第76話 新しい仲間、そして師匠
田中修一の、最後の賭け。
それは、仲間たちの、そして、彼自身の未来を大きく変えることになった。
あの日以来、コミュニティ農園の活動内容は一変した。
岩田茂の最初の教え―――『土を冬の寒気に晒して締め直す』。
その言葉だけを道しるべに、彼らは、ただひたすらに、凍てついた土を掘り返し、そして、空気に晒すという、地味で過酷な作業を繰り返していた。
そこに、目に見える成果はない。ただ、信じること。それが、今の彼らにできるすべてだった。
そんな作業を始めてから、数日後のことだった。
農園の入り口に、一つの、仁王立ちの人影が現れた。
岩田茂だ。
仲間たちの間に緊張が走る。だが、彼は、何も言わなかった。ただ、腕を組み、厳しい目で、彼らの作業をじっと見つめている。
それはまるで、厳格な試験官のようだった。
誰もが、その視線を意識し、黙々と手を動かし続けた。
十分、いや、二十分ほど経っただろうか。
岩田はついに、我慢ならん、といった様子で、畑の中へ、ずかずかと入ってきた。
そして、佐藤さん(主婦)が、おそるおそる鍬を振るっている、その手元で、足を止めた。
「―――見てられんっ!」
雷のような怒声が、畑中に響き渡った。
佐藤さんの肩が、びくりと跳ねる。
岩田は彼女の手から、まるで、ひったくるように鍬を奪い取った。
「馬鹿者! 鍬の入れ方が浅いわ!」
彼は、そう怒鳴ると、自ら鍬を構えた。
「土を締めるというのはな! こうやるんだ!」
トンッ!
岩田が振り下ろした鍬の刃が、固く凍てついた土に、吸い込まれるように深く突き刺さる。そして、てこの原理を使い、最小限の力で、土の大きな塊を掘り起こしてみせた。
その、あまりにも洗練された、無駄のない動き。
それは、長年、土と向き合い続けた達人だけがたどり着ける、究極の型だった。
仲間たちは、皆、その、あまりにも美しい鍬さばきに、ただ、息を飲んで見惚れていた。
岩田は、ふん、と、鼻を鳴らすと、鍬を佐藤さんに突き返した。
「……へっぴり腰め。百回、素振りでもしてろ」
それだけを言い残すと、彼は、今度は、渡辺さんの元へ歩いていった。
「おい、年寄り! その土の塊は大きすぎる! もっと細かく砕かんか!」
その日から岩田は、毎日、農園に姿を見せるようになった。
彼が正式に仲間になったわけではない。彼が口を開けば、出てくるのは文句と、罵声と、駄目出しばかりだ。
「なってない!」
「話にならん!」
「そんなことでは、まともな野菜は一生できんぞ!」
その、あまりにも厳しい指導に、泣き出す主婦さえいた。
だが、不思議なことに、彼の、その、罵声のシャワーを浴びれば、浴びるほど。
仲間たちの動きは洗練され、畑は、みるみるうちに、本来の生命力を取り戻していった。
彼らは気づいていた。
岩田の、その言葉は厳しいが、そのすべてが的確で、そして、土への深い愛情に裏打ちされていることを。
彼は、決して褒めない。だが、本当にダメな時は、黙って手本を見せてくれた。
いつしか仲間たちは、彼のことを尊敬と、そして、少しばかりの親しみを込めて、こう、呼ぶようになっていた。
「師匠」、と。
修一は、その新しい関係性を、少し離れた場所から、微笑ましく眺めていた。
彼は、自らリーダーの座を、この偉大な師匠に明け渡した。そして、自分も一人の弟子として、その厳しい指導を受けていた。
賢者の城の外で、賢者は、一人の不器用な、しかし、最高の師と出会った。
畑には、厳しい師匠の怒声と、それでもどこか楽しそうな、弟子たちの笑い声が響き渡っていた。
長く、厳しい、冬。
だが、その冬は、彼らにとって、これまでで最も温かい季節となった。




