第九章
途中駅で下車した景子は学校に体調が悪くなったため休むと連絡した。そして景子の足は自宅ではなく遼の家へと向かっていた。
(遼さんの家へ入れる……。遼さんの部屋も見れる……)
景子は異様な期待感で胸がいっぱいになっていた。今や高揚感が絶頂に達し、その表情からは先ほどの罪悪感が全く見て取れなくなっていた。
景子の歩みはどんどん加速していく。気がつけば先日遼に間違えて怒鳴られた曲がり角まで来ていた。
(あともう少し……。あともう少しで遼さんの家にっ!)
期待感は更に膨らみ、景子は遼の家へ向かって駆け出した。あと少しで着くとなるともう歩いてはいられなかった。
曲がり角から遼の家は近くにある。景子はあっという間に遼の家の前まで来ていた。
(とうとう遼さんの家へ入れる……。よしっ)
景子は一切躊躇することなく鍵を差し込み、鍵を開けた。景子はそれだけで快感を感じ、目がとろんとしていた。
しかしそれも一瞬のことですぐに我を取り戻すとノブを握り、玄関へと入った。以前上がったことのある玄関でも今日は先日とは全く違った感覚だった。
今日は景子が自由に各部屋を見れる。そのことが満足しかけていた期待感を再び上昇させるのであった。
景子はとりあえずぐるっと家の中を見て回ることにした。まずはキッチンへと足を向ける。ここは以前上がった時に見たためそれほど景子の高揚を煽るものではなかった。
しかしそれでもキッチンの中を見て回る。するとテーブルの上にコップが置いてあるのが目に入った。
(水滴が付いてる。これはお茶かな。今朝飲んだ後流しに持ってくのを忘れたみたい。……遼さんが口をつけたコップ。……)
景子はコップを手に取り、じっと見つめると、自らの口をコップに持っていった。そこからコップの縁に沿って口をぐるっと一周させる。
(……遼さんと間接キス。間接キスしちゃった!)
かつてないほどの満足感に浸った景子はその場にへたり込む。あまりの高揚感から足ががくがくとしていた。しかしこれで満足していられない。まだ見ぬ部屋が他にいくつかある。景子は立ち上がり、次へと向かう。
次に景子が向かったのは風呂場だった。風呂を覗くとまだ湯船に湯が残っていた。おそらく帰ってきてから洗濯にでも利用するのであろう。
状況を見ながらそう推測をしていた景子の視界に洗濯物の入った籠が目に入った。籠には遼のものと思われる衣服が数点入っていた。景子は籠から服を取り出す。
(よかった。全部男物。裕美さんの服とかがなくてよかった。……遼さんが着た服。……)
コップの時同様景子は遼の服を手に取り、じっと見つめる。コップと違い、まだ洗濯していない服を嗅ぐとなるともう引き返せないところまで行ってしまうであろう。
そう考えると少し景子は躊躇したものの、意を決するとゆっくり顔を服に埋めた。
(……遼さんが着た服。……まだ洗ってない遼さんの匂いが残る服……。あぁ……)
景子は顔を埋めたまましばらく遼の匂いを堪能していた。実際は男の体臭が残る衣服など顔を顔を顰めるものであろうが、景子にとっては快感を感じる香りへと変換されてしまっていた。
しばらく顔を埋めていた景子は後ろ髪引かれる思いで服から顔を離した。まだ見ていない部屋が残っている。いつまでもここにいるわけにもいかいない。景子は遼の服を籠へ戻し、次へと向かった。
景子はとうとう一番のお楽しみである遼の部屋へとやってきた。もう興奮を隠し切れず景子は息を荒くし、涎すら垂れかかっている。
(ここが遼さんの部屋……。もう我慢できない!)
景子は勢いよく遼の部屋のドアを開ける。そこはまさしく景子にとって夢の空間だった。勉強机やテレビ、タンス、ベッドから遼の生活が感じ取れる。高校生の男の部屋にしては片付いているが、机の上に置いたままになっているマンガやベッドの上にある上着が微笑ましく感じられる。
景子は目を輝かせて遼の部屋を眺めていたが、視界にタンスが映るとそちらへ歩いていった。タンスの引き出しを開けると当然だが遼の衣服が入っている。先ほどの籠に入っていた衣服とは違い、遼の匂いは感じられない。景子は何を思ったか引き出しから遼のシャツ、ジーパン、下着を取り出した。そして次に自分が着ている制服をするすると脱ぎだした。景子は次々に着ているものを脱いでいき、とうとう全裸になってしまった。脱いだ服をたたみ、ベッドの上へ置いておくと今度は先ほど取り出した遼の服を身に着け始めた。
(遼さんの服に私の匂いをつけたい……。私がここに来たっていう印をつけておきたい……)
景子は自分がここに来たと知られてはいけないという想いと、だけれども気づいて欲しいという想いの狭間で揺れていた。その結果、できるだけ気づかれにくい形でここに来たという印を残していくことにした。
景子は遼の衣服に着替え終わり、より自分の香りを残せるようにしばらくこのままで過ごすことにした。
景子が遼の家を細かく見ているうちに時刻はもう危ない時間帯になっていた。もうすぐ遼が帰ってきてしまう。景子は名残惜しそうに遼の服を脱ぎ、きちんとたたんでタンスに戻した。
そして自分の制服を着て、最後に何も自分が入ったという痕跡を残していないか調べる。
(よし。とりあえずこれなら何も気づかないよね……)
最後のチェックを終えると景子は後ろ髪引かれる思いを断ち切って、遼の家を出た。景子の顔はこれ以上ないくらい幸せな表情をしていた。
景子が遼の家を出てから三十分後、遼は自宅へと帰ってきた。しかし家の前で遼は自宅の鍵がなくなっていることに気づいた。
「あれ? おかしいな。鍵がない。どっかで落としちゃったかな?)
さんざんポケットの中や鞄の中を探るもののどこにもない。遼はしまったなと苦笑いを浮かべるものの、さして慌てた様子もなく玄関横の鉢植えを持ち上げた。するとその下に鍵が置いてあるのが見える。
「ここに予備の鍵を置いてなかったら窓を割って入らないといけないとこだったな……」
とりあえず予備の鍵で家へ入ることができた遼だったが、結局その日は鍵が無くなったことや先ほどまで景子がいたこの家に何も違和感を感じることはなかった。
初めて後書きを書いてみました。この「想い溢れて……」が初めて書いた小説ということで文章を書く度に四苦八苦してしまいます。小説を書くということは難しいと思い知らされました。
これからは暴走していく景子をどう描いていくかが壁となりそうです。
それではこんな稚拙な作品ではありますが、これからも読んでいただけると幸いに思います。