4部 第9話
詰まりは、喉の拒否だ。
拒否は悪だ。地底では特に。拒否は配給を止める。配給が止まれば死者が増える。死者が増えるのは悪だ。悪を避けるために、地底は拒否を矯正する。矯正された喉は滑らかに飲み込む。滑らかに飲み込む喉は止まらない。
止まらない喉を止める方法は、閉じることではない。
閉じれば壁になる。壁になれば敵が生まれる。敵が生まれれば抑止が必要になる。抑止が必要になれば銃が立つ。銃が立てば点が戻る。点が戻れば宗教が育つ。宗教が育てば止まらない。
だから詰まらせる。
詰まらせるというのは、喉を壊すことではない。喉に飲ませるものの形を変えることだ。飲みやすいものを飲ませない。飲みにくいものを飲ませる。飲みにくいものは速度を落とす。速度が落ちれば、忙しさが生まれる。忙しさが生まれれば盲点が増える。盲点が増えれば、穴が動ける。
床の端の段差が、入口だった。女が先に滑り込み、僕が続く。影の男は最後に入った。入るという動詞は、飲み込まれる動詞に似ている。だがここは喉の内側ではない。喉の台座の内側だ。喉を詰まらせるための穴だ。
穴の中は暗い。暗いというのは、光がないという意味ではない。光が意味を持たないという意味だ。意味を持たない光は、制度に拾われにくい。拾われにくい場所が穴になる。
背後で、床が閉じる。閉じる音が、短い、長い、短い。雑音の合図。合図があるということは、ここが一度きりの偶然ではないということだ。偶然ではない穴は、誰かが作った穴だ。作った穴は、いずれ塞がれる。塞がれる前に移動しなければならない。
女が囁く。
「……どこだ、ここ」
問いが生きている。答えはない。答えを与えれば名が生まれる。名が生まれれば値になる。値になれば捕まる。捕まれば薄まる。薄まれば終わる。
影の男が言う。声は音になりきらない。
「保守の回廊。台座の下。……記録はここに落ちる」
記録はここに落ちる。
落ちる記録。価値にならない記録。価値にならないものだけが市場を育てにくい。市場が育ちにくければ暴力が出にくい。暴力が出にくければ銃の理由が薄くなる。
薄くなった理由の隙間に、第三の閉じ方が残る。
回廊の壁面に、薄い表示板が並んでいた。どれも点滅が不規則だ。不規則な点滅は雑音だ。雑音は捨てられる。捨てられた雑音だけが後で意味になる。意味になった瞬間に、宗教が拾いに来る。拾われる前に、雑音を別の雑音で覆う。
覆うためには、混ぜる。
影の男が、僕の手首の白い帯に視線を落とす。帯は光らない。だが帯の存在が、この回廊の機械にとっては“異物”になる。異物は詰まりだ。詰まりは喉の拒否だ。拒否は悪だ。悪を矯正しようとした瞬間、制度の指先は忙しくなる。
忙しくなれば盲点が増える。
影が言った。
「その帯は、ここで使える。価値にならないまま、照合を壊せる」
僕は答えない。答える代わりに、帯を壁面の読取部に近づける。近づけるだけで、表示板が一斉に揺れた。揺れは事故。事故は盲点。盲点は穴。
回廊の奥の表示に、文字が走る。
――照合:不可
――優先度:再計算不能
――配給:停止
――抑止:準備
抑止:準備。
来る。銃が来る。銃が来れば、次の神が立つ。神が立てば循環が閉じる。
女が息を飲む。
「まずい……」
まずい、という言葉は現場の言葉だ。現場の言葉が出るとき、制度は机の上から落ちる。机の上から落ちた制度は、銃を掴む。掴んだ銃は正義になる。正義になった銃は疑われにくい。
疑われにくい銃は止まらない。
影が言う。
「詰まらせろ。閉じるな。閉じると壁になる」
僕は指先で、読取部の縁を叩いた。短い、長い、短い。雑音。雑音は捨てられる。捨てられた雑音だけが後で意味になる。
表示がさらに乱れ、別の文が走る。
――抑止:根拠不足
――敵:未定義
――外:悪にできない
敵:未定義。
未定義は武装を遅らせる。遅れれば時間が生まれる。時間が生まれれば、穴が動ける。
女が僕の顔を見る。問いがある。だが僕は答えない。答えは名になる。名は値になる。値は銃を呼ぶ。銃は循環を閉じる。
影の男が壁面の表示板を指でなぞる。なぞるという行為は触れるということだ。触れるのはログを残す。ログは確定の材料だ。材料は武器になる。
武器にする前に、材料を腐らせる。
影は言う。
「混ぜる。ここに落ちる記録を全部、混ぜる。誰のものでもない記録にする」
誰のものでもない記録。
所有がない。所有がないなら市場が育ちにくい。市場が育ちにくければ暴力が出にくい。暴力が出にくければ銃の理由が薄くなる。
薄くなった銃の理由の隙間で、地底は躊躇できる。
躊躇が生まれた瞬間、喉は飲み込みを止めるのではなく、飲み込み方を変える。
回廊の奥で、何かが開く音がした。金属の扉。地上の風が一瞬だけ流れ込む。風には灰の匂いがある。灰の匂いは、地上が近いということだ。
影が言う。
「行く。穴は移動する。ここはすぐ塞がれる」
塞がれる前に移動する。穴の作法。
女が僕の腕を掴む。熱い手。熱い手は生きている証拠だ。生きている証拠が、僕を引っ張る。僕は引っ張られながらも呼吸を数えない。数えれば、規定値へ戻る。規定値は善だ。善は疑われにくい。疑われにくい善は止まらない。
止まらない善を遅らせるために、僕は規定値にならない。
回廊の表示板が最後に一行だけ吐き出した。
――喉:詰まり
――処置:保留
――処置者:未定義
処置者:未定義。
未定義のまま進む。未定義のまま動く。未定義のまま、詰まらせる。
それが今の第三だ。
(つづく)




