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【02】



「〝八十四番ちゃん〟ってちょっと言いにくいから、はっちゃんでいい?」

「……?」

「君の呼び方。ニックネーム。……嫌だった?」

「…………。嫌じゃ、ないかも」

「ありがと。私はね、ミルだよ。よろしくね」

 

 そんな会話をしながら、ミルは八十四番改めはっちゃんを連れて大通りを歩いた。

 誰かとすれ違うたび、嫌そうな顔をしてきたり、あからさまに避けてきたりと、散々な反応を受けているのだが、はっちゃんは特に意に介していない様子だ。

 むしろそれが気になるのはミルの方で、彼女はすぐに目についた露天で季節に合った子供服を買い、一度、宿に戻ることにした。

 

 高級宿ならば個室に湯浴みの設備が整っているが、ミルが泊まっている宿は違う。だが、その代わりどの時間帯でも使える共用の浴場があるのだ。石を組んだ大きな浴槽に大量の湯が沸いているので、石鹸で身体を洗い流してから、そこに浸かることができる。

 ミルが子供の頃にはお湯で身を清める文化などなかったが、魔法の発展により、生活は日々豊かになっている。

 

 まだ日中だからか、他の利用客はいなかった。

 物珍しそうにする少女をピカピカにしてから、ミルも自分を洗い、二人は静かに湯に浸かった。

 ——そうしていかにも(﹅﹅﹅﹅)な外見だったはっちゃんを大通りでも悪目立ちのしないように身繕って、ようやくミルは本題に入った。

 

「まず、この天使の羽根だけど……はっちゃんはこれが何か分かる?」

「ぜんぜん」

 

 二人は大通りからは少し外れた人気の無い道を歩いていた。ミルが一歩先を先導し、はっちゃんがその斜め後ろを歩く形で連れ立っている。

 依頼内容について話すなら喧騒の中より静かな方がいいし、この先にはミルが行きつけの道具屋がある。冒険に事前準備は必須である。むろん、このあと寄っていくつもりだ。

 

「ミルは分かるの?」

「これはたぶん、幻惑高原に咲く白い花だよ」

 宿で身支度を整えた際、ミルは念のために手帳を確認してみたのだが、やはり天使の羽根の名はそこにあった。

 

 王都から北。カインド街道を数日歩くと、近くに幻惑高原と呼ばれる草原地帯がある。

 正式な名称はハイケル高原というのだが、日が落ちると特殊な霧が立ち込めて進行不能になるその高原を、正しい名で呼ぶ人間は少ない。

 手帳によれば、天使の羽根はハイケル高原にのみ群生する魔力を秘めた魔草であり、霧の発生源として考えられているという。

 

「じゃあ、そのお花を博士に届ければいいんだ」

「博士?」

 

 ミルは首を傾げた。

 

「もしかして、届け先の人のこと、はっちゃんも知ってるの?」

「うん。マリィとわたしの、博士」

「じゃあこれは研究所の住所なのかな。何を研究してる人なの?」

「魔法だよ」

「へえ〜」

 

 相槌を打ちながら、やっぱりミルは内心で首を傾げた。

 

(知人なら、わざわざ配達まで依頼に含めずとも自分で届ければ良さそうだけど……)

 

 そこまで考えて、先刻の会話が蘇る。

 

『書き終わる前に死んじゃった』

 

 マリィという人物は、死期を悟って依頼を出した?

 ……何のために?

 

(う〜ん……やっぱりこれ、なんだか、変な感じの依頼だよね……)

 

 まあ、ギルドの認可印がない時点で、依頼と呼ぶのは間違っているかもしれないが。頼み事、のほうが正しいだろうか。

 

「カインド街道を走る乗合馬車はたくさんあるから、私たちもそれに乗ろう。近くで降ろしてもらって……三日もあれば高原に着くと思う」

「わたしも一緒に行っていいの?」

 

 普段ならミルは依頼人を連れて行こうなんて発想にはならなかっただろう。

 しかしはっちゃんは孤児で、おそらく家もない。いくら王都と言えども何が起こるかなんて知れないのだから、この依頼人と一度離れてしまうと、再会するのはそれなりに困難に思えた。

 最短でも一週間はかかる見込みだ。

 いざ帰還したときにはもう居ない、そうでなくとも気が変わった、などと言われるのも……なんて打算があった。赤字を取ってまで採取に行くからには、ちゃんと完遂して、できれば依頼人に喜んでもらいたい。

 そうなると、同行させた方が諸々都合がいいのだ。

 

「そのつもりで考えてるよ。もちろん、待っててもいいけど……」

 

 まあ、無理強いしてまでミルは己の都合を押し通すつもりはない。しかし、気遣って付け足した言葉を少女は遮って口を開いた。

 一歩、前へ。

 投げ出していたミルの手を、ぎゅっと両手で握りしめて。

 

「ううん。行きたい。わたしも冒険する!」

 

 こうして、謎の少女との短い冒険が幕を——



「そんなの許可できませんよ?」

 


 ——開けた、なんて、そんな都合の良い話はどこにもないのである。

 

 当然だ。

 都合の良い話なんて、転がっている方が稀なのだから。

 突如降ってきた第三者の声にミルは警戒を示し、少女に握られているのとは逆の右手で、真っ先に背中の剣に手をかけた。

 声の主を探して見上げれば、一階建ての民家の屋根の上に、一人の男が腰掛けている。白髪混じりの偏屈そうな人物は、裾の長い白衣を纏っていた。

 剣を抜くべきか否か判断に迷っていると、男は屋根から意外にも身軽な動きで飛び降りたのだった。

 

「あ! 博士!」

 

 ミルの手を離し、はっちゃんは嬉しそうにその男に駆け寄っていく。

 

「八十四番、見違えましたね。何ですかその格好は」

「ミルがくれたの!」

 

 ニコニコと嬉しげな少女と対照的に、見下ろす男の視線はゾッとするほど冷たかった。少なくとも、ミルの目にはそう映った。

 

「はっちゃん!」

 

 だから、思わず名を呼んだ。

 何か嫌な感じがしたのだ。そうとしか言いようがなかった。

 

「一度、こっちに戻ってきて。私のそばに」

 

 はっちゃんはきょとんと目を丸くしてミルを振り向いた。

 博士と呼ばれた男は、冷たいままの視線をミルに移した。

 

「どうしたの?」

 

 不思議そうにしながらも、少女は素直にミルへ向けて足を出した。男がそれを一瞥する。男は無言で、白衣のポケットに入れていた腕を出した。手に何かが握られている。

 大きな手と袖に隠れてよく見えないが、一瞬、鈍く光って見えた。

 

「!」

 

 それが何なのかを明確に理解した訳ではなかった。

 勘違いならそれでもいい。

 ミルは迷いなく剣を抜き、軸足で強く地面を蹴った。

 

 冒険者としてのミルは自然物の採取こそ優秀な腕前だが、剣士としての評価はそう高くない。突出した才能のない、平凡な剣筋だ。しかし。小柄な彼女の身体能力だけをみるならば——それなりには、秀でている。

 関節が柔らかく、身体の使い方が上手いのだ。小さな体は華奢に見えるが、必要な筋はきちんと引き締まっている。

 軽さを活かした跳躍力とそのスピードは見事なもので、一瞬のうちに距離を詰めて斬りかかる彼女の初撃は、中々避けるのが難しい。

 キンッ、と何か金属同士がぶつかり合う音が通りに響く。

 

「なっ……⁉︎」

 

 突如飛び込んできた白銀の刃に、男は目を見開く。

 手にしていた鈍色のナイフの切先が、白銀の剣によって防がれた。丸い空色の瞳が今は厳しく細まって、少女の背を刺そうとした博士をきつく睨みあげた。

 

「え、え?」

 

 一体何が起きたのかよく分かっていないらしいはっちゃんが戸惑いを声に出す。ミルは少女を背に庇うように、二人の間に割って入った。

 

「一体どういうつもりですか」

「そちらこそ。……私の所有物に何用ですか?」

 

 背の高い博士と、同年代と比べても小柄なミルが睨み合う。

 「……所有物?」と、ミルは眉を寄せた。

 

「彼女は()じゃないよ」

 

 改めて剣を構えた冒険者に、男もまたナイフを構えた。

 ピリピリと肌を刺すような緊張感が場を満たす。

 互いの出方を見極めるための沈黙がそこにあった。

 

「だ、だめっ」

 

 それを破り捨てたのは、状況についていけていない少女である。

 思わず、といったふうに目の前のミルの腕に縋り付く。

 

「博士のこといじめないで」

「あの人は君を……」

 

 言い掛けた言葉は続かなかった。

 幼い少女に突きつけていい現実かどうか、ミルは一瞬だけ悩んでしまったのだ。

 その躊躇いが、大きな隙を生む。

 

「——っ」

 

 腕だ。二の腕に灼けるような衝撃。——痛い。斬られたのだと理解するまで、わずかな空白。奥歯を食いしばり、思わず抜けそうになった力を込め直す。

 ざっくりと切られた布地から、血の滴る二の腕が覗く。

 

「……ぁ……」

 

 その赤色を見つめながら、少女は呆然と立ち尽くした。するり、とミルに触れていた手を離し、少女は怯えたように一歩だけ後退る。

 少女を気に掛ける暇もなく、二撃目は首を狙われた。ゆらりと長身を屈めた男が音もなく距離を詰める。思考よりも早くミルの身体は動いた。幾度となく迫るナイフの軌道に、ひたすら剣身を割り込ませる。その度に小さな火花が散った。

 

「は、博士、博士……」

 

 眼前の現実を拒否するように、少女は首を横に振った。何度も何度も。繰り返し。

 ミルは声もなく耐え続けた。博士、だなんて研究者らしい呼ばれ方に似合わぬ鋭い連撃は、速いだけでなく、重かった。幸いにして負傷したのは利き腕ではなかったが、しかし、元々の体格差から生じる力の差は徐々にミルから余裕を削り取っていった。

 攻防はそう長く続かなかった。

 攻勢に反転する隙を狙っていたミルが活路を見出すよりも早くに限界が訪れたのだ。

 

「う、ぐ……っ」

 

 ナイフばかりに気を取られていたのが敗因だった。

 フェイントが混ぜられた。

 繰り出されると思った刃を不意に止め、男は長い脚を折り曲げて容赦なくミルの腹に捩じ込んできたのだ。

 男の膝が、柔らかな内臓を押し上げる。圧迫感に呼吸を忘れた。身体が宙に浮く。浮遊感に目を見開いた。剣が指をすり抜ける。硬い音が地面に響くのを、どこか遠くに聴いていた。背中に衝撃が走り、視界が一瞬白く弾けた。

 

「ミルっ」

 

 駆け寄ってきた少女に、震える手を伸ばした瞬間。

 少女たちの間を裂くようにナイフが投擲された。視界の端で煌めいた刃を認識し、ミルの身体が勝手に力を振り絞った。痺れの残る四肢を跳ねるように使って起き上がり、少女を抱きしめて庇ったのだ。

 

「……っ、」

 

 ミルの右肩に、片刃のナイフが突き刺さる。水色の外套を裂き、それは肉をも貫いた。

 

 ——もうずっと、メリットなんて一つもない行動をしている。

 

 いろんな痛みに耐えながら、ミルは考えた。

 孤児なんて庇って一体何になるのか。

 依頼だって、ただ綺麗なだけの石ころ一つでは到底釣り合わない手間と時間がかかる。最初から厄介ごとだと理解していたはずだ。

 そもそも自分は、ただ与えられる餌を待つだけだった時間をもっと有用に使って、蓄えを増やしたいんじゃなかったのか。

 一体こんなことをして何になるっていうんだ。

 

「……大丈夫、大丈夫だよ」

 

 でも——腕の中で、小さな女の子が泣いているんだ。

 ごめんなさいと謝っている。震えている。だからミルは正論ばかりを吐き出す思考に蓋をして、少女に優しい声をかけるのだ。

 

 肩の痛みを無視し、右腕に力を込めて少女をきつく抱き直す。斬られた二の腕が引き攣るように痛いが、気にせず左腕を後ろに回し、ベルトに固定していた採取用のナイフに手をかける。息をするのも肺が痛むが、深く、深く呼吸を整えた。

 足音が近づいてくる。

 男は何を考えているのか、一定の距離まで近づくと、無言で少女たちを眺め出した。

 不気味な様子を観察しながら、ミルは迷いのない動きでナイフを突き出す。

 

「突然襲ってきて、何が狙い?」

「八十四番が悪い冒険者に誑かされているようでしたので。保護者として、見過ごせないでしょう」

 

 意外にも男は素直に答えた。だが、その全てがミルの神経を逆撫でする。

 

「……保護者? 子供にまともな服も用意してやれない人間が、一体何を根拠にそう名乗ろうっていうのさ」

「私がそれの作者ですから。保護監督責任……いや、管理権が私にあると考えるのが妥当でしょう」

「行動だけじゃなく言動まで理解に苦しむよ」

「相互理解は失敗、と。まあ、求めた覚えもありませんが」

 

 「では」と、男は白衣のポケットから手を出した。

 今度はナイフではない。男の手には何もなかったが、すぐに現実が書き換えられた。

 手の中に音もなく光が集まり、一瞬でそれは杖としての形を得る。腰ほどまでの高さの木製の杖だ。

 

(しまった! そうだよ、博士は魔法の研究をしてるってはっちゃんが言ってたじゃないか……!)

 

 真に警戒すべき手の内をミルはすでに聞いていたのに、完全に失念していた。

 自分の足元で輝き出した魔法陣で一体何をするつもりなのかなんて、ミルにはわからない。ただ悔しさに奥歯を噛んだミルの意識は、光り輝く魔法陣に吸い込まれるように消えてしまった。



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