ep.03 内緒のパトロン作戦
『よいしょ、よいしょ』
青葉が茂る山麓にあるヴェルリッジ大森林は、王都から乗り合い馬車で五日ほど揺られた先にある。
ミルが引き受けた今回の依頼内容は、ベルリューム草を四株と、傘が開く前の紫甘茸を十本採取し、ギルドへ納品するというものだ。いずれもこの大森林で自生している。
匿名希望の依頼主ことレイド=アルヴァンが、例の如くミルを指名して出したクエスト。
ミルは今のところ、レイドの依頼を断ったことがない。当然だ。命の危機が少ない採取の依頼で、報酬も多い。さらに少女にはかつて渡した手帳がある。
——そう。ミルはもはや、レイド専属の冒険者と言って差し支えない。
他の依頼を受けることも過去にはあったが、それはレイドが賢者としての職務に追われて依頼を出す暇すら失った多忙な時期だけ。
例えばミルは一度依頼を終えると三日ほど休養を取る。装備の手入れや買い出しをしつつ、のんびり過ごす期間だ。
それが終われば、次にギルドへ顔を出す。
そのタイミングで都合良く依頼が紹介されるよう、レイドが手を回している。
さらには他の依頼を受けずとも生活が成り立つよう、彼女の金銭感覚まで計算に入れて報酬額を調整していた。
「ふふ……完璧……つまりミルちゃんを養ってるのは僕ってわけだ……」
根っこを傷つけないよう、持参した片手用スコップで丁寧に土を掘り起こしていく少女の姿を壁面に魔法で映し出して、レイドはひとり悦に浸っていた。
『よいしょ』
可愛らしい掛け声をこぼしながら、ミルは楽しげに採取を続けている。
『えへへー。綺麗に採れたぞー!』
にこにこと太陽のような笑みで、採れたベルリューム草を土ごと布に包んで整える。その手際は実に正確で鮮やかだ。
欲目抜きで見ても、彼女は器用で根気強い。一癖も二癖もある希少素材だろうが、文句無しの仕事をしてくれる。
歪んだ欲望から始まった内緒のパトロン作戦ではあるものの——レイドは彼女を指名してクエストを出す己の行動は正しいと確信していた。
最初はギルド上層部の連中から、どうしてこんな駆け出しに賢者様が目を掛けられるのか……と余計な詮索をされることもあった。だが、納品される品物の数々を見て、上層部も今は口をつぐんでいるのだった。
「ふんふふふん」
可愛らしい『よいしょ』コールに顔を緩めながら、レイドは機嫌よく締切の近い書類を進めていく。
——チリン。
そんな平和な昼下がり、彼以外誰もいない魔導塔の研究室に、来客を知らせるベルが鳴り響いた。羽ペンを転がし、レイドは椅子に引っ掛けていたローブを雑に羽織って顔を隠すと、机の引き出しから羊皮紙の束を引っ張り出した。
魔法を使って塔の一階まで降り、魔法で施錠している大扉を開ければ、レイドが予想した通りの見慣れた顔がそこにあった。
ギルドの深青色の制服をピシリと着込んだ、堅物そうな中年男性。王都のギルド本部から依頼書を取りに来るのは、決まっていつも同じこの男だ。
「ご無沙汰しております、賢者様。依頼文を受け取りに参りました」
「……うん。……これ頼むよ」
興味のなさそうな声で、レイドは羊皮紙の束を男に押し付けた。向こう三ヶ月分の依頼だ。男は冷静な目で内容を一枚一枚確認しながら、こんなことを言った。
「——専属として雇われないのですか?」
ぴくりとレイドの眉が寄る。
尤もな疑問だとはレイドも思う。……が、そんなもの、出来るなら最初からそうするに決まっている。悪態が喉まで出かかり、レイドは一度息を吐いた。
「…………今の所、その予定はない」
考えたことがないといえば嘘になる。
だが——
「左様でございますか」
言葉少なに否定した賢者に、引き下がるような無礼はしない。しかし職員の男は最後の依頼書を確認し終えて、言葉を付け足した。
「差し支えなければ、例の少女に他の採取依頼を紹介しても? 高難易度の採取はできる冒険者も少ないので、私どもとしては人手が欲しいのです。例えば、賢者様の依頼と同時にこなせそうな——」
「は?」
賢者は男を遮り、地を這うような声を出した。男は空気が変わったのを察し、表情を凍らせる。
「…………締切に、間に合わないのは困るんだ。彼女に余計な仕事を押し付けないでくれるかい」
「……困るんだよ、僕が……」最後に付け足された小さな声は、僅かに揺れていた。そこについさっきの恐ろしさなど微塵もない。
「——?」
男は一瞬、賢者に探るような目を向けたが——すぐに感情を仕舞い込んで頭を下げた。
「……承知いたしました」
男をその場に残し、レイドは塔の中に再び引きこもる。
研究室に戻ると、そのままにしていた遠見の魔法がミルの様子を壁に映していた。
今はおやつ休憩タイムに入ったようで、泉のほとりで大好きなクッキーをサクサクと齧って幸せそうにしているところだった。世の中の汚れや悪意なんて一つも知らなそうな、無垢で愛らしい笑顔である。
(なんて可愛いんだ……)
険しかったレイドの顔が途端に緩む。
「専属——専属、か〜……」
ローブを脱ぎ捨て、レイドは椅子に背を預けた。
映像の中のミルはまだ気配を拾っていないようだが、彼女の周辺に魔物の気配がある。レイドはぞんざいに指を動かし、彼女の笑顔を曇らせる可能性を消してしまう。
「専属にしたら直接会って話さなきゃいけなくなるじゃないか。僕は……僕は……っ」
そして、そのまま机に両腕をだらんと伸ばして突っ伏した。しかしすぐに顔だけを上げて、愛しの少女を視界に入れる。
「僕はミルちゃんと会ったらとろけて死ぬ自信がある。……無理だ。無理だろ、そんなのは……」
賢者の情けない懊悩は、誰に聞かれることもなく空気に溶けた。




