2部 第4話
第四世代という呼び名は、年齢を示していない。
地底で世代は時間ではなく制度の段階だ。第一世代は逃げ込んだ者たち。第二世代は定住した者たち。第三世代は最適化された者たち。そして第四世代は、最適化の中で生まれた者たちだ。最適化は善の顔をしている。善の顔をした最適化は、人間を機械に近づける。機械に近づいた人間は、事故を起こしにくい。事故が起きなければ死なない。死なないことが善である。
僕は矯正の後の廊下を歩きながら、自分の歩幅が変わっていることに気づいた。歩幅が一定に寄っている。寄っているという事実が怖い。矯正は骨の位置だけでなく、思考の位置も変える。位置が変わると世界の見え方が変わる。見え方が変わると、地上の灰が薄まる。薄まった灰は、いつか消える。
消える前に、薄片の冷たさだけが僕の中に残っていた。
監督官は僕を隔離室へ戻さなかった。戻さないという判断は、僕を“患者”ではなく“資源”として扱い始めた証拠だ。資源は隔離より流通させた方が効率が良い。効率は善だ。善のための流通。地底は流通を好む。流通は停滞を避ける。停滞は腐敗を呼ぶ。腐敗は事故を呼ぶ。事故は死だ。死は悪だ。だから流通は善になる。
案内されたのは、共同区画の一室だった。面談室より広い。隔離室より生活に近い。生活に近いということは、制度が僕を“馴染ませる”段階に入ったということだ。馴染ませる。馴染めば抵抗は減る。抵抗が減れば事故は減る。事故が減れば善が増える。善のための馴化。
部屋の中には、同じ世代の人間がいた。四人。男女の比率は意図的に調整されているのだろう。地底は偶然を嫌う。偶然は事故を呼ぶ。事故は死を呼ぶ。だから偶然は制度で薄められる。
彼らは僕を見た。見る目に、奇妙な軽さがある。軽さは敵意ではない。軽さは退屈だ。退屈は不老社会の副産物だ。終わりがないと、人間は時間の重みを感じにくい。重みを感じない時間は、感情を擦り減らす。擦り減った感情は刺激を欲しがる。刺激は危険を呼ぶ。危険は死を呼ぶ。地底は死を避けたいのに、死を避けることで危険を育てている。
男のひとりが言った。
「地上帰り……」
会話に疑問符はない。地底では疑問符は必要とされない。必要とされないというより、疑問が制度にとって危険だからだ。疑問は選択を生む。選択は責任を生む。責任は個人を生む。個人は事故を生む。事故は死だ。だから疑問は薄められる。薄められた疑問は、語尾を濁す。
「……地上って、匂うんだろ」
匂い。地底には匂いがない。匂いがないのは清潔だ。清潔は善だ。善は無臭だ。無臭の善は、人間の生々しさを奪う。
僕は言った。
「匂う。灰と金属と油。あと……紙が燃える匂い」
紙が燃える匂い。言った瞬間、矯正が僕の内側で反射する。反芻を減らしたはずの装置の残響が、僕の頭を滑らかにしようとする。滑らかになれば、この匂いはただのデータになる。データになれば政策になる。政策になれば救済になる。救済になれば支配になる。
女のひとりが微笑む。微笑みは礼儀だ。礼儀は摩擦を減らす。摩擦が減れば事故が減る。事故が減れば善が増える。善のための微笑。
「紙……。燃えるんだね」
当たり前のことを、当たり前でない声で言う。地底の人間にとって、燃えるという現象は遠い。遠いものほど魅力になる。魅力は欲望になる。欲望は事故を呼ぶ。事故は死を呼ぶ。だから魅力は管理される。管理された魅力は、娯楽になる。娯楽は制度の中の刺激だ。刺激は安全に供給される。
別の男が、僕の腕を見た。矯正で貼られたパッドの跡がまだ残っている。
「矯正……やられた」
やられた。受動の言い方。地底では受動が自然だ。自然だからこそ怖い。受動が自然だと、人間は自分が動いていると錯覚する。錯覚したまま制度に運ばれる。運ばれた先で気づいても遅い。
僕は答えた。
「反芻を減らすと言った」
男は鼻で笑う。笑いは余裕だ。余裕は退屈の別名だ。退屈は刺激を求める。刺激を求める者は、制度の隙間を探す。
「減る。減るけど……残るものは残る。だからお前はここにいる」
ここ。共同区画。第四世代の溜まり場。制度が危険な芽を集めておく場所。隔離より柔らかい隔離。柔らかい隔離は隔離に見えにくい。見えにくい隔離は抵抗を減らす。
女が言う。
「地上に行く任務って、選ばれた人だけ。羨ましい」
羨ましい。地底で羨望は危険な感情だ。羨望は差を自覚させる。差を自覚すると優先順位が見える。優先順位が見えると最優先が疑われる。最優先が疑われると制度が揺らぐ。
僕は言った。
「羨ましいなら、行けばいい」
女は肩をすくめる。
「行けない。行く理由がない。行っても……死なないための社会に戻れなくなる」
戻れなくなる。戻れないという言葉は、地底では恐怖だ。地底は帰還の思想でできている。戻ることが善で、戻れないことが悪だ。だが地上で僕は知った。戻れないということが、時に人間を前へ進ませる。
別の女が、僕をじっと見て言った。
「あなた……最優先って言葉、嫌いになった」
嫌い。地底で嫌悪は危険だ。嫌悪は拒否になる。拒否は個人を生む。個人は事故を生む。事故は死だ。だから嫌悪は治療される。
僕は言った。
「嫌いになったわけじゃない。疑う理由ができた」
女は頷く。頷きは合意だ。合意は感染だ。感染がここで起きている。起きているから、制度はここに僕らを集めた。感染を局所化し、管理する。管理された感染は流行にならない。流行にならない感染は、制度を壊さない。
男が低い声で言う。
「お前……録音、持って帰ってきたんだろ」
僕は一瞬、呼吸を数えそうになる。数えない。数えると矯正の滑らかさに吸い込まれる。滑らかさは善だ。善は眠りだ。眠りは抵抗を殺す。
僕は言った。
「端末は預けた」
男は唇を歪める。
「預けた。つまり渡した。渡したなら地底は地上を整える。整えるのは救済だ。救済は支配だ。支配は止まらない」
僕と同じ言葉。つまり彼も同じ結論に近づいている。結論は感染する。感染した結論は、同世代の渇きと結びつく。渇きは行動になる。行動は事故になる。事故は死だ。地底は死を避けたい。だが死を避ける地底が、死へ向かう構造を育てている。
女が言った。
「地上は……満足のいく死を至上にするんだよね」
僕は頷く。頷きは合意。合意は感染。感染がまた一歩進む。
「満足死……」女は呟く。「言葉、綺麗だね。怖いのに」
綺麗な言葉は怖い。綺麗な言葉は人間を魅了する。魅了された人間は死を選ぶことがある。地上はそれを制度にした。地底は、それを避けるために制度を作った。制度は同じ構造を持っている。構造が同じなら、いつか同じ場所へ行き着く。違うのは速度と方向だ。だが方向が違っても、閉じた循環なら出会う。
男が言った。
「ここには、派閥がある」
派閥。地底に派閥があるという事実は、制度の敗北だ。制度が完全なら派閥は生まれない。派閥は個人の集合だ。個人が生まれれば事故が起きる。事故は死だ。死は悪だ。だが派閥は生まれた。生まれたということは、地底の滑らかさにひびが入っている。
「救済派と……停止派」男は続ける。「救済派は、地上を整えて戦争を止めるべきだと言う。停止派は、整えること自体が地底を壊すと言う」
僕は言った。
「どっちが多い」
男は肩をすくめる。
「数は意味がない。意味があるのは、解析班がどっちの言葉を採用するか」
採用。制度が選ぶ。制度が選ぶから、個人は選ばない。選ばない個人は楽だ。楽な個人は従う。従えば制度が続く。
女が僕に近づいて、小声で言う。
「あなたは……どっち」
どっち。二択。地底の二択は罠だ。二択は選択を奪うための選択だ。選択を奪う選択は、自由の顔をしている。自由の顔をした拘束。地底の得意技。
僕は言った。
「第三が要る」
女が目を見開く。驚き。驚きは制度の外だ。外に出た感情は危険だ。危険は感染する。感染が広がると制度が揺らぐ。揺らぐ制度は僕らを潰すだろう。だが潰されない限り何も変わらない。
男が低い声で言う。
「第三……。例えば、何だ」
僕は答えられない。答えれば、言葉が固まる。固まった言葉はモデル化される。モデル化されれば政策になる。政策になれば救済になる。救済になれば支配になる。支配は止まらない。
僕は言った。
「まだ言葉にしたくない」
そのとき、部屋の隅の端末が鳴った。呼び出し。規定値の音。規定値の音は、私語を切る。私語が切れれば感染は止まる。止めるために規定値はある。
監督官の声が部屋に響く。
「アンドレア。解析班へ」
呼ばれる。呼ばれるというのは、制度が僕を再び手続きへ戻すという意味だ。共同区画は息継ぎで、息継ぎは次の沈降のためにある。
僕は立ち上がった。薄片の冷たさが手首に残っている。残っている限り、選択肢はある。選択肢があるという事実が、地底では危険だ。危険な事実を、僕は握っている。
女が小さく言った。
「名……リーヴ。忘れない」
忘れない。忘れないという言葉は抵抗だ。地底は忘れさせることで安全を作る。忘れない者が増えれば、安全は揺らぐ。揺らぐ安全は、自由に似ている。
僕は頷かずに言った。
「覚えていれば、いつか火になる」
火。地底が恐れるもの。だが恐れるものほど、必要になることがある。
僕は部屋を出る。廊下の白さが戻ってくる。白さは僕を薄めようとする。薄められる前に、僕は薄片を確かめる。冷たさがある。輪郭がある。
解析班は僕に“提出”を選ばせる。提出しかないように見せる。見せられた道の外側に、僕は第三を作らなければならない。
第三は、言葉の外にあるかもしれない。




