第78話 賢者の本当のポテンシャル
収穫祭を数日後に控えた、穏やかな平日の午後。
夏の終わりの陽が、ゆっくりと西に傾き始めていた。
コミュニティ農園は、収穫作業を終えた仲間たちの、満足げな笑い声に包まれている。誰もが、自分の手で育て上げた、色とりどりの野菜を、誇らしげに掲げていた。
田中修一は、その輪から、少しだけ離れた丸太のベンチに腰を下ろし、その、あまりにも幸福な光景を、ただ、静かに眺めていた。
(……すごいなあ)
彼は、心の中で呟いた。
佐々木凛の、あの、まっすぐな夢。渡辺さん夫妻の、老いてなお衰えぬ情熱。佐藤さん親子の、屈託のない笑顔。そして、岩田茂という、孤高の師匠が内に秘めた土への深い愛情。
様々な人々の想いと、力が、一つになった時、こんなにも素晴らしいものが生まれるのか。
かつて、彼が、六畳間の城の中で、一人、画面の向こうに見ていた、どんな華麗なファンタジーの世界よりも、今、目の前に広がる、この現実の光景の方が、ずっと、ずっと、奇跡のように美しかった。
彼は、ふと、思い立った。
もう一度だけ、試してみようか、と。
自分の内側へと、深く、深く、潜っていく。
あの、嵐の夜に、か細い光として見出した、自分の本当の願い。
それは今、どう、形を変えているのだろうか。
彼は、農作業で使う手水桶に張られた澄んだ水面に、自分の顔を映し出した。
そこにいたのは、一年半前とは別人のように、日に焼け、引き締まった、54歳の男の顔だった。その目にはもう、かつてのような絶望も、怯えも、焦りもない。ただ穏やかな光だけが宿っていた。
彼は、その、水面に映る自分自身に向かって、能力を集中させた。
―――何の抵抗もなかった。
以前のような、負の感情の嵐は、もう吹き荒れない。
彼の心は、まるで、台風一過の青空のように澄み渡っていた。
そして、その青空の真ん中に、ただ一つの、絶対的で、そして温かい言葉が浮かび上がってきた。
【対象:田中 修一】
【根源的ポテンシャル:人と人、そして、人と土を繋ぐ者】
「……」
修一は、息を飲んだ。
そして、すべてを理解した。
ご先祖様が授けてくれた、この力。
それは、彼一人が賢者になるための、ものではなかった。
彼がヒーローになるための、ものでもなかった。
それは、ただ、繋ぐための力だったのだ。
孤独だったアパートの住人たちの心を、おすそ分けで繋いだように。
バラバラになりかけた仲間たちの心を、一つの目標で繋いだように。
そして、過去に囚われていた、一人の頑なな老人と、未来を夢見る若者の心を、この大地を通して繋いだように。
俺は、ただの、触媒だったのだ。
俺は、ただの、橋渡し役だったのだ。
彼は、顔を上げた。
畑では、岩田が凛に、トマトの出来栄えを自慢げに語っている。凛は、それを、太陽のような笑顔で聞いている。
その光景を眺める修一の心は、これ以上ないほどの深い満足感に満たされていた。
誰かを率いるのではない。誰かの上に立つのでもない。
ただ、その輪の中で、人と人が繋がる、その、きっかけとして、そこにいる。
それが、賢者の本当の役割。
滅びゆくはずだった、この人生の最後に、ようやく見つけた、自分自身の本当のポテンシャルだった。
「田中さん?」
凛が、彼の穏やかな表情に気づき、不思議そうに声をかけてきた。
「何か、いいことでもあったんですか?」
修一は、彼女に向き直ると、ただ静かに微笑んだ。
「いえ……」
彼は、夕日に照らされて、黄金色に輝く畑を見渡した。
「ただ、本当に、いい畑だな、と、思って」
その言葉に嘘はなかった。




