4部 第10話
処置者という言葉は、責任を一点に集める。
一点に集めれば速くなる。速くなれば死者が減るかもしれない。減るかもしれない死者は、地底の善だ。善は疑われにくい。疑われにくい善は、処置者を英雄にする。英雄になった処置者は神になる。神になれば銃が正義になる。正義になった銃は止まらない。
だから処置者は、未定義でなければならない。
保守回廊の先は、さらに狭い通路だった。壁に沿って走る配線がむき出しで、ところどころに古い点検口がある。点検口は穴だ。穴は移動する。移動する穴だけが、生き残る。
影の男が先を行く。歩き方が地底の訓練に似ていない。均一さがない。均一さがないということは、矯正の外側で動いているということだ。外側で動く者は危険だ。危険は矯正される。矯正される前に、危険は結果を残すしかない。
女が息を切らしながら言う。
「お前ら……どこへ行く」
影が答える。
「喉の側面。昇降区画の“手動”に触れる」
手動に触れる。触れるだけでログが残る。ログは確定の材料だ。材料は武器になる。武器にされる前に、材料を腐らせる。腐らせるというのは、照合不能を広げるということだ。照合不能が広がれば、敵が未定義になる。敵が未定義なら、抑止の根拠が薄くなる。
薄くなった根拠の隙間で、銃はまだ出せない。
通路の先に、低い金属扉があった。扉の向こうから、機械の唸りが聞こえる。喉が動いている音だ。喉はもう開いている。開いた喉は飲み込む。飲み込む速度を落とさなければ、地底は地上を内側にしてしまう。
内側にされた地上は外ではなくなる。
外ではなくなったものは戻れない。
扉の横の表示が点滅していた。
――抑止:準備
――処置:優先
――処置者:指定
指定。
指定は確定だ。確定は危険だ。危険は矯正される。矯正されれば薄まる。薄まれば終わる。
影の男が、表示を見て小さく舌打ちした。
「……もう決めた。委員会が処置者を“指定”した」
女が言う。
「誰だ」
影は答えない。答えれば名が生まれる。名が生まれれば値になる。値になれば銃が正義になる。正義になった銃は止まらない。
僕は言った。
「俺だ」
言ってしまった。言葉になった瞬間、喉の中で何かが締まる。締まりは恐れだ。恐れは矯正を呼ぶ。だがここでは、恐れを材料にしなければならない。
影が僕を見る。顔の見えない影の中でも、視線だけが重い。
「言うな。名は出すな」
僕は言った。
「名じゃない。値だ。俺は値として指定される」
指定された値は、処置者になる。処置者になった値は、責任を引き受けさせられる。責任を引き受けさせられた値は、いずれ英雄になる。英雄になれば神になる。神になれば銃が正義になる。
循環が閉じる。
閉じさせないために、処置者を未定義に戻す必要がある。
影が言う。
「指定を未定義に落とす。照合を崩す。誰にも“処置”させない」
誰にも処置させない。処置しないのではない。処置が、点にならないようにする。点にならない処置。名にならない責任。
名にならない責任は、共同にしか宿らない。
共同は市場になりにくい。市場になりにくい共同だけが、銃を遅らせられる。
女が苛立った声を出す。
「意味わかんねえ。でも……銃は嫌だ」
銃は嫌だ。単純な言葉。単純な言葉は強い。強い言葉は宗教になりうる。だがこの言葉は、宗教ではなく身体から出た言葉だ。身体から出た言葉は、今はまだ回路を閉じにくい。
影が扉の点検口に指を差し込む。開けない。触れる。触れて、ログの整合を壊す。短い、長い、短い。雑音。雑音は捨てられる。捨てられた雑音だけが後で意味になる。
扉の表示が一瞬だけ乱れた。
――処置者:未定義
――抑止:根拠不足
――敵:未確定
未確定。
銃の理由が、また一段薄くなった。
だが薄くなった理由の向こうで、別の音が近づいてくる。規定値の足音。地底の隊員。矯正が追いついてきた。追いつかれれば終わる。
影が言う。
「ここまでだ。次は――地上側で詰まらせる」
女が僕の腕を強く掴む。
「行くぞ。処置者」
処置者。呼ばれた瞬間、胸の内側が冷える。冷えは恐れだ。恐れは矯正を呼ぶ。だが恐れは同時に、僕がまだ人間だという証拠でもある。値になりきっていない証拠。
値になりきっていないなら、まだ折れる。
僕は呼吸を数えない。
数えないまま、扉の向こうの唸りへ向けて歩く。
喉を閉じるのではなく、詰まらせるために。




