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ep.07 天使の羽根【01】

 ◆天使の羽根



「天使の羽根の採取依頼。死んだ本来の依頼人マリィ。依頼書を託された八十四番。魔法の研究をしている博士……」

 

 ミルは魔法使いと二人、宿にいた。

 いつ誰が牢屋の様子を見に来るか分からないからと、一度離脱して情報共有の時間を作ろうと提案されたのだ。ミルが頷くと、彼は魔法で宿まで運んでくれた。

 場所はミルが長期で借りているいつもの安宿だ。一人用の机と椅子が一式、他にはワードローブと寝台しかない簡素な部屋だから、ミルは魔法使いに椅子を譲り、自分は靴を脱いでベッドの上に座っていた。

 

「……君ねえ……よくもまあこんな見え透いた厄ネタに首を突っ込んだものだ。自暴自棄にでもなっていたのかい」

 

 一通りのことを聞き終えた魔法使いは、実に呆れた声を出したのだった。

 

「否定はできないかも……」

 

 気まずく笑い、ミルはぎゅっと膝を抱きしめた。

 

「でも、前におじさんがくれた手帳に天使の羽根の事も書いてあったし、できると思ったんだ。博士があんな危ない人なんて知らなかったし……」

 

 どこか拗ねたように唇を尖らせたミルのことを、魔法使いはじっと見つめた。

 

「……そもそも、だ。天使の羽根はだね、危ない代物なんだよ。強い幻覚効果があるし依存性も高い。非合法の薬の原料として裏市場で出回ってる。天使の羽根を求める時点で、カタギじゃない可能性の方が高いことを考慮に入れるべきだった」

「え! そ、そんなこと手帳に書いてなかったよ」

「採取には不要な情報だからね。僕はアレをそんな使い方しないし。誰かに渡す予定でもなければ、他人に読ませるつもりで書いたわけじゃない。僕が理解してればそれでいいから、わざわざ記載はしなかったか……」

 

 はあ、と押し殺したように息を吐き出して、魔法使いはフードで隠れた顔を手で覆った。

 

「後で手帳は一旦預からせてもらおうかな。新しく書いてあげるから」

「そ、そんなの悪いよ。手帳だけ見てちゃんと調べなかった私が悪いんだし……」

「君は悪くないさ。何も」

 

 淡々とした静かな声で、魔法使いは即答した。

 そして、少し躊躇うような沈黙の後、

 

「……僕が悪い」

 

 さっきよりも声を一段低くして、彼はそう付け足したのだった。

 ミルは反射的に顔を上げる。丸い瞳できょとんと魔法使いを見つめた。

 

「えぇ? そんなことないよ!」

 

 そう言って、彼女は首までぶんぶん横に振った。

 

「あるの」

「何それ!」

 

 食ってかかるミルを眺めつつ、さて、と魔法使いは思案するように顎を撫でた。軽快なやり取りをしてくれていた彼が、不意に沈黙する。きっとこれからのことを考えてくれているのだろう。

 ミルはその様子をしばらく黙って見つめていたが、やがてもじもじと指を擦り合わせながら遠慮がちに口を開いた。

 

「あの、ね。……なんでマリィは、天使の羽根を研究所に届けさせようとしたと思う? 私、ずっと気になってて……」

「ふむ。……マリィ自身は研究所から出られない身だった可能性が高いんじゃないか。例えば、病床の身で外出もままならなかったとかね。結果的にはっちゃんが依頼書を受け取ったのではなく、元から託すつもりだったんだ」

「なるほど……じゃあ、報酬が空欄なのはどうしてだと思う? 私は依頼を出したことないけど……依頼しようってなったら、まずは報酬を用意してから依頼書を書くんじゃないの? もし本当に報酬欄を埋める前に亡くなっちゃったとしても……用意してた報酬ごと、書きかけの依頼書をはっちゃんに託すんじゃないかなって思って……」

 

「…………そういえば、さっきの説明に無かったな。君ははっちゃんから依頼を受けた。……報酬は?」

「えっ」

「まともに服も買い与えてもらえていない幼女が、一体どんな魅力的な報酬を提示してきたのかな?」

「それは……」

「まさか無報酬でこんな厄介ごとに首を突っ込むような軽率な真似を一人前の冒険者がするとは考えにくいからねぇ……僕には思い付かなくて」

「……もー! おじさん意地悪だなあ! 確かに全然割に合わないお仕事だよ! 赤字もいいところだよ!」

 

 薄々察しているだろうにチクチクと遠回しに確認しようとする魔法使いに、ミルは頬を膨らませた。

 

「報酬はなんかよく分からない緑の小石! はっちゃんがポッケに入れてたやつ!」

 

 勢い任せに白状したミルを、魔法使いは「ほう」なんて面白がるような相槌を打って眺めている。

 

「……わ、悪い⁉︎」

 

 ミルはいろんな感情を込めてそんな魔法使いを睨む。唇は拗ねたように尖って、白い頬は照れたように赤かった。

 

「そこそこ」

「うーっ」

「——でも、君らしい」

 

 「僕は君のそういうところが嫌いじゃないんだ」と、急に優しい声を出したから。ミルは険しく細めていた目をまんまるくした。

 

「……え?」

「君は人を助けるときに損得勘定をしない人間だろう? だからあの夜、小さくて弱いのに、僕のことを身を挺して守ってくれた」

 

 黒いフードの下は見えない。けれど、彼はいま穏やかに微笑んでいる。そんな気がした。

 そんな魔法使いから目を逸らすように、ミルは瞳を伏せ、ぎゅっとシーツをきつく握った。

 

「……、そ、れは……違うよ。私、おじさんが思うより綺麗な人間じゃないもん……」

「…………」

 

 ミルが浮かべたそれは、自嘲と、そう呼ぶには苦しげで。まだ幼さの抜けきらない彼女には似合わない、諦めの色がそこにはあった。

 

「……本当に汚い人間はね、ミルちゃん」

 

 魔法使いは言葉を紡ぐ。

 

「価値もよく分からない小石のために身銭を切ったりしないよ。命を賭けて他人を庇うこともない。少なくとも、僕にとってはね」

「…………」

 

 ミルは下唇を噛む。

 何か言い返そうとして、言葉が出てこない——いや。無理やりに呑み込んでいる。そんな様子だった。

 そんなミルを一瞥したのち、魔法使いは立ち上がった。

 

「さて、無駄話はこの辺にしておこうか。そろそろ出よう」

「!」

 

 ミルはベッドから飛び降りた。靴を脱いでいたのを思い出し、慌てて履き直す。

 

「さっきの研究所に行くんだよね?」

「——いや。その前に、寄る場所がある」


 *


 ミルは普段、ケープについたフードはあまり被らない。視界が遮られるのが煩わしいから、せいぜい被るのは雨の日くらいか。

 でも、魔法使いはミルにフードを被らせた。それはもう、彼自身とお揃いのスタイルを強要するかの如く、鼻先まですっぽり深く被るように指示をされ、ミルはよく分からないながらも従った次第である。

 魔法で移動したのは、彼が話した通りミルが捕まっていた建物ではなかった。

 夜はとうに更けて薄暗い——はずだった、のに。

 

 そこには鮮やかで派手な空間が広がっていたのだ。

 

 深夜でも眩しいたくさんの明かりが照らす鮮やかな天幕を広げた露店の数々。行き交う人々の多さは、昼の大通りとも引けを取らない。空気は湿っぽく、少し肌寒い。

 今までミルが訪れたことのない街だ。

 少し不安になって、見慣れたものを求めて首を動かす。空を見上げてみると、何と真上には空ではなく、天井があった。

 

(ここ、地下……なの?)

 

 ミルの心がますます縮こまる。

 

「ここはだいぶ治安が悪いんだ。僕から離れないようにね」

「う、うん……」

 

 追い打ちをかけるようにそう言われ、ミルはちょこんと魔法使いの黒いローブの袖を掴むことにした。

 

「——……」

 

 一瞬、不自然に魔法使いの肩がびくりと跳ねたような、そうでもないような。

 特に何も言われなかったのをいいことに、ピッタリとくっついて、布をしっかり握り直す。

 色んなものに気を取られながら、なんだかチカチカとして目に痛い場所だ、とミルは思った。

 

 甘ったるい匂い。薬っぽい匂い。煙草の匂い。今までミルが嗅いだことのない、よく分からない匂い。何かが腐ったような、吐瀉物っぽい匂いまでする。

 匂いばかりを追っているとだんだん気持ち悪くなってくるようで、ミルは袖で顔を隠し、外気をなるべく吸わないようにした。

 

 露店の喧騒に気を取られがちだが、石造りの建物もぽつぽつと並んでいる。それはどれも古臭い平屋で、背の高いものは見当たらない。

 魔法使いは迷いなく道を進み、とある店の前で立ち止まった。

 

「あっ。酒場だね!」

 

 ジョッキの絵が描かれた看板を見て、ようやくミルにも分かるものが出てきてちょっと嬉しくなる。

 

「うん。……今からここで情報収集をするが、君はなるべく喋らないで、目立たずにね。心配だから」

「え——あ、う、うん。気をつけるね……」

 

 ストレートに「心配」と言われてしまうと、なんだかすごく照れ臭い。

 ミルはフードを深く被り直した。

 店内はそれなりに繁盛しているようで、カウンター席も、ボックス席も、空席の方が少ないくらいだった。魔法使いが扉を開けた瞬間、煙たい空気と濃厚な酒気が外気に逃げ出してきて、ミルは思わず顔を顰めた。

 魔法使いに続いて足を踏み入れた瞬間、ミルはびくっと固まった。比喩ではなく、店の中にいる全員が二人をジロリと見たのが分かったのだ。

 魔法使いは気にしていないのか、カウンターに向けて真っ直ぐ歩き出してしまう。ミルは一歩遅れたから、掴んだままだった袖口がピンと伸びた。彼は一瞬だけ立ち止まってくれたから、慌てて距離を縮める。

 

「——人を探している」

 

 カウンターに辿り着くと、魔法使いは前置きもなく言った。

 

「〝フェザー〟を()に卸している売人だ。何処に行けば会える?」

 

 口を動かしつつ、魔法使いは懐から紐で縛った革財布を取り出した。

 カウンターの上に、金貨を三枚。無造作に重ねて置かれたそれは、橙色のランプに照らされ、きらりと存在を主張した。

 グラスを磨いていた店主はそれを一瞥し、「足りねぇな」とぼやく。それを聞いて、魔法使いの口許がゆるやかに弧を描いた。

 

「なら、君の命でも足そうか?」

 

 軽口、に思える。言葉だけを見れば。

 だが、この場にいた者はそれを冗談として流しはしなかった。まず立ち上がったのは、ミルたちのすぐそば、カウンターに腰掛けていたスキンヘッドの男たち。

 

「一見が何を偉そうにしてやがる」

 

 彼らは店内だというのに既にナイフを手にして、不快な殺気を撒き散らしている。それを囃し立てるように、他の客が騒ぎ出す。

 店内の全員が敵になってしまった——しかし、今のミルは丸腰だ。剣も採取用ナイフも、昼間に博士とやり合ってから行方が分からない。武器がないと、ミルなんて戦いではお荷物もいいところだ。

 

(ど、どうしよう……)

 

 ちらり、とミルは狭い視界に漆黒を映す。強い人なのは知っているが、挑発なんかして、どうするつもりなんだろう。

 「わざわざ立候補してくれるとはね。この二人の命を追加すれば足りるかい、店主(マスター)」なんて余裕ぶって笑っている彼が負ける未来は、ミルには想像できないが——情報を得るためだけに、まさか本当に命を奪おうというのか。

 

「コブ付きでこんなとこ来るとは何考えてんだい兄ちゃんよぉ」

「てか、よく見りゃ連れは女じゃねえか? 肌が男にしちゃきめ細かい!」

 

 立ち上がったごろつきの片割れが、ミルの方に興味を示した。その瞬間、魔法使いの指先がぴくりと反応する。

 

「顔なんざ隠すなよ。それに色気のねえマントなんか外して、こっちにきて酌でも——」

 

 一歩、いや、半歩。ごろつきがミルに近寄ろうと足を踏み出した刹那のことだ。

 

「ヒァ?」

 

 妙な声を上げて、白目をむいた。そのままカウンターチェアを巻き込んで卒倒したまま、ピクピクと痙攣しながら泡を噴いている。

 騒々しかった酒場の中が、水を打ったように静まり返る。

 

「——僕のこの子に近寄るな。下卑た目を向けるな。下衆な声を掛けるな。次は無い」

 

 低い、低い、地を這うような嫌悪のこもった声だった。

 ミルは彼が魔法で庇ってくれたのだとすぐに理解できたが、それだけ(﹅﹅﹅﹅)だ。

 たったいま行使された技にどれだけの技術が詰め込まれていたのかを知るには、魔法をそれなりには齧らなければならない。

 この場に居合わせた魔法の心得がある人間たちは、他の客よりずっと青褪め、顔を引き攣らせた。

 だが、その凄さの真髄を理解せずとも、客の心の声は一致していた。

 

 ——この男は何者なのかと。

 

 黒衣の魔法使いは時が止まった店の中で唯一その法則から外れている。客の顔を見渡して、最後にミルの頭に手を置いた。頭頂部から前髪に向けて、押し付けるように手のひらが滑ると、その動きに引っ張られてミルのフードはより深く下がり顔を隠した。

 

 再びカウンターに向き直った魔法使いは、店の主人と見つめ合う。一見するとポーカーフェイスを維持しているが、グラスを拭く手は止まっていた。

 

「……で、幾ら足りないって?」

 

 堂々と沈黙を破った魔法使いに、店主は口の端を歪めた。

 

「いや……、今夜は俺の奢りだ。ちょっと待ってな」

 

 そう言うと、店主は背中を見せて奥の棚で何事かをし始めた。ミルの視界はフードの空色と魔法使いの黒でいっぱいで、具体的に何をしているかは不明だ。

 程なく戻ってきた店主は目を逸らしながら一枚の紙切れを差し出した。

 

「フェザーならここに行きゃ手に入る」

「そうか。……騒がせて悪かったね。そいつは迷惑料だ」

 

 置いたままの金貨を一瞥し、魔法使いは踵を返す。「行こうか」と、ミルに語りかける声だけが場違いなほど柔らかい。

 酒場から出た瞬間、ミルは無意識に詰めていた息をぷはあと吐き出した。

 

「もーっ。驚いたよ!」

 

 「ごめんごめん」と謝る魔法使いの声はあまりに軽く、やはり先刻までとはまるで別人のようだった。

 


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