ep.09 これが愛だと彼は言う
魔導器、と呼ばれるモノがある。
それは魔法によって編み出された道具の総称。魔法を実際に触れられる形として固定化したものであったり、魔石に魔法を媒介させた物品だったり、種類は幅広い。
質の良い魔導器なら魔法使いじゃなくとも発動できる。
——まあ、そんな代物を作れる魔法使いは世界でも限られた数しかいないが。
大抵は、作者本人だけがそれを扱える仕込み魔法だ。
中には作り出された瞬間から作者のコントロールを離れ、事前に込められた魔力の限り魔法を発動させ続ける、終わりが約束された魔導器もある。
(人型魔導器は、まず間違いなくそのタイプだ)
黒衣の魔法使い——賢者レイド=アルヴァンは、これまでに得た情報から、ひとつの仮説を導いていた。それはほぼ確信に近いが、レイドはまだ、この目で実物を確かめるに至っていない。
魔導器の形を人型にし、仮想人格を植え付け、人間のように振る舞わせる。魔法によって命を生み出す実験。そういうものが、数百年前に流行った。
悲劇。欲望。好奇心。
様々な理由から古の魔法使いたちはホムンクルスの生成を試みた。
だが、どうしても短命の壁を越えられない。
すぐに魔法を維持するだけの魔力は尽き、脆く崩れ去ってしまう。
かかるコストの重さに対して、結果があまりに見劣りする。倫理に、人道に悖るという声もそれなりにはあったが、最終的に流行りを終わらせたのはコストパフォーマンスの悪さだった。
今の世の中でわざわざそんな実験を繰り返すのだ。ブラスという魔法使いにも、それなりの事情があるのだろう。
——だが、しかし。
どんな事情があろうとも、ミルを傷つけていい理由にはならない。
*
コツ、コツ、わざと足音を立てながら、魔法使いはゆったりとした足取りで朝日の中を行く。黒衣の輪郭は朝の清涼な空気を拒むように揺れていた。
王都は城を中心に景観が保たれ、端へ行くほど荒れていく。所々舗装のはげた石畳がその証拠だ。
早朝からもう空には煙が上がっている。金床を叩く槌の音、オイルの匂い、煤混じりの空気。
ここは西端にある工場地帯。
売人が吐いたブラスの根城はここにある。
本来、魔法使いの研究所は中央区にしか建築を許されていない。レイドだって、研究所を兼ねた屋敷が中央にある。まあ、魔導塔がある彼には帰る必要のない場所だが……。
しかし、確かに——ある。
とある路地の最奥に彼は向かう。表通りと違って静けさを纏う行き止まりに、あるべきではない魔法の気配が滲んでいた。
一見すると薄汚れた倉庫にしか見えないが、彼は確信を持って足を止めた。
少しは隠蔽の努力をしていたようだが、レイドには通用しない。
この程度の隠し方でよくもまあバレずにいられたものだと——表に出さないその侮蔑は、研究所の主人へではなく、見逃し続けた側へと向けられていた。
賢者は軽い動作で右手を上げた。何もなかった手のひらに、燐光と共に現れたのは一振りの片手杖。
「お邪魔するよ」
彼は魔法を用い、堂々と正面からの侵入を試みた。
物理的な鍵だけでなく、結界によっても閉ざされていた扉を無理矢理にこじ開けて、研究所内部へと足を踏み入れる。
入ってすぐは玄関ホールだった。廊下は左右に分かれ、それぞれ壁と扉で区切られている。それなりに手入れはされているようで、一見して怪しい点はない。
レイドはまず、右方の部屋から検めることにした。
妙に甘い匂いが鼻につく室内だ。
薬品棚が壁を覆う空間には様々な実験器具が置かれている。ほんの僅かに埃を被った魔法釜と、作業台の上に萎びて茶色くなった植物の葉が一枚落ちているのを見るに、ここで天使の羽根をフェザーに加工していたのかもしれない。
しかし、精製時に生じる残留した魔力の気配がやけに薄い。
(しばらく放置していたのか……?)
次にレイドは、左方の部屋に足を運んだ。
——がらんとした白い部屋だった。
家具といえば、寝具と、その横に置かれた椅子くらいだ。
皺ひとつなく整えられた純白のシーツから生活感は感じられない。埃もなく、まるで病室のような、妙な清潔感がある部屋だった。
手の届く位置にはないが、高い位置にひとつだけ窓がある。窓から差し込む朝日が、白い壁をもの寂しく輝かせていた。
部屋はこれで全部だったが、誰の気配もない。しかしレイドの見ている世界は、目に見えるものが全てではない。彼が世界を把握するのに使うのは、その目よりも魔力による感知である場合の方がよっぽど多いのだ。
だから、理解していた。
この部屋にはまだ仕掛けがあることを。
彼は無言で壁に向かって杖を持ち上げる。
指先のように操るその先端は、ちょうど光が照らす位置を静かになぞった。何らかの文字を書き込んだようにも思える。そんな一瞬の動作の後、杖の先に輝きが灯り、現実が書き換えられた。
——何もないと思われた白い壁に、鉄の扉が現れたのである。
重たい音を響かせて開いた先には、地下へ続く階段があった。
コツ、コツ、賢者は足音を隠さず闇の中へ降りていく。
そんな彼を出迎えたのは、幼い声だった。
〝だあれ?〟
〝知らない人〟
〝くろいひと〟
〝博士に知らせなきゃ〟
いくつも、四方八方から似たような声が重なり合ってレイドに届く。耳元で囁くように。あるいは壁の中から呼びかけるようなくぐもった声で。いずれも幼い少女の声だった。
しかし、声の主の姿はどこにもない。当然だ。左右は壁で、上下には天井と階段しかない。レイドは迷わず奥へ進んだ。
突き当たりに、僅かな光が漏れている。
これまでと同じように扉を開けると、そこにようやく人の影があるのを確認できた。
それなりに広い空間だ。素人なら見当外れな見解を述べるであろう、希少で高価な魔法道具の数々。その設備はレイドも感心するほど整っていた。
中でも目を引くのは、やはり液体で満たされたカプセルの群れだろう。透明なガラス管は大きさにして子供がひとり入るサイズで、一つとして未使用のものはない。床には絶えず発光する巨大な魔法陣があり、その光がカプセルを下から照らし出している。
魔力で満ちた薬液の中には、まだ人の形にまで成り切れていない、ホムンクルスの群れが眠っている。
——いや、意識なら既にあるのか。階段を降りるレイドに語りかけてきた声の主は、彼女たちなのだから。
「………………」
薬液に浮かぶ臓器とも異なる奇妙な肉の塊を見つめながら、レイドは無言だ。
地下施設の奥、棚に三方を囲まれたデスクから、そんな侵入者を狙う白刃が飛んでくる。真っ直ぐに宙を裂くその軌道は、しかし前触れもなく勢いを失う。レイドの位置から数メートルは離れた場所で、まるで時を止められたようにピタリと止まり、カランと床に落ちたのだ。
レイドはそのナイフに視線を落とす。
「——……」
柄が黒い、どこにでもある小型ナイフだ。
しかし使い込まれるうちに刻まれた細かい傷や刃こぼれの位置に、見覚えがある。
(……これは、ミルちゃんが僕のために買ってくれたものだ)
『採取の依頼なんだから、きっとこういうのが必要だよね』——初めて匿名依頼を出したとき、なけなしの手持ちで、それでも楽しげに選んでいた。
上手に値切れたのだと喜ぶ横顔も。
ナイフを器用に操り薬草を摘む、あの手つきも。
——大切な想い出に、泥を塗られた気分だった。
「……どうやって、と尋ねるのは野暮ですね」
静かな空間に、異物のような声が落ちる。それは無言で立ち尽くすレイドに掛けられた声だ。
影からぬるりと現れたのは、白衣を纏う研究者。
余裕げな第一声とは裏腹に、その顔にはうっすらと汗が滲んでいた。
「今の腕前……そして黒衣で顔を隠すその出で立ちを見れば、貴方が誰であるか理解しない魔法使いなどいない」
ブラス——白衣の魔法使いを、レイドは未だ視界に入れようとはしなかった。視線はずっと、ナイフに注がれたまま。
「理解できないのは、何故そんな大物がここに現れたかです。魔導塔に引きこもって、王命が無ければ決して外には出てこないという変わり者……」
ブラスの方もまた、そんな黒衣の魔法使いを気にする様子もなく、思考を整理するかのように早口で言葉を続ける。
「……何故、貴方がここに現れるんです。賢者レイド=アルヴァン」
名を看破されても、なお。
賢者はナイフだけを意識のうちに入れていた。
一歩、二歩、足音を響かせて、ナイフの前で屈み込む。
白い指先で剥き出しの刃を慈しむように撫でてから、彼はそれを拾い上げた。
「……何故、か」
ようやく、賢者は白衣の魔法使いを視界に入れる。
いつの間にか彼の手からは杖が消え、ナイフだけを両手で大切そうに持っていた。
「意外だろうが、僕は君を知っている。ブラス=フェンディルス。いつだったか、君の論文を読んだよ」
「!」
焦りと警戒の色が強かったブラスの顔色に、僅かな喜色が浮かんだのも束の間。
「——じつに酷い出来だと思ったものさ」
冷たく吐き捨てられた台詞に、その顔は凍りついた。
「ルールが厳しくなった今の時代に人型魔導器を研究しようという気概は買うがね。君の研究は基盤とした理論がそもそも弱い。だからあんなモノしか作れないんだ」
たらり、とブラスの頬を流れ落ちたのは冷や汗か。だが、彼は口の端をつり上げた。
「確かにあの理論は弱い。それは認めます。……ですが、未完なだけで、間違ってなどいなかった。あの魔法は私が完成させました。これこそが王道の、唯一無二の魔法式ですよ」
「——あれで?」
その、たったひと言に。侮蔑が込められているのが嫌でも伝わる。
「これじゃあ付き合わされる研究体たちが浮かばれないにも程がある。……魔法は術者を選べないんだから、哀れなものだ」
「……っ」
息を呑み、ブラスは口角を上げたまま口許を引き攣らせた。
「け……賢者殿は我が研究結果を見ておられない。だからそのようなことが言えるのです」
「ほう? ……見せてごらんよ」
「まさかとは思うが、アレらじゃないだろう?」とレイドは顎でカプセル群を示した。
「……ええ、あそこにあるのはまだ成長途中の器ですよ。——百二十一番」
腰まである木の杖を手中に喚び、ブラスは白衣のポケットから石ころを取り出した。
透き通った緑色の石。
それにブラスが魔力を注ぎ込むと、石は緑に発光し、どろりと溶けた。
溶けた緑はインクのように床に溢れ、光が膨れ上がると共に総量が増していく。
やがてそれはぶくぶくと泡立ち、人の形に固まった。最後に光に包まれて、緑の液体は薄橙色の肌をもつ幼い少女——のような何かへと変化を遂げる。
形は、輪郭は、確かに人なのだ。
しかしあるべき眼孔がない。鼻がない。口がない。耳や髪はかろうじて生えているが、それだけだ。
「……へえ?」
——それでもレイドは、敢えて彼女を人と表現する。
人を目指して造られた人型魔導器は、自身をそうだと信じて短い命を燃やすものだ。
彼女は手足の長さもアンバランスで、爪などの細かい部分の再現もままなってはいない。
〝博士のこといじめないで。いじわるなこと言っちゃやだ〟
幼い声。それは口から発せられたものではなく、レイドの鼓膜を震わせはしなかった。魔力を用いて発された思念のようなものだ。
常人には聞き取れないだろうが、レイドにはしっかりと彼女の声が届いていた。
レイドはフードの下で片目を眇める。
「この子が成功例だって? ……もっと人と差異のない——人そのものを再現した器はいないのかい」
さらに煽ると、百二十一番がレイド目掛けて飛びかかってきた。
〝いじわるしないでって、言ってるの!〟
その動作は人間離れしていると言わざるを得ない。
走ったわけではなく、地面を蹴って跳躍した……と、そう表現するのが一番近いのだろうが、実際には地面を強く蹴った際に軸足がべちゃりと溶けて緑の粘液に戻ったのだ。
レイドは自身を包むようにドーム状の魔法障壁を構築して物理的な干渉を遮断する。
彼女は魔力の見えない壁に阻まれた。ぶつかった際に、足と同じ現象が起きる。べちゃっと飛び散った粘液は障壁に張り付いて、不可視の壁の一部を可視化していた。
〝こわれちゃった……どうしよう〟
痛覚はないのか、人型を失っても呑気な思念が届くばかりだ。
そのうちに込められた魔力が尽きたのか、粘液は光と共にあっけなく緑の石ころへと戻ってしまった。
——それは空っぽの核だ。
与えられた魔力が少なすぎて、この一瞬でもう寿命を使い果たしてしまったのか。
……命の灯を燃やし尽くした人型魔導器の末路はひとつだけ。
ぱきり、と小さな音を立て、石はひび割れていく。
粉々に砕けた緑のかけらを見下ろし、賢者は珍しく困ったように腕を組んだ。
「ん〜……一応、訊くか……? ……この子を僕に見せた意図は?」
水を向けられたブラスは杖を握りしめながら、虚勢を張るように口角を上げた。
「可愛かったでしょう?」
「……は?」
しかも、堂々と意味の分からないことを言い出す始末だ。
「この子達には意思があるのです。私を愛する心がある」
「…………」
「人型魔導器には人と同じく個があり、意思がある。その上で作者を一番に想いやるよう行動する奉仕者であるべき——と、この研究の始祖は書き残しています」
「まあ……うん。そうだね。人型魔導器実験の祖ワクマールは最期の著書にそう書いた」
「流石、全ての魔導書を読んだと謳われる賢者殿ならご存知だと思いましたよ」
「……だが、その意思はあくまで術者が植え付けた都合の良い思想に過ぎない。それを個と呼ぶのは人間への冒涜だ——なんて論もある」
つい真面目に返してしまってから、賢者はフードごと頭を掻いた。違う。そうじゃない。魔法論を語り合いにきたわけではないだろう。
「まあ、そんなのはどうでもいい。……君が言いたいのはつまり、君を慕うこの子達こそが成功例であるということか。だから僕に見せた?」
「ええ。私は作りたかった。可愛い我が子を。これが私たちの愛の完成系なのです」
「——八十四番は?」
「………………」
「もっと出来がいい個体がいるだろう。何故そっちを自慢しない?」
先ほどのブラスの意味が分からない発言は、今の短いやり取りの中で形を変えた。
ミルから聞いた日中の出来事。
ブラスが語った持論。
八十四番の名を聞いて、薄く曇ったその瞳——そこからレイドは一つの可能性を導いた。
「——まさか、愛してもらえなかったとは言わないだろう?」
外見を気にせず、己が植え付けた愛の通りに動く個体をこそ成功例だと語り、可愛い我が子と宣うこの男が——果たしてそんな我が子を殺そうとするだろうか。
ミルは言っていた。博士は執拗に八十四番を狙う様子を見せていた、と。
ブラス=フェンディルスは答えない。
「マリィばかりを慕い、創造者である君のことを二番目に置いた。親では制御できない強烈な個を持つ——八十四番は、そういう個体だったのか」
ミルの話によれば、この男が彼女の前に姿を現したのは、八十四番がミルの誘いに頷き、共に素材採取に赴きたいと発言した直後だったという。
レイドの推論を聞き、ブラスは杖を握る手に力を込めた。
「……くだらない。賢者ともあろう御方が、憶測でものを語るとは」
まあ、そうだ。今のは憶測に過ぎない。レイドは腕を組みながら、片手に握ったミルのナイフを一瞥した。間違っても落とさないよう、大切に握りしめる。
ブラスはその姿をじとりと見据える。
「……先程から、随分とそれに執着しているようですね。あの娘は、貴方の所有物でしたか?」
「——」
ぴくりと、ナイフに添えた指先が僅かに揺れる。
「人嫌いの賢者殿にも執着はあるらしい。——ならば、貴方にだって理解できるでしょう」
賢者が見せた微かな反応に気を良くしたのか、ブラスは腕を広げた。
「——愛しい者は、自分だけを愛しく想っていればいい。他の者に心を許す必要はない。他のモノに心奪われるなどあってはならない。私だけを見ていればいい!」
語るうちに興奮してきたのか、次第にその声は地下の空気を揺らすように反響した。
そしてブラスは愛しいものを抱くように、杖を両手で抱きしめる。
「私だけを愛し、信じる。——それが正しい愛なのです」
同意を求めるように賢者を見つめてから、ブラスはカプセルで眠る検体たちへ視線を滑らせた。
「ここにいる娘達は皆、それができる成功例だ。皆、あんな失敗作とは違って実にお利口さんなのですよ」
「——成功例、ねえ」
ようやく口を開いた賢者の声は冷めていた。
「君が語るそれは愛じゃない。単なる仕様だ。術式のね。そうなるよう仕組まれただけのモノ」
「実にくだらない」と賢者は面倒くさそうに吐き捨て、床に刻まれた魔法陣を見下ろす。
「……君の心を折るにはこれが一番早そうだ」
——次の瞬間、魔法陣が波打つように光を強めた。




