黒々巻きと涙がゆ
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
いや~、今日はまためちゃんこ暑かったねえ。
10月の下旬で、これほど高気温な日がやってくるなんて数十年前は考えづらかったな。
そのくせ、日陰へ避難すると暑さも一気にやわらぐものだから、奇妙な感じがしてくるよ。日差しばかりがガンガン強い。やはり紫外線は、これから先も厳しくなるばかりなのかなあ。
つらい状況が続くとき、どのように対処するか。一部の人は気持ちを引きずることなく、切り替えるために「ほうむる」儀式をすることがあるという。
服や道具を替えたり、身体を動かすようにしてみたり、それまでの自分を葬って新しいことを始める。慣れた人は、これだけでも気持ちの持ちようが変えることができるのだとか。
だが、これらは自分の身体や手にするものへ注意を向ける、いわば内側からの動き。逆に外から力を受ける方法もいろいろある。娯楽などはその代表例だけど、先に話したような儀式めいたものも脈々と受け継がれているみたいだ。
以前に友達から聞いた話なのだけど、耳に入れてみないかい?
友達の地元だと、人が亡くなられたおりに各家がやっておくことがあるのだという。
――ん? 塩をまいたりするのかって?
うん、それはよそでも普通にやることだね。
清めの塩もまた、気持ちを切り替える代表的な儀式のひとつ。死を穢れとする考えは昔からあるもので、その穢れを家々にまで持ち帰らないよう、屋内へ入る前に塩をまいておくことだ。
最近まで生きていた人が亡くなって、それを穢れとして扱うなんて情けがない……という意見も聞いたことあるなあ。死んだとたんに扱いが大きく変わるさまが、納得しづらい心境もあるかも。
が、生命活動が止まったとたん、腐敗の一途をたどるのもまた科学的に間違ったことではなく。残念ながら、死体が病気のもととなることは古くから知られていたし、忌み嫌われていたのも確かだ。生きているものの清浄を願うのも、また当たり前といえよう。
話を戻そうか。
その友達の地元でやるのは塩まきも行うが、それと並行して行われるのが、「黒々巻き」と呼ばれるブツの作製だ。
平たくいうと、手のひらに乗るほどの黒い十字架をしたオブジェクト。十字架は木製だが、表面の黒色をどのように構成するかは個人の判断にまかされる。
あるときは墨を塗りたくり、あるときは炭をこすりつけ、あるときは黒々とした海藻を撒きつけるなどして、構成する。
これらを庭先や家の前の地面などへ、一か月の間、突き立てておくのだとか。
はためには墓標のように思われるが、先の表現を借りるならばこれは穢れに対する指標となる。
これを作った人が、どれだけ心を切り替えられているか。あるいはできていないかをね。
友達のケースだと、自分の曾祖母が亡くなったときが顕著だったらしい。
年齢にして一桁だったものの、お世話になった印象は友達の中だとかなり大きく、思ったほど泣きはしなかったものの、お葬式から数日間は曾祖母の夢をずっと見ているほどだったとか。
そしてそれが、黒々巻きにもあらわれる。そのときの友達はわかめを黒いわかめを巻き付けていたらしいが、日に日にそれが白くなっていってしまったのだとか。
他の家族の十字架と比べると、明らかな違いだ。これは気持ちの切り替えができていない証左だと、父母に指摘されたらしい。
気持ちが切り替えられないと、あらゆる病魔が入り込んでくるスキになってしまう。そのため早期の改善が求められると昔からいわれていたようだ。病は気から、という概念もあながち間違いではないからねえ。
もういちど、黒いわかめを巻き付けた後で友達は生活習慣の見直しをされたという。
早寝早起きに始まり、よく知られた健康増進法がとられるものの、その中で少し特殊なものがある。
涙がゆ、と呼ばれるもので、自身の涙を多めに含ませたお湯でこさえるおかゆなのだとか。
それをお風呂上りに小さいおわん一杯分、食べる。細かい製法に関しては黒々巻きをする地域にしか伝わっていないが、どうやら薬味類の繊細な調合がカギを握るそうだ。
一週間ほど涙がゆを含めた養生をしたところ、友達は曾祖母の夢を毎日見ることはなくなり、黒々巻きもまた黒さを保ったまま、一か月のつとめを終えることができたのだとか。
病にならなくば病と分からないが、かからなくていいならかからないほうがいい。
難しいところだねえ。




