第68話 賢者の新戦術
「俺には、そのための新しい作戦があります」
田中修一の、静かだが、確信に満ちた言葉に、その場の誰もが固唾を飲んだ。
だが、彼が、その作戦を語る前に、これまで黙って話を聞いていた、佐々木凛が、一歩、前に出た。
「その前に、皆さん」
彼女は、手に持っていた青いバインダーを開いた。
「私が、この数週間で調べてきたことをご報告します」
凛の報告は、冷静で的確だった。
彼女が自費で、農園の入り口が見える位置に、簡易的な防犯カメラを設置していたこと。
そのカメラに、深夜、農園に繰り返し出入りする岩田茂の姿が、はっきりと記録されていたこと。
そして、近隣の古くから住む人々への聞き込み調査によって、岩田茂が、このコミュニティ農園の土地の、元所有者であり、かつては、この地域で最も尊敬されていた、腕利きの農家だったという事実。
彼女が淡々と事実を並べ終えた時、参加者たちの間に、どよめきが広がった。
「やっぱり、あの爺さんか!」
渡辺さんの、怒りに満ちた声が響き渡った。
「そうと分かれば、話は早え! この映像を警察に突き出してやろう!」
「そうです! 彼に、ちゃんと、謝罪と弁償をしてもらいましょう!」
仲間たちの怒りは頂点に達していた。これまで彼らを苦しめてきた、見えざる敵の正体が、はっきりとしたのだ。その怒りの矛先が、すべて岩田茂という、一点に集中していく。
その、燃え盛る怒りの炎の前に、修一は、静かに立ちはだかった。
「待ってください」
彼の、その、あまりにも穏やかな声に、仲間たちは、いぶかしげな視線を向ける。
「皆さんの、怒る気持ちは痛いほど分かります。俺だって悔しい。腹が立って、仕方がない。でも……」
修一は、一度、言葉を切り、そして、誰も予期しなかった告白を始めた。
「……あの人の気持ちが、俺には痛いほど分かるんです。俺もずっと、一人でしたから」
その、あまりにも唐突な告白に、仲間たちは言葉を失った。
修一は、続けた。
「孤独は人の心をねじ曲げます。自分が大切にしていたものを失った人間は、他人が楽しそうにしているのを、素直に見ることができなくなるんです」
彼は、仲間たち一人一人に問いかけるように、静かに語りかけた。
「もし、自分が、岩田さんの立場だったら、どうでしょう。命懸けで守ってきた畑を手放すことになって。その場所で、自分以外の人間が、楽しそうに笑っていたら。やっぱり、面白くない、と感じてしまうんじゃないでしょうか」
そして、彼は、凛の方をまっすぐに見つめた。
「俺たちが、この農園で本当に作りたかったものは、何でしたっけ。それは、地域の温かいコミュニケーションを作ることじゃなかったでしょうか」
凛は、はっとした顔で、彼を見つめ返した。
修一は、その場で、仲間たち全員に深々と頭を下げた。
「これは、俺のわがままかもしれません。でも、お願いです」
彼の声は震えていた。だが、そこには確かな熱意がこもっていた。
「たとえ、岩田さんが、俺たちの畑を荒らした犯人だったとしても。俺は、彼を、ただ、排除するんじゃなくて、説得して、俺たちの仲間になってもらいたいんです」
「もし俺たちが、彼を、ただ、断罪して、追い出してしまったら。俺たちは、この街に、また一人、孤独な人間を増やすだけです。それは、この農園が目指すものとは正反対のはずです」
彼は、顔を上げた。
「彼を、迎え入れる努力をすることこそが、俺たちの、本当の『畑仕事』なんじゃないでしょうか」
賢者の、あまりにも大胆で、そして、常識外れの新しい戦術。
その場にいた誰もが、その、本当の意味を測りかねて、ただ呆然と、立ち尽くしていた。
怒りのままに、敵を断罪するのか。
それとも、この、冴えない賢者の、途方もない理想に、賭けてみるのか。
仲間たちの心は、激しく揺れ動いていた。




