ep.00 運命の出逢い
いつのことだったか。
木々が赤く染まる季節だったのは覚えている。
王都から人の足で数週間ほどの距離に、燐光湖の森と呼ばれる危険域がある。
そこに黒衣の魔法使いが降り立った。
賢者と呼ばれるその男の来訪を悟る者はいなかった。彼は森の奥深くへ、まだ落ちて間もない枯れ葉が彩る獣道を進んでいく。
目的地は森の奥の湖。彼は冒険者ではないが、今日は研究素材を採りに来た。
レイド=アルヴァンは人間嫌いだ。
だからこそ他人任せにはしない。そもそも依頼するために他人と関わるなんて考えるだけでも煩わしい!
「ふんふふん」
レイドは一人でいる時間を愛している。
肺を満たす甘い森の香りを楽しみつつ、彼は目についた白色発光キノコに僅かな魔力を与えて輝かせながら歩いていた。魔力を注ぐと柔らかく発光するキノコたちが、レイドのゆく道を照らす様は幻想的だ。
深い森を進みながら、レイドの頭の中は魔法のことでいっぱいだった。帰ったらどの研究を進めようか。王からの依頼は少し後回しにしても余裕があるし、趣味に没頭するのもいい。
褪せた漆黒のローブがその身体の殆どを包んでいる。フードが顔を覆っても、それはレイドにとって問題にもならない。——魔力が、代わりに世界を映す。
「ふふふん」
即興の鼻歌を低い声で口ずさみながら、レイドは度々立ち止まり、目についた質のいい植物を採取していく。——その傍らで、詠唱も何もかもを省略しながら、自分の半径数十メートル以内で感知した魔物を音もなく掃討する。
「ふふふ~……ん?」
楽しげな鼻歌が、不意に止まった。
レイドの感知に、魔物でも原生生物でもない、人間の存在が引っかかったのだ。
人里離れたこの危険な森にやってくるということは、十中八九、冒険者であろう。黒い布地の下で、レイドは眉を寄せた。
人間の反応は徐々にレイドの方へと近づいてきていた。人数は一人。魔力の量は一般的。恐らくは魔法使いではなく、剣士や戦士、狩人の類だ。
——最悪だ。
レイドは口をへの字に曲げ、立ち上がった。
何故なのかは知らないが、人間の気配はレイドが辿ってきた道なき道を真っ直ぐに追跡しているみたいだった。速度からして、走っている。何らかの害意を持った敵だろうか。
姿が見えずとも殺すことは容易だが、一応、雇い主について聞き出してからの方が都合がいい。
レイドは歩いてきた道を振り向き、ただその場に立ち続けた。
サクサクと落ち葉を踏む軽快な音が近づいてくる。
走ってきたのは、小柄な少女だった。背に負った白鞘の剣しか武装はない。最低限の装備のみだが、冒険者——剣士と見て間違いはないだろう。
木々の赤い木の葉の隙間から差し込む夕日が、金の髪をキラキラと染めていた。
短く切った金の髪はボーイッシュな印象を受ける。だが、ぱっちりと丸い空色の瞳を縁取るまつ毛は長く、顔立ちは甘く整っている。空色の外套を羽織った、十代前半頃であろう可愛らしい娘だった。
刺客にしては隙だらけだが、レイドは逆にそのアンバランスさを警戒した。
「あっ」
その娘は、待ち構えるレイドを視界に収めて声を漏らした。
足を止めた瞬間を狙い、レイドは準備していた魔法を発動させる。音もなく、煌めく光の粒が宙に幾つも現れて舞い出した。美しい光景ではある。しかし、もし光に触れようものなら、皮膚は溶けて焼け爛れる。そういうモノだ。
剣士ならば接近戦を挑むだろう。自滅を誘い、死なない程度に戦意を削げば自白を狙うのも楽になる。
そう考えてのことだったが——
「わあ、きれい!」
娘は弾ける声でそう言うと、キラキラと輝く瞳でレイドを取り巻く光を見つめ始めた。
「おじさんは魔法使いさんなんですか?」
数メートルの距離を保ったまま、娘が重ねて口を開く。
「もしかして、森のキノコが光ってたのも、おじさんが何かしたんですか?」
「………………」
無邪気な問いかけだった。
演技だとすれば、ずいぶんな役者である。
悪意に敏感なレイドにすらそれを悟らせぬ自然さだ。
「あのね、私はミルっていいます!」
ミルと名乗った娘はニコニコと人懐っこい子犬のような笑顔をレイドに向けて、片手を後頭部へ当てた。
「実は迷子になっちゃって……帰り道を教えてもらうことってできますか?」
別に、魔法で少し離れた場所に転移して逃げても良かったし、この娘を森の外まで魔法で運んでやるのも、手間ではなかった。
レイド=アルヴァンは人間嫌いだ。
だからどうしてこの時、その選択を取ったのかは自分でもよく分かっていない。
「……、僕はまだこの森に用がある。それを終えてからなら、帰り道を案内してやってもいいよ」
明確な理由はない。後から何度考えても、気まぐれとしか言いようがなかった。
だが、後から何度思い返しても未来のレイドが思うことは一つである。
——過去の僕は最高の選択をした。
何故なら、愛しのミルちゃんと出会うことができたのだから!




