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ep.16 花が好きと君は言った



 翌朝。八十四番は、誰に起こされるでもなくひとりでに目を開けた。

 

「………………」

 

 手を見つめる。開いたり、閉じたりする。

 耳に届く寝息の主を視界に入れる。室内はまだ薄暗いが、きらきらの髪の持ち主が身体を丸めて寝ている姿を確認し、唇を噛み締める。

 

(夢じゃ、ない……)

 

 そういえば、今日の夢はいつもと少し違った。八十四番が今まで眠りの淵で見ていたのはマリィとの想い出だったが、今日のは、記憶にないものだった……気がする。もう朧げに解けているけれど、マリィの笑顔だけ、なんとなく覚えている。

 きっと楽しい夢だった。

 

 八十四番はぴょんと寝台から飛び降りた。

 これから二人暮らしになるからと、ミルは寝台がふたつある部屋を用意してくれた。

 隣の寝台で眠るミルはまだ起きる気配がない。八十四番は手足をぷらぷらさせてみたり、部屋の中をぐるぐると歩き回ってみた。

 ——自分一人で起きたのに、身体が軽い。

 黒い魔法使いが、八十四番のことを〝完成〟させてくれたらしい。だからだろうか。難しい話は聞き流してしまったからよくわからないが、そういうことにしておいた。

 

「ミル、ミル。起きて。遊ぼう」

「うぅ〜……?」

 

 すぐ退屈になって、八十四番はミルの上によじ登った。彼女は苦しげに眉を寄せたが、目を開ける気配はない。

 

「もう少し……」

「!」

 

 ミルの腕が伸びてくる。殴られるのかと思ったが、意外にも抱き寄せられ、ころんと八十四番は転がった。ミルの腕の中に閉じ込められている。

 

「……………………」

 

 ぬくぬくと、あたたかい。

 ぼんやりとミルの体温を感じていると、マリィに抱きしめてもらったのを思い出して、さみしいような、嬉しいような、扱いきれない感情が心を満たした。

 ……でも、このぬくもりはこのまま感じていたい。

 仕方がないので、八十四番は素直に目を閉じてあげることにした。


 *


「はっちゃんに大事なお話があります」

 

 ミルがようやく起きたのはすっかり日が昇ってからだった。しかも、我慢できなくなった八十四番が揺すり起こして、ようやく。ミルは朝が苦手なのかもしれない。

 着替えを済ませると、ミルは真面目そうな顔をして切り出した。

 

「これから、はっちゃんにもう一つ名前を考えようと思う」

「? 名前、もう二個もあるよ」

 

 八十四番。はっちゃん。呼び名には困っていない。でも、ミルは首を横に振った。

 

「これからはっちゃんの正体はなるべく隠すようにって、おじさんも言ってたでしょ?」

 

 よく覚えていない。でも、とりあえず頷いてみた。

 

「その上で——八十四番って名前は少し……いや、かなり……目立つ……!」

「そうなんだ。はっちゃんは?」

「はっちゃんは本名っていうか、ニックネームみが強すぎるから……だから、人間社会に溶け込めそうな名前をもうひとつ増やそう」

「何がいいかな」

「はっちゃんって呼んでも違和感がないように、〝は〟から始まる名前がいいと思う。何か希望あるかな」

「ミルの好きな名前でいいよ」

「でも、はっちゃんの名前だし」

「うん。だから、ミルが決めたやつがいい」

「…………ちょっと悩ませてね」

 

 そう言って、ミルはこの話を一度終わらせた。

 宿を出て、町中を歩く。

 今日ははっちゃんの服や荷物を買い足してくれるらしい。

 

「その前に腹ごしらえしよっか。お腹減ったよね?」

「? お腹あるよ」

「え? うーんと……ごはん食べたくない?」

「ごはん?」

「…………あっ。も、もしかして。はっちゃんって人間みたいに食事しなくていいのかな……むしろ食べちゃダメとかある……? 消化できないみたいな……うう、おじさんにもっとちゃんと聞いとくんだった……」

 

 ミルはなんだか色々悩んでいるみたいだった。手を繋ぎながら、はっちゃんはその顔を見上げて歩く。

 

「……よし、決めた! とりあえずひとくちチャレンジしてみよう!」

「?」

 

 のんびり歩きだったミルが、突然早く歩き出そうとした。繋いだ手が引っ張られ、はっちゃんの足がもつれかける。

 

「あっ。ご、ごめん!」

 

 ミルは目に見えて慌てた。「いいよ」とはっちゃんは首を振る。それよりも気になることがあった。

 

「なんのチャレンジするの?」

 

 今度はゆっくり歩き出して、ミルは「お芋チャレンジ!」と楽しげに笑った。

 賑やかな道の途中でミルは露店に立ち寄った。店のおじさんと何かを交換している。

 

「これね、揚げ芋っていうんだよ」

「ふうん」

 

 三角の紙に三日月みたいな形の何かがいくつも詰まっているものを、ミルは嬉しそうに見せてくれた。

 ミルは人を避けるようにどこかの店の壁のそばに寄った。そして三日月のひとつを指先でつまんだミルは、ふーふーと口で風を送ってから、はっちゃんの顔の前に差し出した。緑の目を丸くして、はっちゃんは困ってしまう。

 

「……これどうすればいい?」

「お口に入れて、もぐもぐ〜って」

「……もぐもぐ〜……」

 

 恐る恐る口を近づけ、思い切ってぱくりと口に入れる。熱い。口の中に今まで感じたことのない感覚がたくさん生まれた。よくわからない。わからないけど、口の中があったかいのは、嫌じゃなかった。

 しばらくもぐもぐ〜とし続けていると、「ごくんって飲み込んでみて」と指示を受けたので、その通りにしてみる。喉を通って、何かがお腹に落ちるような、変な感じ。

 

「ど、どう?」

「もうちょっともぐもぐ〜する」

「気に入った⁉︎ 食べるの問題なさそう……かな? あ、でも後からお腹痛くなったりするかな……」

 

 ミルはまた何かを悩み始めてしまったので、はっちゃんはその手元から三日月をひとつ取って、口に入れた。さっきより熱い!

 

「あっ」

 

 でも、やっぱり悪くない。

 

「けっこう好きかも」

 

 飲み込んでから素直な気持ちを伝えると、ミルは「良かった」と顔を綻ばせた。

 

「半分こしよっか。……でも、もし後でお腹が痛くなったり、身体に不調が出たら隠さず教えてね」

「わかった」

 

 その後、ミルは新しい服も買ってくれた。それと、リュックサックとポーチ。そのふたつに詰めるらしいよくわからない道具たち。

 新品のヒヨコのリュックとポーチに、今日買ってもらった全部を詰めて歩く帰り道は、なんだか行きより楽しかった。

 

「ミル、お花だよ」

 

 ふと、お店の先に花がたくさん並んでいるのを見つけて、ミルの手を引いた。

 

「はっちゃんはお花好き?」

「うん。マリィが好きだったの。お花とか、草とか、おみやげに持ってくと笑ってくれたんだ」

 

 マリィが喜んでくれるから、はっちゃんもそれらが好きだった。

 

「……そっか」

 

 大好きな笑顔を思い出して微かに目を細めた少女の横顔を、ミルはどこか真剣な顔で見つめていた。

 


 ——その日の夜。ミルは真剣な顔で切り出した。

 

「はっちゃんの名前、ハナちゃんってどうかな⁉︎」

 

 きょとんと見つめる。

 ミルは顔を赤くして「いや安直だっていうのは理解してるんだけど私あんまりネーミングセンスなくて! それにほら、本人が好きなものに因んだほうが愛着が湧くかなあみたいな……!」などと早口で色々と言っていた。

 その姿がちょっと面白く思えて、少し笑った。

 

「うん。いいよ。はっちゃん、今日からハナちゃんになる」

「……!」

「ふふ。……はっちゃん。ハナちゃん」

 

 ミルからもらった名前を繰り返して呼ぶ。

 何度も、何度も。

 はっちゃん——ハナは、目を細めて自分の名前を口の中で転がした。


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