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満足死  作者: 竜造寺。(原案・編集) & ChatGPT(生成)
第一部
2/7

第2話

 地上の空気は、地底の空気と違って“情報量”が多い。


 臭い、熱、乾き、金属の粉、焦げ、そして何より――不規則な音。地底では音は設計されている。反響は抑えられ、雑音は排除され、必要なアラートだけが必要な周波数で鳴る。地上は違う。地上の音は環境の副産物だ。つまり世界が世界として勝手に存在している証拠だ。


 僕は防護服の内側で呼吸を数えた。一、二、三。肺に入る空気が重い。放射線を“吸う”という感覚は本当は比喩だが、比喩は身体感覚に影響する。影響するなら、比喩は現実だ。人間にとっては。


 昇降区画の出口は、かつて何かのビルの地下駐車場だったらしい。天井の一部が崩れ、コンクリートの梁が露出している。床には水たまりがあり、そこに濁った光が揺れている。水がある。地底では水は資源として管理されるが、ここでは水はただ“そこにある”。そこにあるものは、奪われる。奪われるものは争いを生む。争いが戦争を生む。戦争が地上を覆いつくした、と教科書は言う。教科書は正しい。だが教科書は、その正しさがどういう匂いを持つかを教えてくれなかった。


 監督官との通信は、規定のタイミングでだけ接続される。常時接続は危険だ。危険は死を呼ぶ。だから僕は、地底と繋がりすぎないように切り離されている。切り離されるというのは自由に似ている。自由に似ているが、自由そのものではない。自由は選択を要する。選択は責任を要する。責任は死と隣り合わせだ。


 出口付近に、四角い金属箱が置かれていた。箱の表面に、地底の規格で印刷された記号がある。観測班の前任者が残した補給だ。つまり僕は“初めての地上”を経験しているが、地底は地上を全く知らないわけではない。知らないふりをしているだけだ。知らないふりは統治の技術だ。人間は未知を恐れ、恐れは管理欲求を呼ぶ。管理欲求は制度を正当化する。


 箱を開ける。中には携行端末、簡易線量計、地上の地図の断片、乾燥食、交換用フィルタ。そして紙の束。


 紙。


 地底では紙は贅沢品だ。情報は端末に集約され、紙は燃えるし嵩張るし、保管が面倒だ。それでも紙が残るのは、紙が“切断”を提供するからだ。端末は常にネットワークへ接続され、常に記録し、常に同期する。紙は孤立できる。孤立は、地底では危険だが、地上では生存の条件になる。


 紙束の表紙に、短いタイトルがあった。


 ――「満足死の作法 改訂版」


 僕は一瞬、冗談かと思った。だが地上の冗談は、地底の冗談よりもずっと悪趣味で、ずっと現実的だ。地上では悪趣味が生存の副作用として発達する。生存の副作用は、文化と区別がつかない。


 ページをめくる。文字は地底の言語体系と似ているが、決定的に違う匂いがある。断定が多い。断定は暴力だ。だが戦争の世界では断定がなければ生き残れない。断定できない者は撃たれる。撃たれる者は死ぬ。死ぬ者は“満足のいく死”を得られない。つまり断定は倫理になる。


 背後で、砂利が鳴った。


 僕は反射的に振り向く。反射は思想より古い。古いものほど信用できる場面がある。地底は思想で世界を制御しようとしたが、地上では反射が世界を制御する。


 暗がりから、人影が現れた。背は僕と同じくらい。装備は軽い。銃器ではなく、刃物に近い長物を背負っている。布の外套。顔は煤で汚れていて、目だけが妙に白い。


「地底の人間が、ひとりで出てくるなんて……」


 声がする。男か女か判別しにくい。地上の人間は、地底の基準で分類しにくい。分類しにくいものは危険だ。だが危険は、僕がここへ来た理由でもある。


 僕は防護服越しに言った。


「僕は観測班だ。あなたは……」


 自分で言っておいて、間抜けだと思った。地上で“あなたは何者か”と問うのは、銃口を向けるのに似ている。問うことは支配の試みだからだ。


 相手は笑った。地底の笑いより、鋭い。


「僕のことを知りたい……。それとも、僕が君をどう処理するか知りたい……」


 会話文に「……」が混じるのは、この社会の呼吸が乱れているからだろう。地底の会話は整いすぎている。整っている会話は、情報交換には適しているが、生存には適していない。


「君、地底の人間だよね……。防護服がそれを言ってる。けど、その目は違う」


 目。目は管理しにくい。身体の中で、目は最も外部にさらされている。だから地底は、目の動きも追跡する。追跡できない目は不安を呼ぶ。だが今、追跡するのは相手のほうだ。


「名前は……」


 僕が言いかけると、相手が指を立てた。


「名前は後だ。先にルール」


 ルール。地上にもルールがある。地上は無秩序ではない。無秩序が生存に不利だからだ。無秩序は短期的な自由を生むが、長期的な生存を削る。生存を削る社会は持続しない。持続しない社会は滅びる。地上は滅びたと言われているが、滅びたのに持続している。矛盾だ。矛盾は、教科書が切り落とした部分にある。


 相手は言った。


「ここは僕の縄張り。君がここにいる理由は、たぶん僕の縄張りに関係する。だから、君が君でいられるかどうかは僕が決める」


 支配。地上の支配は、地底の支配より露骨だ。露骨な支配は、拒否される余地が少ない。拒否される余地が少ない支配は、暴力に見える。だが地底の支配も本質的には同じだ。ただ“優しさ”という包装で隠されているだけだ。包装は倫理に見える。倫理は暴力を透明にする。


「僕は争いに来たわけじゃない」


 僕はそう言った。嘘ではない。だが地上では、争いに来たかどうかは自己申告で決まらない。地上では、争いは状況が決める。状況は人間の意図を無視する。意図が無視される社会では、意図は贅沢品だ。


 相手は少し首を傾げた。


「争いに来たわけじゃない……。じゃあ君は死に来た……」


 その言い方が、地底の禁句に触れていた。死に来た。地底では、人間が死を目的にすることは倫理的に許されない。だが地上では、死が目的になり得る。しかもそれが倫理になる。倫理の地層が違う。僕はその違いを、頭では理解していた。だが目の前で言われると、胃が縮む。


「……死が目的になるのか」


 僕の独白が漏れた。独白は地底では危険だ。独白は指数化しにくいからだ。だが地上では独白は生存に役立つことがある。独白は、相手の反応を引き出す。相手の反応は情報だ。情報は生存だ。


 相手は嬉しそうに笑った。


「いい顔するね……。君、地底の優等生じゃない。地底の優等生は死を嫌うふりをする。嫌うふりが上手い。でも君は、死を嫌うふりが下手だ」


 僕は反論できなかった。下手だ。僕は死を嫌うふりが下手だ。そもそも、嫌うふりをしたいのかどうかも分からない。


 相手は僕の手元の紙束を見た。


「それ、持ってきたの……」


「補給箱に入ってた」


「だろうね……。地底は地上を理解したがってる。理解したがるのは、支配したがるのと同じ」


 紙束のタイトルが、煤の光の中で白く浮かぶ。


 満足死の作法。


 相手は言った。


「君、それを読んだ……」


「今、開いたところだ」


「なら説明しようか……。満足のいく死ってのはね、死の“品質管理”なんだ」


 品質管理。地底の言語だ。地底は品質管理の社会だ。食糧、空気、水、睡眠、感情。品質管理の対象は生存に関わるものだ。地上は死を品質管理する。つまり地上は、生存ではなく死を“資産”として扱っている。


 相手は続ける。


「戦争は常態。常態ってのは、飽きるってこと。飽きた戦争は雑になる。雑な戦争は不快な死を増やす。不快な死は共同体の士気を下げる。士気が下がると負ける。負けると奪われる。奪われると生き残れない。だから僕らは死の品質を上げる」


 僕は、その説明の論理性に寒気がした。論理は倫理を装う。倫理は殺人を正当化する。地底も同じことをしている。ただし地底は殺す代わりに“管理”する。管理は殺さないように見える。だが管理は、別の何かを殺す。自由、選択、優先順位。人間の内側の生々しさを殺す。


「君、名前は……」


 僕は再び言いかけた。


 相手は肩をすくめた。


「名前は、呼ばれるための道具だ。地上じゃ、道具は奪われる。だから僕は名を安売りしない」


 名を安売りしない。地上では言葉の価値が違う。地底では言葉は規格だ。規格は共有される。共有される規格は便利だが、便利すぎると支配が見えなくなる。地上の言葉は、共有が難しい。難しい共有は争いを生む。争いは戦争を生む。戦争は文化を生む。文化は倫理を生む。倫理は死を正当化する。循環はどこでも同じ形をしている。ただ、どこを善と呼ぶかが違う。


 相手は僕の防護服を指で叩いた。硬い音がする。


「これ、いつまで持つ……」


「フィルタの交換回数で……」


 僕が言うと、相手は遮った。


「そうじゃない。君の心が、いつまで持つ……」


 僕は答えられなかった。


 地底の倫理は“死なないこと”を至上とした。地上の倫理は“満足のいく死”を至上とした。どちらも極端だ。極端は、世界を単純にする。単純になった世界は、生きやすい。だが単純は、嘘でもある。人間は本当は単純ではない。単純に生きるために、人間は何かを捨てる。地底は死を捨てた。地上は生存を捨てた。


 僕は思った。僕はどちらを捨てるのか。


 相手は、少しだけ声を落とした。


「君に仕事をあげる……。地上を見たいんだろ。なら見せる。けど条件がある」


「条件……」


「君が“死”を、地底へ持ち帰らないこと……」


 その条件の意味が、すぐには分からなかった。死を持ち帰らない。死は概念だ。概念を持ち帰るな、と言っているのか。あるいは、死の技術を持ち帰るな、と言っているのか。地上の死の品質管理が、地底の生存品質管理に輸入されると何が起きる。地底は死を忌避するはずなのに、死の思想が混入した瞬間、地底の倫理の循環が異常発振するかもしれない。


 僕はそのとき、ようやく理解した。地上と地底の対立は戦争ではない。文化でもない。価値観の違いでもない。


 これは感染だ。


 倫理は伝染する。言葉は伝染する。制度は伝染する。伝染した倫理は、宿主の身体を作り替える。地底の身体は、すでに倫理によって作り替えられている。そこへ地上の倫理が入ると、身体は別の形に変形する。その変形の先にあるのは、救済か、破滅か。どちらにせよ“安定”ではない。


 僕は言った。


「……君は、地底を怖がってる」


 相手は笑ったが、その笑いはさっきより乾いていた。


「怖がってるのは君のほうだ……。地底は怖い。だって死なないんだろ。死なない奴は、何だってできる。僕らは死ぬ。死ぬから、限界がある。限界があるから、まだ人間でいられる」


 限界があるから人間でいられる。


 地底でそれを言ったら、異端だ。地底では限界は排除対象だ。排除された限界の向こう側に、不老がある。だが不老は、限界の不在でもある。限界がないものは、何だってできる。何だってできるものは、何だってしてしまう。


「……君は、満足のいく死を信じてるのか」


 僕は聞いた。聞いてしまった。


 相手は少し黙ってから言った。


「信じてるって言葉は、地底の言葉だ……。ここでは、信じるかどうかより、そうしないとやっていけないかどうかだ。僕らはやっていくために死を磨く。磨いた死は美しい。美しいものは救いになる。救いがないと、戦争はただの地獄だ」


 僕は紙束を握りしめた。紙が折れる音がした。紙が折れる音は、端末のクリックよりも重い。物理的な変形が、僕の行為を現実にするからだ。現実にしたくない行為ほど、現実になると痛い。


 相手は僕に手を差し出した。


「案内してやる……。君が見たいものを見せる。僕が見せたいものも見せる。地上は公平だ。公平に地獄を配る」


 僕はその手を見た。煤で汚れ、指の節が固く、爪が欠けている。地底の手はもっと滑らかだ。滑らかさは安全の成果だ。成果は誇りだ。誇りは善だ。だがこの手は、善ではないかもしれない代わりに、確かだ。


 僕は手を取った。


 その瞬間、通信端末が振動した。規定外のタイミング。規定外は事故だ。事故は死だ。僕は反射的に端末を確認する。画面には、地底からの短いテキスト。


 ――「接触を確認。対象の言語記録を最優先で回収せよ」


 最優先。地底は、最優先という言葉で人間を動かす。


 僕は思った。僕は今、何を最優先にするべきだ。生存か。観測か。地底の命令か。地上の倫理か。それとも――僕自身の理由か。


 相手は僕の端末を覗き込み、口元だけで笑った。


「もう感染してる……。君、戻れなくなる」


 戻れなくなる。戻れないことは恐怖だ。だが戻れないことは、同時に選択でもある。選択は自由だ。自由は死と隣り合わせだ。僕はその循環の中に足を踏み入れてしまった。


 僕は歩き出す。地上の案内人と並んで。地底の命令を胸の内側に隠して。


 地上の光は濁っているのに、妙に眩しかった。

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