バレンタインに光あれ!?
本日、二月十四日。
高校生になって二度目のバレンタインデーである。
「…………ほぇ?」
朝、登校したばかりの僕は、アホみたいな声をあげていた。
突然のことで、何をしているんだコイツはと思われてしまうかもしれないが、それは僕が一番聞きたい。
そもそも、バレンタインデーなんて日は僕みたいな平々凡々な人間には縁遠い、まさにリア充爆発しろ! な一日になるはずだった。
にも関わらず、これはいったいどういうことなんだろうか?
――なんで、僕の机の中にバレンタインチョコレートなんて入ってるの?
一瞬、これは何かの間違いではないかという疑念さえ浮かんできた。
いや、そうだ、そうに決まってる。
今まで、生まれてから約十七年。まともに、家族以外の他人からチョコレートを貰ったことなんて無かった筈だ。
学校とバレンタインがらみで思い出すのは、仲のいい友人へ、代わりにチョコレートを渡してほしいと、クラスのマドンナから頼まれて惨めな思いをしたくらいだ。
まったく、自分で作ったチョコレートくらい、自分で渡してくれよ。
いや、今はそんなことどうでもいい。
大事なのは、このチョコレートが本当に僕へと宛てられたものなのだろうかということだ。
でも、
読み間違える筈が無いんだよな……。
僕は、チョコレートを包んでいる艶やかな焦げ茶色の包装と赤いリボンの二つに挟まれていたカードを取り出す。
うん。間違いない。
何度もカードの表と裏を入念に確認するが、表面の『高橋燐くんへ』と、まるっこくてかわいらしい筆跡で書かれた、ピンク色の字は、消えることはなかった。
「本当に僕宛だ」
宛名を見てもなお、何かの間違いであることを勘繰ってしまう自分に、少なからず残念さを覚える。
とりあえず、このまま突っ立っている訳にもいかないので、チョコレートを机の中に戻し、宛名の書かれたカードだけを取り出す。
カードの中身を読むことにしたのだ。
「と言っても、誰かに好かれるようなことをしたとは思えないんだけどなぁ」
ピンクの文字を眺めながら何気なく呟いた。
「よう、リン」
唐突に後ろから声をかけられた。
咄嗟にカードを制服のポケットに突っ込み、返事をした。
「え? あぁ、ヤスか。おはよう」
振り返ると、小学生の時からほぼ毎日と言っていいほど見馴れた少年が立っていた。
彼の名前は、山崎貴安。
僕らの間ではヤスと呼ばれている。
ちなみに、僕らというのは、僕――高橋燐と山崎貴安、そして、仙台光一郎の三人のことで、お互いにそれぞれを、リン、ヤス、コウとニックネームで呼び合っている。
僕たちは、小学生の時からの付き合いで、なんとなく一緒にいるうちに、同じ高校を受験して、今に至るのだった。
「なぁ、なんか今隠さなかったか?」
ヤスが不思議そうに言った。
す、鋭い。
昔からそうだったが、ヤスは頭がキレるやつで、いつも側にいた僕やコウは、何度も感心させられた覚えがある。
ついでに言うと、性格が悪く、たいてい僕らの会話の中では、呼吸をするのと同じくらいの割合で毒を吐いている。
「そうかな? ハンカチじゃない?」
僕は、なんでもないと言うように、カードをしまったポケットからハンカチを取り出した。
「ふぅん」
ヤスは面白くなさそうに言った。
「てっきりチョコレートでももらっちゃって、それに付いていた手紙でも読もうとしてたのかと思った」
…………バレてる!?
「や、ヤダナァ。そんなわけないじゃないですか」
あまりの驚きに声が裏返る。
「ま、」
ヤスが目を細めた。
「どっちにしろ、手紙を読むんだったら、教室の中はやめろよ。
どこの教室でも、チョコレートをもらってる奴は僻まれるからな。それに、お前自身だけが被害を受ける訳じゃないんだぜ」
ヤスは、僕の肩をポンポンと 叩いて、自分の席へと向かっていった。
…………なるほど。確かにそうだ。
もし、この場で僕がカードを読んでいた場合、そのカードの中身が他人の目に晒されるようなことになったら、もう、僕だけが被害を受けるという状況ではなくなってしまう。
僕にチョコレートをくれた誰かにも、程度はどうであれ被害が出るのはまず間違いないだろう。
だとすれば、カードを読むのは、手軽に一人になれて、誰にも覗き見されないような安全な場所に限られる。
それはどこか?
幸い、僕にはその心当たりがあるのだった。
■ ■ ■ ■
バタン。ガチャ。
僕は扉に寄りかかった。
「ふぅ」
一息つく。
ここなら、誰も来ない筈だ。
この、特別棟の男子トイレの個室の中ならば。
中に人が絶対に入ってこないという条件だと、ここはこれ以上ないほどの完璧な空間である。
それに、家庭科室、コンピューター室、美術室、等の移動教室ばかりが集まった、この特別棟ならば、朝のホームルーム前の現在、ここのトイレを使う者は皆無。
その割に、特別棟は他の校舎に比べて、比較的新しい建物なので、トイレもきれいだ。
まさに、何か秘密裏にことを行いたい場合にうってつけの場所なのだ。
「……にしても。本当に僕はチョコレートをもらっちゃったんだ」
小さく呟きながら、心の中でガッツポーズをする。
本当の意味で一人になった途端、チョコレートをもらったのだという事実が実感を持ち始めた。
震える手でポケットからカードを取り出す。
カードは二つ折りになっていて、開くと中身の本文も宛名と同じくピンクの文字が並んでいた。
カードにはこう書かれていた。
高橋燐くんへ
突然、このような手紙を受け取って、驚いていらっしゃるでしょう。
でも、どうしても今日という特別な日の力を借りて、日頃、あなたの傍にいて感じているこの気持ちを伝えたかったのです。
本当はこんな手紙だけで、自分の気持ちを伝えきれるとは思っていません。
なので、放課後、屋上に来てください。
待っています。
光より
読み終わった。
「放課後に、屋上かぁ……」
思わず口に出してしまった。
放課後、屋上、青春のイメージの強い単語がこうも列挙されていてテンションの上がらない高校生がいるだろうか?
いや、いるわけがない。
現に、バレンタインというイベント自体を諦めていた僕でさえ、こんなにも興奮しているのだ。
もう、テンションマックスである。
興奮が冷めないうちに再び文章に目を通す。
今度はじっくりと、甘いチョコレートのような甘美な香りを楽しむように。
ちなみに、二度目の感想は、
『待ってます』っていう控えめで、慎ましい部分が、いい!
だった。
だが、その直後。僕は何かがおかしいことに気づいた。
「いや、待てよ? ……光って」
僕は、カードを再度読み直す。
しかし、さっきから何度も何度も確認している通り、文面が変わることはなかった。
宛名は僕で間違いない。それは確認済みだ。
では逆に、このカードとチョコレートを差し出した差出人は誰だろうか。
もちろん、光という女子であるのは間違いない。
だが、名前というものが必ず個人を特定できるというのは、単なる思い込みでしかないのだ。
何が言いたいか。簡単なことだ。
僕には、光という名前の女子に、心当たりが二人いるということである。
「うそ……だろ……? こんなことって、アリかよ」
僕は、個室の中で虚しく呟いた。
■ ■ ■ ■
まったく、どうしていつもいつも僕には普通のバレンタインが来ないのだろうか。
しかも、生まれて初めて貰ったバレンタインチョコレートの差出人が不明とは、いったいどういうことだ。
こういう時、僕はどうすればいいのだろうか?
差出人を捜すべきなのか。それとも、放課後まで待つべきなのか。
でもまぁ、それほど落ち込むことでもないか。
どっちにしろ、放課後になれば分かるわけだし。
ふと気づいて時計を見る。
時刻は、あと三分ほどでホームルームの開始するということを告げていた。
そろそろ戻らなくちゃな。
そう思い、トイレのレバーを引いて水を流し、個室から出る。
まず、目の前に飛び込んできたのはウチの学校の上履きだった。
「よう、リン」
続いて、かけられた言葉は、朝会ったときと一言一句違わない筈なのに、とても威圧的で、どこか楽しそうな雰囲気をもっていた。
その声に、僕は恐る恐る、顔をあげた。
そこに立っていたのは、
「や、ヤス。どうして――」
ここに? と言おうとして、すぐに止めた。
そうだ、少し考えれば分かったことなのだ。
僕がここに来て、カードを読んだ理由……それは、ヤスに言われたからであった。
つまり、全てがヤスの思い通り、僕はヤスの手のひらの上でまんまと踊らされたわけだ。
「気づいたか? まぁ、つまりはそういうことだ」
ヤスがニヤニヤと笑う。
「ところで、リン」
「……な、なに?」
今まで笑っていたヤスの顔が突然、真顔になる。
「お前がチョコを貰ったのはもう分かってる。俺は、そのことでお前を冷やかすためにここまで誘導した」
り、理由が不純だ。
「今の今まで、その気持ちは変わってなかった。だが、」
そこで、いったん言葉を切り、ヤスは僕の手からカードを抜き取った。
「え? あ、ちょっ――」
「お前の最後の言葉が気になってな。だから、お前をいじるかいじらないかはこれを読んでから決める」
ヤスはそう言って、カードを開き、文章に目を通す。
「なるほど、」
カードをパタリと閉じる。
「光……か」
ふぅん、そういうこと。というふうに、薄く笑いながらヤスは僕を見た。
「ほらよ」
カードを返される。
「あ、うん」
僕は、返されたカードを折れないように気にしながらポケットにしまった。
「じゃあ、捜すか」
「え?」
ニヤリと、ヤスは笑う。
とても、面白いものを見つけたかのように。
そして、宣言した。
「誰が、この手紙の主、『光』なのか」
キーンコーンカーンコーン……
どこかから聞こえる鐘の音を、僕は別世界の音のように感じながら聞いていた。
■ ■ ■ ■
「捜すって、具体的にはどうするの?」
時は、一時間目と二時間目の間の休み時間。
あのとき、ヤスが宣言した直後にチャイムが鳴ってしまって、僕たちは話を続けることができずにいた。
「もちろん、直接聞く」
ヤスは即答した。しかも、真顔で。
「いやいやいや、他人事だからって適当に言わないでよ。もし、直接聞いて、違ったら、僕はとんだ勘違い野郎だよ」
「いいじゃねぇか」
「よくないよ!? そもそも、なんで捜す必要があるのさ。放課後まで待てばいい話でしょ」
僕は慌てて言った。
しかし、ヤスは、チッチッチと人指し指を揺らした。
「お前は甘いな。だから、いつも言ってるだろう。世界はいつも、お前が思っているより複雑なんだ」
「な、なにが甘いのさ」
「甘い甘い、激甘さ。
どうせ、お前はウチのクラスの山本光と光遥奈のことしか考えなかっただろ」
フルネームで言われて、ドキリとする。
僕の視線は無意識のうちに二人の光を眺めていた。
山本光と光遥奈。二人とも、もちろん僕と面識がある。
誰とでも仲良くできる山本光は、昨日だって一緒に喋ったし、とりとめもない話で盛り上がった。
光遥奈だって、休み時間の間は一人で本を読んでこそいるが、それでも暗いというわけではなく、むしろ、話が合えば饒舌な人間だ。
だからと言って、そんな二人に、突然、「僕にチョコくれた?」なんて聞いたら、引くまで行かなくても、なんだコイツと思われるのは火を見るより明らかに思われる。
「だがな、」
というヤスの声に、現実に引き戻された。
僕は、二人の光から目を逸らし、ヤスの方へと向き直る。
「それがわかったとして、お前はどうする? あの二人のどちらかに告白されて、それでどうするんだ。
振るのか、受け入れるのか。
お前にはその二つの選択肢がある。そして、お前にチョコをくれた可能性がある奴は二人いる。つまり、合計で四つの選択肢があるんだ。
だったら、どちらがくれたか目処をつけといて、その上で振るか振らないかを決めた方が労力は少なくて済むし、合理的だと思わないか?」
「ま、まぁ、そうかもしれないけど。でも、合理的とか、そういう打算で恋とかの話を片付けるのはよくないと思う」
何気に真面目な感じで言ってくるヤスに気圧されながら、僕は言った。
ちなみに、どちらが来るかということを考えながら、今日という日を過ごすのも悪くない。というのが本音である。
「まぁ、そう言うと思ったぜ」
ふぅ。と息を吐き出すヤス。
「だがな、お前は決定的に間違っていることがある。いいか、人生は楽しんだ者勝ちだ。こういう状況も楽しむべきなんだよ」
ヤスは、僕に向かって指を突きつける。
あぁ、コウがいたら、「ヤスくん。そんなことないですよ」とか言ってくれるのになぁ。
なんで、よりによって今日、休むんだ。タイミングの悪いときに風邪なんかひかないでもらいたい。
こういう悪い子モードのヤスをいなすのは難しいんだぞ。
「そ、そんなことないんじゃないかな? ほら、果報は寝て待てとも言うし」
あ、今のは地味に上手い切り返しかも。
「コウみたいに、綺麗事を並べても無駄だ。綺麗事を並べるにはお前は汚れてるからな。色的に言ったら、俺は黒。コウは白。リンは茶色だ」
「どうして茶色なの!? せめてブラウンって言ってよ」
「まぁ、そんなことはどうでもいい。お前は一つ、大事なことを忘れている」
「大事なこと?」
僕は、自分が茶色呼ばわりされたことを忘れて、聞き返した。
「そうだ。リン、お前、三川光子って知ってるか?」
「え? 三川? ……ううん。たぶん知らない」
突然、よく分からないことを聞き始めるヤスに、僕は、首を振って答える。
「まぁ、あいつのフルネームを知ってるなんて、よっぽど暇な奴か、記憶力のいい奴だけだろうしな。
三川光子って聞くよりかは、こういった方が分かりやすいだろう。
『三途の川を照らす者』」
「あぁ、あの子、三川光子って名前なんだ」
僕は、彼女の姿を思い出しながら言った。
その姿はまさに筋骨隆々。顔には、なんかしらないけど古傷があるし、髪も丸刈りで、目付きも鋭い。確実に人を殺してそうな人相だ。身長は百八十センチメートルをゆうに越え、その性格は残虐極まりない。
かつて、彼女に目をつけられた人間は生きてこの学校に居られた試しが無いほどだ。
きっと、校舎裏に連れ込まれ、フクロにされたのだというのが、もっぱらの噂である。
まぁ、彼女が誰かとつるんでいるという話を聞いたことは無いし、学年も違うので、その行動も写真や動画でしか見たことはなかった訳だが。
それでも、ここまで悪名高いのは、やはり彼女が本当にヤバイ人間だからというのは間違った推測ではないと思う。
「――ってか、光子って」
僕はその事実に愕然としながら叫んだ。
「気づいたか。そう。奴も光という名前を持っている」
「いや、でも、光子だし。名前を書くにしても、子まで書くでしょ」
「それはどうかな? お前も知っての通り、奴は、自分が目をつけた獲物は、どんな手段を使ってでも仕留める。
じゃあ、もし奴に好きな人ができたら」
「どんな手を使ってでも仕留める……?」
「よくできました」
嫌だ!?
もし万が一。いや、兆が一、そんなことがあったとして、あの、怪物が僕を好きになったとしよう。
あの怪物は、自分の名前を騙って、――いや、実際は騙ってないんだけど、省略なんだけど。それで、僕を屋上に呼び出し、その場で襲おうとしているのだとしたら……。
「僕の貞操が危ない」
「全くもってその通りだ。何も準備してなければ、お前は間違いなく死ぬ。いろんな意味で」
ヤスが腕を組みながら、真面目に考え込む。
「い、いやだ。そんなの嫌だよ、どうすればいいの、教えてくれよヤスえもん!」
僕は、ヤスの両肩を掴み、前後に揺すった。
「うぉっ。まぁ、落ち着け、リン」
「これが落ち着いてられる訳ないだろう。このままじゃ、僕は死ぬんだ。いろんな意味で」
「まだ、そうと決まった訳じゃないだろう!」
「――はっ」
僕の中で、ヤスの言葉が反響する。
そうだ、そうだった。
まだ、決まった訳じゃない。
もしかしたら、普通に山本光か光遥奈のどちらかかもしれない。
もし、最悪の結果に至ったとしても、事前に手を打っておくのは可能な筈だ。
つまり、何をするにも……。
「お前は、光が誰であるかを知らなくちゃならねぇって訳だ。
なぁ、リン。お前は、こんな状況になってもまだ、綺麗事を並べる気か?」
■ ■ ■ ■
「ねぇ、ヤス。もう昼休みだよ! さっきから、どこ行ってたのさ?」
現在、昼休み。
二、三時間目の間と三、四時間目の間の休み時間、ヤスが姿を消してしまったため僕は何も行動することができなかった。
まぁ、一人で行動するのが怖かった。というのもあるわけだが、あのモンスター相手に一人で行動できる人間がいたら、是非ともその力を僕に分けてほしいくらいだ。
「いやぁ、済まねぇ。ちょいと、野暮用があってな」
カラカラと笑いながらヤスは言った。
そういえば、さっきの休み時間の時に、急いで教室から出ていっていたな。
何かあったのかもしれない。
でも、今の僕にはそんな細かなことまで意識できるような余裕があるわけがなかった。
なんせ、僕のせいしがかかっているのである。
これはもうあれだ。僕にとっては超一大事。生きるか死ぬかの境目。
「笑ってる場合じゃないよ!? もう、昼休みってことは、放課後までもう時間がないんだよ」
「まぁまぁ、そう焦るな。三川には、すでにアポをとってある」
「へ?」
なんか、今、すんごくヤバイことを聞いた気がする。
「というわけで、今から行くぞ」
「えぇーーーっ!?」
ヤツ相手に一人で行動できる人間が、こんなところに一人いたのだった。
■ ■ ■ ■
「というわけだ」
「なるほどね。話は分かったわ。でも、残念ながら私じゃない。
私は、もし好きな人ができたとしても、陰から見るだけにとどめておくし」
「お前なぁ。いつも言ってるだろう?
自分に自信を持て。お前は、お前が思ってるより遥かに可愛いんだぜ」
「そ、そんなこと言って、本当は心の中で私のこと気味悪がってるんでしょ?」
「くどい奴だな。お前は」
「…………ありがとう。私にそういってくれるのはあなただけだよ」
…………………………さて。
色々突っ込みたいことがあるだろう。
安心してくれ、僕もだ。
「あの~」
僕はアウェイ感を振りきって手を挙げた。
「そちらの方はどちら様ですか?」
僕の視線の先にいる少女について、尋ねた。
腰まで伸ばされた赤みがかったロングヘアー。その毛先は、細やかで、サラサラとしているのは遠くからでもよく分かるほどだった。
顔つきは、多少、目がつり上がっており、キツそうな印象があるが、彼女の纏うおしとやかな雰囲気が、全体を上手く調和している。
というか、メチャメチャ美人。
山本光や光遥奈も相当な美人だが、この人も負けず劣らず綺麗だ。
「え? あ、あのぅ。私は…………」
話しているうちに、少女の声はどんどん小さくなっていき、最終的にはヤスの背中に隠れてしまった。
どこか、小動物めいた行動に、僕はここに来た理由を忘れそうになる。
ここへ来た理由。
それは、三川光子――別名、デスライターが、僕にバレンタインチョコをくれたのかどうか。それを調べるために、僕たちはここに来たのだ。
この、旧校舎へと。
旧校舎は、現在使われている新校舎の裏側に存在し、今もなお使われることもなく、そこに建っている。
半ば廃墟と化したこの建物は、不良たちがたまっているとも言われているし、はたまた、不吉なオーラが不良でさえも寄せ付けないとも言われている。
そして、唯一、この学校で旧校舎を自由に出入りできるのが、デスライターなのだ。
ってか、『三途の川を照らす者』のときもそうだけど、この学校、噂が曖昧すぎる。
しかも、それにしては噂に左右されすぎだ。
まぁ、それはいいとして。
問題は、僕の目の前にいる少女だ。
ヤスが話しているのだから、何かしら、デスライターに繋がる存在なのだろう。
「あぁ、まだ言ってなかったな。
こいつが三川光子だ」
ヤスがその場から横に動き、再び少女の姿があらわになった。
「あ、そうなんだ。よろしく、三川さん。……あれ?」
なんか、今、とんでもない事実がサラッと……。
「この子があの、三途の川を照らす者?」
「そうだ。
ちなみに、デスライターは、コイツが生み出した架空の生徒で、実際には存在しない。だから、俺たちの前にいるこの子は、ただの三川光子だ」
ヤスが言い終えると、三川がギュウッ、とヤスの制服の裾を引っ張った。
「この人は、安全なの?」
「あぁ、もちろんだ。リンは、俺の二人しかいない親友のうちのもう一人の親友だからな」
「そう。分かった」
いったい、この二人はどういう関係なのだろう?
とても、信頼し合っているように見える。
「よし、じゃあ、俺らはそろそろ戻るぜ」
「えっ?」
あまりにも唐突にヤスが言ったので、僕は驚いてしまった。
「うん、気を付けてね」
三川は、そんなヤスを愛しそうに眺めながら、小さく手を振った。
本当に、どういう関係なのだろう?
僕の心に、ある種のモヤモヤを残しながら、僕たちは旧校舎を後にした。
■ ■ ■ ■
僕たちは、教室まで戻ってきた。
「さて、三川光子はシロと」
ヤスが呟き、僕の席に座った。
「ちょっ、そこ僕の席」
「まぁ、待て。次の作戦を考えるんだから、少し静かにしろ」
「……そりゃ、ありがたいんだけど」
よく考えると、僕はもう、チョコレートをくれた相手を捜す必要はないのである。
不安要素だった、三川光子は、超美少女だったし、シロだし。
「お前の考えは読めてる。どうせ、もう不安要素は無いと言いたいんだろ?」
「お前はエスパーか!?」
「だから、お前は甘いんだ」
「その言葉は前も聞いたよ」
「いや、甘いよ。お前は甘い。
俺と三川との関係くらい甘い」
「あ、くそっ。やっぱり、二人はそういう関係だったのか」
彼女がいなかったのは、僕だけという悲劇。
コウは、その美形ゆえに、告白されまくりの学校生活だし。
ヤスだけは違うと信じてたのに……。
「嘘だ」
「嘘なのっ!?」
「俺とあいつはそんな関係じゃない。俺が一方的にあいつを気にかけてるだけだ。
そうだな、これは、三川から口止めされてることだけど、お前には教えてやるよ」
「なに?」
「三川は、上級生から虐められてたんだ」
「えっ?」
想像以上にシビアな話だった。
「それを、たまたま通りかかった俺が助けた。そんでその、上級生のリーダー的なのを半殺しにして、この学校から退場させた」
「あの、話がぶっ飛びすぎてて整理できないんですけど」
頭がおかしくなりそうだった。親友のカミングアウトがこんなにも重いとは思ってもみなかった。
「そのあと、俺は三川にいろいろ世話になってな。あの、デスライターの動画は俺の喧嘩してる姿だ。三川が上手く編集してくれた」
なるほど、そう言われてみれば、ヤスはかなりの長身だ。筋肉だってそんなにない訳じゃない。
いや、でも、だからと言って、あのデスライターがヤスを合成した映像だったなんて、どういう技術力なんだ?
僕が自分の疑問に、何一つ答えを思い付かないまま、ヤスは話を続ける。
「俺は、あのときの借りを返すために、アイツと一緒にいるってわけだ。それで、アイツの傷ついた心を少しでも救ってやれればと思った。
だがな、あいつの心の傷は思ったよりも深くて、よっぽど、上級生に裏切られたのが悲しかったんだろう。
その上級生っていうのはな、三川の部活の先輩で恋人だったんだ。で、俺は、その人間のクズを学校から追い出した。
確かに、俺は、半分は三川を救ったのかもしれない。でも、もう半分は、アイツから大切なものを奪っちまったんだよ。
その、せめてもの償いとして、俺は三川の傍で、アイツを守ってやろうと、癒してやろうと、強くしてやろうと、そう思ったんだ。
だから、俺は三川とは恋仲にはなれない」
ヤスは、真面目な顔から一変、ニヤリと自嘲気味な笑みを浮かべながらこう言った。
「これが、俺と三川の関係の全貌だ」
しばらく黙ってしまう。
あの二人に、そんな関係が。
そんな、重い話、僕には、何が良くて、悪いのかなんて見当もつかない。
でも――、
「……………………そうか。
じゃあ、ヤスが悪いことをした訳じゃないんだね。いや、むしろ、いいことをしてるじゃん。
だったら、僕はヤスを責めないし、告げ口もしない。誓うよ」
僕は、こんなにも強くて優しい親友を悪い奴だなんて思えない。
「おう、ありがとな」
ヤスは、僕の言葉が分かってたかのように、軽い調子で言った。
なんだか、信頼されてるような気がして嬉しかった。
「というわけで、この話は終わりだ。話を戻そう。
……実はな、岸光という男色の噂のある生徒が――」
「――よし、次は誰を調べようか?」
即答だった。
■ ■ ■ ■
「…………」
ペラリと、本のページを捲る音が聞こえた。
なんというか、彼女の周りの空気だけが、凛と張り詰めている感じで、全てのものが息を潜めているみたいだった。
ということで、僕の初恋人が男ではないことを証明するため、僕たちはこうして、彼女のもとにやって来た。
光遥奈。
友達と話すなら、本と話す。とでも言うかのように、休み時間中はずっと本を読んでいる彼女だが、昼休みもその例には漏れず、弁当を食べながらも片手で本を読むという荒業を繰り出している。
さて、勢いで話を聞くことになったわけだが、実際、なんと話を切り出せばよいのやら。
「おい、光」
ヤスが光遥奈に声をかけた。
お、一体なんと話を切り出すのか。密かに、僕はヤスへと期待した。
「お前、誰かにチョコレートあげたか?」
……期待した僕が馬鹿だった。
慌てて、話を止めようとした僕だったが、僕が口を開く前に、光遥奈が本を閉じてしまった。
パタリ。という、重厚な音と共に、ハードカバーの本が閉じられる。
『チョコレートの甘い罠』
それが、光遥奈の読んでいた本のタイトルだった。
……なんという不吉なワードだろうか。
僕は、一抹の不安を覚えた。
「チョコレート? いいえ、あなたにはあげてないわ」
「ふうん。俺には、ってことは、俺以外の誰かには渡したってことか?」
ヤスが僕の方を見る。
あぁ、こうやって振るのね。
なんというか、これじゃあ、まるで、僕がヤスに、光遥奈にチョコレートを渡した相手を聞いてきてくれと、頼んだみたいになっているじゃないか。
対する光遥奈は、僕の方をチラリと一瞥し、そのまま、
「どうかしらね」
と楽しそうにはぐらかしながら、再び本を開いた。
「あぁ、そうだわ」
本から目を離さずに、光遥奈は言った。
「この本の主人公はね。バレンタインデーに、自分の大切な人から、チョコレートを貰ったの。でも、彼は、その事実を知って愕然とするわ。どうしてだと思う?」
クスリ、と愉快そうに光遥奈は笑った。
「さぁ、どうしてだろうな?」
僕には考える余裕も与えずに、ヤスが答えた。
「おい、行くぞ、リン」
そして、そのまま、光遥奈の元を去ってしまった。
「え、あ、ちょっと待ってよ。
ごめんね、光さん。邪魔しちゃったよね」
「大丈夫。気にしないで」
光遥奈は、今度は完全に本から視線を外し、ニッコリと笑いかけてきた。
その言葉に安心し、僕も、ヤスの後を追って、その場から離れようとした。
「そうね、最後に一つ」
僕は、声に反応して振り返る。
そんな僕に光遥奈は短く一言。
「答えは、明日まで待つわ」
■ ■ ■ ■
「あんなんでよかったの?」
僕は、ヤスに追いつき、言った。
「あぁ、これであいつは、今回の件においては、限りなくシロに近くなった。
そういえば、俺が離れてから、お前、何か光に言われてなかったか?」
ヤスが不思議そうに聞いてきた。
「うん、『答えは明日まで待つわ』だって。
あの本の主人公は、大切な人からチョコレートを貰ったのに、どうして愕然としたんだろうね。
ヤスは分かった?」
「知るか。
にしても、答えは明日までか。なるほど、おもしれぇ」
なんか、ヤスに変なスイッチが入っていた。
たしかに、こういう謎解き好きそうだもんな。
「まぁ、光遥奈は、いったん置いておこう。
さて、次は山本だな」
「うん」
僕はヤスの言葉に頷いた。
山本光は、クラスの中で言うとマスコット的な存在である。
ほんわか、という言葉が似合いそうな容姿で、いつもニコニコと周囲に笑顔を振り撒いている。
どんな人にも笑って話しかけている彼女が、僕なんかにチョコレートをくれたとは、到底思えないが、調べてみないことには始まらない。
ということで、次のターゲットは山本光となった。
…………だが、
一つ、気になることがある。
「ねぇ、ヤス?」
「ん? なんだ、リン?」
ヤスは僕の言葉に不思議そうに返事をした。
「次は、どんな感じで山本さんにチョコレートの話を切り出す気?」
先程のこともあって、僕はどうしてもこのことを聞いておきたかった。
「もちろん、直接――」
「やっぱりだよ! 案の定だよ!」
「な、なんだよ、いきなり。だって、お前じゃ口下手すぎて山本にチョコの話をすること自体できねぇだろ?」
「そ、そんなことないよ! 僕だって、女の子と普通に話すことくらいできるよ」
僕はヤスに向かって反論した。
なめてもらっては困る。確かに、恋愛的な話で、女の子と話したことはないけど、それでも、普通に話すことくらいはできる。
「いや、まぁ、それは分かってる。だがな、俺が言ってるのは、お前が人に対して、嘘をつき通せるかっていう話だ。
そういう点に関しては、お前はコウよりもヘタクソだからな」
ヤスは首を振りつつ言った。
その言葉と行動が、僕の限界を決めつけているようで、少し悔しくなった。
気がつけば、僕は、こんなことを口走っていたのだった。
「そんなことないってば!
いいよ、分かったよ。そこまで言うなら、次は僕が山本さんにチョコレートの聞くから!」
キーンコーンカーンコーン…………。
そして、昼休みが終わった。
■ ■ ■ ■
「さて、昼休みも終わり、五時間目も終わっちまった。いつまで、そうやってモジモジしてる気だ? リン」
「う、うるさいなぁ。これはモジモジしてるんじゃなくって、タイミングを図ってるんだ」
意地悪そうな笑みを浮かべるヤスに、僕は言った。
「そもそも、光さんや三川さんは一人でいることが多かったから簡単だったけど、山本さんは大抵二、三人と一緒に行動してるんだよ。
だから、一人になるタイミングを待ってるんじゃないか。一対一に持ち込まないと話しにくいでしょ」
「……でも、席隣じゃん」
…………そうなのである。
要するに、僕がただ単にチキンだったのだ。
「わ、わかってるよ。でも、授業中に聞くのは悪いと思ったの!」
苦し紛れの発言だった。
無言でヤスが僕のことを見てくる。
「な、なんだよ」
さらに無言。
「分かったよ。やればいいんでしょ! やれば!」
ついに、僕はヤスに負け、席から立ち上がった。
そのまま、山本光の方へと歩いていく。
彼女は、今、友達の席の周りで何人かの女子たちと話をしていた。
「あ、あの、ちょっといいかな?」
僕は、自分でも無謀だと思いながらも、その集団の中へと突っ込んでいった。
「え? あ、あれ? 高橋くん?」
山本光は、驚いたように目を見開きながら僕の方を見た。
それに合わせて、茶色っぽい髪の毛がさらりと揺れる。
「ど、どうかしたの?」
身長のあまり高くない山本光は、僕を見上げるようにして首をかしげた。
「あ、うん。あの~。ちょっと、話があって……。
少しの間だけ山本さんを借りてってもいいかな?」
半ば、山本光の視線を避けるようにして、周りの女子たちに聞いた。
彼女の目をまともに見ると、嘘をつくというか、鎌をかけ続けられる自信がなかったからである。
「あ~、全然いいよ。ね?」
「そうそう。むしろ、許可なんか要らないよって感じだよね」
「うんうん、行くとこまで行ってきちゃいなって」
三人の女子たちは、なんか訳のわからないことを言っていた。
特に、三人目。
でも、まぁ、許可であるのは間違いないみたいだし、
「うん、分かった。ありがとう」
僕はそう言って、教室を出た。もちろん、山本光もちゃんとついてくる。
教室を出る寸前に、さっきの女子三人組が、『キャーッ』とか『がんばって!』とか言ってたけど、これは手応えありと考えてもいいのだろうか?
■ ■ ■ ■
「……もう、何も信じない」
僕は、一人で呟いた。
「どこのダークヒーローだ、お前は」
「だってさ、おかしいよね。周りの女子が応援してたんだよ! だったら、普通、手応えあると思うじゃん!」
羞恥のあまり、ドンドンドン、と机を叩く。
山本光を教室から連れ出すことに成功し、その上、手応えありと勘違いした僕は、特に何も考えないまま、彼女にチョコレートの話題を切り出した。
そのときの台詞がこうだ。
『山本さん。君が、僕の机にチョコレートを入れたの?』
もう、僕の中では彼女が差出人であるということは確定事項だった。
きっと、頬を桜色に染めながら恥ずかしそうに『……はい』とか言ってくれると思ってた。
しかし、実際は……、
『……え? いや、まだ――ううん、知らないよ』と、顔色一つ変えずに、唖然といった感じで、そう言ったのである。
知らないのかよ!? と、あまりの衝撃に、僕は言葉を失った。
「そうか。
しかし、山本でもないとなると、いよいよ本当に差出人は岸って奴かもしれないな」
あはは、とヤスは、こいつは傑作だ、とでも言うように笑った。
「他人事だと思って……」
「まぁ、他人事だろ。実際」
ヤスが冗談っぽく言った。
まぁ、山本光もダメだった以上、もう差出人を特定する時間は存在しない。
現在、放課後。もう、タイムリミットなのだ。
こうなっては、行き当たりばったりで、屋上に行くしかない。
そこで、差出人に会う。
まさに、一生一代の大博打。
僕は腹をくくって、屋上へと向かう決心をした。
そのとき。
「ちょっと、アンタたち」
突然、声をかけられ、声の主の方を向く。
そこには、知らない少女が立っていた。
僕は、少しドキリとする。
もしかして、彼女が、『光』なんじゃ……。
「ん? なんだ?」
ヤスが、少女に向かって言った。
「頼みがあるんだけど、聞いて貰えないかしら?」
少女は腕を組み、椅子に座っている僕らを見下ろしながらそう言った。
頼みがあるのに上から目線なのはどうなのだろうか? などと瞬間的に思ってしまった。
というか、頼みがあるってことは、彼女は僕のチョコレートの話には一切関係ないのか。
なんか、残念。
「頼み? なんだ、言ってみろ」
ヤスは嫌な顔一つせず、少女の方を見る。
そういう点では、ヤスは大人だと思った。
「こ、これなんだけど」
少女は、歯切れの悪そうに言いつつ、持っていたバッグから何かの包みを取り出した。
「え?」
僕は、思わず声を出してしまった。
少女の手にあるもの、それは、紛れもなくバレンタインチョコレートの包みだった。
中身は、チョコクッキーらしい。
「これを、コウくんに渡してほしいの」
「コウくん?」
僕は、またまた、驚いて声を発してしまう。
だがそこで、僕はあることに気づいた。
そういえば、この子、どこかで見たことあるぞ?
「あぁ、アンタ、コウの彼女か」
ヤスの言葉で思い出す。
そうだった。この子は、コウの彼女さんだ。
自分のことで手一杯で、気づかなかった。
「いい? ちゃんと渡しなさいよ」
少女は、包みをヤスに手渡した。
「なんだよ、自分で渡さないのか?」
包みを受け取りつつ、ヤスが尋ねる。
「私、これから部活なんだけど、もうすぐ大会が近いから、練習が夜遅くまであるのよね。そんな時間に家を訪ねたら、きっと迷惑でしょ?
それに、コウくんだって私をパシりに使ったんだから、私だってアンタたちをパシりに使う権利があるはずだわ」
なんだ、その理由。
唖然としてしまう。
「なるほど、そういうことか。分かった。渡しておこう」
ヤスはなんでもないように笑いながら言った。
「じゃ、よろしく。
とりあえず、報酬と言ってはなんなんだけど、これあげるわ」
再び、少女はバッグに手を突っ込み、二つの包みを取り出した。
「おう、ありがたくもらっておくぜ」
ヤスが、二つの内の一つの包みを受け取って、言った。
包みの中には、チョコクッキーが入っていた。いわゆる、義理チョコである。
「はい、アンタにも」
「あ、ありがとうございます」
僕ももう一方の包みを受け取り、礼を言った。
なんだ、この人、すごくいい人じゃないか。
「じゃ、二人とも、頼んだよ」
そう言い残し、彼女は教室から出ていった。
「それにしても、申し訳ないなぁ」
コウの彼女が教室を出てから、僕は呟いた。
「何が?」
ヤスは、不思議そうな顔をして、言った。
「もう忘れたの? 僕はこれから屋上に行かないといけないんだよ。
チョコももらっちゃったのに、僕はそれをコウに渡しに行けないんだ」
「あ、忘れてた」
「もう、他人事だからって――」
「あー、違う違う」
僕の言葉を、ヤスが遮った。
「俺が忘れてたのは、差出人が分かったってことを、お前に伝えておくことだよ」
■ ■ ■ ■
「いやぁ、二人ともよく来たね」
コウが、ベッドの上で横になりながら嬉しそうに言った。
「風邪はもう大丈夫なの?」
僕は心配になって聞いた。
「うん。お陰さまでね」
コウは、楽しそうに笑う。
「別に、俺たちはなにもしてないだろう?」
「そんなことないよ。だって、こうしてお見舞いに来てくれたでしょ」
ヤスの言葉に、コウは心の底からの笑顔で言った。
「まぁ、いい。俺たちは、お前の彼女に頼まれて、これを渡しに来たんだ」
ガサゴソと、ヤスは自分のカバンの中をあさり、例のチョコクッキーの包みを取り出した。
「ほらよ、バレンタインチョコだ」
「うわぁ、本当だ。嬉しいなぁ」
本当に嬉しそうに、ニコニコと包みを受け取るコウ。
「まったく、羨ましい限りだな。彼女からチョコレートを貰うなんて、男子高校生の永遠の夢なんだぜ」
ヤスは、僻むように口を尖らせながら、軽く言った。
「えー、そうかな? 大丈夫だよ。二人とも格好いいから、すぐに彼女の一人や二人簡単にできるよ」
コウは、その整った顔を軽く傾げながら言った。
そうだな。と、自嘲気味に笑うヤス。
そんな二人を見て、僕はどうしてコウの家に来たのだっけ、と思い出してみる。
先程、ヤスが差出人が分かったと僕に告げた。
相手は誰なのかと聞いたら、相手を教える前にやることがあるとヤスに言われ、なぜかコウの家にいる。
いったい、どういう関係があるのだろう?
ヤスのことだから、無関係ということはないのだろうが……。
「ところで、コウ」
「なに?」
ヤスが話を切り出した。
「お前は、バレンタインについてどう思う?」
なぜ、ここでバレンタイン談義なんだ? と、僕は不思議に思った。
「え? そんなの簡単だよ。自分の大切な人にチョコレートを贈る日さ」
大切な人、というコウの言葉で、僕は光遥奈から出題され問題を思い出した。
いったい、主人公は、どうして大切な人からのチョコに愕然としたのだろう?
中に虫でも入ってたのかな?
「それは、男女問わずか?」
ヤスが聞いた。
僕は、一度思考を停止する。
いや、同性の大切な人にチョコレートって……。
僕に置き換えてみれば、ヤスやコウにチョコレートをあげるようなものだ。
だが、
「もちろん」
コウは、一瞬さえも迷わずに言った。
それが何を意味するか、僕は何一つ理解できなかった。
「やっぱり、お前か。コウ」
ヤスがため息を吐きつつ言った。
「え? 何が?」
コウが不思議そうに首をかしげる。
「そうだよ、ヤス。突然どうしたの?」
僕も、訳が分からないまま、ヤスに言った。
いったい、何がコウだったんだろう?
「なるほど、自分でも分かってねぇってことか。ったく、面倒だな」
ヤスは、悪態を吐きながら自分のカバンをあさり始めた。
「っと、あったあった」
そう言うと同時に、見覚えのあるものを取り出した。
艶やかな焦げ茶色の包装と赤いリボン。
間違いない、あれは……。
「ちょっ!? なんで、ヤスがそれを?」
あれは、間違いなく、僕が今朝もらったチョコレートの箱。
僕は、急いで自分のカバンの中身を探りだす。
「え? どういうこと……」
言葉を失う。
目の前の出来事が信じられなかった。
僕のカバンからも、全く同じ包装の箱が取り出されたのだった。
「え、なに? 二股?」
「ちげぇよ……。ったく、相変わらず鈍いな、リンは」
酷い言われようだった。
「違うよ! 分かってる。これが何を意味しているか。本当は分かってるよ。でも……」
というか、ここまでお膳立てをされて分からないわけないだろう。
同じ包装のチョコレート。
ヤスが、屋上の約束を破らせて、わざわざここまで連れてきたこと。
そして、同性にチョコを渡すことを一瞬の迷いもなく肯定した、コウ。
極めつけは、差出人の名前。コウのフルネームは仙台光一郎。つまり、名前に『光』が入っている。
それら、すべてが意味することを。
だけど。いや、だからこそ。
どうしても……どうしても、信じたくないじゃないか。
……親友がホモで僕とヤスに二股をかけようとしていたなんて。
「なんか、凄く誤解されてる気がする……」
「奇遇だな、コウ。俺もだ」
二人が、訳の分からないことを言っていた。
いまいち、思わしくない反応に、僕はある結論に至った。
まさか、ヤスさえも、コウの本当の気持ちを理解していなかったというのか……。
伝えなくちゃ。何とかして、このことを。
そして、コウには、僕たちをそんなふうに見ていたとしても、僕たちは君を嫌ったりしないということを。
確かに、男同士というのは遠慮したいけど、今までと同じように、親友としていようって。
だって、それが親友じゃないか。
お互いのいろんなことを理解し合った上で、それでも一緒にいられるのが、親友ではないか!!
決心して、言葉にする。
僕の気持ちよ、二人に届け。
「ヤスッ!! コウは、僕たちを親友じゃなくて、それ以上の存在として見ていたんだ!
確かに僕は、その気持ちを全面的に受け入れることはできないけど、でも、そんなことで僕たちは終わらないよね? 僕は、これからも三人で仲良くやっていきたいと思うよ!」
言いきった。
二人ともポカンとしている。
…………あれ?
なんか、変な手応えが。
『――プッ』
突然、ヤスとコウの二人が、ほぼ同時に吹き出した。
「ッアハハハ! なんだこれ、傑作だ。チョーおもしれぇ」
「フッ、ハハハッ! 本当だ。すごくおもしろいよ」
ヤスとコウは口々に、『面白い』『面白い』と言い、しばらく笑い合っていた。
「えー? ちょっと、僕、なんか変なこと言った!?」
慌てて聞いてみるが、
「いや、別に、変じゃないんだけど、な? ――ハハッ!」
「うん、むしろ、良いこと、言ってたよね。――フフッ」
ヤスもコウも、笑い続けるばかり。
いったい、どうすればいいんだ。
僕は一人で疎外感を感じながら、二人がおとなしくなるまで待つこととなった。
■ ■ ■ ■
「さて、種明かしといこうか」
ヤスが宣言する。
「ねぇ、ヤスくん。いったい、どういうことなの? さっきから、ボクにはよくわからないことばかり言ってるけど」
コウは、ヤスの言葉に不思議そうに首を傾げた。
「なぁ、コウ。マジで言ってるのか?
今日は、バレンタインデーなんだぜ?
だったら、俺たちがお前の家にやってくる理由は、お前自身が一番分かるだろ? 他でもない、お前が」
ヤスは何かを諭すように言った。
未だに、コウのボーイズラブ疑惑の晴れない僕は、コウの今後の発言に注目せざるを得なかった。
うーん、としばらく唸っているコウだったが、やがて思い出したかのように手を叩いた。
「あぁ、もしかして、友チョコのこと?」
…………え? 友チョコ?
友チョコって、女子同士で交換してキャピキャピする、あの友チョコ?
唖然としている僕の横で、ヤスは、やっぱりか、と額に手をあててため息を吐いていた。
「二人とも、怖い顔してるから、なんのことか分からなかったよ。そっか、友チョコのことか。
どう? 美味しかった?
ボク、チョコレート作るの初めてだったから、凄く緊張しちゃったんだよね」
照れ笑いをしながら、コウは言った。
「あれ、友チョコだったの!?」
驚きの淵から生還した僕は、思わず叫んだ。
「そうだよ? 確かにボクは、リンくんもヤスくんも大好きだけど、恋愛対象だなんて思ってないからね」
釘を刺すように、真剣な表情で言われてしまった。
「じゃあ、朝から走り回ってた僕たちって……」
張り詰めてた緊張が解けて、その場にへたり込む。
どうやら、気づかないうちに気が張っていたようだ。
そりゃそうか。だって、生まれて初めての恋愛の予兆だったもんな……。
でも、そうか。終わっちゃったのか。
結局、僕にはまだ、恋愛なんて早かったんだ。
あぁ、どんだけ浮かれてたんだろう、僕。
できることなら、戻りたい。
今朝とはいかないまでも、山本光に、『チョコを渡したのは君だね』発言を言う前には、戻りたい。
っていうか、あの発言、どれだけ僕の中で黒歴史化してるんだろう?
「はぁ……」
「ど、どうしたの!? リンくん。 口から魂が抜けてってるよ!」
「コウ。今は、そっとしといてやれ」
深いため息を吐いた僕に、心配そうに声をかけたコウを、ヤスが止めた。
あぁ、ヤスにしては気が利くじゃないか……。
と、ヤスに感謝しようと思った時だった。
「ま、俺は最初から知ってたけどな!」
ドヤッ!!
という効果音が付きそうなくらい、そう言ったヤスの顔は見事なしたり顔だった。
「くっそぉっ!!」
僕は、近くにあったおっきなくまさんのぬいぐるみに頭からダイブした。
この、心から流れてくる湿った感情はなんだろうか?
僕の疑問は、浮かんだ瞬間に、僕自身の頭の中で自己完結した。
……そうか、これが挫折か。
「まぁ、リンは放っておいて話を続けるぞ」
なんか、放っておかれてしまった。
ってか、このくまさん、超やらけー。ウチにもほしー。
ということで、しばらく、このくまさんに抱かれて、話を聞くことにしよう。僕はそう、決心したのだった。
■ ■ ■ ■
それからしばらく、ヤスの独壇場が続いた。
この辺は、僕の言葉で、簡単にまとめておこうと思う。
ノベルゲームとかで言う、解答編、というやつだ。
とりあえず、時系列順で話そう。
まず、朝。
ヤスが教室に入ると、僕が自分の席でアホみたいな顔をしながらダークブラウンの包みを眺めていた。
あぁ、コイツ、チョコ貰ったのか。
多少、イラッときたが、ここは親友だからと、教室内でばらしたい気持ちをなんとか押し込め、ヤスは会話により、僕を人気の無いところへと誘導した。
まぁ、この辺りは分かるだろう。
その後、僕の『なんだこれ?』的発言を聞いて、不思議に思ったヤスは僕からバレンタインカードを奪い取り、中身を確認。
『光』捜しの開始を宣言。
その後、一時間目と二時間目の間の休み時間。
なんという偶然か、三川光子という少女がいた。
元々、彼女を癒すことを目的として、彼女と頻繁に会っていたヤスにとって、これはチャンスだった。
僕を、三川光子と会わせれば、三川も自分以外の人間と話すことができる。
そうすれば、一層、彼女の心を癒すことができ、なおかつ、人と話す喜びを思い出せるかもしれない。
そう思ったヤスは、僕を彼女に会わせようと画策。その結果が、あの半ば脅迫めいた説得の仕方だったのである。
余談だが、既に、コウは三川光子と知り合っていたらしい。
なんでも、僕がなんらかの用事で一緒に行くことができなかった時に、ヤスと二人で彼女を訪ねたのだとか。
まったく、間の悪いやつだな。主に僕のことだけど。
ちなみに、コウは、ヤスのチョコレートの好みについてのリサーチのために、最近、三川光子に会っていたという。
これについては、ヤスも知らなかったようで、へぇ、アイツも人に隠し事をできるようになったのか。そいつは、良かった。と、安心したように呟いていた。
それから、二時間目と三時間目の間の休み時間。
ここは、僕も知らなかったのだが、ヤスも、自分の机の中に焦げ茶色の包みを発見。
こいつはもしや、と思い、トイレへと駆け込んだ。
僕が見た、急いで教室を出ていったヤスは、恐らくこのときだったと思われる。
案の定。チョコレートに付いてきたカードには、僕のものと全く同じ文面の内容が書かれており、差出人まで、『光』という一致ぶり。
これが偶然なわけがない。
そう思ったヤスの脳裏には、既に仙台光一郎からのチョコレートではないか? という予測がたっていた。
まぁ、俺にもチョコレートが渡されてなかったら、コウが差出人だっていう選択肢は無かったからな。
でもまぁ、その時はその時で、本気で『光』を捜し出してやろうと思っていたぜ。
というのは、ヤスの言葉である。
自分の推理に絶対の自信を持ってそうな言い方だな。と思ったが、数倍の威力で毒を吐き返されるかと思うと、僕は何も言えなかった。
その次の休み時間。
この時間は、三川光子にアポイントメントを取るため使ったらしいので、細かい話は割愛。
そして、昼休み。
三川光子に会って、その後の話だ。
僕たちは、三川光子に会ったその足で、光遥奈の元へと行った。
これは、知っての通りだ。
問題はこの時、光遥奈の投げ掛けた質問。
『主人公は、なぜ愕然としたのか?』
その、発言の意図を汲み取ったヤスは、一瞬で、彼女の言いたいことを理解した。
実は、あの本、俺も読んだことがあるんだ。それでピンときた。
なんでもない、というふうにヤスは言った。
要するに、あの質問の答えはこうだ。
主人公にチョコレートをくれた大切な人は、その主人公の男の親友で、女の子からチョコレートをもらうのを楽しみにしていた主人公はかなり驚いた。そして、最終的に、主人公は親友からもらったチョコ以外、誰からももらうことなくバレンタインが過ぎていった。
おい、ものすごく、どこかの誰かさんに似ている気がするんだが……。
いや、むしろ、シンパシーを感じる。
まぁ、とにかく、光遥奈は、僕らに、そのチョコレートの差出人はコウだ。と、暗に伝えていたのであった。
それだけじゃないかもしれないがな。と、ヤスは一言付け加えた。
いったい、どういう意味でそう言ったのか、理解する前に話が先に進んでしまった。
次は、山本光である。が、これに関しては、僕の行動によるものがほとんどだったので、ヤスが突っ込むところは全くなかった。
俺も、正直、アイツは手応えアリだと思ったんだがな。
ヤスは、不思議そうに呟くだけだった。
……僕が、一番手応えがあったと思ったよ。
そのせいで、予想が裏切られた時は恥ずかしさで死にそうになった。
まぁ、『まだ』って言ってたしな。きっと、まだなんだろう。
そんなことを、ヤスは言っていたが、僕は黒歴史を思い出していたため、その言葉をたいして気にすることは無かった。
そして、最後。この出来事が決めてだった。と、後にヤスは語っていた。
最後に話した女子と言えば、コウの彼女さんである。
ここで、取り上げられる発言といえば、
『私もパシられたんだから、アンタたちをパシったって構わないでしょ』発言である。
そう言われてみれば、この発言は確かに不思議だなぁ。と、今更ながらに思う。
ここで、コウがフォローを入れた。
あぁ、これはね。今朝、急に頭が痛くなっちゃったから、みぃちゃんを呼び出して、チョコレートを代わりに渡してきてほしいって頼んだんだ。
たしかに、アレはパシったって言われても仕方ないよね。明日、謝らなくっちゃ。
そう言って、頭を掻くコウは、なんだか幸せそうだった。
ちなみに、みぃちゃんというのは、コウの彼女さんのあだ名らしい。
まぁ、僕にはあまり関係のない話である。
そうそう。最後の最後に、大事なことを言い忘れていた。
恐らく、全員が気になっているであろう、なぜ、カードの差出人名が『光』だったのか、についてだが、これは実に単純な理由だった。
僕らの呼び合っているあだ名の部分だけを漢字表記で書いた、とのことだ。
あまりに単純すぎて、こんなもののために、僕は一日中動き回っていたのかと思うと、逆に笑えてきた。
さて、以上が、今回の『バレンタインに光あれ事件』の全貌である。
僕的には、この一日において、光があったためしはないが、光……あれ? ということはあったのでこういう名前となっている。
とまぁ、いろいろあった訳だが、最後くらい笑わせてくれというわけだ。
でも、実はまだ、誰も気づいていないことがある。
……光っていうのは、夜になってからこそ、本当にその力強さや、ありがたさを感じることができるのだ。
■ ■ ■ ■
「ってか、結局、僕は今年も本命チョコレート無しか」
これは、後日談。というには、短すぎるほどしか離れていない時間の話だ。
「あぁ。結局、コウには彼女がいるし。ヤスには、本人は否定してるけど、ほとんど彼女みたいな存在の女の子がいる。
つまり、残り物は僕だけか」
暗い夜道を、ブツブツと悪態をつきながら、僕は歩いていた。
はぁ。
先程から自然とため息が溢れてくる。
でも、ため息でも吐かなくては、溜め込んだ息で身体が爆発してしまいそうだった。
つまり、これは人間に備わった、生命維持活動の一つなのではないのだろうか?
などと、つまらないことを考えてみる。
そんなことをしているうちに、家に着いてしまった。
にしても、今日は朝から疲れた。
そう思いながら、玄関のポストを開く。中には、一つのそこまで大きくはない箱が入っていた。ご丁寧にも、リボンまでつけてある。
「そうそう、こんなかんじの箱が机の中に――って、えぇっ!?」
あまりの唐突な出来事にビックリする。
冷静になってよく見ると、リボンの間にカードが挟まっているのが分かった。
……この流れって。
僕は、嫌でも、朝の出来事を連想してしまった。
恐る恐る、手を伸ばす。
そして、カードを抜き取った。
宛名をよく見ようと、門灯の近くにカードを近づける。
かろうじで読めたのは、『高橋燐くんへ』と書かれた文字。
自分宛のものだと確認し、僕は中身を読んでみようとする。
なんとか読むことのできた文章は、以下の三つ。
まずは、二つ。
『ずっと前から、あなた』
『好きでした。』
予想外の言葉の連続に、僕は言葉を失う。
ってか、これって、脈あり?
そして、最後のひとつは……
「――はぁっ!?」
思わず声をあげる。
だって、これって……。こんなのって……。
『光より』
あぁ。
人生は……なんて不条理で、ふざけてて、それでいて、どうでもいいほどに奇跡的なんだろう。
そして、だからこそ、人間は、そんな奇跡を照らし出してくれる光を待っているのかもしれない。
月の白い光に照らされながら、僕は、こう思ったのだった。
「バレンタインに光あれ!」
読了、お疲れさまでした。
まさか、私自身、こんなに長く話を書くとは思いませんでした。
なにか、至らぬ点などございましたら、どうぞ、感想お願いいたします。
というか、これを読み終わったら、なるべく感想をください。
お願いします。