【02】
「おじさんって荒事もイケるんだね。悪い雰囲気出ててびっくりした!」
ミルは黒いローブを握りしめたまま、身にわずかに残る緊張を払拭したくてことさら明るく振る舞った。
そして、店主から渡されたメモに視線を落としている魔法使いを上目遣いで観察する。
「ところでフェザーって何か訊いてもいい……?」
そう、気になっていたのだ。魔法使いと店主が当然のように語った名称を、ミルは聞いたことがなかった。
「ああ……」と声をこぼした魔法使いは「道すがら説明しようか」と歩き出したから、ミルもくっついていく。
「フェザーというのは、天使の羽根から精製した違法薬物の名だよ」
「そうなんだ……おじさんって何でも知ってるね」
「まあ……仕事柄そういうのにも詳しくなるんだ」
「何のお仕事してるの?」
「内緒」
「……じゃあ名前は?」
「秘密。……別に、呼び名に困ってるわけじゃないだろう?」
「……むう。匿名希望ってこと?」
「——ああ。そうだね。僕はまだ暫く匿名希望ってことにしとこうかな」
「………………」
名前くらいそろそろ教えてくれたって、と不満に思う気持ちがないわけではない。けれどもミルは〝匿名〟という言葉が嫌いではなかったので、ここは素直に口を噤んだ。
「それにしても、なんでフェザーの売人に会いに行く必要があるの?」
「実を言うと、ミルちゃんに危害を加えた男に繋がる手掛かりがない」
「え?」
「……君は、自分が監禁されていた牢屋を研究所だと考えているようだけど、それは誤解でね。あそこはもう使われていない、ただの空き家だ」
「ただの空き家に牢屋なんてある……?」
「件の博士の隠れ家の一つだった可能性はある。……あの建物については、今はいいだろう。今重要なのは、少なくともあの建物内には何の手掛かりも残されていなかったという点だよ」
「依頼書の住所に行けば——」
「依頼書、今は手元に無いんだろう? ……ミルちゃん、暗記してるの?」
「うっ……」
そうなのだ。
ミルが目覚めた時、失っていたのは何も剣やナイフだけではない。道具を入れていたウエストポーチも丸ごと回収されて、懐にしまっていたはずの依頼書や財布も無くなっていた。
依頼書は一度読んだだけなので、魔法使いの指摘通りミルは住所を正確に記憶していなかった。失態をどうにか挽回したくて記憶を探るが、曖昧にほどけていくだけだ。
「確か、王都内ではあったと思うんだけど……」
「ちょっと広すぎるね。だから今は、依頼の内容が唯一の手掛かりとも言える」
「ごめんなさい……」
「どうして謝るんだい。……僕も、件の博士には用があるんだ。むしろ一つでも手掛かりがあるのは僥倖だよ」
「……おじさんはあの博士を追って、私が捕まってた場所に辿り着いたってこと?」
「うん、そんなところ」
——話しているうちにメモの場所へ辿り着いたらしい。
魔法使いは「ここだ」と足を止め、軽くその建物を見上げたから、ミルも同じように正面を見上げた。
点在する他の建物と、特別何か異なる特徴を持つわけではない。こぢんまりとしたそれは何の変哲もない石造りの一軒家で、水瓶やボロい木箱が外壁沿いに並んでいたり、生活感も垣間見えた。
年季を感じさせる木の戸をレイドは四回叩いた。ややあって、「何の用だ?」とくぐもった声が扉の向こうから低く響く。
「〝天使に会いに〟」
……キィ、と古臭い音を立てて、扉が開く。
「魔法使いとガキの二人連れ、ね。珍しい客だな」
扉を開けたのは無精髭が目立つ男だった。服の上からでも鍛えていることが分かる肉体とは裏腹に、その肌は日光を知らないかのように青白い。
「まあ上がれよ」
案内された室内に、違法な薬を取り扱う店や倉庫といった雰囲気はなかった。入ってすぐが生活スペースになっており、テーブル、寝台などの必要な家具も揃っている。
流しに積まれたままの汚れた食器や調理器具、畳むことなく長椅子を占拠する服の数々など、ズボラな男の一人暮らしといった雑多な生活感が広がるのみだ。
……ミルは、チラリと寝台の横を確認した。そこには閉ざされた扉がある。あの奥が、違法な取引に使う場所だったりするのかもしれない。
「座っていいぜ」と男は四人掛けのテーブルセットを示したが、魔法使いは動かなかった。ミルも、隣でじっと身を固くしている。
「悪いが、我々が入手しに来たのは天使ではなく情報の方でね」
「ほーう?」
「連れの子供を数字で呼ぶ魔法使いを探している。顧客、もしくは——取引相手に、心当たりはないか?」
「…………。さて、どうだったか……」
気の無い返事をされたにも関わらず、魔法使いは口許に笑みを浮かべた。
「知ってるんだな? 精製に携わっているんだろう?」
「揺さぶったって無駄だぜ。俺が売るのは薬だ、薬。情報を売る気はねぇ」
「騎士団が摘発に来る日にちを教えよう」
「あ?」
「あの男は——触れてはならぬものに手を出した。芋蔓式に君も終わりだ。……五体満足で夜逃げの準備を整える時間をくれてやる、と言っているんだ」
「君が賢い選択をする男だと信じたいね」と、魔法使いは冷たく言い捨てる。ミルは己の前とは別人のように振る舞う彼を横目に見たが、しかしその手はキツくローブを掴んだままだ。
「………………チッ」
時間にして数秒ほど。男は視線を落としていたが、舌打ちと共に顔を上げた。
「……ブラスのやつは何をやらかしやがった」
苦々しげに吐き捨てられた名。それを聞いて、魔法使いの笑みが深くなる。
「どうも、虎の尾を踏んだらしいよ?」
——成り行きを黙って見守りながら、ミルは考える。それはようやく名が判明したあの博士のことでも、安否の知れない少女のことでもなかった。
隣に立つ魔法使いに、ミルは静かに思いを馳せる。
彼が一体何者なのか。
(いま、騎士団の名を出した。ハッタリかもしれないけど、騎士団の関係者の可能性もある……)
彼が何の目的で博士を追っているのか——法に味方する立場として、違法薬物の流通を根幹から断とうと動いているのだろうか?
衛兵、には思えない。衛兵は単独で行動しないし、かといって騎士と言われても一般的な騎士様のイメージとは重ならなかった。
この人は一体、何者なのか。
考えれば考えるほど、黒衣の魔法使いの謎が深まっていくようだ。
「さあ、ブラスについて洗いざらい教えてもらおうか」
ミルは魔法使いについて思考を巡らすのを放棄して、本題に集中することにした。
「ブラスは魔法使いだ。……俺とはそれなりに付き合いが長い。魔法研究を生業にしてたが、うだつの上がらないやつで、パトロンがつかなくてな。それでフェザーの精製に手を出したってわけだ」
「違法な薬を作ると、やっぱり沢山お金が手に入るの?」
ミルがつい素朴な疑問を口にすると、売人の男がわずかに眠たげな目を見開いた。魔法使いも、フードを揺らして視線をミルへと移す。
「?」
二人の反応にますます首を傾げたミルの様子に、男はついに噴き出した。
「そうだぜ、嬢ちゃん。たーっくさん、そりゃもう金がたんまり手に入るんだ」
「ふぅん……。じゃあ、魔法の研究って、すごくお金がかかるんだ」
「王侯貴族の後ろ盾を得ないとキツいらしいな。その辺はお連れさんのが詳しいだろ」
「おじさんも偉い人から援助してもらってるの?」と問いかけると、魔法使いはこれ見よがしにわざとらしいため息を吐き出したのだった。
「……頼むから、今はちょっと静かにしてなさいね」
「色々……可愛い疑問は、機会があれば教えてあげるから」魔法使いはどこか疲れた声色でミルを嗜めると、思い出したようにそんな台詞を付け足したのだった。
「……ごめんなさい」
「素直でよろしい」
そんな二人の様子を、売人の男は興味深げに眺めている。
「……こほん」
場に流れた緩んだ空気を気にするように咳払いを一つしてから、魔法使いは「それで、他に情報は?」と強引に話を戻しにかかった。
特に揶揄いや異論は挟まず、男は口を開く。
「ブラスの根城は上だ。王都の端に工場地帯があるだろ、そこにあいつの研究所が紛れてる。まあ、魔法使いなら大方のアタリをつけりゃ同類を探すくらいできるだろ?」
「ああ。……男が連れている子供についても知っていることはあるか? 確か、八十四番とか呼ばれている少女だ」
「八十四?」
男は数字を拾い上げ、唇を歪めるように持ち上げた。
「もうそんなに失敗してるのか、あいつ」
「……どういう意味だ?」
「ブラスの研究は魔法で人間を複製するっつーもんだった。これだけ言えば伝わるだろ」
ぴくりと、魔法使いの指先が微かに反応する。
「人型魔導器——ホムンクルスの生成、か。そりゃあパトロン探しは難航しただろうな。見つからないのも無理はない。……そうか、成る程ね。ブラスってのは随分と趣味の悪い男らしい」
また、ミルの知らない単語が出てきた。しかし先ほど釘を刺されたばかりなので、ミルは疑問を胸にしまって唇を引き結んでおく。
魔法使いは何か面白い話を聞いたように「へえ、ホムンクルスか……ああ、そうか、成る程ねえ……」なんて繰り返している。
その姿を、売人の男は不審げに眺めた。
「……お前さん、もしかして何も知らないで乗り込んできたのか? まさか、騎士団の話も嘘っぱちか?」
「いいや? これから全て真実になるから、君は僕を信じて夜逃げの準備を進めるのが得策だ」
「………………」
なんだこいつ、と言いたげな顔である。胡乱な顔を向ける売人の様子を意に介した様子もなく、魔法使いはさらに口を開いた。
「最後に一つ。——マリィという人物を知っているか?」




