を言うと、斎藤は慌しく出て行った。榊原はそれを見ていたが、やがてあくびをすると、

「もう一眠りするか」

 とつぶやき、そのままソファに転がって寝てしまった。彼が再び起きたのは、数時間後に秘書が出勤してきて大声で起こしたときである。


 その後、この「魔女人形連続殺人事件」は急転直下の解決を迎えた。榊原の助言を踏まえつつ、斎藤はまず志賀にうらみを持っていた人間を調べたが、全員が三件すべてにアリバイを持っており、こちらの線はないものとされた。斎藤は、榊原の助言どおりまず証拠のある第三の事件に絞ったが、予想通り横島の持っていた服と志賀の爪に残っていた布が一致し、これが決定的証拠となって横島に逮捕状が出た。証拠を突きつけられ、横島は自白。動機は榊原の予想通り、第二の事件における過剰報道の復讐で、彼は志賀の報道で勤め先を解職されていた。そこで今までの犯行を模倣し、情報を提供するという触れ込みで彼の車に同行し、立体駐車場において人形つきストラップで志賀を襲ったのだという。

 この発言により第三の犯行が模倣犯だとわかり、警察は次に第一の事件に焦点を絞った。被害者・平目朱里に関する再捜査の結果、一人の男が浮上する。名を渡絃一郎といい、職業はなんと司法書士だった。平目が勤める証券会社の法律事務を担当しており、相当用心深く仲を隠していたらしく、これが発覚するまで一週間以上の内部調査が必要となった。調べた結果、渡には犯行当時のアリバイもなく、警察は任意同行で渡を事情聴取。その結果、渡は意外にあっさりと自白してしまった。話を聞くと、自分の犯行に似た犯罪が次々起こって戦々恐々しており、正直何がどうなっているのかわけがわからなくなっていたらしい。むしろ、逮捕されてほっとしているようだったという。

 これにより、第二の事件も模倣犯とわかり、警察は瀬原の裏帳簿を必死に調べた。その結果、隠し金庫に隠されていた帳簿から浜沢の名前が見つかり、ここにきてついに浜沢も逮捕に至った。動機は単純な金銭トラブルだけではなく、浜沢が実は港区役所の金を横領しており、それをかぎつけたのが当時浜沢が金を借りていた瀬原だった。瀬原は横領をネタに浜沢を脅迫し、規定金額以上の金銭を搾り取っていたという。第一の事件で容疑を受けた浜沢は、この殺人を利用して憎き瀬原を殺そうと企んだという。浜沢が完全に自白したのは逮捕から二日後のことだった。


 第三の事件から一週間後の三月五日木曜日の昼過ぎ。榊原は秘書である宮下亜由美が傍らで資料整理をしている中、電話で斎藤と話していた。

「最終的に判明した事件の流れですが、まず、渡が交際のもつれで衝動的に平目を殺害。その取調べを受けた浜沢がこれ幸いと金銭トラブルのあった瀬原を殺害。その瀬原殺害の報道の被害に遭った横島が、復讐のために志賀を殺害。要するに、榊原さんの推理通り、直接的にはまったく関係のない三件の連鎖的殺人事件だったわけです」

「殺人連鎖か……渡が起こしたたった一件の衝動殺人が、本来起こるはずもなかった殺人を次々誘発した。あるいは本当にあの人形の呪いだったのか……」

 電話口で二人は一瞬沈黙する。

「ところで、人形といえばずっと気になっていたんだが、第二、第三の事件で人形つきストラップが使われたのは模倣のためだったが、肝心の第一の殺人でストラップが使われたのはなぜだ?」

 榊原の問いに、斎藤は答えた。

「真実はあっけないものでしたよ。渡の話だと、あれは被害者の持ち物だったそうです」

「被害者?」

「殺害の理由は平目が浜沢と喧嘩したことによるもので、浜沢との結婚を考えていた平目がもう別れようと告げたそうです。で、口論になって、おそらく浜沢との仲直りのために買ったと思われるあのストラップが平目の鞄から落ち、とっさにそれを拾って無我夢中で絞め殺したとか」

「つまり……あの不気味な人形に意味はなかった。単なる偶然だった?」

「そういうことです」

 しかし、榊原は頭では偶然に過ぎないと理解しながらも、なぜか偶然で片付けられずにいた。

「それが自分の知らないところでいつの間にか連続殺人になってしまって、たまたま使った人形ストラップが次々と殺人に使われ、本人自身、凶器に使った平目の人形の呪いかと思ってパニック寸前になっていたようです」

「まぁ、無理もないだろうな」

「報告はその程度ですね。では、また」

 電話が切れ、榊原は受話器を戻す。その話を聞いても、榊原はあの人形が平目の無念に代わって事件を起こしたように思えて仕方がなかった。

「事実は小説より奇なりとはよく言ったものだ」

 榊原は思わずそうつぶやいた。

「何ですか?」

 資料整理していた亜由美が訝しげに榊原を見る。

「いや、なんでもない」

 榊原はそう言うと、自身も先日片付いた依頼の書類の束を整理するのを手伝い始めた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ