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ep.14 これはすべて自分のためだ



「——私がどうしたいか……って、」

 

 あまりにも当然のことを問われ、ミルは一瞬返答が遅れた。

 

「さっきも言ったよ。はっちゃんを助けたいって」

 

 揺れない声で変わらぬ望みを口にした少女に「そうだったね」と頷きを返し、魔法使いはミルの足元で光を浴びるふたつの小石を一瞥した。

 

「——だが、僕が聞きたいのは救いの形でね」

「救いの……形?」

「僕が思うに、彼女はもう救われている」

 

 ミルは眉根に皺を刻んだ。

 

「僕が何をしていたのか、と君は訊ねたが……彼女と話をしていた」

「!」

「まだ核に……その石の姿に戻る寸前の彼女が微睡んでいたんだ。すぐにミルちゃんが来ると伝えたが、彼女はそれを拒んだ」

「…………」

「ミルちゃんにもう迷惑をかけたくない。……苦しんでほしくない、と」

 

 魔法使いはそこで再び沈黙した。

 ミルの答えを、待っているのだ。

 ——ミルの心はそれでもやっぱり迷わなかった。

 

「おじさんは……このままはっちゃんを眠らせて寿命が尽きるのを待つ方がいいって言いたいんだよね」

 

 もしかして、その方があの子にとっては穏やかな終わりかもしれない。

 

「でもさ、それは大好きな人からのお願いを叶えてからでも遅くないよ」

 

 気持ちよく微睡んでいるところを叩き起こそうというミルの考えは、自分本位なエゴである。そう自覚している。だが、ミルは迷わない。

 

「まだ果たせる約束なら、果たしてから眠る方がいいに決まってる」

 

 強い瞳で断言したミルを、魔法使いは見定めるように見据え——

 

「……君は残酷なことを言うね」

 

 責めている声ではなかった。ただ静かに、思ったままを言葉にしたみたいだった。

 

「はっちゃんに恨み言を言われたっていいよ。こんな私に依頼したのは、あの子だから。天使の羽根は無理やりにでも受け取ってもらわないと私が困る」

 

 私が、と敢えてミルは強調した。これは自分のためだと、自戒を込めて。

 さあ、魔法使いは次に何と言うだろうか。

 止めるか、非難するか、それとも——

 

「分かった」

 

 けれどもその返事は想像のどれとも違った。

 ミルは思わず「え?」と拍子抜けした声を出してしまう。

 

「わ、分かってくれた、の?」

 

 「ああ」と、何故なのかやっぱり魔法使いは頷くわけだ。ミルはぽかんと固まった。

 

「——だって、傲慢なミルちゃんも可愛い……」

 

 さらにここで場にそぐわない発言をして屈み込むとは、流石のミルも予想外だった。「はえ?」と間抜けな顔を出して、膝を抱える黒い頭を見下ろしてしまう。

 

(か、可愛いって言った? 今? おじさんがなんで私に可愛いって言うの? ……百歩譲っても、なんで今?)

 

 ぐるぐると疑問がミルの頭を渦巻くが、本人に答えを求める勇気はなかった。仮に尋ねても、理解できる答えが戻ってくるか怪しいし。

 

「ミルちゃんがそう言うのなら、僕が時間を作るよ」

「えっ。あの。……え?」

 

 戸惑うミルを置き去りに、魔法使いは屈んだまま指を一本立てた。節ばった指先が示すのは、緑の石。

 ふたつの石を包むように、柔らかな光が灯る。

 そのうちの片方だけが強烈な光を放ち始め、輝きはやがて人の輪郭を作った。

 亜麻色の髪。澄んだ緑の瞳。ミルが買ってあげた薄青色のワンピースと革の靴——はっちゃんが、そこにいた。

 怪我はない。咄嗟に安堵してから、そういえばこの子は魔法で作られた子なんだっけ、とミルは自分の無意識の思考を否定しかけて——まあいっか、とその否定を横に置いた。ミルにとって、それは些細なことだ。

 ミルがはっちゃんの無事を確認する間、彼女もまたじぃっとミルを見つめたまま、動かずにいた。

 

「……はっ、ちゃん? どうしたの? どこか変?」

 

 妙に強い視線を受け止めて、ミルは首を傾げた。

 

「……………………ミル」

 

 少女は長い沈黙の後に、消え入るような声でミルを呼ぶ。小さいけれど、不満たっぷりの拗ねた声色で。

 

「……どうして来ちゃったの?」

「え?」

「血がでると痛くて、マリィみたいにいなくなって、死んじゃうんだよ」

「…………」

「——わたしのせいでミルは血がでたのに」

 

 幼い瞳から、雫がひと粒。

 ぎゅっとワンピースの裾を掴む。

 

「——……」

 

 戸惑うばかりだったミルの顔がスッと引き締まった。背負っていた採取袋を肩から下ろす。そして、花束を彼女に差し出した。

 その名の通り、天使の羽根のような花弁を持つ白い花。

 

「はっちゃん。マリィが欲しがってたっていう依頼の品だよ。私は冒険者だから、依頼の品を届けにきたの」

 

 はっちゃんは緑の目を丸くした。

 しかし、花束とミルの顔を交互に見たものの、なかなか受け取ろうとはしない。

「…………はっちゃん?」

 

 名を呼ばれ、少女は眉を寄せた。うろうろと迷うように目を泳がせてから、ぎゅっと瞼を閉じる。

 

「…………一緒に行きたかった…………」

「!」

 

 閉じた瞳からほろほろと涙が流れ、白い頬に透明な線を描く。

 

「わたしもミルと一緒に冒険してみたかった。……マリィが憧れてた、冒険者様との冒険……」

 

 ワンピースを握りしめた拳が微かに震える。

 

「でも、もうおしまいなんだって。さっき教えてもらった。……もうすぐわたし、眠ったまま、起きれなくなるんだって」

 

 小さな手だけではない。その声までもが震えている。

 でも、それだけだ。

 少女はミルに助けを求めないし、嫌だとか、怖いとか、そういう直接的な言葉を決して口にはしなかった。けれどもミルの瞳には、少女が助けを求めているように見えたから。この女の子に、何かがしたい。こんな顔で終わらせたくない。そんな気持ちで胸が締め付けられた。

 

(救いの形——)

 

 つい先程の魔法使いとの問答を思い出す。何故なのか、傲慢な自分を肯定してもらったばかりだ。

 ミルは深く息を吸い込んだ。

 

「……じゃあ、その前に行こう!」

「——え?」

「冒険!」

 

 きつく握られた手を無理やり解かせて、ミルは花束を少女に押し付けた。「でも」「……でも」と、少女は目尻に涙を溜めて首を横に振る。

 

「もう、いいの。……もう、眠いんだもん」

 

 幼い顔に諦めの色を乗せ、何かを堪えるように少女は唇を噛んだ。

 頑なな態度にミルは一瞬眉を寄せたが、しかしすぐに明るい顔を作った。

 

「……私もね、子供のころ冒険者に憧れてたんだよ。こっそり読んだ絵本に出てきた冒険者がかっこよかったから」

 

 ニコニコと太陽のように屈託なく笑いながら、ミルは言う。

 

「でも、冒険者になる前の私は、もう人生を終わらせようとしてたの。生きるのも憧れも、ぜーんぶ終わりにしようって、凄く危ない森に入ったんだよ」

 

 「——」膝を抱えたまま静聴に徹していた魔法使いが、不意に顔を上げた。フードで隠れたその視線が向かう先はひとつしかない。

 その視線に気づいているのかいないのか、ミルはその笑顔を魔法使いにも向けた。

 

「でも、その森でこのおじさんに会って——私が死にかけたとき〝助けて〟って叫んだら、本当に助けてくれたんだよ」

「……〝助けて〟……」

 

 少女は何か考えるようにしながら、一単語だけを拾い上げた。

 

「だから私もね、〝助けて〟っていう声に応えられる大人になりたくなった」

 

 八十四番と呼ばれていた少女をミルは見つめる。

 誰からも見向きもされず、助けても貰えず、名も無く、ひとりぼっちで——

 

「……はっちゃんがどんな存在かは、おじさんから少し聞いたよ。君は魔法で作られて……短い時しか生きられないって。そして君は、それを受け入れて一度は眠りについた」

 

 ぽつりぽつりと、息を詰めて。眉を寄せ言葉を紡ぐミルは、無意識のうちに胸元に落ちる外套を握りしめていた。

 

「私は——そんな君が、自分にそっくりだって思ったんだ」

 

 所在無げに花束を抱いていたはっちゃんが、緑の瞳を瞬かせる。

 

「……ミルもわたしと同じなの?」

「私は人間だけどね。でも、本当はもう死んでなきゃいけなかったんだ。そういう目的で大人は私を産んだの。……はっちゃんも、このおじさんから自分がどんな存在か聞いたんだよね」

「…………」

「私はね、その時が来るまで、自分がどんな存在かなんて知らなかったよ。……でも納得したんだ。だから私は他の人と違って名前がないんだ。いつも同じ服を着せられて、誰も私に触れてくれないんだ……って」

 

 瞳を、瞼で隠して。ミルは続ける。

 そんな彼女を魔法使いは物言わず見つめていた。——ただ、何かを掴むようにきつくその手のひらを握りしめながら。

 

「でも、でもね。——本当は助けて欲しかった。可愛い服を買って欲しかったし、抱き締めて欲しかったし、名前を呼んで欲しかった。手を取って、連れ出して欲しかった」

 

 感情をひとつひとつ言葉にするごと、ミルは足元がぐらつくような感覚に見舞われた。こんな自己開示、これまで誰にだってしたことがない。したいと思ったこともない。なのに今、ミルは自分の中にあるどろどろとした手触りの何かを丁寧に掬い上げては外に出している。

 しかも、こんな自分語りをしているのは優しさや正義感みたいなきれいな理由なんかじゃない。

 だって、ミルが救おうとしているのは——

 ずっと救ってほしかったのは、

 

「……そうだよ。君にしたことは全部、幼い私が誰かにして欲しかったことだった」

 

 口にして、ようやく。ミルはどうして頑なに少女に諦めてほしくない(﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅)のか、認めた。

 

「私は君に死んでほしくないよ。……今の君を見てると、助けてもらえなかったあの日の自分を見てるみたいで辛い。嫌だよ。そんな顔しちゃ嫌だ。……しかも私と違って、その先(﹅﹅﹅)がないなんて、嫌なんだ」

 

 ミルの声はぶれない。内容に反して明朗で、切実で——明るくいないと、語れないかのように。

 

「私は……私のために、君の望みを叶えたいと思ってる。勝手だよね。……でも。いくら私が自分と君を重ねて見ても、私たちは別人だし、心の中だって分からない。だから、ちゃんと聞かせて欲しいんだ」

 

 閉ざしていた瞳が顕になると、空の色をしたそれは差し込む光を反射して、きらりと輝いた。

 

「ねえ、はっちゃん。もう一度望んでよ。諦めじゃなくてさ、願いとしてもう一回口にしてよ」

 

 立ち尽くす少女に、笑いかける。

 

「この手を掴んでくれたなら——私は君を外に連れ出すよ」

 

 あの日の自分がそうして欲しかったように、手を伸ばす。



「一緒に冒険しよう!」

「————、」



 返事は、なかった。

 彼女の唇は小さく開いたように見えたが、言葉を探しあぐねているのだろうか? ミルが様子を見ていると、その代わりとばかり、小さな手のひらがおっかなびっくり伸ばされた。

 手が触れる。

 手を掴む。

 その様を見つめて、ようやく現実に気がついて、ミルは目を見開いた。

 

 ——その手が半ば透き通っていたから。

 ——触れたはずの手の感触がなかったから。

 ——確かに唇が動いているのに、何も聴こえないから。

 

 ミルは唇を噛み締めた。瞳を揺らし、ミルはすぐ魔法使いを視界に探す。縋るような思いがそこにあった。

 屈んだままでいた黒衣の姿を視界に収め、一度口を開きかけて——やめて。

 じわりと、目の奥が熱くなる。

 

「……おじ、さん……もう、時間終わり……?」

 

 でもやっぱり、ミルは我慢できなかった。

 あと少し。もう少しだけ。

 だって、手を。ちゃんと伸ばしてくれたのに。

 ——この手を掴めないなんて、そんなの。

 

「………………全く。そんな顔をしないでおくれよ」

 

 打って変わって情けない声を出したミルを見て、魔法使いは息を吐いた。それはどこか、安堵の色を含んでいる。

 

「消えゆく定めを覆す。それだけなら僕には無意味な行為でしかないが——」

 

 「でもね」と優しい声を響かせて、魔法使いは重い腰を上げた。

 

「それがミルちゃんの救いになるのなら——僕は別に、前提を書き換えることだって吝かじゃあないんだよ」

 

 その手には金の片手杖が握られている。

 杖が指し示すのは消える寸前みたいな少女の輪郭。先端の魔石が、淡い光を灯していた。

 

「僕には君の声がまだ聴こえているがね——その言葉はすべて、直接君からミルちゃんに伝えるといい」

 

 透き通った身体はまるで幽霊みたいだ。表情も、もうよく分からない。けれどミルがあげた服と花だけは、鮮やかなまま。

 そんな少女の横。魔法使いは床に落ちたままだったもうひとつの小石を拾い上げた。

 それは核だ。

 ——奇跡によって生まれた彼女の、もうひとつの心臓。

 

「これを」

 

 花束を持つ手にそれを押し付けるように持たせると、魔法使いは一歩引いた。

 その時、ゆらりと黒いローブの裾が揺れる。いや、はためいていた。風も無いのに、まるで風に煽られたように。

 

「実は人型魔導器(ホムンクルス)の名を聞いた時からずっと考えていてね。僕ならこの魔法をどう完成させるか——」

 

 花と、核。そして今にも消えてしまいそうな少女。それらの要素を見据え、魔法使いは浮いた様子で口を動かす。

 彼が杖を指揮棒のように操ると、少女を中心に魔法陣が輝いた。

 

「僕が先にここを調べたのも、先に彼女と話したのもその為でね。天使の羽根こそが最後の一手であるという確証が欲しかった」

 

 ——ミルは美しいその紋様を呆然と見つめる。

 それは幾重にも折り重なり、そして輪となって少女の周囲を包み込んだ。

 これまでミルは術者の足元や発動地点で輝く一枚の魔法陣しか見たことがないし、どれも似たような紋様を円に閉じ込めたものだとばかり思っていた。

 だが、目の前の魔法陣はその全てが異なる精緻な紋様を描いている。数式のように、詩のように、まるで一枚の絵のように。一つとして同じ内容がない。それぞれが異なる速度で回っている。噛み合う歯車のようであり、時計の針のようでもある。その光景に、ミルは圧倒された。

 

(すごい……きれい……)

 

 眼前で展開される魔法の複雑さが、これっぽっちも魔法に詳しくないミルにすら窺い知れる。肌で理解する。——これは、今まで見てきたどの魔法よりも凄いものだ。

 

「永遠を望むにはちょっと準備が足りないが、人間の一生程度なら、この花束だけでも充分だろう。さあ——天使の花がこの研究に与えたのは奇跡(﹅﹅)ではないと証明しようじゃないか!」

 

 青い光はふくれ上がる。

 鮮烈に、白い室内を染め上げる。

 余裕綽々な饒舌を最後まで崩さぬまま、魔法使いは口許に笑みを浮かべていた。

 

「もしもマリィが君のためにこの花を用意させたのだとしたら。……きっと、父親よりも素晴らしい魔法使いになれただろうに」

 

 「じつに勿体無い」と、彼は杖を虚空にかき消しながら呟いた。

 光は徐々に収束しつつある。

 

「——だが、祈りは届いた。ミルちゃんに声をかけてよかったね、お嬢さん」


「おかげで、この僕がここへ来たんだから」



 「君は運がいい」魔法使いは杖の先を遊ばせて、掻き消えた光の向こうへ満足げに語りかけた。

 

「——っ」

 

 そこにある輪郭を認識した瞬間、ミルの息が止まった。

 立っているのは、一人の少女。年のころは七、八歳。伸ばした亜麻色の髪、愛らしい面差しを持つ緑の瞳の女の子。白い花柄が可愛い水色のワンピースと茶色の革靴がよく似合う彼女の身体は、透き通ってなどいない。

 花束は光の中に溶けてしまったけれど、手のひらの中には宝物の小石が握られたまま。

 自分を見つめる空色の瞳を見つけた瞬間、少女はぐっと息を呑んだ。涙を堪えようとして、けれど上手くいかなくて。透き通った瞳から熱い雫をこぼしながら、真っ先に彼女は、今度こそ想いを告げた。

 

「——冒険、したい」

 

 その声は確かに空気を震わせて、ミルにまで届いた。

 第一声で勢い付いたか、少女は「あのね、あのね!」とミルの元へと歩み寄った。

 

「ミルと一緒に冒険したい!」

「——うん」

「……マリィと一緒にいたかった! ミルとも一緒にいたい! わたし、眠ったまま起こしてもらえないの、やだ。やだよ。楽しいこと、もっといっぱいしたい……!」

「……うん。……うん」

「死にたくない……!」

「……大丈夫。大丈夫だよ。楽しいこと、いっぱいしよう」

 

 泣きじゃくる少女を抱きしめて、ミルはその頭髪に顔を埋めた。


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