壁ごしの王子さまと、わたしの歌
ある所に、赤毛で、顔にソバカスがある女の子がいました。
その子はいつも近所の子に馬鹿にされていましたが、生まれつき強がりな女の子はグッと拳を握りしめて、
絶対に泣きませんでした。
そんな彼女の好きなことは歌を歌うことでした。
歌っている間は、心が自由になりすべてを忘れられるのです。
まわりも、自分の見た目も気にせずにいられる、自分だけの時間です。
ですが、街の小さな部屋では、大声で歌うと怒られてしまいます。
なので、ある日女の子は星に誘われてふらふらと街の中心にある、空まで届きそうな、大きな壁の前まで歩いてきました。
この先は、すてきなドレスやおいしいお菓子、わたしの見たこともない、
きれいなものが沢山ある、貴族が住んでいるところらしいです。
――同じ時。
壁に向かって歩いてくる男の子がいました。
男の子は、とても危ない煙突掃除をする少年でした。
毎日毎日、すすだらけになりながら働いていました。
この男の子もまた、つらい日々から逃げ出したくて、気がつけば、街の中心の壁の前まで来ていました。
彼にはとても届かない、そして分厚い壁です。
この壁のむこうには、
自分の知らない、自由に暮らす人たちがいると聞いていて、
それが、少し羨ましかったのです。
すると、壁のむこうから、澄んだ綺麗な歌声が聞こえてきました。
男の子は、その声につられて、思わず言ってしまいました。
「……誰が歌っているの? 僕のためにも歌ってほしいな」
突然、壁のむこうから声をかけられた女の子は驚いてしまいました。
女の子は、壁のむこうには、自分とは住む世界がちがう人たちがいることを知っていました。
そんな場所から、歌ってほしいと声をかけられたのです。
とても嬉しい出来事です。
しかし、平民のソバカスだらけの自分の歌は聴いてくれないかもしれません。
とっさにウソをついてしまいました。
「わたしは、こうやって家を抜け出してしまう、困った貴族の娘ですが……。お客さんは大かんげいですよ」
そのかわいらしい嘘に、男の子は少し笑顔になりました。
「じゃあ、お姫さま……?僕は、貴族の子なんですが、すこし悲しいことがあって――。
あなたの歌声で心が軽くなりました。
どうか、僕のために歌ってくれますか?」
「いいですよ。でも何の曲を歌いましょうか?」
そう聞かれて、男の子は困ってしまいました。
誰かに歌ってもらったことがなかったので、どんな曲も知らないのです。
「今日は、本当にきれいな星空ですね。でも、なぜか眠れなかったんです。
僕のために、心が休まる歌をきかせてください」
何も思いつかなかった男の子は、女の子に任せることにしました。
「じゃあ、有名な子守り歌にしますね。きっとよく眠れるはずです」
女の子は、人のために歌うのが初めてでしたので、最初の声は震えてしまいました。
でもその時、男の子が言ってくれたのです。
「大丈夫だよ。きみはさっきとても楽しそうに歌っていたね。
それが僕の聞きたい歌だよ」
その言葉に、勇気が出ました。
声が、伸びやかに広がっていきます。
女の子は自分が知っている子守り歌を歌いました。
その後も、男の子と話が弾み、心も弾み、
自分の知っている歌を何曲も歌いました。
ふと気がつくと、いつの間にか、明るく夜空を照らしていた月が隠れてしまっています。
「今日はありがとう。もう遅いから帰ろうか。もしよかったら、またここで、壁ごしに君の歌をきかせてくれる?」
男の子の言葉が嬉しくて、女の子はうなずきました。
「あした! あしたの同じ時間に、またここで歌っていますから。もし聞いていなくても大丈夫。毎日ここで歌を歌います」
貴族の子なら、きっと忙しいでしょうから。
かってに約束なんて出来ません。
男の子は、毎日くたくたに働いていました。
その言葉を聞いて元気がでました。
きっと、この子の歌を聞けば毎日が楽しく頑張れる気がしたのです。
「じゃあ、あした。あしたも、あさっても来るよ。これない日があってもいいからね。僕はここの景色が好きだからかってに来るだけだよ」
約束にもならない約束をして、二人はお別れしました。
毎日、楽しそうに歌う女の子。
それを嬉しそうに聞いている男の子。
しばらくの間、そんな毎日が続きました。
――ある時。
男の子にえらい旦那さまが声をかけてくれました。
「きみは毎日、誰よりも頑張っているね。
そして笑顔がとても素晴らしい。向こうの街にある、わたしの屋敷で働かないかい?」
こんなことは、はじめてでした。
自分の頑張った姿を褒められたのです。
男の子は、嬉しくなってすぐに返事をしました。
「はい!ぜひよろしくお願いします!」
えらい旦那さまは、あしたの朝に迎えに来ると約束して帰っていきました。
あしたの朝。
壁ごしの女の子に伝えなければいけません。
もう、ここには来れないと言わなければなりません。
それは、男の子にとってつらいことでした。
自分が認められた嬉しさが半分。
女の子と離れなくてはいけない寂しさが半分。
でも、男の子は前を向いて歩きます。
これは、あの子の歌が自分に元気をくれたおかげだったからです。
ちゃんとお礼を伝えたいと思いました。
女の子は今日も壁ごしに、男の子を待っていました。
顔も見たことがないけれど、彼の優しい声と優しい言葉にいつも胸がどきどきしてしまいます。
今日は何の歌を歌おうか。
何のお話をしようかな、と考えていました。
いつものように足音が近づいてきて、壁をトントンと叩く音がしました。
「お姫さま、あの……。今日もそこに居るかな……?」
何故か、今日の男の子の声には力がありません。
「何かあったの?」
心配になって声をかけました。
「あのね、今日は大事なはなしがあるんだ……。
実はあしたの朝――。その……」
言いにくそうな男の子に、女の子はゆっくりと言いました。
「今日は、わたしの好きな歌を歌ってもいいかな……?
はじめて人の為に作った曲なんだ」
その旋律は、明るい夜空の星を、さらに輝かせる響きを持っていました。
女の子の最後の声が闇に消えていき、静かな時間が過ぎました。
その歌を最後まで聞いた男の子はいいました。
「素敵な歌だったよ。君のおかげで、暗い中でも僕は迷わずに歩いていける」
「そう言ってくれてありがとう。あなたが褒めてくれるたびに、わたしの心も元気になったの」
男の子は精いっぱい伝えようと大声をだしました。
「きみは、毎日、僕に光をくれた!
僕の道を照らしてくれたのは、君の歌だった。ありがとう!」
その言葉に勇気をもらった女の子は、今までのことを、本当のことを伝えようと思いました。
「今日は、お別れなのかな?
……それじゃあ、私も言わなくちゃいけないことがあってね」
男の子は少女の言葉を、さえぎりました。
「きみは、僕にとってのお姫さまだよ。
それだけで十分なんだよ。そしてね、きっと僕だけじゃなくてたくさんの人を照らす光になると思う」
「どこかで、また、君の歌声を聴ける日をたのしみにしているね」
「うん、またどこかで」
二人は『さよなら』は言いませんでした。
壁のむこうでは、足音が遠ざかる音が聞こえました。
女の子は、一度その壁に額を当てて小さくつぶやきます。
「こちらこそ、ありがとう。どこのだれかも分からない……私の王子さま」
そう言って、家までの道を引き返していきました。
夜空には私を照らしてくれる、きれいな星空。
少女は、星に向かって笑いかけます。
「私が、こんなに綺麗な星に見えたのかな?それなら嬉しいな」
少女は、胸にさみしい気持ちがキュッと押し寄せました。
でも誰かの為になれた嬉しさも確かに感じます。
とても素敵な気持ちで歌い出しました。
それは、あの星に届くように。
明日からの自分のために、明日からの彼の未来のために。
にじむ瞳を拭いもせずに、大切な全てのものへ声を届けるように。
祈りのように歌い続けました。
きらきらと輝く夜空の星が、見守ってくれている、そんな気がした夜のことでした。




