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賢者の城は六畳間  作者: かわさきはっく


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63/80

第63話 壊れたコンパスの指す先

 ゲーム仲間からの思いがけないメッセージ。

 そして、母・春子が、涙ながらに告白してくれた、偽りのない愛情。

 二つの温かい光は、田中修一が、自ら閉じこもっていた暗闇の檻の分厚い壁に、確かに、小さな風穴を開けていた。


 その日の夜。彼は重い体を引きずるように洗面所へと向かった。ただ、顔を洗うだけのつもりだった。冷たい水で、少しでも、この、まとわりつくような絶望感を洗い流したかったのだ。

 水しぶきをタオルで拭い、ふと、顔を上げた時。鏡の中に映った自分の姿に、彼は息を飲んだ。それはまるで、難破船から命からがら生還した漂流者のようだった。


(……ひどい顔だ)

 これが、今の自分。

 仲間を裏切り、友を傷つけ、母親を悲しませた、愚かな男の末路。

 彼は鏡に映る、その惨めな自分自身から、目をそらさなかった。

 そして、おそるおそる試みた。

 この、どうしようもない、抜け殻のようになった自分自身に、あの能力を使ってみることを。

 最後に試した時は、何も見えなかった。だが、今は、どうだ。

 彼は鏡の中の自分の瞳を、まっすぐに見つめ、意識を集中させた。


 途端に、彼の脳内に、嵐が吹き荒れた。

 壊れたコンパスは、案の条、制御不能のまま、負の情報だけを叩きつけてくる。


【失敗】

【後悔】

【臆病】

【無価値】

【孤独】

【欺瞞】

【停滞】

【滅亡】


 彼の自己評価そのものが、黒い呪いの言葉となって、彼の精神を容赦なく鞭打った。

(……ああ、そうだよな。やっぱり俺は……)

 彼が、また、暗い自己否定の渦に飲み込まれそうになった、その瞬間だった。

 黒い嵐の中心に。

 ノイズの向こう側に、まるで遠い星の光のように、これまで見えたことのなかった、一つの、微かな、しかし、凛とした光が点滅しているのに、気がついた。

 彼は、その光に、必死で意識を集中させた。

 そして、その光が形作る言葉を読み取った。


【根源的ポテンシャル:誰かを、守りたい】


「……え?」

 修一は、思わず声を漏らした。

 誰かを守りたい? 俺が?

 誰を。

 脳裏に、いくつもの顔が浮かんだ。

『シュウさんがいないと、ダメなんだ』と、言ってくれた、ゲームの仲間たち。

『あんたに、元気で、生きていてほしい』と、泣いていた、母・春子。

 そして―――

『田中さんがいないと、ダメなんです!』と、叫んでいた、佐々木凛の、あの必死な顔。


 そうだ。

 守りたい。

 彼らを。彼女を。

 俺の弱さのせいで傷つけてしまった、あの人たちを。

 俺が壊してしまった、あの温かい場所を。

 もう一度、この手で取り戻したい。守り抜きたい。

 それは、後悔でも、自己否定でもない。

 彼の心の一番奥深く。絶望の瓦礫の下で、まだ、かろうじて息をしていた、たった一つの純粋な願いだった。


 彼は改めて、鏡の中の自分を見た。

 壊れたコンパスは、相変わらず、無数の負の方向を指し示している。

 だが、その、めちゃくちゃに揺れ動く針の中心で、たった一つだけ、ぶれることのない、確かな方角が示されていた。

【誰かを、守りたい】

 その、かすかな光が、彼の新しい北極星。

 彼のコンパスは壊れたのではない。

 あまりにも強い、自己否定という磁場の嵐に囚われていただけなのだ。

 そして今、その嵐の中から、新しい進むべき道を指し示し始めていた。


 修一は、鏡の中の情けない自分に静かに告げた。

(……行こう)

 まだ、戦える。

 まだ、終わっていない。

 賢者の城は、まだ、陥落してはいなかった。

 夜明けは、まだ、遠い。

 だが、進むべき方角は確かに定まった。

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