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ep.18 この先もずっと、君だけを



 人間嫌いの賢者が住まう魔導塔。

 最上階の研究室には、今日も今日とて遠方から届く賑やかな少女たちの声が響いている。

 

『ミルー。これ何?』

『わっ。そ、それ、トカゲさんだよ。離してあげて!』

 

 白い壁に魔法で映し出されているのは、光が差し込む森ではしゃぎ回るミルとハナの姿だ。

 王都のほど近くにあるナーバ森林に自生する星蔓蘭(ホシツルラン)の採取。

 ハナにとっては初めての依頼、初めての冒険になる。

 星蔓蘭は木の枝にだけ根を張る着生植物で、高所を好んで育つため、普通に森を歩くだけではなかなかお目にかかれない。希少とされる最大の理由は株の小ささだ。高枝に咲く全長十センチにも満たない花は、木の葉に紛れて隠れている。だが、ミルならば簡単に見つけるだろう。……早く、目当ての素材を見つけ出した時の笑顔が見たい。

 レイドは散らかった机に向かって書類を片付けつつ、二人の冒険を見守っていた。

 ——ミルの魅力は挙げればキリがないが、その豊かな表情が特に好きだ、とレイドは思う。

 

「ハナが増えてどうなることかと思っていたが——うん、これは中々……」

 

 にへら、と賢者の顔がだらしなく緩む。

 何故なら、ひとりでいた時よりもミルの表情が格段に増した。何よりもレイドの一番大好きな笑顔を見せてくれる回数が増えたのが嬉しくて、度々ミルの願いを叶えた過去の己を褒めたくなる。人型魔導器(ホムンクルス)の魔法を完成させて本当によかった。

 それに、ホムンクルスの生態をこうして観察できるのも悪くない。人格を持つ魔導器——レイドも実物を見るのは今回が初めてだった。

 

 ハナについては、人間社会に溶け込めるよう、経口接種した食事を体内で魔力に変換する機能を増やし、五感の精度もより人間らしく飛躍させた。

 身体能力もミルの足手纏いにならないよう向上させてある。学習していけば、本人の興味次第で何にだってなれるはずだ。——唯一、魔法使いを除けば。魔法そのものであるハナが魔法を使うというのはつまり、命を削るのと同義だからだ。

 

『黒い人、次はいつ会えるかなあ』

『はっちゃんもおじさんのこと好き?』

 

 ——!

 

 横道に逸れた思考を展開していたレイドの耳が、たった今信じられない言葉を拾った。思わず落としてしまったペンは机の下まで転がり落ちたが、レイドの赤い瞳はミルの横顔だけを見つめて動かない。

 手が震える。唇が戦慄く。鼓動の音が耳にまで届く。

 

「いっ、いま、ミルちゃんが僕のことを好きって言ったのか……⁉︎」

 

 言っていない、などと正しい現実を指摘してくれる者はここにいない。

 

(先日の件でミルちゃんの好感度を稼ぎ過ぎてしまったか……? つまり僕らは——いやいやいや。待て。待ちたまえ、それは無い。自惚れるなよレイド=アルヴァン。ミルちゃんが僕のような不審な魔法使いに惚れてくれる道理なんてあるわけがないんだ……つまり、今のは僕の聞き間違い、もしくは勘違いに他ならない……)

 

 とはいえ、すぐに自己否定に入り、認識はある意味で正しく修正されるわけだが。

 

「……落ち着かないと……」

 

 レイドは己を戒めるよう咳払いを何度かし、一旦書類に目を落とした。

 三首竜の討伐要請、国庫を守る守護魔導器の点検依頼、ギルドから転送魔導器の修繕依頼、他にも沢山——ミルの生活に関わる事柄、そして緊急性の高いもの以外は机の端に弾いていく。サインを、と手を動かし、ペンがないことにようやく気が付いた。魔法で位置を把握し、次の瞬間には手の中へ。インク壺にペン先を浸し、レイドは億劫な手付きで紙面に己の名を綴る。

 

「……名前、ねえ……」

 

 いつか——愛しのミルに、この名を呼んでもらえる日が来るだろうか。

 その時が来たらいったい自分はどうなってしまうのだろう。「ミルちゃんの前で気絶なんてしたくないな」などと呟く彼の顔は柔らかい。

 機嫌良くペンを滑らせる傍らで、感知したミルたちの危険を指先ひとつで排除していく。数体の魔物だけを残し、ある程度の経験を積ませるのも忘れない。

 彼女の道を全て均してやるのは容易だが、賢者は勇敢に戦う凛々しいミルもまた好きだ。適度に、安全に。レイドが見守っている間なら、彼女が剣を抜くのも許容できる。——だが、ひとりで戦うのはダメだ。先日ブラスと孤独に戦わせてしまったことをレイドはひどく悔いていた。

 ……二度はない。

 牢に囚われていたあの痛々しい姿を思い出し、手中のペンがミシリと音を立てた。

 ——けれど、愛しい声はすぐに彼の思考を別の方向へと攫っていった。

 

『次におじさんと会えるのはいつかなぁ』

 

 ふと無邪気な発言を拾い、レイドの手が止まる。無意識に険しくなっていた顔が見る見るうちに緩んでいく。

 

「次ねえ。いつかな……ミルちゃんはいつがいい?」

 

 聞こえもしないのに返事をして、レイドは己のスケジュールを脳内に思い浮かべた。

 面倒な案件を直近で幾つか抱えているし、現在四つほど並行して取り掛かっている魔法式の調整依頼はどれも締切が近い。何より——会いに行くときのシミュレーションを、万全に済ませてからじゃなければ。

 

 手土産は何がいいだろう。最適な時間帯は? 約束したはいいが、そもそも会ったとして一体何をすればいい⁉︎

 

「このまえ食事をするのだって死にそうなくらい緊張したのに……!」

 

 ギルドで偶然出会った日、レイドは露天屋台まで連行された。食事と呼ぶにはあまりにもフランクな、慣れない買い食いの記憶。

 揚げ芋は味が塩とチーズの二種類あり、レイドはチーズを選んだ。そうすると、まずハナが当然の顔をしてレイドの袋からチーズ味の芋を強奪した。別にそれは構わない。問題はその後だ。レイドは長めの芋を一口齧り、残りの半分を手に持っていた。するとミルが——

 

「ミルちゃんがあんなに大胆だなんて知らなかった……!」

 

 ——『おじさんの、私もひと口もーらい』と食べかけの芋をレイドの手から盗んでいったのだ。しかも手で盗ったわけではない。あの小さな口で、直接レイドの芋をパクリと食べてしまった。あの瞬間の胸の苦しさは筆舌に尽くし難い。

 

「食事に誘ったとして……今度はあーんとか要求されたらどうすればいいんだ……⁉︎」

 

 レイドには出来る気がしなかった。——現実のミルがそれを要求するかはさて置いて。

 

「だが、あまり平常時にミルちゃんの寝ている部屋に居続けるのも……っ」

 

 意中の相手の寝室に上がり込むのも、育ちの良いレイドとしては大変勇気のいる行為であった。——まあ、寝室というより、ただの宿だが。

 賢者は頭を抱えて唸り始めた。会いに行く覚悟が決まるのは、一体いつになるのやら。



 ——レイドに見守られてるとは知らぬまま、ミルは今日も懸命に生きている。

 ふたりの距離が近づくのは、まだもう少し先の話になりそうだ。


 

                第一部 完

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