ep.04 一滴の不安
王都には数多くの人間の営みがある。けれどもミルは、その明るく人懐っこい性格とは裏腹に、深く誰かと関わることは稀だった。たいていは顔や名を知っていて、世間話をする程度。そういう知人ならば多いが、友人と呼べる存在となると、片手の指で足りてしまう。
その数少ない友人であるリナは、茶髪を二つに結んだ快活な娘だ。ミルが通っている定食屋の看板娘で、その縁から打ち解けた。
客が少ない時間帯などは、カウンターに座ればリナが話し相手になってくれる。今日もそうだった。
「私、今のままでいいのかなぁ」
「……何々? 冒険者辞めて私とダブル看板娘になるって話?」
ぼんやりとスープを飲んでいたミルが漏らした悩みに、リナはちょっと目を丸くした後、からかい混じりの返答をした。
「冒険者はやめないよ」
「というと?」
「……私、実はいつも同じ人の依頼を受けてるんだ。匿名だけど、たぶん同じ人で……。いつも私に指名の依頼をくれるんだ」
「へー?」
冒険者稼業に詳しくないリナは、ミルの悩みにいまいちピンときていなさそうだ。
「その人の依頼以外はほとんど受けたことがないくらい」
「そんなにいっぱい仕事くれるなんて、食いっぱぐれないしいいじゃない」
「うん。私も最初はそう思ってたけど……でも、いいのかなって」
「?」
「実入りがいい依頼ばかりだから生活には困ってないよ? でも……この依頼が途切れた時のことをちょっと昨日考えて、不安になって……」
「あ〜」
「ずっと匿名さんの依頼だけで満足してたけど、他にも色々受けたりした方がいいのかな、みたいな」
ずず……とスープを飲み干して、ミルは浮かない顔だ。
「指名依頼を断って他のを積極的にってこと?」
「……ううん。指名してくれてるし、私にできそうな依頼なら断りたくない。定期的に依頼してもらえるから、その合間に……」
「……ミルが無理するのはリナちゃん嫌だよ?」
きゅるるとわざとらしく可愛こぶって見せた友人に苦笑を返し、ミルは空になった器を静かにカウンターに置いた。
「とりあえず、この後ギルドに行って私にもできる依頼がないか聞いてみるつもり。一人だと、受けられる依頼って意外と少ないんだよね」
「そういえば、ミルってパーティーは組まないの?」
「!」
「冒険者ってみんな徒党を組んでるじゃない。……ミルは別だけど。ソロの方が珍しいんでしょ?」
「……それ、は……」
銀食器を握る手に無意識に力が入り、痛みを覚えた。
「………………」
ミルは上手く答えられなかったし、リナもそれ以上突っ込んで聞くような真似はしなかったから、その話題はここで途切れた。
*
パーティーを、組んでみようと思ったことが無いとは言わない。
冒険譚といえば、やはり頼れる仲間の存在が不可欠だ。ミルが幼い頃に盗み見た絵本では、仲間と不得手を補い合ってどんな窮地も切り抜けていた。
ミルは剣士だから、後衛と組めれば今よりうんと選択肢が広がる。
(……例えば、魔法使い……とか)
脳裏に過ったのは、今も懐にある黒革の手帳。
あんな人となら組んでもいいかもしれない。そんな浮ついた思考を、ミルはすぐに戒めた。——そんな都合の良い人が、ミルなんかを選ぶわけがない。
「あの……、ソロで挑めるような依頼、何かありませんか?」
王都に建つ一際大きな煉瓦造りのギルド本部は、いつだって騒めきと共にある。本部はとにかく広いし、窓口の数も段違いだ。
ミルが見慣れた顔を探してカウンターに近寄ると、書類の整理をしていた受付嬢——アミラが、目を丸くした。
「ミルちゃん、どうしました? 昨日依頼を完遂したばっかりだよ?」
「まだ例の匿名さんからの依頼は来てないですよ〜」と当然のように告げられて、ミルの顔が僅かに曇る。
「匿名さん以外の依頼も……たまには受けようかなって……」
アミラは目を丸くしたが、それならと、ミルの冒険者ランクに適したソロ向けの依頼を探しに行ってくれた。
「——ソロでも問題なさそうなのだと、今はこんなのしかありませんでした」
カウンターに並べられた依頼書はふたつ。
三ツ首兎の毛皮の納品依頼と、近隣の町までの護衛依頼だ。
しかしアミラは護衛依頼の方は自分の手元に置いたまま、にへらと曖昧に笑った。
「護衛依頼の方はですね〜、難易度はちょうどいいけど、あんまりお勧めできないかも……」
「そうなんですか?」
「この商人キャラバン、ちょっと柄が悪い男の人が多いから。まだ十代のミルちゃん一人を放り込むのはお姉さん心配です」
そこまで説明すると「だからゴメンね……!」とアミラは依頼書を隠してしまったのだった。
「……なる、ほど?」
ミルはアミラが何をそんなに案じているのか、正直よく分かっていなかった。
(いくら柄が悪くても、依頼人が冒険者に手を上げるようなことするかなぁ……?)
とはいえ、特に引き下がることはせず、分かったふりをして頷いてみる。するとアミラはホッとしたように笑ってくれたので、ミルも安堵した。
——ホームとして定めたギルドを利用する利点は、こうやって担当者が依頼の取捨選択までしてくれるところだ。
アミラは真面目な顔でもう一枚の依頼書を指差した。
「だから、こっちがいいかな? ……とはいえ、これもあんまりミルちゃん向きじゃないんですけど……」
三ツ首兎の毛皮の納品依頼。ミルはジッとその依頼書を見つめた。
「私向きじゃないっていうのは?」
「三ツ首兎はすばしっこいから、基本的には罠に掛けて倒すの。つまり単純に狩人向きなんです」
「罠……やったことない……」
ミルが扱ったことのある武器なんて、長剣とナイフ程度だ。
「ソロ向けの依頼って意外と少なくて、取り合いになりがちなんですよね。朝イチじゃないといいのは残ってないかも……」
「………………」
「……今日はどうしたの? 珍しいですよね。ミルちゃんが続けて依頼を探しに来るの」
普段よりどこか表情が暗いミルを気遣うように、アミラは柔らかい声を出した。
「何かお金に困ってる……?」
「い、いえ! そんなことはないです!」
「よかった! お金に困ってないなら、いつもみたいにもう何日か待つのはダメですか? きっと来週になれば例の方からの指名依頼が入るんじゃないかと思うんです」
「それじゃダメなんです」
「えっ?」
「私、他の依頼を受けたくて……」
(えええええ〜⁉︎)
アミラはどうにか悲鳴を口に出さず内心に留めたが、ミルの思い詰めた告白に焦りを隠せずにいた。
ミルに届く謎の匿名依頼——不思議なことに、その依頼だけはいつも上層部の人間から直々に回ってくるのである。「絶対に断らせるなよ」と、そんな一言付きで。
つまりこの〝匿名さん〟は、アミラが思うにかなりヤバい。ギルド上層部ですら逆らえない相手だ。
「まさかミルちゃん、匿名さんの依頼が嫌になっちゃった⁉︎」
焦ったアミラに詰め寄られ、ミルはきょとんと空色の瞳を瞬かせた。
——そんなアミラの声は彼女の背後、カウンターの向こうにも届いた。すると、依頼書や納品素材の管理をするオフィスで働いていた職員たちが、一斉に手を止めて聞き耳を立て始めたのだった。
ギルド本部では有名だ。
——姓すら持たぬ少女を指名し続ける、謎の匿名依頼。
仔細を知らない下っ端は愉快とばかりに目を光らせ、そして事情を知る上の人間は青褪めて目を逸らす。反応が露骨に二分される中、誰もが口だけは噤んでいる。
「そういう訳じゃ……」
「じゃあどうしちゃったんです⁉︎」
「私、ここ何年も生活費のほとんど全てを匿名さんがくれた依頼の報酬で賄ってて……」
「…………」
改めて考えるとすごい事だなあと、アミラは一瞬謎の匿名さんに思いを馳せた。こんな話は聞いたことがない。
「すごく助かってるけど、今のままのんびり生活してるの、良くないかなって……。ほら、前に一度だけ、何ヶ月か依頼が来なかった時があったよね? だから他の依頼も受けて、今後もし匿名さんから依頼が来なくなっちゃったとしても生きていけるように貯金をしたくて……!」
「立派な志だあ〜……!」
思わず感動しかけたアミラの背中に、恐ろしい殺気が篭った視線がいくつか突き刺さる。何か嫌な気配を察したのか、アミラはばっと振り向いた。
……上司どころじゃない。上司のそのまた上——いや、あれは。大変な顔ぶれの中に異様なオーラを漂わせる大柄な男を見つけ、アミラはヒッと喉の奥が引き攣った。あれはギルド長だ。いつの間にか、ギルドのトップが一階フロアに揃っている。
しかもひとり残らずアミラ達を睨んでいるときた。
(何者なの〝匿名さん〟って!)
アミラはもう泣きそうになりながら、心の中で匿名さんに文句を言う。
「で……っも、ね、ミルちゃん! もう何年も匿名さんはミルちゃんを指名し続けてるんだよ……⁉︎」
「うん……有り難いですよね。どうして私なんかをって、いつも不思議だけど……」
「ミルちゃんは素材採取が上手だから、匿名さんもその腕を買ってくれてるんですよ、きっと! だってもう数年続いてるんだもん……! 続くよ! 私はそう信じます! だから不安がることないよ、ミルちゃん!」
「は、はあ……」
「でもミルちゃんの立派な志を私は年上として応援もしたい……!」
恐ろしい視線に耐えながら、アミラは拳を固く握った。
「だから、今日みたいな日は無理せず今まで通り匿名さんを待とう!」
バン、とカウンターに両手をついて訴える。
「その合間にミルちゃん向けの別の依頼があれば、ちゃんと紹介するから! でもできれば匿名さん優先で……! 焦らず行こう! ね⁉︎」
頷いて、お願いだから——
「…………」
ミルは顎に手を当ててしばらく考え込んでいた。
空色の瞳は迷うように揺れていたが、ちらりと上目遣いでアミラの顔を確認する。
そして、ミルは浅く頷いた。
「……そう、ですね。私、焦ってたかもしれません」
シークレットミッションの成功を確信し、アミラはぐっと拳を握りしめる。アミラの背中に突き刺さる視線も少しばかり和らいだ。
「また……いつも通り、何日かしたらまた来ますね。今日はこれで帰ります」
妙に嬉しそうなアミラに見送られ、ミルはギルド本部を後にする。
その横顔は、浮かないままだった。




