第3話 自己紹介シートと、噛み合わない二人
〈恋愛必須高校〉での最初の課題は、ペア同士で作成する「自己紹介シート」だった。
互いのプロフィールを相手に書かせ、最後に提出する。
これが初期の“相互理解スコア”に反映されるらしい。
──要するに、相手をどれだけ理解しているかを見られるわけだ。
◆
俺と泉は、ラウンジの隅にある机に向かい合って座った。
配られたシートは二枚。名前や誕生日といった基本情報の欄の他に、好きな食べ物・趣味・将来の夢──なんて質問まである。
俺は少し考えてから、ペンを持った。
「じゃあ……まずは俺から話すよ」
「勝手にどうぞ」
泉はシートを見もせず、肘をついて窓の外を眺めている。
「名前は鷹宮唯人。えっと……趣味は、音楽を聴くことかな」
「普通ね」
「うるさい」
正直、自分でもそう思う。
俺はスポーツも勉強も人並みで、目立った特技がない。
こういう場になると、本当に“平均”でしかないのが際立つ。
「好きな食べ物は?」
「……塩味のカップ麺」
「好物がそれでいいの?」
泉は顔をしかめ、少しだけ感情を覗かせた。まあ、嬉しい反応ではないが。
「仕方ないだろ。実家が貧乏なんだから」
思わず口にしてから、しまったと思った。
初対面で言うことじゃなかったかもしれない。
だが泉は意外にも、馬鹿にするでもなく淡々と返してきた。
「まあ、美味しいしね」
「え? 泉も食べるの? カップ麺を?」
「安いのに工夫されてて、美味しいでしょ」
フォローのつもりなのか。興味なさそうなのに、妙に優しい。
横顔はまだ窓の外を向いたまま。
だが、口元がわずかにほころんだように見えた。
◆
今度は泉の番だ。
「じゃあ、君の番だな。好きな食べ物は?」
「……ない」
「ないってことはないだろ」
「本当にないの。食べられればそれでいい」
きっぱりと言い切る。
まるで食欲さえ義務でこなしているような言い方だった。
「趣味は?」
「特になし」
「将来の夢は?」
「……ない」
ペンが止まる。
ここまで徹底的に「空白」だと、逆に驚きを通り越して心配になってくる。
「おい、真面目にやる気あるのか」
「ないって言ったでしょ。恋愛に意欲ゼロなんだから」
淡々とした声。
だが、ほんの一瞬、彼女の視線が揺れた気がした。
◆
沈黙を破ったのは泉のほうだった。
「……でも」
「ん?」
「鷹宮が困るなら、最低限は埋めてあげる」
そう言って、彼女はペンを取った。
シートに、自分の字で「白羽泉」と名前を書く。
そして少し考え、趣味の欄にさらさらと書き込んだ。
──【昼寝】。
「……おい」
「嘘じゃないもの」
彼女はすました顔でペンを置く。
そこには小さな字で「昼寝」と一言だけ。
俺は思わず吹き出した。
完璧美少女が、自己紹介の趣味に“昼寝”と書くなんて。
「何よ」
「いや……ちょっと人間味あるなって思って」
泉は不満そうに睨んだが、ほんの少しだけ頬が赤くなっていた。
◆
こうして二人のシートは、スカスカながらもなんとか形になった。
提出すると、担当教員が淡々と受け取っていく。
「最初の評価は“C”だな。低いが……まあ最低限だ」
そう告げられ、俺はほっと息をつく。
だが隣の泉は、どこか遠い目をしていた。
──彼女は本気で、この制度を拒絶している。
その姿勢は揺らいでいない。
けれど、ほんの少しだけ垣間見えた。
“昼寝”と書いたときの、あの小さな照れ。
もしかすると、彼女の意欲がゼロである理由は、単なる反抗心だけじゃないのかもしれない。
俺はそんな予感を抱きながら、次の課題に備えることにした。