流れる涙をそのままに
「…あっ…!…申し訳ありません…!」
可愛らしい声が、小さいのによく響いた。
か細く震え、何やら謝っているようだ。
何事かしら?と思って見回すと、こちらを見ている少女と目が合った。
少女の横には、我が国の第一王子殿下もいらっしゃる。
あら、いつからカフェテリアにいらしたのかしら。
珍しいこと。
「殿下、挨拶が遅れまして申し訳ございません」
裾をつまみ、王族への挨拶をしておく。
友人と話していたから気付かなかったわ。
わりと近くにいらしたのに。
「学園だからね、楽にしなよ」と朗らかに仰る殿下。
「あの…私平民なのに…すみません気に入らなかったですよね…」
私と殿下の挨拶の合間に、また声を発する先ほどの少女。
この方は、ずっと誰に話しかけていらっしゃるのかしら?
きっと彼女達の会話の合間に、私が入ってしまったのね。
「ご歓談中に失礼いたしましたわ」
今度は軽く礼をして下がろうとしたら
「す…すみません!私なんかが話しかけちゃって…!」とまた声がした。
続いて震える声で「お許しください…マリーローゼ様…」と聞こえたので、もう一度振り返る。
ずっと私に言ってらしたのかしら。
下のものから話しかけるわけないと思って、その可能性を考えていなかったわ。
でも、なぜ私の名前を呼ぶのかしら?
たぶん呼んでいるのよね?
ちょっと違うんだけれど。
「バールレ公爵家のマリーローズですわ。はじめまして」
微笑んで挨拶をしたら、なぜかプルプルしてらっしゃる。
さらに謎な事に、殿下の腕の裾を掴んでいらっしゃる。
一瞬そちらに視線が行くと
「あ…!すみません…!わたしったら!」と涙をこぼしはじめてしまった。
名乗らず、謝罪を4回。5回?
何に対する謝罪かも分からないし、挨拶がないから会話にもならない。
平民だと言ってらしたから、特待生の方ね。
少女の周りには男性が数名、ぐるりと囲うように立っている。
私の妹の婚約者である第一王子殿下、それと彼の側仕えが数名。
私と殿下とは同い年なので、成長過程で度々顔を合わせていた。
でも、挨拶以外でこうして言葉を交わすのは久しぶりだわ。
妹が殿下と婚約している事から分かるように、我が家の権勢は殿下にかかっている。
父が、第一王子殿下に人生賭けて全ベットしているわけだ。
その昔、私は幼かったからよく知らないけれど、それはそれは激しい権力闘争があったらしい。
大人達のすったもんだがあり、何人かの不審死を経て、私が隣国へ嫁ぐ見返りに、妹が【第一王子の婚約者】になった。
これ、お父様の一人勝ちよね。
今のところ、殿下以外が王位継承したら、処刑されるレベルで権勢を誇ってらっしゃるわ。
権力者の子女というのは――私や妹ね――家にとって最適な位置を見極め、他家に先んじて配置しておく手駒。
盤面で望まれた役割をこなす以外、身動き一つ許されない。
まだ自身の権力を持たない殿下だから、現時点では私達とさほど変わらないのよ。
立太子を待つ第一王子殿下、という盤面で。
ピカピカ輝くキング、という駒なの。
だから、今のところ殿下と公爵家は一蓮托生。
立太子前に公爵家が失速すれば、殿下は不慮の事故にでもあう。
殿下が凋落すれば、立太子後であろうと父は早世する。
そんな殿下の横に立つ少女。
なぜか謝罪を繰り返し、涙を流したっきり挨拶もしない彼女は、どこに置かれる予定なのかしら。
あ、殿下が肩を抱いたわ。
そして涙を拭ったわ。
まぁ…頬に手をやって見つめ合っているわ!
なるほど。
愛妾候補かしら?
――少女からの挨拶を待つ間、流れる涙を見つめつつ、取り留めなくそんな事を考えていたけれど。
引き続き、現状は以下の通り。
ひたすら泣く少女。
気遣わしげに少女を抱き寄せている殿下。
痛ましげにそれを見つめる側近たち。
――私は何を待っているんだろう。
公爵家の者が名乗ったのに返事もせず放置するなんて、今まで無かったから反応に困るわ。
平民だと名乗り合わないのかしらね。
でも、そうしたらお名前はいつ知るのかしら。
あ、私から聞くのね?
でもずっと泣いてるらっしゃるし…
いいわ、殿下のお側に侍るのならまた会うでしょう。
「お加減の宜しい時にまた」
微笑んで立ち去る事にしましょう。
何か聞こえるわね。
あぁ惜しいわ。
マリアローズじゃなく、マリーローズよ。
◇◇◇
この国と隣国って、お隣同士だからあんまり仲良くないの。
あちらこちらで小競り合いをして、小競り合いが大きくなって戦端が開き、疲弊しては休戦、をずっと繰り返してるんだけど。
お互いに国内の権力闘争が激化しちゃって、いまお隣から攻め込まれたくない!だけ意気投合したのが、ちょうど10年前よ。
で、両国の王族で結婚して和平、っていう常套手段に出たかったみたいなんだけれど。
こっちもあっちも王女がいない。
あちらの王太子はその時すでに30歳過ぎで、息子も3人いて。
そうなると、今から側室で嫁がせても旨味が少ない。
逆に向こうは、未来の王妃として侯爵令嬢を送ると言い出して。
こちらの王妃があちらの侯爵令嬢なんて、国辱よ。
揉めに揉めたらしいわ。
で、なぜか。
私が向こうの王弟殿下に嫁ぐ、で話が纏まったらしい。
大丈夫?抑止力として足りてる?と思ったけれど、嫁げと言われれば嫁ぐ、それが貴族。
17歳の誕生日に輿入れ予定よ。
王弟殿下はおいくつになられるのだったかしら。
58歳?たぶんそれくらい。
このあいだ3人目のお孫様がお産まれになったそうだから、お祝いを贈らないと。
妹は私の5つ下だから、婚姻は数年後になるはず。
さっきの少女の事は知ってるのかしら。
帰ったら聞いてみましょう。
◇◇◇
その後も、時折あの少女をみかけたのだけど。
水浸しで泣いていたり、ボロボロの何かを持って泣いていたり、色々な殿方の胸で泣いていたわ。
変化に富んだ毎日をお送りのようで、内緒だけれど、少し羨ましく思ったり。
ついつい目で追ってしまうのよね。
その視線を受けてなのか、あれ以降、よく殿下からお声掛けをいただくようになったわ。
「おまえがいじめの首謀者か」だとか
「嫉妬に狂った妹の差し金か」だとか
「権力を笠に着て見苦しい」だとか
大きな声を出して楽しそうですわね。
そういうお遊び?
お付き合いした方がいいのかしら?
遊び心がなくて申し訳ないわ。
でもどうしようかしら。
あんなにはっきり寵愛を示されてしまうと、さすがに困るのだけど。
そうだわ。
一度我が家にお呼びしましょう。
きちんとお話ししたら、わかってくださるわ。
◇◇◇
「あら?殿下がいらしたの?しかも私をお呼びで?」
我が家にいらっしゃるなんて、珍しい事もあるものね。最近は妹ともお会いになってないのに。
応接室にいらっしゃる殿下は、苛立ちを隠す事なく立ち歩いていて、余裕のないご様子。
挨拶も返さずこちらを睨みつけているわ。
「殿下、どうなさいました?」
「貴様…!よくもそのように白々しく…!」
こちらの質問に答えないから、会話にならないわ。
最近はこのお遊びばかりなさるのだもの。
他の方と遊んでくださらないかしら…私ったら未だに楽しみ方が分からなくて。
扇子を半分ほど開いて口元に持っていき、「困った方だこと」と意思表示をして待つ。
こうしておけば、殿下や他の殿方が何かしら大声で叫んで、お遊びはおしまいになるのよ。
「彼女が…!貴様らが殺したんだろう!?」
「彼女…?あぁそうでしたわね。お悔やみ申し上げますわ」
いつも涙に濡れていたあの少女は、つい先日、遺体で見つかったと聞いたわ。
どなたかと街歩きしている最中に、はぐれてそのまま行方知れずになっていたみたいなんだけれど。
「いえ、我が家ではございませんことよ」
殿下は少女との関係を深め続け、とうとう「正妃に迎えたい」とまでのぼせ上がってらしたの。
男爵令嬢を正妃に、公爵令嬢を側妃にだなんて、枢密院が認めるはずございませんのに。
王位を継がないのであれば正妃も側妃もございませんけれど。
王位継承戦から退いて臣下に下ったところで、火種になる第一王子がいつまで生きていられるやら…
「寵愛深い事を早くから喧伝なさるのは危険です、とお伝えしましたでしょう?」
殿下が平民上がりを「正妃に据える」とまで仰ったら、我こそと思う者だって出ますもの。
少女を排除したのは、均衡を保っている第二王子派閥の貴族?
父ではないと思うのよね。
彼女はそれなりに有用だったもの。
第二王子派閥の貴族達からしたら、身分の低い令嬢でいいのならいくらでも充てがえますし、「当人同士が想いあっている」で押し通してしまえば、立太子の両面待ちですからね。
あ、お分かりになる?
東方伝来の盤面遊戯ですわ。
リャンメン待ちって言いたくなりません?
分かりやすく説明したつもりなんですけれど、殿下はまだ怖いお顔だわ。
「危険だと分かっていながら、何もしなかったのか!?」
「いえ、我が家へお誘いしましたでしょう?」
彼女の安全のために、いくつかご提案しようかと当家に赴いてもらったの。
呼んでない殿下も付いてらしたのに、お忘れになったのかしら。
「彼女をどうされるおつもりですか?と殿下に伺いましたら、「手出し無用だ」と仰いましたよね?」
殿下がお守りになるのね、って妹も安心してましたのに。
護衛もつけずに街歩きだなんて…
「殿下の外戚を狙う者はたくさんおりますのよ。"後ろ盾"という意味で力足らずだった貴族が、愛で第一王子の妃に成り代われると知れば、どういう行動に出るか…お気付きではなかったのですか?」
殿下ったら、うっかりさんなんだから。
せっかくの有用な駒を失くしてしまうなんて。
「残念ですわ…民の不満を逸らすには、愛妾の処刑がとっても効果的ですのに」
まぁとっても驚いているお顔。彼女の有用性にもお気づきでなかったのかしら?
「彼女、たいそうな野心家で、虚栄心の塊みたいな方でしたでしょう?ああいうタイプは、きちんと罪状を重ねてくれるんですわ。冤罪を拵える労力すらいらないだなんて」
さすが殿下ですわ。
あそこまでの人材を見繕うなんて
彼女、逸材でしたわね。
誤解も解けたところで、帰ってくださらないかしら?
私の輿入れが早まってしまって、とても忙しいのよね。
「ご存知の事かと思いますが、隣国の不作で私の輿入れが早まりましたでしょう?鬱憤晴らしの処刑が必要になったんでしょう。殿下とお会いするのも、これで最後ですわ」
締めの挨拶にしようと、微笑みかける。
そういえば、殿下はこの笑い方にもご不満があったみたいね。
貼り付けただけの冷たい笑みで、なんの魅力もないと仰ってたわ。
――そうだ。
「首を落とされるときに、処刑台の上で泣いてみようかしら」
人前なのに、声を出して泣くだなんて、すごいことよ。
あの狡猾な少女のように、"私ってなんて可哀想なのかしら"って泣くの。
「あんな風に泣けたら気持ちいいんでしょうねって、ずっと思ってましたのよ」
殿下が凋落したら、口を開けて笑ってみようと思ってたんですけれど。
見届ける時間は無さそうですし。
どうせ父がなんとかしてしまうでしょうしね。
「なんと仰ってましたかしら――仮面のような笑顔、でしたか?お気に召さないかと存じますが、これしか許されておりませんの」
殿下に別れの挨拶をする。
鞭とともに学んだカーテシーと、頬を噛んで覚えた微笑みで。
「殿下。そのハンカチは差し上げますわ。拭いたら捨てておしまいになって」