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ep.11 最愛のひと



 マリィ=フェンディルス。

 

 彼女は幼い頃から病気がちな女の子だった。

 ブラスが魔法使いを志したきっかけは、か弱い彼女がいつなんどき病に罹っても支え、癒してやるためだった。

 

 魔法使いは大きく分けて二種類いる。

 治癒師(ヒーラー)か、それ以外か。

 治癒魔法は一般的な魔法と少し勝手が違う。だから、全てを修めるのではなく、どちらに特化するのかを決める。魔法使いを志した人間がまず最初に迫られる決断だ。

 ブラスは当然、治癒師の道を選んだ。

 

 外傷を癒す。様々な薬草を調合し、薬を精製する。——愛する彼女のためだけに。

 医療の知識が深まるうち、やがてブラスは一つの結論に至る。

 

 ——外の世界はマリィにとって毒だ。

 

 虚弱な彼女はすぐに転ぶ。他人と話せばすぐに彼女は様々な病気をうつされる。目を離した隙に、暴漢に襲われかけたことだってある。

 彼女が成人の日を迎えたのは奇跡なんかじゃなく、ブラスの献身があってこそだという自負があった。

 

『今日から私は君の保護者ではなく、夫です』

『夫? ……あなたが、わたしの?』

 

 マリィの成人の日。

 二人の関係を、夫婦と呼ぶことにした。

 その記念に、ブラスはマリィのための清潔で安全な部屋を用意した。

 彼女はこの部屋にいれば安心だ。

 最初は外に出たがっていたが、一年も経てばそんな望みは忘れたようだった。

 

 しかしそのうち、寂しがるようになった。

 彼女は子を欲しがった。

 彼女に応えたかったが、出産に母体が耐えきれない可能性が高い。ブラスは必死に我慢した。我慢したとも。——それでも、マリィの涙には弱かった。

 結局、案じた通りになった。

 ……死産だった。

 母体のダメージも相当だったが、何よりも心の傷が深かった。

 

 元々不安定だったが、その日から決定的にマリィは壊れてしまった。

 癇癪を起こして手が付けられない。目を離せば彼女はすぐに部屋にあるものを使い自死を試すようになった。

 清潔な部屋は、何もない部屋になった。

 

『かわいい子供ができれば、少しはあなたを愛せるようになると思ったのに』

 

 恨めしい目を向けるようになった。

 今まで吐いたことのない憎悪を口にするようになった。

 ……何度考えても理解できなかった。

 これだけ尽くしてきたブラスへ、そんな態度を取る必然性がどこに?

 

 愛していると囁けば『わたしも!』と返してくれていたブラスの可愛いマリィが、どこにもいなくなってしまった。

 

 ————幸せな夢が見たかった。

 

 フェザーの存在を知ったのは、そんな時だ。その粉を吸えば望む夢が見られるという。

 ブラスとマリィは、フェザーのおかげで幸せを取り戻した。粉を吸った後の彼女は、まるで幼いころを取り戻したように無邪気に笑い、ブラスに甘えた。

 買えば高価な代物だが、幸いブラスは薬の精製を得意としている。マリィの為だけに今まで積み上げてきたものは無駄ではなかったのだ。

 

 そして、娘が欲しくなった。

 マリィはフェザーを吸うと、いつも必ず、産声すら知らぬ我が子の成長した姿を見るらしい。かわいいでしょう、と彼女がブラスに聞かせてくれる娘の話を、ブラスも理解したいと望んだ。

 ブラスが見る夢は、いつも決まって懐かしい日々の追憶だった。

 まだ幼いマリィが、泣きながら己への愛を語る姿。

 

 ——子供がいれば、もう一度(﹅﹅﹅﹅)きみは私を愛してくれるのだろう?

 

 そんな時……本当に偶然だ。古に流行ったという魔法の書を手に入れた。人型魔導器(ホムンクルス)。天啓を得た気分になり、ブラスはそれから人型魔導器の実験に盲信的に取り組んだ。

 先人の知恵では、望んだ通りにならない。短命もさることながら、人らしさを再現する難しさ。

 人格を植え付けようが、実際には命令を遂行するだけの道具にしか見えなかった。

 ただの魔法に心を持たせよう、などという望みが不相応なのかも知れないが——諦めなかった。

 

 その末、ブラスは世紀の発見をする。

 人型魔導器の精製時に、ある素材——フェザーを混ぜると、ホムンクルスに情緒の芽生えが観測できたのだ。

 人らしくあれと望まれた道具たちが、造られる過程で夢を見ているのかもしれない——理屈を完全には理解できぬまま、ブラスはその方向で研究を突き詰めていった。

 

 生まれた娘たちは可愛かった。ブラスに従順で、ブラスだけを愛した。声も髪も瞳もマリィを元にデザインしたから、まるで幼いマリィが帰ってきたみたいだった。

 こんなに可愛いのに、マリィは何が気に入らないのか、娘が生まれるたびに手をあげた。泣き叫ぶ日も、怒りにまかせて暴れる日もあった。

 確かに、娘たちは短命ですぐ死んでしまうし、上手く人の形を作れない子が多い。そのせいだろう。

 完璧な器を作れる子がもし生まれたなら、きっと。

 

 ————そして、八十四回目。

 

 奇跡は起きた。

 その子は幼いマリィの生き写しだった。

 意思の疎通がどの個体よりもスムーズにできる。何より、彼女の核は妙に丈夫で、他の娘たちと違って何日経っても死ぬ気配がないのである。試しにフェザーに加工する前の花の状態で与えてみたのがよかったのだろうか?

 

『夢に見たわたしの娘——ううん。お友達。ようやく会えたのね!』

 

 マリィは今までが嘘のように明るくなり、八十四番を可愛がった。笑顔が増えるにつれ、フェザーの摂取量が日に日に減った。

 

 ——唯一の誤算は、その子もまたマリィだけを愛したことだ。

 

 耐え難かった。マリィを奪う八十四番が。

 見ていられなかった。八十四番を奪うマリィが。

 意味が分からなかった。ずっと愛してきたんだ。ブラスの人生を懸けた献身は、報われて然るべきだ。

 マリィも、娘も。どちらもブラスの所有物であるはずなのに、どうして父を喜ばせようとしない?

 

 こんなはずではなかった。

 ブラスはマリィに昔のように躾をする時間が増えていった。

 

 ……こんなはずでは、なかった。

 八十四番に躾をしようとするとマリィが手のつけられないほど暴れたから、二人の会う時間を制限した。



『わたしは、あんたなんか、いちどだって』



 ——こんなはずでは!

 カッとなった。我に返った時には遅かった。いっそ八十四番も——ブラスは悩みに悩んだが、しかし、マリィがいなくなってからの八十四番は比較的従順になった。

 

 何より、可愛かった頃のマリィに、その顔は似過ぎていたから。

 だから寿命が尽きるまでは、このまま自由にさせてやろうと思っていたのに。

 

『ううん。行きたい。わたしも冒険する!』

 

 

 ——パパの許可なく王都の外へ出ようなどと、許せるものか。


 *


「……君の心を折るにはこれが一番早そうだ」

 

 ひどく冷めた声で、賢者がそう呟いた瞬間。

 ——カプセルが並ぶ床の魔法陣が波打つように光を強めた。

 

 「な——」ブラスは目を見開く。ブラスが構築した魔法陣が、勝手に輝きを増していく。あまりに暴力的な魔力が、すべてを塗り潰していく。

 

 賢者は何をしようとしている?

 

 黒い布があの男の全てを包み隠して、何も分からない。そもそもあの男、杖すら持っていないではないか。せいぜい、なんの変哲もないナイフだけ。

 可笑しいだろう。杖の補助がなければ、魔法は発動すらままならない。できても、暴発するのが関の山だ。

 なのに、この男が操る魔力の流れはこんなにも整って美しい。

 

 許されるのか——こんなことが。

 

 半ば混乱しながら、ブラスは口早に詠唱し、杖を掲げ魔法陣への干渉を試みた。しかし送り込んだブラスの魔力は全てが拒絶され、大気中に虚しく霧散していくだけ。

 光に染まる。何もかも。

 ゆりかごの中で目覚めの時を待つ可愛い娘たちが、光に呑み込まれていく。

 

「やめろ……! やめてくれ!」

 

 もう、他に残ってないんだ。ここにあるものが全てだ。娘を一から作り出すのに数ヶ月はかかる。だからいつも絶やさぬように生産を管理していた。最低でも一人は、娘がブラスのそばにいてくれるように。

 ポケットにはもう一粒だけ、娘の命の核が入っている。これは出来がいい。たっぷり魔力を与えてやれば、次が完成するまでの間は持つはずだ。

 

 ——だから、せめて。

 これの存在だけは知られぬようにしなければ。

 ブラスは無意識に片手をポケットに入れ、ヒヤリとした滑らかな感触を確かめる。

 

 ——だが。

 

「おや、まだ手持ちの核があったのか」

 

 握りしめた指の隙間から、白衣を貫通し眩い光が漏れた。

 まだブラスは核に魔力を込めていない。賢者が何か干渉しようとしている。ヒュッと息が詰まる。心臓が握りつぶされたかのようだ。ブラスは考えた。

 

 逃げる?

 ——この施設を放棄しては、娘を作り出すことができない。

 

 戦う?

 ——こんな化け物を相手に、無駄死にもいいところだ。

 

 なら。

 ——せめて、この核への干渉が完全なものになる前に、ブラスが命を吹き込もう。

 

 それは意味のある行動ではなかった。状況が好転する策ではない。しかしもう、ブラスにできることといえば、愛しい娘を呼び出し、その姿を目に焼き付けることくらいしか残っていなかった。

 

 光り続ける核を取り出す。

 緑色のそれに、ありったけのブラスの魔力を込めた。ぶくぶくと膨れた緑の粘液が、不完全で、しかし愛らしい姿を再現していく。

 今度の個体は、先ほどの子よりもずっと器用だった。瞼はないが、ちゃんと目がある。口だってある。

 

「……マリィ」

 

 今はもういない、愛しい娘の名が口からこぼれ落ちた。

 ——可愛く愛しい、私のマリィ。

 

「ぱぱ」

 

 懐かしい響きだった。

 ああ——そういえば。愛娘の名で呼ぶとき、そうやって反応するようにしたのだったか。愛娘は娘たちを己の名で呼ばれるのを酷く嫌がったから、それに合わせ続け、すっかり忘れていた。

 百二十二番と、代替の名で呼べば、きっと聞き慣れた博士という肩書きで返されるのだろう。

 

「マリィ」

 

 賢者の視線はこちらを向いているような気がした。しかし口を挟んではこない。ブラスはじっと己を見上げてくる小さな娘に手を伸ばした。頭を、撫でようとした。

 だが、手のひらが空を切る。

 ——ひたひたと、娘はブラスから離れていく。

 

「……? マリィ、どこへ——」

 

 向かった先は、

 

「けんじゃさま、わたし、どうすればいい?」

 

 黒衣の魔法使いの、傍だった。

 無邪気な声で、親しげに話しかけている。ブラスは愕然とした。

 そんなことは教えていない。あの男のことなんて何一つとして教えていない!

 

「そうだね、マリィ。君の姉妹たちと一緒に、端っこで大人しくしていなさい」

 

 呼ぶな。呼ぶな呼ぶな呼ぶな。愛娘の名を呼ぶな。それは私の所有物だ。勝手に命令するな。おい。なぜ命令を聞く。素直に歩き出すんじゃない。

 

「待て! お前までパパを置いてどこへ行く……!」

 

 思わず手を伸ばしていた。お前は振り返りもしない。そんな子に作った覚えはない。

 

「またお前は! そうやってパパを一人にするのか、マリィ!」

 

 たまらず怒鳴りつけたブラスから、ふい、と娘は顔を背けた。

 その、瞬間。

 

 

『あのね、パパ』

 

 ——あの夜の声が、唐突に蘇った。

 

『好きな人が……できたの』

 

 マリィが成人を控えた年のことだった。

 またブラスの言い付けを破ってこっそり街へ抜け出したマリィが、転びそうになったところを支えてくれた何処の馬の骨とも知らぬ男に恋をした。

 

 たった一度だ。

 ただ一度救われただけで、マリィの心は奪われた。

 

 

 ————幾度となくお前を救ってきたのは、私なのに?

 

 

「あ、あ——」

 

 奪われる。許せない。

 ずっと守り続けてきた愛娘が。

 

 ——そういえば、声も聴こえない。

 ずっとブラスに語りかけてくれていた娘たちの甘い思念が消えていた。

 

 ……また奪われた。許せるものか。

 ブラスは杖を握りしめる。

 

 空に近い魔力を練り上げた。どうにかして塗り替えられた娘たちへの命令を元通りにしたかった。それでもと詠唱する。——焦りすぎて、口が上手く回らない。

 

 コツ、コツ、硬い音が地下に響く。

 わざとらしい足音を立てて、賢者がゆっくりとブラスに迫り来る。

 一歩距離が詰まるごと、ブラスは無意識のうちに後退していた。ついに壁際にまで追い込まれた。背中に硬いものが当たった。

 

「八十四番はどこにいる?」

 

 知らない。首を横に振った。そんなことはどうでもいい。

 

「娘たちの心を返せ……!」

「八十四番はどこだ、と訊いているんだ」

 

 温度のない声は淡々としている。ブラスは一瞬、怖気付いた。

 

「だっ、大体、どこであれを知った? 何故知りたがる? ……あ、ああ、そうか。完全な模倣を可能とした、人造魔導器に興味があるんだな?」

 

 賢者は魔法を愛している。

 そういう話を、ブラスは聞いたことがあった。そうでもなければ高みまで至れまい。

 

 彼が執拗に八十四番の行方を知りたがることは、僅かにブラスの優越感を刺激した。

 父よりも愛するものを作ってしまった八十四番はその点では失敗作もいいところだが、しかしあれが奇跡の出来であることもまた、事実なのだ。そう、あの賢者すら興味を抱くほどの——

 

「興味なんてあるわけないだろ」

 

 ——?

 

「僕の最愛が八十四番を救いたいと望んだ。それだけだ」

 

 最愛——

 ブラスは思わず、賢者の手中にあるナイフを目に入れた。

 

 そういえば、この男はナイフばかりを気にしていた。それは日中に八十四番を誑かした金髪の冒険者が使っていたものだった。

 あの少女については既に買い手(﹅﹅﹅)がついている。今夜にでも業者が引き取りに来る手筈だ。

 一応回収しておいた荷物の中で使えそうだったナイフを、気まぐれに侵入者へと投げたのが先刻のこと。

 

「……あの、少女が? 賢者の〝最愛〟……?」

 

 所有物——ならば、まだ分かる。例えば雑用をやらせる助手のような。

 だが、なんの変哲もない少女だったはずだ。魔法使いを志す前——マリィが生まれる前は冒険者をしていたブラスにはよく分かるが、あの少女の剣にはこれといった才能を感じなかった。すばしっこい点だけは評価してもいいが、それだけだ。

 

 国一番の魔法の才を持つこの男に愛されていいような少女には、ブラスには到底思えなかった。

 驚愕に言葉を失ったブラスに、賢者はもう一度繰り返した。

 

「さあ、答えろ。八十四番はどこにいる?」



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