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ep.12 心を問う



 ミルが魔法で飛ばされたのは、彼女にとって見覚えのない白い建物の前だった。

 

 長方形の白い箱に煙突が生えている、そんな外観。

 ミルの背の丈ほどもある黒い柵で囲まれた庭の花壇には季節の花が揺れていた。

 建てられてからそれなりに時間が経っていそうだが、よく手入れの行き届いた建物であることが窺える。窓は少なく、普通の一軒家というより、工房や研究所といった用途の場所かもしれない。

 周囲は似たようなつくりの建物が多く、人通りはほとんど無かった。

 

 戸惑いを顔に浮かべて周囲を見渡していると、白い扉がキィ、と開いてミルはびくりとする。

 白い家から顔を出したのは黒衣の魔法使い。

 

「おじさん!」

 

 彼を視認した瞬間、不安げだったミルの顔にパッと花が咲く。

 

「おいでよ。門は開いてるから」

「うんっ」

 

 ミルは柵を繋ぐ中央の門には目もくれず、なぜか眼前にある柵に手をかけた。「ん……?」と魔法使いが小さく怪訝な声を落としたことなど、当然少女には届いていない。

 ミルはそのまま軽やかに柵に足をかけ、ひょいと飛び越えてしまったではないか。そして、一目散に駆けていく。

 

「おじさんおじさんっ。ちゃんと採ってきたよ!」

 

 彼女は魔法使いの眼下に採取袋を差し出して、紐で縛っていた口を開いて見せた。麻の布の中には白い花——天使の羽根がいくつも入っていた。

 ニコニコと魔法使いに詰め寄った少女の顔には「褒めて」と分かりやすい字が書いてあるようである。

 その姿は——二人が初めて出会った燐光湖の森で、採取の仕方を教わっていた時と同じだった。

 あの時も言われた通りに採取できれば、ミルはすぐに「見て、褒めて」と魔法使いに得意げな顔を見せていた。数年の空白なんて一切感じさせない態度である。

 

 ミルは他人と一定の距離を取りたがるが、この通り一度心を開いた相手にはいつまでも全力で懐くタイプだった。

 

「〜〜っ」

 

 魔法使いは掴んだままだった取手をグッと強く握りしめ、空いていたもう片方の手をわなわなと震わせた。でも、それ以外の部分は凍ったように動かない。

 

「おじさん?」

 

 なぜか妙な反応をされている。ミルはきょとんと目を丸くした。

 

「褒めてくれないの……?」

 

 笑顔を消し、じいっと不安げに空色の瞳を揺らす。

 

「……………………」

 

 魔法使いは、声もなくふらりとよろめいた。一歩、二歩、たたらを踏むように後退り、壁に身体を預け、心臓のあたりをローブの上からぎゅっと押さえつけている。肩で息をして、様子が可笑しい。

 閉まりかけた扉を支えながら呆然としていたミルは、すぐに表情から甘えを消し、魔法使いのそばに寄った。

 彼の袖をぎゅっと握りしめる。

 

「おじさん、大丈夫っ? もしかして博士と戦いになって、怪我とかしちゃったの⁉︎」

「……僕はもう幸福の許容摂取量を超えてる……限界だ、もう、溶けるしか道はない……」

「溶けちゃうの⁉︎」

 

 ——でも〝幸福〟って言った?

 

 ミルは魔法使いの不可解な言動に首を傾げた。とりあえず、一見して分かる外傷はない。そもそも彼は治癒魔法だって使えるのだから、仮に怪我をしても、魔法を使う余力さえ残っていればなんの問題もないだろう。

 

(じゃあ、つまりこの反応は一体……?)

 

 まあ、そうなると純然たる疑問だけは残ってしまうわけだが……。

 むむむと謎に唸るミルの前で、魔法使いは「僕のことは放っておいて大丈夫……」と呻いている。埒が開かないので、ミルは彼の申し出を素直に受け入れることにした。

 

 「分かった。……でも、無理しないでね?」と頷き、別の疑問を口にする。

 

「ところで、ここは? ここが博士の研究所なの?」

 

 そう尋ねながらも、ミルはうっすら「違うだろうな」と感じていた。

 フェザーの売人との会話を思い返す。

 

『ブラスの根城は上だ。王都の端に工場地帯があるだろ、そこにあいつの研究所が紛れてる』

 

 工場地帯ならばミルも時折足を運ぶ。

 剣の研ぎ直しを安価で受けてくれる伝手がそこにあるから、あのエリアがどのような景観なのかは理解していた。

 でも、この周辺は綺麗に石畳が舗装されているし、ここの庭だって立派だった。

 むしろ中央にほど近いエリアなのでは——と推測している。

 魔法使いは壁に向かったままボソボソと答えた。

 

「ここは君が囚われていた場所だ……」

「え、この建物に牢屋があるの? 何の建物……?」

「……マリィの家……」

「マリィ——って、依頼書の⁉︎」

 

 事の発端である未完の依頼書を、八十四番ことはっちゃんに託した相手——

 

『マリィ? ……ブラスの娘か。もうだいぶ前に死んだって話だろ。それがどうした?』

 

 そして。

 博士と面識があるらしい売人によれば——マリィはブラス博士の娘であるという。

 その情報を踏まえても、ミルにはやっぱりマリィがなぜ天使の羽根を求めたのかは分からない。

 

「おじさんはどうしてここにいるの? ……中に博士が?」

「……あの男は、別の研究所にいるよ。もう会ってきた……ここにはいない……」

 

 よろよろとしながら背筋を伸ばし、魔法使いは壁と向かい合うのをやめた。彼はどこか力の入りきらない動きで黒いローブの中を探り、ミルにとって見覚えのあるものを取り出す。

 白鞘の剣と、黒い採取ナイフ。それにウエストポーチもだ。

 次々と渡されるそれを両手で抱えて、ミルは失くしていた自分の装備と魔法使いを交互に見た。

 

「見つけてくれたの⁉︎」

「……ミルちゃんが持つべきだからね」

「ありがとう、おじさんっ」

 

 ミルは早速背負った借り物の剣と交換しようとしたが、両手が塞がっている。

 一度床に下ろそうとしたところ、「背中……向けてごらん」と短く声がかけられ、その通りにした。

 魔法使いはミルの背から貸していた長剣を回収し、魔法でどこかへ収納してから、渡したばかりのミルの剣を背中のベルトに固定してくれた。

 

「……うん。やっぱり君は、この剣が似合う……」

「…………そう、かな?」

 

 声は小さいが満足げな魔法使いと裏腹に、なぜかミルは少しだけ眉を下げた。

 ——そんな一幕と共に装備の付け替えを終わらせて、ミルは改めて魔法使いに状況を確認した。

 

「ブラスはもう使い物にならないから頭から消していい……」

 

 そして、真っ先に告げられた言葉にミルの顔が青くなる。

 

「え——こ、殺しちゃっ、た、の?」

「…………」

 

 恐る恐る尋ねたミルを、魔法使いはじっと見下ろした。すぐには答えず、しかしやがて軽く肩をすくめて見せる。

 

「……まさか。ミルちゃんはそういうの嫌だろう? 騎士団に連絡したからもう大丈夫って意味だよ。……色々、余罪がある男のようだったからね……」

「そ、そっか。そうなんだね」

「……僕がここにいるのは、はっちゃんの居場所だから——」

「! い、生きてる……んだね? ほんとに⁉︎ 奥にいるの⁉︎」

 

 はっちゃんの名を聞いて、ミルは魔法使いを置いて玄関ホールの奥へ走り出そうとした。しかし数歩進んだところでその身体はふわりと宙に浮いて「えっあれっ」と目を丸くしたのだが。そのまま、最初に立っていた場所にストンと戻されてしまった。

 十中八九、魔法使いの仕業である。

 

「まだ話終わってないから。ちょっと待ちなさいね……」

「……ごめんなさい。……話って?」

「奥へ進む前に、ミルちゃんには大切な話をしなきゃならない……」

 

 魔法使いはどこか気怠げな様子で、言葉を選ぶようにしながら口を開く。

 

「……はっちゃんの正体と、寿命について」


 *


 魔法使いに案内される形で、ミルは誰もいない建物の中を歩いていく。治癒魔法の研究部屋、キッチンや浴室、物置。最低限の暮らしの設備はどれも埃を被っていた。

 研究部屋の奥には鍵のかかる扉がある。魔法使いに続いてそこに足を踏み入れたミルは目を丸くした。

 

 背伸びしても届かない高所に小さな窓がひとつだけ。奥にぽつんと白く塗られた扉がある。小さな窓から朝の光が差し込む壁際に、一人分の寝台。それだけ。広い空間なのに、他に何もない。

 壁も天井も床も白く、汚れがなかった。

 

 ——ただ一つ、白い寝台を汚す赤い染みを除けば。

 

 さみしい部屋でたったひとつの家具だから、その汚れは余計に目立って見える。木枠も寝具も白く統一された寝台で、ただひとつ中央についた色。こぼした塗料のように見えなくもないが、ミルは別の想像をして、眉を寄せた。

 

「……これ、血、だよね?」

「…………」

 

 魔法使いは無言でその寝台の横を通り過ぎた。その足取りは迷いなく奥の扉を目指している。

 ミルも口を閉ざして黒い背中を追いかけた。

 寝台を通り過ぎ様、けれど少女は後ろ髪を引かれたように赤を振り返る。

 

(おじさんはここをマリィの家だって言ってた……から、ここがマリィの寝室?)

 

 ——でも、ここにはマリィという人物がどんな人だったかを想像する余地が何もない。ただ……赤い染みを見ていると、最期だけは。もしかして、なんて想像が頭を掠めるのだ。

 でも、ミルの想像通りだとすると、それはそれで妙な点が残る。

 

「……マリィはもうずっと前に亡くなってるって、あの売人が言ってたのに」

 

 売人はブラス博士とはフェザーの取引を始めるより前からの知人であったという。どんな関係だったかは最後まで明かさなかったが、それなりに親しかったのでは、と感じる温度で売人は博士について語っていた。

 

『もう十年以上……随分と昔のことだよ。マリィは身体が弱くて、嬢ちゃんと同じくらいの年頃に病死しちまった。……ブラスは腕のいい治癒師だったのにな。あいつがああなったのは、救えなかったからなのかもしれん』

 

 あの言葉が真実であるならば、ミルには気になることがある。

 

「あの血の色、まだそんなに黒ずんでないし、まだ新しく見える……」

 

 もし十年以上前にここで何かの悲劇(﹅﹅)があったとしたなら、あの赤はあまりに鮮やかすぎる。他の家具や私物を処分したのに、あれだけが放置してあるのもミルには奇妙に思えてならない。

 扉の前で立ち止まった魔法使いが、徐にミルを振り返る。

 

「……あまり、知っても面白くないことだ。気にしない方がいいよ」

「おじさんは知ってるの? ここで何があったか、博士に聞いたとか?」

「……いいや? 手持ちの情報からある程度は見当がつくってだけだよ。ただし、僕は憶測を話す気はないから諦めなさい」

「……ちぇー。おじさん、私のこと子供扱いしてるでしょ」

「これは……女の子扱いだよ」

「それが子供扱いっていうんだよ、おじさん」

「……そう?」

 

 魔法使いは首を傾げている。その背中を眺めつつ、ミルは少しだけ唇を尖らせて「その扉の先にはっちゃんがいるの?」と話題を変えた。

 

「そうだね」

 

 鍵穴があるが、鍵は掛かっていなかった。

 扉を開ければ、ミルが囚われていた牢のある部屋に出る。

 牢屋がひとつ、その横に扉で閉ざされた場所がもうひとつ。

 閉ざされた牢の高所にある格子窓から、日差しがたっぷりと差し込んでいる。どこか見覚えのある空間に入ったミルは、ふと閉じかける扉を振り向いて気がついた。

 

 この部屋も、あの寝室も、どちらも外側からしか鍵の開閉ができない——閉じ込める作りになっている。

 

 からっぽの寝室に、マリィの暮らしを想像する余地はなかった。

 でも——それ以外の場所から、拾える違和感がある。ミルは持ち前の勘の良さでそれらを余すことなく拾ってしまい、顔から徐々に表情が消えていった。

 

「……はっちゃんはどこかな」

 

 彼女にしては低く響いた声に、魔法使いが一瞬足を止めかけた。しかし結局、そのまま歩を進める。

 ミルは己が半日前に囚われていた牢を横目に通り過ぎ、もうひとつの部屋に続く扉の前で立ち止まった。白く塗られていない、少し錆びた鉄の扉だ。

 

 魔法使いはここで立ち止まったから、この中に求める姿があるのだろうか。……もしかして、ミルが牢にいた時からずっと?

 ミルは魔法使いを一瞥してから、そっとドアノブに手をかけた。鍵穴はあるが、丸いノブは静かに回る。

 音もなく開いた扉の隙間から、光が差し込んだ。

 

「……はっちゃん?」

 

 そこは白い部屋。

 マリィのものと思われた寝室と、よく似た作りだ。ただし、ここには寝台すらない。光を取り込む真っ白い部屋。

 小さな呼びかけに返事はなかった。ミルは部屋に踏み込んだが、そこには何も——誰もいない。

 

 ただ、ふたつ。

 見覚えのある緑色の小石が仲良く並んで中央に転がり、光を反射していた。

 

「……——」

 

 足を止めたまま扉を支える魔法使いをミルは振り返る。

 

「おじさん。はっちゃんがここにいるって言ってたよね?」

「…………」

「……おじさん」

 

 険しかったミルの顔が、堪えきれずにぐにゃりと歪む。玄関ホールで聞かされた説明が脳裏に蘇り、ミルは唇を噛んだ。

 

 人型魔導器(ホムンクルス)は、いくら人間に見た目が似ていようが、所詮は魔法だ。永遠を約束する魔法がないとは言わないが、はっちゃんは違う。その寿命は人間と比べてはるかに短く儚いものだと——黒い魔法使いは、そう語った。

 

「……間に合わなかったの?」

 

 ——いいかい、ミルちゃん。〝はっちゃん〟は人じゃない。人格は術者に与えられた仮初でしかない。術者にとって都合のいい、人形のようなモノなんだよ。七、八歳に見えていたとしても、最初からそうなるよう設計されていただけ。造られてから半年も経ってはいないだろう。ブラスに八十四番を延命させる気はなかった。ミルちゃんがその命を何らかの形で救っても、じきに消える。そういう存在(モノ)だ。

 

 そう言われても、ミルにはやっぱりはっちゃんが作りモノとは思えなかったし、人形という評価も違うと思う。だから、魔法使いの説明を聞いてもミルの心は大して揺らがなかった。

 ミルはあの少女に用がある。

 ミルは冒険者で、あの子は依頼人なのだから。

 それを邪魔する博士の狂刃から守りたかったし、助けたかった。

 

 ——もし博士に手を下されるまでもなくひとりでに終わってしまう命だとしても。その最期を、慕う相手からの暴力で終わらせるのは酷ではないか。

 

 大好きなマリィの最期の頼みを完遂して、満足して、いい気分で眠りにつく。

 もしもはっちゃんの最期を受け入れるなら、それ以外の形はミルの中になかったのに。

 

「……さっき、おじさんはこの家の中から出てきたけど、」

 

 ミルは魔法使いに背を向けて、ぎゅっと拳を握り締めた。

 空色の瞳は、緑の石を見つめている。

 

「…………何してたの?」

 

 ここに彼女が居ると断言したのは魔法使いだ。

 そして、ミルがここに来るよりも先に内部を検めていたのも彼である。

 

「はっちゃんと、会ったの?」

 

 ミルは問いを重ねた。

 

 

「……何、してたの?」

 

 きゅっと眉を寄せて俯く。魔法使いはすぐに答えてくれなかったから、どんどんミルの身体はこわばっていった。

 ゆらりと黒衣が揺れる。

 彼は足音を立てず、彼女の元へと歩いた。

 支えを失った扉が静かに閉ざされる。

 

「最後にもう一度、君の心を問おう」

 

 手を伸ばせば届く距離で足を止め。ようやく、魔法使いは重い口を開いた。

 

「——ミルちゃんはどうしたい?」



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