第十七章
そして、判決の日を迎えた。
法廷には、村上健司、矢沢夫婦、杉山直樹、倉田警部補、柳田巡査長、笹岡崇の姿があった。
真理は、横浜のマンションで弓恵と一緒にいた。
求刑通りか、それ以上の判決が予想されていて、それを真理にも聞かせたいと思ったが「真理を
法廷に連れ出すのは、雄一郎の本意じゃない」皆がそう考えた。
*****
「真理ちゃんって……不思議な人……」
弓恵は、真理に話しかけた。
友人に紹介された村上健司と初めてデートした時、村上は仕事の話ばかりしていた。
話の中に「川村雄一郎」と「川村真理」の名前が何度も登場していた。
「会ってみたい」
そう言ったが、村上は中々二人に会わせてくれなかった。初めて二人に会ったのは、結納が済
んだ頃だった。
どうして、二人に会わせてくれなかったのか? すぐに分かった。
……彼女は彼の女神様……だから……村上の表情がそれを表わしていた。
でも、そんな村上の気持が分かるような気がした。真理には不思議な魅力があった。
雄一郎と、真理、そして村上の三人の繋がりが羨ましくて「私もその仲間に入れて欲しい」そ
う思ったが、仲間に入るまでには時間がかかった。それ位、三人の気持ちの繋がりは強かった。
時々、やきもちを焼いた事もある。
雄一郎が山梨に転勤になった時、夫に単身赴任を強いた真理の事を、村上は本気で怒っていた。
そして、雄一郎の転勤後、真理が頻繁に村上家を訪れるようになった。やきもちを焼く位、村上
の気持ちの中に入り込んでいる真理に対して、最初は品定めのような気持ちで接していたが、す
ぐに弓恵も真理が大好きになった。
少女のようで、でも、大人びていて、脆そうで、でも、芯が強くて必死に生きている、
けなげさが可愛かった。それに「お酒が強い」事も気に入った。その内、弓恵の方から「真理ち
ゃんも一緒にね」と真理を誘うようになった。時々、雄一郎も加わり、そして、弓恵がずっと望
んでいた「仲間」に加えてもらう事が出来た。
過ぎ去った青春時代が蘇ってきたようで、四人で一緒にいると本当に楽しかった。
村上から、二人の離婚の話と、雄一郎の不貞の話を聞いた時は、自分の事のようにショックだ
ったが「絶対に何かの間違い。そんな事はある筈がない。二人が元に戻り、また、四人で楽しい
時間を過ごせる。そう信じていた。
だから、真理に「愛すること、忘れること、そして許すことは、人生の三つの試練」の言葉を
伝えた。
「真理ちゃんはきっと分かってくれる。そして、真理ちゃんの川村さんを愛する気持ちが、川村
さんの気持ちを動かす時が来る」
その弓恵の願いは通じた……でも、それは四人が一緒に過ごせる所ではなく「雄一郎と真理」
「村上と弓恵」別々の場所になってしまった……
「真理ちゃんと川村さんには、ずっと、ずっと、私達の傍にいて欲しかったのよ」
弓恵は真理の写真を抱きしめた。
「真理ちゃん、幸せ……なのよね。二人っきりになれて。ずっと離れ離れだったんだものね。だ
から、パパも私も邪魔しちゃいけないのかな?」
*****
「只今より、川村雄一郎氏殺害事件の判決を言い渡します。被告人菅原梓は前に出なさい」
裁判長の声で梓は被告席から立ち上がった。立ち上がる際、二人の遺影をチラッと見て前に出た。
「主文、被告人菅原梓を懲役18年の刑に処する。但し、未決勾留日数中35日間を刑に参入する」
裁判長の朗々とした声が響いた。
*****
一年の月日が流れた……今日は真理の一周忌であった。
村上の妻の弓恵は、母親の容態が思わしくなくて一週間前から、一人息子の和也と共に実家に帰
っていた。
公休日のその日、一人自宅に残された村上は昼近くまで睡眠をとり、近所のスポーツジムに出か
けた。
「村上さん、だいぶ筋力が落ちてますね。マシンの負荷を少しアップしても良いと思いますよ」
いつもと同じ筋トレメニューをこなしているが、ここのところ「キツイ」と感じていたため、体
力測定をしてもらったが、スポーツジムのインストラクターから痛いところを突かれた。
「人間の身体は正直だ」と村上は思った。
精神的な落ち込みは身体にも反映する。健康維持のために通っているスポーツジムだが、その裏
には「川村には負けたくない」という気持ちと「真理の前で、精神的にも肉体的にもタフでいたい」
と思う気持ちがあった。しかし、今の自分にはその「張りの気持ち」がない。「良い意味でライバ
ルであり親友であった雄一郎への思い」と「永遠の恋人であった真理への思い」は「家族に対する
思い」とは全く異質だった。
改めてその事を思い知らされ自宅に戻った村上は、以前から考えていた「真理の一周忌にする事」
を実行した。
目の前には、雄一郎が好きだったバーボンと、15年の間、開ける事が出来なかった箱が用意さ
れていた。
「そろそろ開けるか」
ひとり言を言って、カッターを用意して、箱にしっかりと付着していたガムテープを剥がし蓋を
開けた。箱の中に入っているのは、雄一郎と真理の結婚式のアルバム写真であったが、村上は一度
もそのアルバムを見た事はなかった。
まず、箱の一番上に置かれている、横浜の有名なレース店で特別に作ってもらった薄いピンクの
布袋から、額に入った写真を取り出した。取り出した額に入っている写真は、横浜ロイヤルガーデ
ンホテルのチャペルで行なわれた、雄一郎と真理の結婚式の集合写真だった。
写真の中心にいる、花嫁姿の真理はキラキラ輝いていた。写真を少し眺めて、また、袋にしまっ
た。
次に、レザーの表紙に「Kenji・Murakami」と印字された小さなアルバムを手に取
り開いた。雄一郎と真理が結婚式に出席した人全てに、手作りして贈ったオリジナルのアルバムで
あった。
フロントで初めて会った時に、真理に一目惚れをした村上だったが、思いを打ち明ける事がない
間に、雄一郎にさらわれてしまった。失恋の痛手は大きく、立ち直れないまま迎えた二人の結婚式
前夜には、居酒屋で喧嘩騒ぎを起こした。結婚後、その真理は自分の部下になり、自身もその後結
婚をし、二人とは家族ぐるみの付き合いをしていたが、真理への思いはずっと胸に残っていた。
だから、二人が自分のために作ってくれたアルバムであったが、どうしても見る事が出来ず、し
っかりとガムテープを貼り付け「業務」と書いて押入れの奥深くにしまっておいた。
15年経った今……そのアルバムを慈しむように村上は一頁ずつめくった。
アルバムの中には、幸せそうな雄一郎と真理がいっぱい存在していた。
写真を見つめる村上の目から涙が溢れた。ゆっくりと全部の写真に目を通して、その中から一枚
の写真をアルバムから抜き出した。
雄一郎と村上に腕を回した真理が「世界で一番私が幸せ」そう言っている様な笑顔を向けていた。
雄一郎もリラックスした様子で嬉しそうに笑っている。そして……自分……「俺が一番嬉しそうな
顔をしている!」
村上はその写真の自分の顔を見て驚いた。
まるで、自分が花婿であるかのように……満面の笑みを浮かべていた。
「あの時はかなり辛かったが、それでも、二人の結婚を喜んでいたのか……」
当時の気持ちを思い出した。と、突然、雄一郎と共に歩んできた20数年が、走馬灯のように浮
かんできた。
目を閉じて、しばらくの間、過去にタイムスリップした。
グラスが空になっているのに気付き、写真をテーブルの上に置き、グラスにバーボンを注いで、
写真に向けて乾杯の仕草をした。
「俺も、お前と同じように二人の女性を愛していたんだ。真理と弓恵を。そうだよ、愛の種類も違
っていた。ただ、俺は片想いだったけどな。それでも幸せだったよ」
雄一郎に向って話しかけた。
「お前も真理もいなくなって……俺は淋しいよ。この一年間、夢中で仕事をしてきて、秋から本部
の事業企画部だ。お前も真理もいないから、俺は自信がないんだよ」
珍しく弱気な村上がいた。また大粒の涙が溢れた。
「弓恵と和也も支えだが、お前達だって俺の支えだったんだよ。お前達に傍にしてほしかったんだ
よ。俺だって……お前達がいなくては……片翼がなくなって……俺はどうやって頑張ればいいんだ
よ? 教えてくれよ……」
「……らしくない」
真理が笑っていた。
「情けない事言うなよ。俺の分も頑張って、二人で話していた夢を実現させてくれよ。お前なら出
来るよ。それに……真理と俺は、ずっとお前の傍にいるよ」
雄一郎も笑っていた。
「バカヤロー! 他人事だと思って簡単に言うな!」
付けっぱなしのラジオのFM局から、クィーンの「ボヘミアンラプソディ」が流れて来た……
……村上は声をあげて、いつまでも泣いていた……
村上が自宅で一人、雄一郎と真理を思って涙している頃、杉山は真理が大好きだったコスモスの
花束を抱えて、二人の墓前にいた。
コスモスを探すのは難しかったが、ホテル出入りの花業者に無理を言って前日に届けてもらって
いた。
「真心、少女の純潔、美麗」の花言葉の赤やピンク、白の可愛いコスモスは、真理そのものだった。
「二人で仲良くしている?」
川村家の墓石に向って話しかける杉山の隣には、早瀬奈々子が寄り添っていた。
今日の午前中までは「早瀬奈々子」であったが、今はもう「杉山奈々子」になっていた。
二人は真理の一周忌に合わせて、港区役所に婚姻届を提出していた。
真理の葬儀で二人は再会を果たした。当時のヤンキー高校生は素敵なレディに変身していた。杉
山は、眩しい気持ちでそんな奈々子を見ていたが「真理が結び付けてくれた」運命の導くままに結
ばれた。
「真理さん、私達は今日結婚しました。来年には赤ちゃんが生まれます。真理さんのようなりっぱ
なホテルウーマンにはなり損ねましたが、りっぱな母親になります」
奈々子はそう報告した。
「真理は何て言ってた?」
「杉山君は頼りがいのある男になった? 逃げない? って、心配してたよ」
「奈々子は何て答えたの?」
「時々、都合が悪くなると逃げちゃうし、ちょっと、まだ頼りない。そう言ったの」
「余計な事言うなよ! また、真理に怒られるんだからさ」
「ウソよ。もう逃げないし、頼りになるよ、って。杉山君は、真理さんの大事なチーフに負けない
位に素敵な人よ。そう言ったらね、真理さん、やきもち焼いてたみたい」
杉山は、真理と過ごした昔を思い出した。甘酸っぱい気持ちが蘇り涙が溢れた。
「私、あの時の事を思い出したの」
奈々子の目からも涙が溢れた。
16年前のあの日……いつもと同じように退屈な一日だった。
駅ビルのトイレで制服から私服に着替え「誰か来ないかな」横浜駅西口のデパートの前で、遊び仲
間を待っていたが、待っている時に限って誰も現われなかった。
場所を変えようと思っていたところで、突然、杉山にナンパされた。
「好みのタイプ」と思って誘われるまま杉山に連いて行き、ラブホテルで一日過ごした。
過ごしている間に「こんな人が彼氏だったらいいな」と本気で思うようになった。本名すら名乗
らない相手は「どうせ、私の事は『通りすがりの身体目的の遊び相手』としか思ってないんだ」そ
う思っていた。それでも相手の正体を知りたくて、シャワーを浴びている間に、バッグを探って名
刺を抜き取った。別れるのが淋しくなったから最後に試してみた。
「実は私……高校生」と自分の身分を明かしたら……案の定、顔色を変えた。
「やっぱり、まともな恋愛対象としては見てくれていない」
自分が悲しくなった……「これじゃいけない」……目が覚めた。
その事を気付かせてくれた杉山にお礼を言いたくて、ホテルに行ったが会えなかった。代わりに
対応してくれたのは真理だった。
「せっかく訪ねて来てくれたのに、杉山君は会議中なの。ごめんなさいね」
それは『ウソ』……だと思った。
「自分を変えよう。と思っていたのに、まともに私の事を見てくれる人なんていないんだ」
杉山に対して猛烈に腹が立った。
「私で良かったら杉山君への伝言を聞くから、話をしてくれる?」
真理にそう言われた。
「こんな一流のホテルに勤めている大人が、高校生を弄ぶのは良くないと思う」
相手もウソを言っているのだから、自分に都合の良い様に話をでっち上げて、杉山を非難して悪
者に仕立てた。
「そんな事があったの……」
真理の自分を見る目は優しかったが、悲しそうな表情をしていた。
「分かったわ。でも、あなたが杉山君にちゃんと伝えるべきよ。今日は会議中だから無理だけど、
私がセッティングするわ」
……この人は自分を信用してくれている……それが嬉しかった。自分の目を真っ直ぐに見つめて、
じっと作り話を聞いてくれた。辛い事があって遊び歩くようになってから、家族も周りのみんなも、
ずっと自分を腫れ物に触るように扱い、真っ直ぐな視線を向けてくれる事はなかった。でも、目の
前の真理は違った。優しく暖かい眼差しで、自分と向き合ってくれる人に出会うのは久しぶりだっ
た。
「こんな素敵な人が傍にいるのなら、私をちゃんと見てはくれないのは当たり前」……そう思った。
「いいんです。あなたが私の話を聞いてくれた。それだけで充分です。それで、杉山さんに『あり
がとう』とだけ伝えて頂けますか?」
何故か、素直な気持ちになれた。
「ねえ、一つお願いしてもいい? 本当の事を話してくれる?」
……やっぱり、ウソだと見破られていた……
「ごめんなさい」
不思議だった……今まで、素直に謝る事なんて出来なかった……思わず涙が溢れた……
「私は……」
奈々子は本当の事と、杉山に対する本当の気持ちを真理に話した。
「やっぱり、機会があったら、あなたからその話を杉山君に伝えて欲しいな。私は杉山君が大好き
なの。彼は素敵な人よ」
それがきっかけで「立ち直ろう」と決心して、そして、真理と杉山の面影を胸に抱いて頑張って
来た。大学を卒業し外資系航空会社に就職して、チーフキャビンアテンダントになった時、東洋ビ
ジネスという雑誌で真理と再会した。
雑誌の中の真理を見た瞬間「この人の元で仕事をしたい!」いてもたってもいられず、チーフに
引き上げてくれた航空会社に辞職届けを出して、横浜ロイヤルガーデンホテルに売り込みをかけた。
「杉山は転職をした」と聞いた時はショックだったが、憧れの真理の部下になる事が出来た。
その真理が、プライベートで大きな悩みを抱えているという事は、事故が起きた後の報道で知っ
た。葬儀が済み、仕事復帰を果たした真理は「心の痛みを経験した」事で「人に対しての思いやり
の気持ちが増した」と奈々子は感じた。だから「ずっと真理に連いていこう」そう決心をしていた。
……それなのに……尊敬していた真理も……
「あの時、真理さんは私の気持ちを分かってくれていたのね」
奈々子は、真理の墓前に向かって話しかけた。
真理の葬儀で杉山と再会した奈々子は、全てを杉山に話した。
中学三年の時に、憧れていた先輩にレイプされた事。しかも複数の人に。それから、男の人が
信じられなくなって自暴自棄になった事。親が臭い物には蓋をしろ的な対応をした事と、何故か母
親の自分を見る目が変わった事で、親も信じられなくなって、悪い仲間と遊び歩く様になった事。
いつまでも人間不信になっていたって、自分の人生を棄てるようなもの。だから、これからは気持
ちを新たにして、杉山のように、人に感謝される人間になりたい。その事を気付かせてくれた杉山
に、ちゃんと見てもらいたくて頑張って来た事。
「真理さんが私達を結びつけてくれたの、そうでしょう?」
奈々子は涙をいっぱい溜めた目で、杉山を見た。
「うん。真理は……そうなんだよ……周りの人間を幸せにしてくれる……」
杉山は声を詰まらせた。
……真理は幸せだったのだろうか?……
「杉山君、本当に心配してくれているの? 私は幸せだったの」
昔の……新入社員当時の世間知らずで、生意気でお茶目な真理が答えた。
「そうか……それで安心したよ」
杉山の顔に笑顔が戻った。
「そして……私達の幸せを祝福している?」
「勿論だよ! チーフも真理もきっと喜んでるよ!」
自信たっぷりに、そして嬉しそうに言う杉山に顔を向けた奈々子は「見て!」と思わず声をあげ
た。
杉山は奈々子の目線の方向に顔を向けた。
雨上がりの空に、はっきりと虹が出ていた。
そして、その虹に向って鳥が二羽、大きな鳥が小さな鳥を庇うように、虹に向って羽ばたいて行っ
た。
「チーフと真理だ!」
杉山が嬉しそうな声をあげた。
「真理が言ってるよ。チーフと一緒で二人で幸せなんだから邪魔しないで、って。だから、俺たち
は退散するか」
そう言って、奈々子の肩を抱いた。
「傍にいて欲しい。って言わなくても、チーフと真理はいつでも傍にいてくれる……」
また杉山の目から涙が溢れた。
「悲しみの涙」にはしないよ……「幸せの涙」にするよ……
二人が、自分と奈々子を笑顔で見送ってくれている……杉山はその気配を感じていた。
奈々子の肩を抱いて歩き始めたが、後ろは振り向かなかった。
終
長い間、お付き合い頂きありがとうございました。
この作品の感想、ご意見など頂けましたら嬉しく思いますので、
宜しくお願いいたします。