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ep.17 匿名さん【01】



 レイド=アルヴァンは頭を抱えていた。

 賢者が頭を抱えるような事態はあまりない。でも、今回は話が別だ。

 何せ、ミルの今後に関わる大切なことだから。

 

「これからのミルちゃんははっちゃん付きでの生活になる……」

 

 すでにギルドには向こう三ヶ月分の依頼書を託してしまっている。だが、それではミルの生活費が足りなくなる恐れがあった。それに、外界をほぼ知らぬ人生初心者の人型魔導器(ホムンクルス)付きでの冒険ならば、ミルの負担を考慮して最初のうちは比較的簡単で近場の依頼から慣らすのがベストである。

 

 先日——レイドは実に四年ぶりにミルと会話することに成功した。

 コンディション最悪状態で臨んだのが逆に良かったのか、ミルとの会話はレイド自身驚くほどスムーズで違和感なく行えたと自負している。

 ミルにとってレイドは数年前にたった数日行動を共にしただけの他人でしかないはずなのに、あんなにも心を開いて懐いてくれて——思い出すだけで発熱しそうだ。

 

 ……いや、実際にしていた。レイドはあの一件を解決した翌日から数日間、高熱で苦しんでいたのだ。

 寝不足が祟ったのか、ミルと会えた興奮によるものかは分からない。意識が朦朧としながら納めた仕事の出来に不安しかなかった。

 その間は途切れ途切れにミルとはっちゃんの生活を眺めていたが、レイドはあのホムンクルスが羨ましすぎて涙が出そうだった。正直に白状すれば、熱にうなされながら、少しばかり泣いたかもしれない。

 

 だが、排除はしない。

 ミルと共に守る対象に入れる。

 その覚悟はした。

 

『……そうだよ。君にしたことは全部、幼い私が誰かにして欲しかったことだった』

 

 ——愛しいミルが、あの少女を通して幼い自分を救いたがっているのだと、そう言ったから。

 あの少女は幼いミルだ。少なくとも今のミルにとっては、己の過去を写す鏡のような存在なのだ。彼女がそう認識している以上、守らないという選択肢は無い。

 

「ミルちゃん……」

 

 今まで見守ってきた中で、ミルはいつも一人だった。

 多くはないが友人はいるし、ギルドの受付嬢とも打ち解けている。だが、ミルは自己開示をあまりしない。誰にでも一線を引く姿は孤独を抱える人間のそれだった。レイドには、ずっとそう見えていた。

 そんな彼女の根っこの切れ端を、先日のレイドは知ってしまった。

 

(あの時——死のうとしていたのか、君は)

 

 一体どんな身の上なのか、詳細までは分からない。だが、もしそれが過去ではなく現在のミルに行われていたならレイドが決して許さないような——そんな仕打ちを受けていたのは確かなのだろう。

 この先の未来で、あの美しい空色の瞳が涙に濡れるようなことがあってはならない。愛らしい顔が苦しみに歪む様も、やさしい心が擦り切れる出来事も、何もかもが看過できない。

 ——あの人型魔導器は、いくら見た目が人間らしかろうが、あくまで魔法だ。核さえ無事なら修復は容易だし、人より頑丈ですらある。けれどもレイドはあの少女ごとミルを守ろう。

 

(ミルちゃんが傷つく顔は、見たくない……)


 *


 ミルの新生活を守る——そのためにレイドは解熱の薬草をひたすらに煎じては飲み、気合いで高熱を捩じ伏せた。こういうとき、魔法でどうにかできれば話は早いが、未だ治癒魔法は発熱などの諸症状を癒すことはできない。

 病み上がりの身体で準備を整え、ローブを羽織る。

 引きこもりの賢者にとって自発的に外に出るのは慣れない行為だ。それも行き先が人の多い場所となると、余計に居心地が悪かった。

 レイドが向かったのは、王都中央区にあるギルド本部だ。

 ギルド自体はミルの見守りによって今では見慣れた場所になっている。冒険者たちが生み出す喧騒を実際に感じると、あまりの騒がしさに気が滅入ってくるようだ。

 さっさと用件を済ませるため、レイドは空いている窓口を探した。

 

「こんにちは! 本日は何のご用件でしょうか?」

 

 偶然にもそこにいた受付嬢はミル担当のアミラという女だった。

 

「………………」

 

 そこで、ふと気付く。

 いつも依頼書を取りに来る男への取り次ぎを頼むつもりだったが、そういえばあの職員の名をレイドは記憶していなかった。

 

「既に預けた依頼書の取り下げをしたいんだが……」

「承知しました。お名前は? それと、内容や申請した日付などもお教えいただけると助かります」

「…………匿名で、出していてね。名は伏せたい」

「————」

 

 「それって、」受付嬢が何かを勘づいたように口を開こうとした瞬間。おや、とレイドは意外に思う。たったこれだけで、アミラはレイドの正体に気付いたようだった。まあ、別にギルド側の人間に何を知られても問題はない。口封じをすればそれで済む。

 しかし、アミラが続きを口にする前に、その背後にヌッと大柄な男が立った。

 

「……レイド殿。珍しいじゃないか」

 

 「ひっ」と受付嬢が声を裏返して仰け反った。彼女の背後に現れたのは、深青色が基本のギルド職員の制服とは異なる、深い緋色の外套を身につけた大柄な男だった。

 背後で働くギルド職員たちの視線が、この窓口に集まり始めた。それもその筈——この男は、ギルドマスターであると同時に最高ランクの冒険者でもある戦士、マクシム=シモンズだ。

 

「ギギギギルド長……っ⁉︎」

 

 顔を青くしたアミラを横目に、マクシムは冷静な声で言った。

 

「何かあるなら、応接室で話を聞こう」

「……いや。込み入った話じゃあない。いつもの依頼書の束を、こっちと差し替えたいだけでね」

「……例の指名依頼か? 自ら足を運ぶとは珍しいな」

「今回は急ぎで内容の変更があったからね。仕方なく自分で持ってきたんだよ」

「それなら丁度いいな。この受付嬢は貴殿の指名主を担当している。新しい依頼書は彼女に預けるといい」

 

 二人の会話を横で聞きながら、アミラの顔は蒼白を通り越しつつあった。

 

「彼は上客だ。失礼の無いように」

 

 そう言い残し、マクシムが静かに立ち去る。

 一瞬、この窓口だけが周辺の喧騒から切り離されてしまったかのような沈黙が降りた。

 気まずい空気をお構いなしに壊しにかかったのはレイドだ。さっさと懐から依頼書の束を取り出し、カウンターに置く。そして、新たに用意してきた追加の報酬も。

 

「明日以降紹介するよう言い付けてある依頼書十枚については破棄してほしい。ここに用意したのが新しい依頼だ。報酬は預けてある分にこれを追加しておくれ」

「あっ、あの、あの、あの……レイド……様って、まさか——」

「…………」

 

 思わず、といった風にアミラが余計な詮索してきたので、レイドの方もつい彼女を眺めてしまった。

 

「も、申し訳ありませんっ、余計なことを……!」

 

 レイドの沈黙をマイナス方向に受け取ったらしいアミラは泣きそうな顔でペコペコと頭を下げ始めた。

 最悪の空気が流れる中、

 

「そうだった、レイド殿」

 

 何故なのか、去ったばかりのマクシムが戻ってきたではないか。

 

「貴殿が以前整えてくれた転送魔導器なんだが、少し前から数件ほど不調の報告が上がっている。現時点では些細なものだが、ついでに直していってくれないか」

「……僕を便利屋か何かだと思っているのか、マクシム?」

「後日、正式に依頼書を用意する。報酬は言い値で出そう」

「…………」

 

 レイドはため息を吐きたい気持ちになった。一般の利用者たちはともかく、カウンターの向こうのギルド職員たちがこぞってこの窓口に注目し始めているからだ。……元々いた人数よりも、明らかに増えているのが見て分かる。よく見れば、その中にはいつも依頼書を魔導塔まで取りに来る男の顔もあった。

 だが、魔導器の不調というのは聞き逃せないワードでもあった。

 

 全国各地に点在するギルドは、依頼内容はもちろん冒険者の情報も全支部で共有されるうえ、納品依頼であっても津々浦々のどの支部に納めたって構わない。ギルドでは魔法使いを雇い、支部間の物品や情報のやり取りを最適化しているのだ。

 それを可能にしているのはギルド本部に置かれた賢者特製の魔導器である。

 数年前——ミルが冒険者を志したのをきっかけに、レイドがよりギルドを使い易い組織になるよう整えた。

 完璧なモノでも経年劣化はあるものだ。さて、一体どんな不調が出ているのか——魔法使いとして、制作者として、純粋に気になる。

 

「……仕方がないな」

 

 それに、ギルド長であるマクシムの口からレイドの名や魔導器のメンテナンスの話が出てしまっては、少なくとも聞き耳を立てているギルド職員たちにはこの黒衣の魔法使いが何者なのかもうバレているだろう。噂が回り切った後日に改めて修理に来るより、この場で終わらせた方がいい。

 マクシムはなかなか有能な男だが、細かいところで気が利かなくて、レイドは嫌いだ。

 ため息と共に頷いた、その刹那——

 

「!」

 

 絶えず張り巡らせている魔力の()に愛しい気配が引っ掛かり、レイドは口許を引き攣らせた。

 

(この魔力の気配はミルちゃん——)

 

 レイドが彼女の気配を間違えるわけがない。まだ少し距離があるものの、真っ直ぐにギルドへ向かっているようだ。可笑しい、いつもならあと一日は猶予があるはず——そこまで考え、己の計算違いに気がついた。今のミルの行動パターンは、はっちゃんが増えたことで変化しているのだ。

 多少不自然に映ろうが、今すぐ魔導器のメンテナンスをしたいと押し切りギルド内部へ逃げ込むべきか。

 

(いや、待て。なんか早いぞ。……走ってるんじゃないかこれ? ……トラブル……いや、まさかあのホムンクルスがはしゃいで走ってるのか……?)

 

 レイドが固まってしまったから、マクシムたちが不思議そうに眺めている。

 ——もうミルの気配は目と鼻の先に迫っていた。間に合わない。

 

「……君たち」

 

 じろり、とレイドはマクシム及びアミラ、そして野次馬をする全職員を睥睨した。

 

「これから僕の名を呼ぶなよ。僕の肩書きもだ。——もし口を滑らせたならギルドに渡した魔導器は金輪際使わせないからな」

「——⁉︎」

 

 突然の要求にギルドマスターまでもが言葉を失う中、愛しい気配はついにギルドの敷地を潜った。

 

「もー、はっちゃん。急に走っちゃダメだよ〜」

「ここ、来たことある!」

 

 喧騒の中でも可愛い声だけはしっかりと聞き取ることができる。……そのようにこっそりと魔法を使っている。

 

「ミル。黒い人がいる」

「————あれ?」

 

 ああ、来てしまった。レイドの耳を幸せにする透き通った声が、すぐ近くまで。

 

「おじさん? ……おじさんだよねっ?」

 

 声を弾ませ、ミルが駆け寄ってくる。「黒い人も冒険者様?」などと、ミルと手を繋いだはっちゃんも声をかけてきた。

 「おじさん——」「く、黒い人……?」ボソボソとした戸惑いの声がカウンターの向こうから聞こえてくるので、レイドは一度そちらを振り返って黙らせた。

 ギルド長と受付嬢は口を閉ざしたまま、ただその視線はミルたちに固定されていた。

 

「……やあ、ミルちゃん。はっちゃん。奇遇だね」

 

 さっきまでの淡々とした声色とはまるで異なる、柔らかい声だ。

 

「うんっ。会えて嬉しい!」

 

 ミルは手を伸ばせば届くような距離で満開の花の笑顔をレイドに向けてくるものだから、心臓がどうにかなりそうだった。

 

「黒い人は何してるの?」

「もしかしておじさんって冒険者なの? それとも依頼に?」

「……ちょっとした野暮用があってね」

「ふふ。また野暮用?」

「ミルちゃんは依頼を受けにきたのかい?」

「それもあるけど、はっちゃんの冒険者登録がしたくて」

 

 はっちゃんの方はギルド内部が気になるのか、キョロキョロと様々な場所に気移りしている様子だが、ニコニコのミルはずっとレイドだけを見つめてくれている。

 レイドは落ち着かない気分になって、さっき逃げようとしたのも忘れて、何か話題がないかを必死に考えた。会えて嬉しい気持ちはレイドの方が何倍も大きいのだから、逃げるのを諦めてしまえばこんなものである。

 しかしレイドが語れるのは魔法の話くらいで、あまり、雑談などは得意ではない。ミルが興味を持つような話題なんて——

 

「……そうだった。君に渡したいものがあったんだ」

「私に?」

 

 魔法で取り出したのは、黒革の分厚い手帳だ。それを見た途端、ミルの瞳が煌めいた。

 

「……! これって……」

「最新版の採取手帳だ。前に渡したのは僕が自分のために書いた、必要最低限のメモ書きだったからね。君にはこれをあげるから、ちゃんと勉強するんだよ」

 

 そう——以前渡した手帳には、天使の羽根をはじめとした様々な素材の危険性などについてろくに記載していなかった。それに、書いた時よりも年月が経ったことで手帳に漏れている素材もあれば、既知の物にも新たな発見が増えている。だからレイドは高熱と闘いながらミルのための新たな採取手帳を書いたのだ。

 

「い、いいの? これ、前よりずっと分厚いよ⁉︎」

 

 言葉は遠慮しているのに、ミルははっちゃんと繋いでいた手を離し、両手で大切そうに手帳を受け取っている。レイドは思わずくすりと笑ってしまった。

 

「何を言っているんだか。もう受け取っているじゃないか」

 

 ——可愛い。喜んでくれている。それだけで何もかもが満たされるようだった。

 

「だ、って!」

 

 ミルは照れたように顔を赤くした。可愛すぎる。照れ隠しか、この場で手帳をパラパラと開き始めた姿をレイドはにこやかに見つめた。まつ毛が長い。髪は光を浴びてキラキラと輝いて、肌は透き通って——何より、目の前にいるとよく分かる。ミルはこんなにも小さくて、華奢だ。守らなければ、と強く思う。

 

「……だ……って……?」

「……うん?」

 

 だが、手帳を読んでいたミルの顔からどんどん赤みが引いていく。何か様子が可笑しい。やがてミルは眉尻を下げ、捨てられた子犬のような顔をしてレイドを見上げてくるではないか。どうしたのかと身を屈め、聞く体勢を作ってやると、ミルは躊躇いがちに口を開いた。

 

「…………これ、本当におじさんが書いたの?」

 

 一瞬、何を問われているか分からなかった。制作時は高熱にうなされていたものの、熱が下がってからこれだけはきちんとその出来を確認している。何の問題もないどころか、傑作だ。

 

「……どういう意味だい?」

「だって——字が、全然違うよ」

「…………」

 

 レイドは固まった。

 

「私の手帳の字は、もっと右に上がって、いっぱい跳ねてて……」

 

 ミルの指摘は正しい。完全に失念していた。レイドはすぐさま言い訳を組み立てた。

 

「ああ——賢、じゃなかった、社会に出る時に字を矯正させられたんだ。もっと美しい字を書けってうるさい奴がいてさ……君に前あげたのは、僕が若い頃に書いたものだから。それはこの前会った時に言った通り、君のために新しく注釈を加えて書き直したものだから、字が変わっているのは当然だ」

 

 ミルは結構、天然なところがある。矛盾のないこの説明があればどうにか切り抜けられるだろう——という甘い考えは、すぐに破り捨てられる。

 

「……と……」

 

 ミルは顔を俯かせ、閉じた手帳を宝物のように胸に抱いた。

 何だ、この反応は。

 

「〝と〟?」

 

 聞き返しつつ、レイドがたじろぐと、ミルは一歩、二歩と距離を詰めてきた。

 

(ち、近い……!)

 

 手を伸ばさずとも。ほんの少し身体を動かせば、互いの外套が触れ合う距離だ。——今は酒も入ってない。寝不足で頭の働きが鈍ってもいない。ダメだ。無理だ。意識しすぎて、レイドは動けなくなってしまった。フードの下で隠した顔面が熱をぶり返したように熱くなっているのが自分でも理解できる。

 


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