第61話 消し忘れたショートカット
田中修一は、自らを六畳間の暗闇に幽閉した。
食事も、睡眠も、ろくに取らず、ただ、壁の一点を見つめ続ける。そんな、生ける屍のような時間が、何日も過ぎていった。
だが、ある日、彼は、ふと、思った。
このままではダメだ。中途半端だ、と。
過去の輝かしい記憶が、今の、この惨めな自分を苛み続ける。ならば、その記憶の痕跡ごと、すべて、この世から消し去ってしまわなければならない。
彼は最後の未練を断ち切るため、自らの過去のすべてを破壊する儀式を始めることにした。
彼はパソコンの電源を入れた。
そして、ハードディスクの奥深くに眠っていた、古いフォルダを次々と開いていく。
最初に見つけたのは、大学時代の卒業論文のデータだった。徹夜を繰り返し、仲間たちと、ああでもない、こうでもないと、議論を交わしながら書き上げた、若き日の情熱の結晶。
彼は、そのファイルを躊躇なく、ゴミ箱へとドラッグ&ドロップした。
次に見つけたのは、趣味で描いていた、イラストのデータだった。いつか、プロになれるかもしれない、などと、淡い夢を見ていた頃の数々の作品。
それも、すべて、ゴミ箱へ。
昔の旅行の写真。もう、顔も、おぼろげになった、友人たちとの笑顔。
それも、ゴミ箱へ。
彼は、まるで、自分の人生そのものを消去していくかのように、無心でデータを破壊し続けた。
もう、消すべきものは残っていないだろうか。
彼は念入りにドライブの中を探し回る。すると、デスクトップの隅に追いやられるように置かれた、「趣味」という名前の古いフォルダが目に入った。
その中には、ただ一つだけ。
見慣れた、竜の紋章をかたどった、あの、オンラインゲームのショートカットアイコンが、ぽつんと残されていた。
(……ああ、そうか。これも、あったか)
ゲーム本体のアプリケーションは、あの、絶望の日に、すべてアンインストールしたはずだ。これは、リンクが切れた残骸だろう。
彼は、その残骸に、別れを告げるかのように、ダブルクリックした。
エラーメッセージが表示されるはずだった。
だが―――。
画面に表示されたのは、エラーを告げる無機質なウィンドウではなかった。
代わりに、軽快な起動音と共に、見慣れたチャットツールのログイン画面が現れたのだ。
(……なんだ、これ……?)
そうだ。ゲーム本体とは別に、仲間たちと、いつでも連絡が取れるようにと、この外部ツールだけは残してあったのだ。そして、その存在を、彼は完全に忘れていた。
次の瞬間。
ログインが自動的に完了し、彼の目の前に、これまで受信した、すべてのメッセージが、洪水のように溢れ出した。
『シュウさん、生きてるか?』
『何かあったんじゃないかって、みんな、すごく心配してるんだ』
『返事、聞かせてくれよ!』
『シュウさんがいないと、このパーティーは、バラバラになっちゃうよ!』
おびただしい数の未読メッセージ。
その、一つ一つが、暗闇の中に閉じこもっていた彼の心に、小さな、小さな、光の点を灯していく。
彼は、ただ呆然と、その画面を見つめていた。
自分が捨てたはずの世界。
その世界は、まだ彼のことを諦めてはいなかったのだ。




