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満足死  作者: 竜造寺。(原案・編集) & ChatGPT(生成)
第1部
3/10

第3話

 地上の移動は、徒歩が基本になる。


 車両はある。あるにはあるが、それは輸送ではなく“戦果”として扱われることが多い。奪った車両、奪った燃料、奪った部品。奪うことが生存であり、奪うことが物語であり、奪うことが誇りになる社会では、移動手段はただの手段で終わらない。地底で呼吸が管理されるように、地上では奪取が管理される。管理されるのは価値観だ。価値観が管理されると、人間は勝手に動く。


 案内人は相変わらず名を名乗らない。僕の横を歩き、たまに振り返り、僕の防護服の継ぎ目や線量計を見ている。監視に見えるが、地底の監視とは違う。地底の監視は制度の代理だ。地上の監視は個人の生存の延長だ。どちらも同じ目的に見えて、その実、触感が違う。


「君、息が浅い……」


 案内人が言う。


 僕は呼吸を数え、数えるのをやめる。数え始めると自分の生存に執着し始める。執着は地底の倫理に一致するが、地上では執着が弱点になる。弱点は利用される。利用されると死ぬ。死ぬなら、どうせ死ぬ。そういう循環が地上にはある。


「……臭いがきつい」


 僕はそう答えた。実際、臭いがきつい。焦げ、鉄、腐敗、薬品、そして人間。人間の臭いは地底では薄い。地底は人間の臭いを削いで清潔にする。清潔は安全だが、清潔は生々しさを奪う。地上は逆に、生々しさが安全に寄与している。臭いが濃いほど、危険が近いことが分かる。分かれば避けられる。避ければ生き残る。生々しさが情報になっている。


 僕らは崩れたビルの間を抜け、鉄骨の影を踏み、瓦礫の上を歩く。遠くで連続音がする。爆発というより、もっと単調な破裂。訓練された音。武器は訓練で音を変える。訓練は社会を変える。社会は死を変える。


「見せたいものがある……」


 案内人が言う。声は軽いのに、足取りだけが妙に慎重になる。


 僕は端末の振動を思い出す。地底の命令。対象の言語記録を回収せよ。地底は言語を欲しがる。言語を手に入れれば価値観を手に入れられると信じている。価値観を手に入れれば管理できると信じている。管理できれば死なないと信じている。信じているものほど危うい。


「……何を」


 僕が言うと、案内人は前を見たまま言った。


「満足のいく死……。本物を見れば、君の頭の中の教科書が壊れる」


 壊れる。地底は壊れないことを善とする。壊れないことは維持だ。維持は安定だ。安定は生存だ。だが壊れないものは更新されない。更新されないものは、環境が変わった瞬間に死ぬ。地底は変化を抑えることで更新を不要にしたつもりでいる。だが環境は、抑え込めるほど単純ではない。地上がそれを証明している。核戦争は、抑え込めなかった環境の爆発だ。


 僕らは開けた場所へ出た。広場のような、かつては人が集まった場所。今も人が集まっている。ただし目的が違う。地底の集会は安全のために行われるが、地上の集会は死のために行われる。


 中央に、簡素な台がある。台は舞台に似ている。舞台は物語を生む。物語は倫理を補強する。補強された倫理は人を動かす。人が動けば社会が回る。社会が回れば戦争が続く。戦争が続けば死が供給される。死が供給されれば満足の作法が必要になる。必要が制度を生む。制度が文化を生む。


 台の上に、人間が二人いた。ひとりは拘束され、もうひとりは武器を持っている。周囲には観衆。観衆は静かだ。静かさが怖い。地底の静かさは管理の成果だが、地上の静かさは期待の濃縮だ。濃縮された期待は、爆発の前段階になる。


 その上、台の横に、奇妙な板が立っていた。板は黒く、上部に数字が表示されている。電力が生きている。どこかに発電がある。発電は資源だ。資源は奪われる。奪う者が支配者になる。支配者はルールを作る。ルールが死の品質を規定する。


 板の表示はこうだった。


 ――「本日査定 候補者 四名 現在 第二件」


 候補者。査定。件。語彙が制度の匂いを持っている。地上の死は衝動や混乱だけではない。制度がある。制度があるということは、再現性があるということだ。再現性は恐ろしい。偶然の死より、再現された死の方が社会を殺す。社会を殺すというのは、社会の外形を残したまま、人間を別のものに変えるという意味だ。


 案内人は僕の横顔を見て言った。


「驚くのは早い……。ここはまだ上品な方」


 上品。死の上品さ。言葉が反転している。反転は倫理の典型的な兆候だ。倫理は現実の苦痛を覆うために語彙を改造する。改造された語彙は、苦痛を苦痛のまま受け取らせない。受け取らせないことで社会が続く。社会が続くことで戦争が続く。


 台の上の武器を持つ者が、短い演説を始めた。内容はよく聞き取れない。観衆が求めているのは言葉ではなく結末だ。結末が近づくほど、観衆の静かさが濃くなる。


 拘束された者は、顔を上げた。目が観衆を見渡す。観衆は見返さない。見返さないことで、個人を“材料”にする。材料になった個人は、もう個人ではない。個人が消えれば、罪悪感が減る。罪悪感が減れば制度が続く。制度が続けば倫理が続く。


 拘束された者が叫ぶ。叫びは言語ではなく、呼気だ。呼気は生存の証拠だ。生存の証拠が、今から消える。


 武器を持つ者が、躊躇なく動いた。


 刃が振り下ろされる。血が出る。血は地底では管理される。地底では血は内部に留めるべきものだ。地上では血は外部に出る。外部に出た血は証拠になる。証拠は評価対象になる。評価される血は、もう生理現象ではない。文化になる。


 観衆が息を吸う音が聞こえた。ひとつの生き物みたいに。


 そして板の数字が跳ね上がった。


 ――「査定点 七三」


 点数。点数という概念がここにある。点数は比較を生む。比較は競争を生む。競争は洗練を生む。洗練は効率を生む。効率は大量供給を可能にする。大量供給される死は、もはや事故ではない。産業になる。


 板の下部に、細目が流れる。


 ――「構図 二〇 静粛度 一五 完遂度 一二 象徴性 一八 観衆同期 八」


 僕は目眩がした。項目がある。定義がある。配点がある。つまり“正しい死”が設計されている。地底の倫理は“正しい生”を設計した。地上の倫理は“正しい死”を設計した。対象が反転しているだけで、構造は同じだ。構造が同じなら、地上と地底は敵同士ではなく鏡だ。


 僕は案内人に言った。


「……これは、何だ。誰が決めてる」


 案内人は淡々と答えた。


「評議。連盟。町ごとに違う。けど大枠は似る……。人は似た地獄で似た答えを出す」


 地獄で答えを出す。地底は地獄を避けることで答えを出した。避ける答えは、逃げる答えでもある。逃げる答えは、誰かに地獄を押し付けることで成立する。押し付けられた地獄が地上に残ったのだとしたら、地底の善は地上の悪の裏返しだ。


 台の上の武器を持つ者が、観衆に向かって腕を上げた。勝利のジェスチャー。観衆が短く沸く。だが歓声は長続きしない。歓声は危険だ。興奮は統制を乱す。統制が乱れると事故が起きる。事故は死を雑にする。雑な死は点が伸びない。点が伸びない死は社会をしぼませる。だからこの社会は歓声すら管理する。地上にも管理がある。ただし管理の目的が違う。


「君、気づいた……」


 案内人が言う。


「点数は死者のためじゃない。生者のためだ。生者の倫理のためだ……。良い死を見れば、僕らは“まだ大丈夫”って思える」


 まだ大丈夫。地底が最も好む言葉だ。まだ大丈夫。今日も死なない。明日も死なない。永遠に死なない。地底はその言葉で社会を回す。地上は逆に、まだ大丈夫だと思うために誰かを殺す。殺して点をつけて、満足のいく死だと認定して、まだ大丈夫だと思い込む。思い込めば夜が越えられる。夜が越えられれば戦争が続く。戦争が続けば次の点数が生まれる。


 僕は板を凝視した。項目は、地底の品質管理項目に似ている。静粛度は騒音管理。完遂度は工程管理。観衆同期は集団心理の制御。象徴性は宣伝。構図は演出。死がプロジェクトになっている。


 地底では、生存がプロジェクトになっている。


 僕は吐き気をこらえた。防護服の内側が汗で湿り、呼吸が浅くなる。線量計が小さく鳴る。危険。危険は死。地底の倫理が僕の中で警報を鳴らしている。だが地上の倫理が別の声で囁く。見ろ。逃げるな。結末から目を逸らすな。結末は輪郭だ。輪郭があるから確かになる。


 台の上の処理が終わり、遺体が運ばれていく。運び方が丁寧だ。丁寧さが恐ろしい。丁寧さは敬意に見える。敬意は罪悪感を中和する。罪悪感が中和されれば制度が続く。続く制度は正当化される。正当化された制度は人間を改造する。


 板の表示が更新される。


 ――「次件 候補者 第三件 準備」


 次がある。次があるという事実が、僕の中の何かを冷たくした。地上の恐怖は、死そのものより、死が“継続する手順”になっていることだ。継続は地底の最重要価値だ。地底が最重要価値としているものが、地上では最悪の形で実装されている。


 案内人が僕の腕を引いた。


「ここは長居しない……。君、目に焼き付けただろ。次は、点がどう使われるかを見る」


 点がどう使われるか。点は評価だ。評価は配分だ。配分は権力だ。権力は戦争を回す燃料だ。燃料が尽きない限り、戦争は続く。点は燃料の配給券になる。そういう推測が、僕の頭の中で勝手に組み上がる。推測が成立するのは、僕が地底の社会で育ったからだ。地底の社会は配分で回っている。食糧、空気、居住、娯楽、交配。配分は正義の仮面をかぶる。仮面をかぶった配分は、誰にも暴力として見えない。


 僕らが広場を離れかけたとき、背後から声が飛んだ。


「地底のやつ……。顔を見せろ……」


 声の主は観衆の端にいた。若い男。目が妙に乾いている。乾いた目は、涙が枯れた目だ。涙が枯れると、人は別の液体で感情を代替する。怒り、憎悪、陶酔。戦争はその代替液を無限に供給する。


 僕は振り返り、そして凍った。


 男の胸元に、布で作られた小さな札がぶら下がっている。札には数字が刺繍されていた。個人の番号。地底と同じ仕組み。だが地上の番号は所有ではなく、“点数の履歴”を示しているように見えた。


 僕は思った。人間を番号にするのは地底だけではない。人間を番号にすること自体が、近代の癖なのかもしれない。癖は簡単には治らない。治らない癖が、核戦争の後でも残った。残った癖が、別の倫理に結合して化け物になる。


 案内人が僕の前に立ち、男に言った。


「やめとけ……。こいつはまだ候補者じゃない。今殺したら点が伸びない」


 候補者じゃない。殺しても点が伸びない。殺す理由が点に依存している。点が理由になる社会。理由が点になる社会。理由が点になると、理由は数式になる。数式は情緒を必要としない。情緒を必要としない殺しは、止めにくい。


 男は舌打ちし、吐き捨てるように言った。


「点が欲しいだけだ……。俺らは点がないと食えない」


 やはり。点は配分だ。配分は生存だ。つまり、この社会は死を通貨にして生存を配っている。死が通貨なら、通貨の価値を守るために死を続けなければならない。通貨は供給される必要がある。供給が止まれば社会が止まる。社会が止まれば戦争が止まる。戦争が止まれば倫理が崩れる。倫理が崩れれば人間は自分が何をしてきたかを見る羽目になる。見ることは耐え難い。だから戦争は止まらない。


 僕は喉が渇いた。防護服の内側で唾を飲む。飲んだ唾が、やけに重い。地上の重さが、僕の中に入ってくる。


 案内人が僕の耳元で囁いた。


「君、今のを忘れるな……。満足のいく死は、美学じゃない。経済だ。制度だ。感染だ」


 感染。その言葉が、僕の頭の奥で鳴った。


 地底の倫理が地上の倫理に感染するのか。地上の倫理が地底の倫理に感染するのか。どちらでもいい。感染は宿主を変える。変わった宿主は元に戻らない。戻らないことが、僕の任務の本質かもしれなかった。


 僕は端末を握りしめた。録音が走っている。地底が欲しがる“言語記録”が、今まさに積み上がっている。積み上がる記録は、地底を救うのか、それとも地底を壊すのか。壊れることは悪だと教え込まれた。だが壊れないことが、必ずしも善ではないと、僕は今、死の点数板の前で学んでしまった。


 僕らは歩き出す。次は、点が配られる場所へ。


 地上の光は濁っているのに、さっきよりも眩しかった。


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