最終章
「はぁはぁ……。大丈夫かな遼……」
遼の電話での様子がおかしいと判断した裕美は学校にそのままいることができずに遼の家へと走っていた。息をきらせながらも止まることはせずに一直線に遼の家へと向かう。持ち前の体力を活かしたそのスピードは男子のそれとも遜色ないほどである。いや、遼への想いがそのスピードを出させているのだろうか。
病気であれば遼はその性格から必ず電話をかけて連絡をしてくる。だというのに今回は裕美の方から電話をかけて学校に行けない旨を聞いた。その普段と違うやりとりが無性に裕美を不安にさせたのである。
裕美は学校から駅まで、そして電車移動を挟んで再び今度は遼の家までひたすら走り続けていた。いくら途中で電車移動を挟んでいるとはいえ、その疲労は相当であろう。もう足がふらふらし始めていたが、必死に駆ける。するとようやく遼の家が見え始めてきた。目的地が見えてきたことにホッと一息ついた裕美だったが、まだ気を休めることはできない。
(遼はもしかすると動けないほど重症かもしれない)
一目遼の様子を確認して、もし駄目そうなら病院に付き添うなり、看病するなりしないといけない。これからまだ仕事があることを考えるとまだ気を抜けない。そんなことを考えているうちにもう遼の家の目の前までやってきた。ここで裕美はもう一度気合を入れなおして、いざ遼の家の扉を開けた。
「おーい、遼〜、大丈夫? 生きてるぅ〜?」
裕美は遼に無事かどうか問いかけながら、慣れた感じで家へと上がっていく。しかし、静まり返った家の中からは誰の返事も聞こえてこない。
「あれ? 遼、学校に向かっちゃったのかな?」
返事がないことに疑問を覚えた裕美はもしかしたら遼はそれほど重症ではなくて、無理して登校したのかもしれないと考えた。まったく家の中からは返事も聞こえてこないので当然だろう。しかし、部屋で眠っている可能性もあるので裕美は一応遼の部屋へと向かう。
「まあ寝てたら様子見て、辛そうなら看病してあげるかな」
裕美は遼の看病の手順を頭の中で考えながら、部屋の扉を開ける。そこには裕美が想像もしない人物がいた。
「な、なんであんたがここにいるのよ……」
裕美の視線の先にはベッドの上で遼に膝枕をしている景子の姿があった。その表情は実に幸せそうに微笑んでおり、優れた容姿と相まって神々しい雰囲気を放っていた。
「あら、裕美さん。何しに来たんですか? ここは私と遼さんの世界ですよ……。早く出て行ってくれませんか?」
たしかに神々しい雰囲気を放ってはいるのだが、どこか完全に歪んだ危うい印象をも併せ持っており、その雰囲気は完全に裕美を怯ませていた。
「な、何しに来たって。遼の様子がおかしかったから……。それより遼は大丈夫なのっ!?」
裕美は怯んだ自分をごまかすように遼の無事を大声で問う。景子の膝の上に頭を乗せ、横になっている遼はピクリとも動かず、どこか裕美に不安を感じさせる姿だった。
「あぁ、遼さんですか……。遼さんならこの通り、もう穏やかな状態ですよ」
景子から返ってきた返事はどこかしっくりこないものだった。大丈夫かどうかを問うているのに穏やかと答えた。その穏やかという言葉が余計に裕美を怯えさせる。
「穏やかって……。それは落ち着いたってこと? そもそも最初はどういう状態だったの?」
はっきりとしたことを話さない景子に苛立ってきた裕美は徐々に言葉がきつくなり始める。先ほどまでは景子の雰囲気に気おされていたが、怒りの方が上回り始めていた。
「穏やかなのはもう遼さんはこの世界の人じゃないからですよ。私の世界に来てくださったんです……」
心底幸せそうにそう話した景子に裕美は疑問を感じた。景子の話したことが全く理解できないといった趣である。当然であろう、突然この世界の人間ではなくなったと言われてすぐ飲み込めるものではない。たっぷりと時間を費やして裕美はその言葉を咀嚼し、ようやく意味を把握できた。その把握した瞬間に表情は絶望に変わる。
「……殺したの? 遼を……あなたが……」
低く呟く裕美に対して景子はゆっくりと首を振り、訂正する。
「殺したんじゃありません。私の世界に来てくださったんです」
全く理解不能なことを言ってくる景子に対して裕美は徐々にその狂気じみた雰囲気に怖ろしさを感じ始めていた。まるで目の前に異形の怪物が対峙しているかのような感覚に陥っている。
「全然わかんないよ……。何言ってるの? あんた……」
じりじりと後退し始める裕美を尻目に景子は自らの膝に寝ている遼に視線を移す。
「でも遼さんは私に笑いかけてくれないんですよ……。何でだと思います……?」
先ほどの幸せそうな表情を一変させて景子は寂しそうに問いかける。その変化にますます裕美は恐怖を感じ、後退し続ける。
「私、その理由が全然わからなかったんですけど……。今、わかった気がします……」
景子はそう話しながら、遼の頭をどかしながら立ち上がる。そして裕美の方へと歩き出した。その様子に裕美は震えながら後退するも、全力疾走の疲労と恐怖から素早く動けない。
「や、やめて。来ないでよ……。いやっ! 来ないでっ!!」
必死に腕を振り回し、景子を近づけまいと抵抗する裕美だったが、動きははっきり鈍く、あっさりと景子に腕を掴まれてしまう。
「や、やめて……。やめてよおぉぉ……」
とうとう涙を流しながら許しを請う裕美に対して景子は冷たい視線を送る。そして最後の言葉を口にした。
「あなたが生きているからですね。だから遼さんは私に微笑みかけてくれないんですよ」
冷たい言葉を吐いた景子は裕美の首を両手で掴む。すると女性とは思えないほどの力で締め上げた。怨念のこもった景子の力は凄まじく瞬く間に裕美は悶絶の表情を浮かべる。
「かはっ……。やめて、許して……。殺さないで……」
これが裕美の最後の言葉になった。この言葉を口にした刹那、身体を急激に脱力させ、裕美は永遠の眠りについた。その最期を確認した景子は喜悦の表情で亡骸を見る。
「やった……。ついにやりましたよっ! 遼さん! これで私に微笑みかけてくれますよねっ!?」
勢いよく振り返った先には変わらず無表情の遼の亡骸。その後、数分待ってみた景子は変わることのないその表情に喜悦はどこにやら一変して絶望の淵へと追い込まれた。
「何で? どうして? 邪魔者は葬ったんですよ? どうして笑ってくれないんですか? 遼さん? 遼さんっ!?」
疑問の言葉を繰り返しながら景子は遼の亡骸を激しく揺さぶり始める。しかしいくら聞けども、揺すれども返事は返ってこない。その沈黙に苛立ちと焦りを隠せない景子は無言の遼を突き飛ばす。突き飛ばされた遼の亡骸は勢いよく倒れ、皮肉なことに裕美の亡骸と重なった。
「何でですか……。そんなにその女がいいんですか……。私じゃ駄目なんですか……?」
零れ始める涙を拭おうともせず景子はその場に立ち尽くす。妬み、諦め、絶望、怒りなど様々な感情が混ざり合ったような表情を貼り付けた景子はもう動くこともできなかった。
数日後、遼の家の前が騒がしくなっていた。パトカーのサイレンに多数の野次馬。一目見れば何かあったとわかるその様相に野次馬は増える一方である。その野次馬を整理している警官に目で合図を送り、数人の警官が遼の家へ入っていく。その行動を見て、野次馬のボルテージは更に上がっていく。事前に備えてなければ突破されそうなほどの興奮振りである。
その点、指示は行渡っており、しっかりと整理されている。安心して中に入っていった警官は振り返りもせずに扉を閉める。
家の中に入った警官数人は不測の事態に備え、用心して進んでいく。そして部屋を一つ一つ確認し、ついに遼の部屋の前までやってきた。中から人の気配を感じ取った警官達は気を締め直して突入のタイミングを計っていた。そして呼吸を整えると一気に部屋へと滑り込んだ。
「誰かいるのか!? いるなら手を挙げろっ!」
万が一の危険に備えてそう言いながら突入した警官達の目に映った光景は常軌を逸したものだった。
「な、なんだ……。これは……」
突入した部屋には小さく折りたたまれた状態で縛られた裕美の姿。それとベッドの上には遼を膝枕している景子の姿があった。
「どうなってるんだ……これは」
閉口する警官達なぞどこ吹く風で景子は遼の胸をゆっくり撫でている。遼を撫でながら景子は小さく呟いた。
「心が私にないなら……。亡骸だけでも私の……物に……」
fin
今回で最終章となります。なにぶん始めて小説を書いたので、随所に拙い所が目立ちますが、楽しんでもらえたならば幸いに思います。これからもっと上手く文章を書けるように精進したいと思います。
辛気臭い作品でしたが、お付き合い頂きありがとうございました。