第77話 春の息吹、夏の輝き
長くて、厳しい冬が終わった。
田中修一と仲間たちにとって、それはただ、ひたすらに耐え忍び、土を育て直すだけの季節だった。岩田茂という厳格な師匠の指導の下、彼らは、来るべき春のための準備だけを黙々と続けた。
そして、三月。固く凍てついていた大地に、温かい春の風が吹き始めた時。
賢者の本当の逆襲が始まった。
コミュニティ農園は、二人の、類まれなる才能の融合によって、奇跡の場所へと生まれ変わろうとしていた。
一人は、岩田茂。
長年の経験と勘。土と対話し、その機嫌を読み解く、伝統的な知恵。彼は、まさに、この土地の過去と現在を知り尽くした、グランドマスターだった。
「春分の日は、まだ冷える。ジャガイモの植え付けは、彼岸が明けてからだ」
彼の言葉は絶対だった。
そして、もう一人。田中修一。
彼の常識を超えた能力。すべての生命が秘めている、未来の可能性を見抜く力。彼は、この土地の未来を見通す賢者だった。
「師匠、その種芋、素晴らしいですが……こっちの、ほんの少し小さいものの方が、ポテンシャルが高いです。こいつはきっと、すごい収穫をもたらします」
彼の言葉は、時に常識を超えていた。
最初は岩田も、修一の、その、神がかり的な「勘」をいぶかしんでいた。
だが、修一が選んだ種芋が、他のどれよりも立派な芽を出し、修一が「ここは水の通り道だから」と指摘した場所に、雨の後、見事に水たまりができるのを目の当たりにするうちに。
彼は何も言わなくなった。
ただ、「……フン」と、鼻を鳴らすだけ。だが、その横顔には、この、不思議な弟子への、かすかな畏敬の念が浮かんでいた。
グランドマスターの「経験」と、賢者の「未来予知」。
二つの最強の力が一つになった時、彼らの畑は、もはや敵なしだった。
春には、彼らが教え通りに植えたレンゲの花が、紫色の絨毯のように、畑を覆い尽くした。
そして、そのレンゲを栄養として土にすき込み、万全の準備を整えた五月。
彼らは、満を持して、夏野菜の苗を植え付けた。
そして、夏が来た。
2026年、8月。
コミュニティ農園は、信じられないほどの生命力に満ち溢れていた。
太陽の光を浴びて、きらきらと輝く真っ赤なトマト。宝石のように艶やかな紫色のナス。みずみずしい緑色のキュウリやピーマン。
どの野菜も、素人が作ったとは思えないほど、大きく、そして美しく育っていた。
畑には、かつての仲間たちが、皆、戻ってきていた。そして、その輪は、さらに大きく広がっていた。
畑のあちこちで、収穫を喜ぶ人々の笑顔が弾けている。
その中心には、子供たちに野菜の見分け方を自慢げに教えている、岩田茂の姿と、それを見守る、凛と、渡辺さん夫妻の姿があった。
修一は、そのすべてを、少しだけ離れた場所から眺めていた。
それはかつて、彼が能力で垣間見た、あの、企画書のポテンシャルそのものの光景だった。
だが、一つだけ違っていた。
あの時、彼は、自分自身が、その笑顔の輪の中にいることなど、想像さえしていなかったのだから。
一年と、少し前。
彼は六畳間の暗闇の底で、ただ静かに、滅びゆくのを待っているだけの男だった。
だが、今は違う。
彼は、この、輝く夏の光の中にいる。
賢者の、本当の帰還だった。
失われた王国は、今、以前よりもずっと美しく、そして力強く、彼の目の前に蘇ったのだ。




