4部 第4話
祭壇は、神を置くための台だ。
台があるということは、上下があるということだ。上下がある世界では、点が生まれる。点が生まれると並びが生まれる。並びが生まれると、遅い者が後ろへ押しやられる。押しやられた者が影になる。影が濃くなるほど、光は正義になる。正義になった光は、銃を呼ぶ。
銃は、祭壇の守り手になる。
僕の前にあるのは、白い端末の山だった。白い山は清潔に見える。清潔は善だ。善は疑われにくい。疑われにくい善が、ここでは祈りの形をしている。祈りの形をした善は止まらない。
端末の光が、短い、長い、短い。雑音の形の合図。ゼロの痕跡。痕跡を拾えば、値になる。値になれば捕まる。捕まれば薄まる。薄まれば終わる。
拾わない。
名前にしない。
だが見逃さない。
「示せ」若い男が言った。乾いた目。信仰の目。信仰の目は疑わない。疑わない目は命令を待つ。命令を待つ群衆は、命令を出す者を求める。命令を出す者が、神になる。
「点を示せ。お前らが誰を生かすか、示せ」
誰を生かすか。
選別という単語を、彼は使わない。選別は汚い。汚い言葉は善を曇らせる。曇った善は疑われる。疑われる善は止まりやすい。止まりやすい善を避けるために、人は清潔な言葉を選ぶ。
示せ。守る。支援。保護。
清潔な言葉が、汚れた結果を運んでくる。
地底の隊員が一歩前へ出た。銃は見せない。見せない抑止。見せない抑止は、抵抗を奪う。抵抗が奪われれば、儀式は滑らかに進む。
「後退しろ」隊員が言う。
後退。戦線の言語。戦線の言語が出た瞬間、ここは市場ではなく、境界になる。境界は閾だ。閾は跨いだ瞬間に戻れない。戻れない線が増えるほど、世界は狭くなる。狭い世界では、宗教は育ちやすい。
群衆がざわついた。ざわつきは熱だ。熱は暴力を呼ぶ。暴力は点を呼ぶ。点は宗教を呼ぶ。宗教は止まらない。
僕は何も言わない。言葉は儀式に吸われる。吸われた言葉は、神の声になる。神の声になった言葉は、群衆を動かす。動かされた群衆は、次の点を要求する。
点の要求は、止まらない。
だから僕は、言葉ではなく“配置”で動く。僕の役割は、祭壇の正面ではない。正面は神の場所だ。僕は神になれない。神になれば戦争が閉じる。閉じ方が変わらない。
僕は祭壇の横へ回り込む。横は影だ。影は雑音が残りやすい。雑音は捨てられる。捨てられた雑音だけが、後で意味になる。
祭壇の側面には、端末を繋ぐ配線が露出していた。固定された端末。測るための端末。測る端末は値を作る。値は点だ。点は通貨だ。通貨は市場だ。市場は戦争だ。戦争は循環だ。
循環を閉じさせないために、値を作る回路の“意味”を折る必要がある。
折るといっても壊さない。壊せば物語になる。物語になれば宗教になる。宗教になれば止まらない。だから折るのは、物理ではなく照合だ。照合は帳簿の作法だ。帳簿の作法の中で、帳簿が帳簿でいられないようにする。
帳簿が帳簿でいられない状態。それが未定義だ。
未定義は、制度の恐怖だ。
僕の手首の白い帯が、側面の読取部に近づいた。帯は光らない。価値にならない帯。だが読取は走る。走った瞬間に、表示が乱れた。乱れは誤差。誤差は事故。事故は盲点。
盲点の中で、ほんの一瞬だけ文字が出る。
――照合:不可
――優先度:再計算不能
――生存:点にするな
また同じ命令。命令が繰り返されるということは、ゼロが“拡散”させているということだ。拡散は危険だ。危険は矯正される。だが拡散が雑音の形なら、矯正は追いつかない。追いつかなければ未定義が残る。
未定義が残ると、神の台が揺れる。
揺れた台の上の神は、神でいられない。
群衆の前で、若い男が腕を上げる。端末の光を見せつける。光が正義になる瞬間だ。正義の光は、他者の暗さを罪にする。罪になった暗さは排除される。排除は死を呼ぶ。死は地上の通貨だ。
「見ろ」男が叫ぶ。「俺は生存点を持っている。俺は――」
言葉が途切れた。端末の光が、一瞬だけ消えた。消えたのではない。照合が外れた。照合が外れたということは、値が未定義になったということだ。未定義になった値は、正義になれない。
男の顔が凍る。凍りは恐れだ。恐れは亀裂だ。亀裂は光だ。光は火種。
群衆が一斉に息を止める。息を止めた瞬間、祈りが止まる。祈りが止まった瞬間だけ、人は神なしで立てる。
立てるのは一瞬だ。その一瞬の間に、誰かが次の神を置こうとする。次の神は銃かもしれない。帳簿かもしれない。地底かもしれない。
僕はその前に、雑音を落とす必要がある。雑音を落とす。拾わせない。名前にしない。だが落とす。
落とすのは物資ではない。言葉でもない。
“矛盾”だ。
矛盾は制度に取り込まれにくい。取り込もうとすると忙しくなる。忙しくなれば盲点が増える。盲点が増えれば、穴は移動できる。
僕は、祭壇の側面の配線に触れた。触れたのは断線のためではない。接触のためだ。接触はログを残す。ログは確定の材料だ。材料は武器になる。
だから接触は一瞬だけ。痕跡を最小に。痕跡が最小なら、確定に時間がかかる。時間がかかれば、ゼロが動ける。
表示がもう一度乱れ、今度は別の文言が走った。
――配給券ではない
――呼吸でもない
――記録だけ
――記録は価値にならない
記録だけ。
記録だけを配る。価値を配らない。価値がないなら、神の台は作りにくい。台が作れないなら、神は立てにくい。立てにくい神は、銃に置き換えられやすい。銃に置き換えられれば戦争だ。
戦争は循環を閉じる。
閉じさせないために、銃より先に“別の掴みどころ”を与える必要がある。
掴みどころは、点ではない。点は奪われる。点は通貨になる。点は宗教になる。
掴みどころは、点にならない共同だ。
共同は、帳簿になりにくい。帳簿になりにくい共同は、制度が嫌う。嫌うものは矯正される。矯正される前に、共同は場所を変える。場所を変えられる共同だけが生き残る。
男が叫ぶ。
「誰かが……神を盗んだ……」
盗んだ。盗みという単語が出た瞬間、倫理が戻る。倫理が戻ると、正義の光は曇る。曇った光は疑われる。疑われる神は弱い。弱い神の足元で、次の神が立ち上がるまでの時間ができる。
時間ができた。
その時間の中で、僕は群衆の顔を一人ずつ見た。飢えの目。信仰の目。恐れの目。怒りの目。どれも同じだ。どれも呼吸の形だ。呼吸がある限り、人は祈る。祈りがある限り、神は生まれる。
神を生ませないのではない。神を、点にしない。
点にしなければ、奪い合いの回路が閉じにくい。
閉じにくい回路の中で、第三の“閉じ方”が生き残る。
隊員が無線で叫ぶ。
「照合が不安定だ。祭壇周辺を隔離しろ」
隔離。地底の得意技。隔離は清潔だ。清潔は善だ。善は疑われにくい。疑われにくい善が、また影を濃くする。
影が濃くなる前に、僕はここから離れなければならない。離れるというのは逃走だ。逃走は敵の定義を招く。敵を定義された瞬間に、銃が必要になる。
だから逃げるのではない。移動する。移動は保守の言語だ。保守の言語なら、まだ敵にならない。
僕は祭壇から一歩退く。
背後で、端末の光がまた短く、長く、短く点滅した。
雑音がまだ生きている。




